天之都
──天之都。
蒸気機関車は黒煙を吐きながら、都市の玄関口に到着した。
石造りの高い壁と荘厳な門。規則正しく整備された道と、厳重な検問設備。見張り台からは複数の兵士がこちらを監視しており、わずかな異常も見逃すまいという気迫が漂っていた。
(まさかもう一度ここに来るとはな……それも違う意味で)
かつて“人類の敵”として攻め落としたこの都市を、今度は“人類の味方”として訪れる。そんな皮肉に、瑠衣は心の中で苦笑していた。
列車を降りてすぐ、皇国警察と名乗る部隊が待機していた。星風が手際よく無線で連絡を入れたようだ。
救護班の輸送車が到着し、担架に乗せられた森園の遺体が、白い布で静かに覆われる。続いて、重傷の鷹野が慎重に運び込まれた。彼はまだ意識不明だ。
「……鷹野さんも、無事に目を覚ましてくれればいいのですが」
悲しげに呟いた星風は、輸送車に乗り込もうとした。
「私、上官に報告しなきゃ。状況説明を……」
しかし、そのとき。
「……いらねえよ、そんなの」
かすれた声が車内から響いた。鷹野だった。
意識を取り戻したようだ。
「鷹野さん!?」
「報告は……俺がする。お前は残れ、星風」
目を開けた彼は、弱々しくも微笑んでいた。今にも途切れそうな呼吸の中、精一杯の声でそう告げる。
「でも……!」
「頼む。今は……1人にさせてほしいんだ」
いつもの自信はそこになく、今はただそっとして置いてほしいという鷹野に、星風は察したのか、
「鷹野さん……。わかりました。また今度、お見舞いに行きますね」
と言って大人しく身を引いた。
「ありがとな」
そこへ鷹野が今度は瑠衣の方へと顔を向け、軽く頭を下げた。
「あんたがいなかったら、俺達は全滅していただろう。星風や、乗客の皆を助けてくれて感謝する」
「いや……。彼女を守れなくてすまなかった」
目を伏せる瑠衣に、鷹野は軽く笑んだ。
「謝ることはないさ。守れなかった俺が悪いんだ。……じゃあ、俺はもう行く。星風、またな」
そう言って目を閉じた鷹野を見送りながら、星風は唇を噛んだ。
やがて輸送車が走り去り、静けさが戻る。列車の乗客たちも次々と解散していく中、星風は瑠衣の方へと歩み寄ってきた。
「改めて……あの、ありがとうございました。義影さんが来てくれなかったら、私……本当に、死んでたと思います」
ぺこりと頭を下げる星風。
だが、瑠衣は視線を逸らしながら、低く返した。
「いや……礼なんていらない」
「え?」
「助けたのはただの成り行きだ。……俺に礼を言う資格なんてない。それに、お前の仲間も1人救えなかった」
その声音には、どこか自嘲が混じっていた。
この世界では、誰も殺していない。
だか――“正史”では、自分は罪なき人々を、何百人、何千人と手にかけた。子どもも、老人も、逃げる者も。容赦なく殺した。
この手は、既に汚れている。
そんな自分に、感謝の言葉など向けられる筋合いはない。
すると、星風は前のめりにこう強調した。
「そんなことありません!! 森園さんの事は勿論悲しいです。ですが義影さんがいなかったら私や鷹野さん、残された乗客も全員殺されてたんです! 義影さんは命の恩人です!」
「俺が……命の恩人?」
戸惑うように瑠衣が呟いた、そのときだった。
「おにいちゃんっ!」
小さな声が響く。振り向けば、母親に手を引かれた幼い少女が駆け寄ってきた。まだ五歳にも満たないであろうその子は、握りしめていた野の花を瑠衣に差し出す。
「これ……おにいちゃんに。たすけてくれて、ありがとう」
花は少ししおれていたが、少女の顔は満開の笑顔だった。
「あの、さっきは本当に……ありがとうございました」
母親も深々と頭を下げる。瑠衣はその花を、戸惑いながらも受け取った。
次いで、列車から降り去った乗客たちが、ぽつりぽつりと戻ってきては、次々と感謝の言葉を口にした。
「あなたがいなければ、今頃自分は死んでました」
「あのピエロを追い払ってくれて、ありがとう」
「もう一度家族に会える……それがどれだけ幸せなことか」
目の前に広がる光景に、瑠衣は戸惑いを隠せなかった。
(……まただ)
先日自分を追放した村の人々。あの時も、出発の朝に何人かが頭を下げ、感謝を口にした。なのに自分は、その言葉を素直に受け取れなかった。過去の罪が、心に澱のようにこびりついていたから。
(なのに……どうして、こんなにも……)
今、自分は誰かを守った。その事実が、こんなにも多くの「ありがとう」を引き寄せている。それが、たまらなく不思議だった。
思わず手の中の花を見つめる。小さくても、確かに命の象徴だった。
「……見ましたか? みんな、感謝してるんです。ピエロの男が現れたあの瞬間、義影さんがいなければ、私たちは誰も助かってなかった」
星風はそっと、瑠衣の手に添えられた花を見つめる。
「あなたがしてくれたことは、ちゃんと届いてます。ちゃんと、誰かの希望になってるんです」
瑠衣は返す言葉を失った。
そんな自分の腕を、星風が強く掴む。
まるで離すまいかと言わんばかりの強さだ。
「だから──」
ぐっと視線を強め、彼女は真っすぐに言い放った。
「お礼をさせてくれるまでは、離れません!」
その目は真っ直ぐで、揺らいでいなかった。さっきまでの、どこか頼りなげな印象はそこにはない。
真摯な眼差しと、押しの強さに、瑠衣は一瞬言葉を詰まらせた。
「……っ」
そのとき。
ぐぅ~~~~~~~~~~。
静寂の中に、場違いな音が響いた。
鳴ったのは──瑠衣の腹だった。
「…………」
「……ふふっ」
星風が口元を押さえて、くすっと笑う。
瑠衣は顔を伏せて小さく舌打ちした。
(最悪だ……)
拒否しようとしたが、さすがにこの空気で「無理」とは言いづらい。
「……なら、一つだけ条件をつける」
「はい?」
「……飯を奢ってくれ。それで終わりだ。いいな?」
「はい!わかりましたっ!」
満面の笑みで頷く梓。その笑顔を見て、瑠衣はさらに小さくため息をついた。
──こうして、瑠衣は、恩返しという名の食事に付き合うこととなった。
天之都から少し離れた、古びた街の一角、石畳の裏通りに面したレストラン。
外観は少し古びているが、中は清潔で温かみのある雰囲気だった。木のテーブルにオイルランプ風の照明、壁には絵画とドライフラワーが飾られている。
「ここのご飯、安くて美味しいって評判なんですよ。前に森園さん達に教えてもらって」
星風はそう言って笑顔を浮かべながら、店員に「二人分、おすすめでお願いします!」と告げると、ほどなく料理が運ばれてきた。
トマトソースの煮込み料理と焼きたてのパン、ハーブの効いたサラダにスープ。
いい香りが瑠衣の鼻を刺激する。
瑠衣は無言のままスプーンを手に取る。
(そういえば、村を出てから殆ど何も口にしていなかったな)
──久々の、ちゃんとした食事。
ここ数日はずっと気を張っていたせいか、思っていた以上に腹が減っていた。目の前の料理がやけに旨そうに見える。
「……いただきます」
ぽつりと呟いて口に運ぶ。
思った通り、味は悪くない。いや、むしろかなり美味い。
空腹も相極まって、ご馳走を食べているような気分になる。
ふと目線を上げると、星風がじっとこちらを見ていた。
「……なんだよ」
「いえ。ちゃんと食べてくれて、よかったなって」
その言葉に、瑠衣は少しだけ頬をかいた。
そして、話を逸らす為、こう言った。
「……そういや天之都って、どんな場所なんだ? 俺、田舎育ちだからわかんなくてさ」
「どんな場所? うーん、なんと言ったらいいんでしょうか。でも、大和皇国で最も安全な街といったらここじゃないですか?」
「それは、SEUの本拠地があそこに浮いてるからか?」
窓の外に見える巨大な浮遊要塞を見ながら言った。
「まあ、それもありますけど……朧様の結界がありますし」
「……朧様?」
「え、義影さん知らないんですか? 」
「いや、何か聞き覚えがあったような――」
と、そこで瑠衣は思い出す。
「もしかして、月神、朧の事か?」
「あ、なんだ知ってるじゃないですか!そうです。月神朧様ですよ!」
断片的な記憶しかないものの、瑠衣は少し覚えていた。
――月神朧。
治安特殊精鋭部隊《SEU》の最高戦力にして、新人類最強の少女。
あの幻影皇帝ですら、彼女の事は非常に警戒しており、天之都を迂闊に攻められなかった最大の理由。
しかし、正史では彼女が表舞台に出てくることはなかったはずだ。その為、レベリスだった時にも会った事はない。
何故なら彼女は――
「……っ」
思い出そうした次の瞬間、またあの頭痛が襲ってきた。
(またか……一体なんなんだこれは)
過去に戻った影響からなのか、一部の記憶を思い出そうとすると頭痛が起こるようだ。
結局何故彼女が表舞台に出てくる事がなかったかを思い出すことはできなかった。
「義影さん? 大丈夫ですか?」
突如痛そうに顔をしかめたことに気付いた星風が心配そうにこちらを見ていた。
「……ああ、問題ない。で、月神の結界だが――」
「……あ、はい。朧様の結界のおかげで、幻影はまず街に入ってくる事すらできません。実際、朧様が結界を張られてからここ10年、幻影は天之都で現れていませんし」
「なるほどな」
そう言いつつも、瑠衣は内心疑問が湧いていた。
月神の結界が幻影を阻むとするならば、何故幻影の血が混じっている自分は阻まれなかったのか?
自分が阻まれないという事は、自分と同類であるあのピエロや他の混血新人類達も入れてしまうのではないのか?
(クソ…過去の事を覚えていないのが痛すぎる)
自分達がどうやってこの都市に侵入し滅ぼしたのか。それがわかれば対策もしやすいだろう。しかし殆ど覚えていない以上、一から探す必要がある。
瑠衣はもどかしさを感じつつ、続けてこう言った。
「その月神にはどうやったら会えるんだ?」
「それは……私にもわかりません。朧様は極度の人嫌いみたいでして、基本的に神社の中から出てこないそうです。天帝様からの呼び出しにすら応じない事もあるそうなので……」
「天帝って、この国のトップの事だよな?」
「はい。なので、SEUの中でも、朧様と直接会った人はごくわずか。もし会えたら、それこそ奇跡ですよ!」
星風が目を輝かせながら力説する。
「ふむ……」
瑠衣は腕を組み、静かに相槌を打った。
「義影さんは、朧様のことが気になるんですか?」
「ん? あぁ、まあな」
「……やっぱり。やっぱりそうなんだ……!」
なぜかショックを受けたような星風の声。
「……それって、朧様が可愛いって噂だからですよね?」
「……は?」
あまりに真剣な口調に、思わず間の抜けた声が出た。
「だ、だって……“月の巫女”って呼ばれてて、白銀の長い髪に、大きなリボン、深紅の瞳……しかも、巫女服が似合うっていうか、背丈は私くらいなのに戦闘力はトップクラスで……」
説明しながら、だんだん自分でも何を言ってるか分からなくなってきたのか、星風の声が尻すぼみに小さくなる。
「……最強で可憐で神秘的で……だから、“幻のアイドル”って呼ばれてるんですよ……」
モジモジと指を絡めながら俯く星風に、瑠衣は小さくため息をついた。
「いや、そんな理由じゃねぇよ」
「……え?」
「単純に強さに興味があるだけだ。顔も知らねぇし、会ったこともない。だから別に何の感情も抱いていない」
「……そ、そうなんですか?」
少し安心したような顔を見せる星風。
「ああ。ま、噂通りなら可愛いんだろうなとは思うけどな」
さらっと言いながら、瑠衣はチラっと星風を見る。
すると、星風の肩がびくりと跳ねた。
「でも――」
瑠衣は視線を空に向けるふりをして、ぼそりと呟いた。
「そんな雲の上みたいな奴より、俺の目が向くのは……もうちょっと手の届く距離のほうだな」
「えっ……!?」
一気に顔が赤くなる星風。
「い、今の、ど、どういう意味ですかっ!?」
「ん? 別に。深い意味はないぞ?」
平然と答える瑠衣。だが、その口元はニヤリと釣り上がっていた。
「い、今の、絶対からかいましたよね!? 目が笑ってませんでした!?」
「気のせいじゃないか?」
「ううぅぅぅ……っ、もうっ!!」
ぷいっとそっぽを向く星風。その耳まで真っ赤だ。
背中越しに伝わるむすっとした空気に、瑠衣はひとつだけ思った。
(……わかりやすい奴だ)




