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原因

――時間は少しさかのぼる。

 

 鷹野と森園によって、列車に現れた幻影はなんとか討伐された。

 幻影が倒れた瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。

 突如の襲撃に震え上がっていた乗客たちは、二人の活躍に歓声と安堵の吐息を漏らす。少女の一人が泣きながら森園に縋りつき、「ありがとう」と何度も繰り返した。

 車内に静けさが戻る──そう、束の間の静寂だった。


(……おかしいな)


 瑠衣は、戦闘を遠巻きに見守っていた立場だったからこそ、冷静に状況を見ていた。


(この列車には、護符が貼ってあったはずだ。幻影避けの護符が。あれさえあれば、奴らは簡単には近づけないはず……なのに)


 なぜ、現れた?


 列車が深い森を進んでいたとはいえ、護符の効果は絶大なはずだった。たとえ森の中で幻影が潜んでいたとしても、列車を襲うような事態にはならない。


 ――それが、現実に起きてしまった。


(……護符が機能していなかった? あるいは、最初から貼られていなかったのか)


 瑠衣の視線が、列車の前方へと向く。


「……確認してみるか」


 そう言い瑠衣は一人、乗客の波をかき分けて車両の最前部──車掌室へと向かった。

 道中、割れた窓ガラスの破片や、壁に飛び散った血痕が目に入る。

 だが、それらは前兆に過ぎなかった。

 車掌室の扉に手をかけ、そっと開く。


「……!」


 思わず、息が詰まった。


 惨状だった。


 床には、首(・)を(・)斬(・)ら(・)れ(・)た(・)車(・)掌(・)が(・)倒(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)。表情は、何が起こったのか理解できないまま命を落としたことを物語っている。

 壁には、鋭利な爪の痕のような裂傷が走り、配線が引きちぎられて垂れ下がっていた。

 無惨に破壊された制御盤、焼け焦げたような機器。


 ――これはもう、動かない。


 さらに、瑠衣の視線が車掌の死体の傍に落ちていたものを捉える。


「……これは……」


 拾い上げると、それは“護符”だった。

 列車の安全を守るはずの、あの護符。

 だが、それは十字に切り裂かれていた。

 ナイフか、鋭い刃物で丁寧に、かつ明確に破壊された痕跡。


「斬られてる……」


 無意識に呟いた声に、自分の中の“疑念”が確信へと変わっていく。

 これは偶然ではない。


「まさか――」


 誰かが、この護符を“破壊”した。

 その行為がなければ、幻影は近づくことすらできなかったはずだ。

 護符の効果を打ち消し、幻影をこの列車に侵入させた者がいる。

 つまり、これはただの事故でも、偶然でもない。


 ――明確な「敵意」が、列車を襲わせた。


 そして、更に手がかりはあった。

 車掌室のフロントガラスが、大きく割れている。

 中央に走るクモの巣状のヒビ、そして突き破られた跡。


「ここから幻影が入ってきたのか」


 突撃して、破壊して、侵入した。

 ならば、護符の破壊と侵入の流れは繋がっている。

 護符を切り裂いた者がいる。

 その隙を突いて、幻影が現れた。

 そのせいで、列車は制御を失い、停止したままになっている。


 今この森の中で、護符のない列車は……ただの「幻影の的」だ。

 逃げ場のない鉄の箱に、これ以上の敵が現れたら――


「……時間がないな」


 なんとか動かさなければ。

 車掌は死んでいる。列車を再始動させる手段も見えない。

 だが、それでも瑠衣は思考を巡らせる。


 このまま、何もせずにじっとしていれば、それは乗客の「死」を待つことと同義だ。

 瑠衣だけならこの場を容易に逃げ出せる。

しかし、この列車には百名を超える乗客が乗っている。

彼ら全てを幻影の襲撃から守りながら逃げ出すことは難しい。

 焦りにも似た思考の渦の中、突如、後方からどよめきが聞こえた。


 乗客たちの叫び。


 それは、まるで……


 ──“悲鳴”だった。


「きゃああああああっ!!」


「逃げろ!! 後ろから何かが……!」


「嫌だ、やめて、来ないで――!」


 車内後方から、無数の乗客たちが押し寄せる。

 恐怖に駆られ、足元もおぼつかないまま、なりふり構わず前方へと雪崩れ込んでくる。

 それはまるで、生きた人間たちによる津波だった。


「……また来たのか!?」


 瑠衣は駆け出した。

 胸の奥に、焦燥とは違う、得体の知れない寒気が走る。

 これはただの幻影じゃない――

 そんな予感が、確かにあった。


 怒号と悲鳴の奔流《ほんりゅう》をかき分け、瑠衣は駆けた。

 数分前まで、安堵に包まれていたはずの車内が、今は修羅場と化している。

 床に転がる荷物、踏み潰された手帳、血に濡れた紙くず──

 車両の接続部を飛び越え、ドアを蹴り開けた瞬間、瑠衣の目に飛び込んできたのは――異様な光景だった。


 先程の少女――星風が一人、地面に腰を抜かしていた。瞳孔を開いたまま、震え、涙と尿に濡れたスカートの裾が床に広がっている。

 その数メートル先には、壁にもたれかかる男。全身を血に染め、右腕が……ない。失血が酷いためか、意識は薄く、目は半ば虚ろで、口だけが何かを言おうとしていた。


 そして――


 通路の中央には、半身となった女性の死体。


 まるで刃物で一閃されたかのように、美しく――だが無惨に、頭から股間まで真っ二つに引き裂かれている。

 その死体を前にして、ただ一人だけ、異様な存在が立っていた。


 ──男。


 白塗りのピエロメイク。艶やかな黒のシルクハットと燕尾服。両手を後ろに組み、まるで舞台俳優のように滑稽なポーズを取りながら、失禁した星風を見下ろしていた。


「誰か――誰か助けてええ!!」


 「いいね……その絶望の声。最高のフィナーレだ」


ピエロの男はその声を愉快そうに聞きながら、ゆっくりと口角を吊り上げ、


 その瞬間だった。

 瑠衣の頭に、焼け付くような痛みが走った。


 「ッ……!!」


 見た瞬間から違和感を感じていた。

 記憶じゃない。理屈でもない。言葉では説明できない。

 “本能”だった。


 こいつは、自(・)分(・)と(・)同(・)類(・)。


 本能がそう結論付けていた。

 圧倒的な異質さ。人ではない何か。

 幻影とも違う、もっと禍々しい“核”を感じる。


(……こいつは俺と同じ混(・)血(・)新(・)人(・)類(・)――!)


 拳が、震えていた。

 怒りでも、恐怖でもない。

 それは明確な殺意だった。

 言葉にならない、全身を焼き尽くすほどの怒りが、腹の底からせり上がってきた。


――殺す。


 幻影皇帝直属の精鋭にして、災厄の存在、混血新人類。

かつての自分と同じように、人類に殺戮の限りを尽くした災厄だ。

 理由は不明だが、ここに1人で来ているなら好都合。 


――絶対に殺す。


 瑠衣はゆっくりと男の元へと近づいていく。


「――じゃあね!」


 男が星風を殺すべく指を鳴らそうと、ゆっくりと腕を上げ――


「──重力断罪《ヘヴィジャッジメント》」


 次の瞬間、空気が爆ぜた。

 男の足元が、いきなり陥没する。

 重力が一点に集中し、まるで地面ごと押し潰すかのように、空間がねじれる。


「うぉっ!?」


 男は、瞬時に重力の中心から飛びのいた。足場を蹴り、回転しながら天井へ跳ね上がる。

 そして天井のパイプを蹴って空中一回転し、着地すると瑠衣を認識した。


「おやおや、面白い所だったのにまさか邪魔が入るとはね」


「……ちっ、躱《かわ》したか」


 男の目が妖しく光る。


「君は……誰だい?この列車にはもう、SEUはいないと思っていたけれど」


 男がにやついたまま問いかける。

 その声音は、まるで舞台の幕開けを告げる道化のように軽やかだった。

 だが――瑠衣は答えない。

 代わりに、腰の鞘から静かに武装刀を抜いた。


 ギィィ……ン、と金属の擦れる音が、緊張した空気を裂く。

 刃は、鈍く光り、空気を震わせる。

 まるでその存在自体が、重力を帯びているかのようだった。


「おや……随分と無口だねぇ」


 男は肩をすくめ、ナイフをひらひらと回す。


「そんなに怒らないでよ。僕はただ、人間がどんな音で壊れるのか見たかっただけで――」


 その言葉の最後を聞く前に、空気が弾けた。


 ドッッ!!


 閃光のような衝撃。

 瑠衣の姿が、消えた。


「――は?」


 次の瞬間、男の頬に鋭い衝撃が走った。

 遅れて刃の風圧が壁を抉る。

 瑠衣がそこに立っていた。


「……もう喋るな、クズ野郎が」


 低い声。冷徹な瞳。

 刃の先に滲む黒いオーラが、ピエロの視界を染めた。

 男は笑い、足を滑らせるように後退するも、


 カッ!!


 再び閃光。

 瑠衣が神速のごとき素早い動きで踏み込む。

 一歩。二歩。三歩目で、斬撃が走った。


 金属音。火花。

 男は間一髪で後方へ跳び、ナイフで軌道を弾くが――追いつかない。


「チッ、速いねぇ。まるで人間離れしてる……いや、もしかして――」


 ガンッ!!


 言葉の途中、再び衝撃波。

 瑠衣の刃が真横から襲いかかり、ピエロは身を捻って辛うじて回避。

 風圧で髪が舞い、壁が削れる。

 ピエロは笑うが、その口元に汗が滲む。


「へぇ……君、もしかして本物の“化け物”かな?」


 返事はない。

 瑠衣は無言のまま、刃を水平に構えた。

 どこからでもかかってこいという合図。


 ピエロの男が舌打ちし、指を鳴らす。


 ――パキィン!


 空気が裂けた。

 まるで現実そのものに亀裂が走るように、ピエロの指先から黒い裂け目が伸びる。

 森園を殺し、鷹野を瀕死に追い込んだ技。


「僕の虚壊掌《きょかいしょう》を楽しんでくれ!!」


 虚壊掌《きょかいしょう》――。

 幻影皇帝の権能の一つ。

 空間ごと裂く凶悪な技だ。


「さあ、避けられるかな?」


 何もない空間に裂け目が走る。

 その裂け目は視界を歪ませながら一直線に瑠衣の胴を狙う。

 まともに食らえば瑠衣とてただでは済まない。


 しかし――

 瑠衣の姿が、掻き消えた。


「……なにっ!?」


 今まで余裕の表情だった男から初めて笑みが消えた。

 そして次の瞬間、彼の背後から衝撃が走る。

 刃が空を裂き、衣の端を切り裂く。

 皮膚に赤い線が走り、血が一筋、頬を伝り、白塗りの顔が赤く染まる。


「この……っ!」


 怒鳴りながら男がもう一度、空間を裂く。

 だが瑠衣はその軌道を読むように身を翻し、わずかに肩を掠めただけで回避した。

 無駄のない、正確な動き。

 男の口角が引き攣る。


「虚壊掌《きょかいしょう》を見切るなんて……君、何者?」


「外道に名乗る名はない」


 静かに放たれたその言葉は、雷よりも鋭く響いた。

 そして瑠衣は刀を天へ掲げる。

 空気が振動し、列車全体が軋む。


「共鳴解放――」


 刹那、刀身が光を放つ。

 黒と赤のオーラが絡み合い、刃の形状が変化する。

 まるで生き物のようにうねり、禍々しい赤黒い光を帯びた。

そして光は瑠衣にも伝わり、体全体が赤黒いオーラに包まれた。

 それをみた男の目が驚愕に染まる。


「……はっ、えっ、共鳴技!?」


 何かを知っている風なそぶりの男に対し、瑠衣は静かにこう言い放った。 


「消えろ――」


「ちょ、まっ―――!」


 瑠衣の声が落ちると同時に、列車内の重力が揺らぐ。

 床が軋む。壁が歪む。

 刹那、瑠衣が消えた。


 神速。


 一閃。

 斬撃の光が走る。


 二閃。

 閃光が交差する。


 男の身体が一瞬にして吹き飛んだ。


「んがっ――――!!」


 鉄壁を突き破り、列車外へ。

 破片と共に闇夜の森へと消えていく。

 爆風が吹き抜け、列車の車体が悲鳴を上げた。

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