疑念
静寂が流れる。
星風は、じっと瑠衣を見つめていた。
その目には、強い疑念が宿っている。
「……さっきの技。あれ……人間が使えるものじゃないですよね……?」
ぽつりと、彼女は言った。
「SEUでも、見たことありません。幻影にも、あんなの……。あれって、なんなんですか?」
その声音は少し震えていたが、目はまっすぐだった。
ふわふわした印象の彼女からは想像もつかない、鋭く強い眼差し。
――重力を操り、対象を押し潰す異能の技、《重力断罪》。
さらに、あの詠唱と共に発動された《共鳴解放》は、SEUの中でも限られた者にしか許されない、秘奥の一撃。
本来、共鳴解放を使える者は国家機密扱いで、その名と存在は厳重に管理されている。
新人である彼女が知るはずもない――だが、だからこそ、分かってしまったのだ。
瑠衣が「普通ではない」ということを。
瑠衣は少しだけ目を伏せ、内心で舌打ちした。
(……迂闊だった)
彼女たちは恐らくまだ「混血新人類」や「権能」という存在を知らない。
もしこの場に知識あるSEUの上官でもいたなら――自分の正体は、すでに露見していたはずだ。
だが、それでも瑠衣は逃げるようなことはせず、静かに答えた。
「……俺にも、よく分からない」
「え……?」
「だが一つだけ言えるのは、俺は人間だ。それだけは信じてほしい」
その言葉に、星風はしばし戸惑った表情を浮かべた。
それでも、問いかけるように、彼の目をじっと見つめている。
瑠衣は、その視線から逃げず、まっすぐに応えた。
「俺の目的は一つだ。――この世から、幻影を滅ぼす。一匹残らずだ」
力強く拳を握り締める。
その声は低く、だが揺るぎなかった。
「そしてその先に、人が安心して眠れる世界を作る。平和な世を、必ず実現する。……それが、俺のすべてだ」
しん、と音が止まるような静寂が訪れる。
星風はぽかんと口を開け、呆けたように瑠衣を見ていた。
そして――ふふっと、笑った。
「……大丈夫です。信じてますよ。まだ、会って間もないですけど……でも、あなたが悪い人じゃないってことだけは、なんとなく分かります」
その言葉は、飾り気のない、まっすぐなものだった。
恐れも、疑いも、すべてを乗り越えて向けられた、小さな信頼の灯火だった。
瑠衣は一瞬だけ目を見開いた後、ふっと口元を緩めた。
それは、自分でも気づかないような、小さな、小さな微笑。
「……そうか」
短く応じると、彼はほんの少しだけ、視線を横にそらしてから、静かに告げた。
「――義影だ」
「えっ?」
きょとんとした顔を向ける星風に、瑠衣は続ける。
「名前だよ。俺の名前は、義影瑠衣」
「あ……義影さん……」
星風が小さく呟くように繰り返したその声は、どこか嬉しそうだった。
「……よかった。ちゃんと聞けて。ずっと、気になってたんです」
「そうか」
再び短く返す瑠衣の声に、どこか照れ隠しのような硬さが混じっているのを、星風は気づいていない。
「私は、星風梓です。よく“ふわふわしてる”って言われるんですけど、本人は真剣ですからね! ……たぶん」
その名を口にするとき、彼女の頬には自然な笑みが浮かんでいた。
その表情を見た瑠衣の顔が、ほんの一瞬だけ緩む。だがすぐに、いつもの静かな仮面へと戻る。
「……星風梓か。悪くない名前だ」
「えっ!?……あ、あ、ありがとうございますっ」
突然の褒め言葉に、星風は顔を赤らめ、慌てたように視線を泳がせる。
その仕草はどこか子供のようで――
瑠衣は、胸の奥に微かに灯る、温かなものを感じていた。
と、次の瞬間。星風が、ふと口を開く。
「……あの、義影さんの名前も……かっこいい、です」
ぽつりと漏らしたその言葉に、自分でも驚いたように口元を押さえる星風。
それでも、その頬は紅潮していて、恥ずかしさを隠しきれないまま、俯いてしまう。
「えっと……なんか、その……言ってみたかっただけで……」
声が小さくなる。視線はまだ、足元をさまよったままだ。
瑠衣はわずかに笑みを深めた。
「ありがとう。俺もこの名前、気に入っているんだ」
それきり、ふたりの間にしばしの静けさが戻った。
だが、次に動くべきことは分かっている。
――列車を動かす。まずは、それからだ。
瑠衣は車掌室へ向かい、無線と残骸を調べた。無念そうに横たわる車掌の遺体に目を伏せつつ、生存者の中に列車を扱える者がいないか確認する。
その結果、かつて貨物列車の操縦を担当していたという中年の男性が手を挙げた。
「素人ですが……多少は動かせます。エンジンが生きていれば、なんとか」
確認すると、エンジンルームは破損しておらず、最低限の起動は可能だった。
男が慎重に操作盤を確認し、ハンドルを押し込む。
――ゴウン、と低くうなる音。
ゆっくりと、列車が動き始めた。
『乗客の皆さまへ……ただ今より、列車は天之都に向けて再出発いたします。負傷者の方々は、到着次第、医療班の支援を受けてください』
簡易マイクから響いたそのアナウンスに、車内から小さな歓声と安堵の声が漏れる。
「……動き出すみたいですね」
星風が立ち上がろうとしたが、足が震えてうまく立てない。
それを見た瑠衣は、黙って彼女の手を取って支えた。
「あっ……す、すみません」
「気にするな。震えて当然だ」
「はい……」
星風は立ち上がったものの、目元はまだ赤く、制服の袖も涙で濡れていた。
それでも彼女は、まっすぐに瑠衣を見て、はにかんだ笑みを浮かべる。
「……あの、私……もっと、強くなりたいです」
「強く、か」
「義影さんみたいに……誰かを守れる人になりたい。鷹野さんが、安心して眠れるように、私も……変わらなきゃ」
星風の声は、まだかすかに震えていた。
それでも、確かな意志が宿っていた。
そう言って、彼女はそっとしゃがみこみ、横たわる鷹野の肩に毛布を掛けなおす。
その手はまだ冷たく、ぎこちない。けれどその所作は、誰かを守りたいと願う者の“優しさ”そのものだった。
その姿に、瑠衣は小さく頷く。
「……お前は、きっと強くなるよ」
「ほんとですか?」
「ああ。少なくとも、“怖い”と思えるやつは、本物になれる素質がある」
星風は目を見開き、それから――ふわりと、笑った。
その笑顔はどこか頼りなく、けれど確かに前を向こうとする“意志”が感じられた。
車両の最後尾では、すでに森園の遺体に白い布が掛けられていた。
星風は静かに歩み寄り、布の上にそっと手を添える。
「森園さん……行ってきます。ちゃんと、私、変わるから……」
その背中を、瑠衣は黙って見守っていた。
やがて彼も近づき、静かに両手を合わせる。
(すまない。俺が、もっと早く動けていれば……)
胸の奥に、わずかな後悔が残る。
だが、それはもう変えられない過去。
だからこそ、これから先の未来だけは、守り抜かなければならない。
――ガタン。
列車の速度が少しずつ上がっていく。
鉄の車輪がレールを叩く音が、次第に力強さを取り戻していた。
誰もが、その振動に揺れながら、それぞれの想いを胸に抱く。
列車の揺れが穏やかに続き、遠くに、かすかに見えてきたのは――霧の中に浮かぶ巨大な都市の輪郭だった。
光の都、天之都。
大和皇国の中心にして首都であるこの場所は、今ではSEU本部が構える最大の防衛拠点。
その空を、静かに守るように巨大な浮遊要塞が漂い、白銀の防壁が都市全体を囲っていた。
あの浮遊要塞こそ、SEU総本部であり、更にその中枢には皇宮がある。
それはまさに、人類最後の牙城でもあり、人々の希望そのものだ。
その浮遊要塞が堕ちる時――大和皇国は滅ぶ。
列車は走る。
亡き仲間を乗せ、未来を背負い、光の都――天之都へと。




