第99話 レンジャーへの想い
豆小玉三曹に、レンジャー試験を受けると宣言した僕は、翌日の訓練から、それまでとは明らかに違う負荷を自分自身に課すようになった。
目標が決まった。それだけで、世界の見え方が少し変わった気がする。
諏訪一士との確執も、山下陸士長から突きつけられた言葉も、オペレーション・ギデオンで失った仲間たちの姿も、僕の頭から消えたわけではない。けれど、それらを考え続けて立ち止まることは、少なくなっていた。
今の僕には、やるべきことがある。訓練場に立ち、与えられた課題に食らいつき、一つでも多くの能力を身につける。それを繰り返すしかない。ただし、現実はそう甘くなかった。
レンジャー入校基準を意識した訓練は、これまでの訓練とは比較にならないほど厳しい。走って、障害を越え、身体を限界まで追い込み、倒れれば立ち上がる。それでも数字は、今日も一つとして届いていなかった。
胃の中が空になるまで吐いた。それでも立ち上がった。足がもつれ、膝が笑い、視界が霞んでも、這うようにして次のメニューへ向かった。何度も何度も、身体が「もう無理だ」と訴えてくる。
それでも、僕は止まらなかった。止まれば、また考えてしまう。自分の無力さを。失った仲間たちを。
そして、あの戦場から生きて帰った自分が、何を成し遂げたのかを。だから、走った。今の僕には、走り続けることしかできなかった。
「あいつ、やけに張り切ってますね。」
少し離れた場所から隼人の訓練を眺めていた曽我が、豆小玉に声を掛けた。
「レンジャー試験を受けたいんだと。」
「レンジャーっすか? あいつが?」
「……あれは、馬鹿のくせに向上心だけはあるんだよ。」
豆小玉は、吐瀉物を吐き出した直後だというのに、何事もなかったかのように再び走り出す隼人を見ながら、淡々と言った。
曽我は隼人の背中を眺める。確かに、動きは酷い。速くもない。上手くもない。体力的にも、技術的にも、今の隼人がレンジャーを目指せるような水準にあるとは到底思えなかった。
それでも、隼人は倒れない。いや、正確には倒れている。だが、倒れるたびに起き上がる。それを繰り返していた。豆小玉が、ふと曽我へ視線を向ける。
「で、お前はどうするんだ? レンジャー試験。」
「え? え~っと…。俺は、まだ基礎を固めるべきかと…。」
曽我は困ったように頭を掻いた。それは当然の判断だった。レンジャーを目指す以前に、まずは自分自身の能力を底上げしなければならない。そう考えるのが普通だ。豆小玉は、そんな曽我を見て、わずかに表情を緩めた。
「…すまん、少し意地悪をした。」
「いえ……。」
曽我は苦笑した。しかし、豆小玉の視線はすでに隼人へ戻っている。そこには、曽我とは別の意味で、レンジャーという存在について考え込む色があった。
(グーリエ星人を倒すため、訓練のハードルは上がっている。だがその分、訓練中の死者も後を絶たない。その結果、左派を敵に回し、レンジャー志願者も減っている。ハードルは下げられない。下げた瞬間に、全員死ぬ。上層部の意見は、”戦場で死のうが訓練で死のうが同じ” ということだろう。)
豆小玉は、これまで何度もレンジャー訓練を見てきた。自分自身も、その地獄を潜り抜けてきた。だからこそ分かる。
レンジャーという資格は、単純な体力や技術だけで手に入るものではない。人間が本来持っている限界を、一つずつ壊していく。肉体が限界を迎えた後も、精神を削り続ける。
それでも動かなければならない。仲間が倒れても、自分自身が倒れそうになっても、任務を遂行するために前へ進まなければならない。そして、その過程で本当に命を落とす者もいる。
(もはや、レンジャー試験をクリアするには、人間の限界を超える必要がある。そして、実際に人間の限界を超えた強さを手にしている連中も現れ始めた。……グーリエ星人を倒すためには、心身ともに人間を捨てろということか…。)
豆小玉は、自分の胸にあるレンジャー徽章へ一瞬だけ視線を落とした。誇りだった。同時に、重い。これを手に入れるために、自分もまた多くのものを削った。
だからこそ、軽い気持ちで「レンジャーになりたい」と言う者を、簡単に受け入れることはできない。
(だから、迂闊にレンジャー受けたいという奴は受け入れ辛いが、それでも受かって強くなった奴が1人でも多く欲しい。まったく……とんだジレンマだ。)
豆小玉は、視線を再び隼人へ向けた。
(しかし……。)
「こらァ!! 段場! さっさとしやがれ、この鈍間がぁ!!」
富貴の怒声が訓練場に響き渡った。
「う……っ!」
隼人は息を詰まらせながら、再び身体を起こす。すでに足は限界に近い。腕も上がらない。それでも、彼は次の動作へ移ろうとしていた。
「段場、もう一度!」
「はい!」
隼人は、ふらつきながらも走り出した。その姿を見た豆小玉は、思わず頭を抱えた。
「大丈夫か、あいつ…。」
あまりにも不器用だった。あまりにも遅かった。今のままでは、レンジャー訓練どころか、その入校基準にすら届かない。だが――。
(……いや、あいつは凡庸だが、執念だけは特級クラスだ。もしかしたら…。)
豆小玉は、隼人を見つめた。今の段場隼人には、レンジャーになる資格はない。だが、資格がないからこそ、そこで終わる人間なのか。それとも、そこから這い上がる人間なのか。その答えを知るには、まだ早い。
豆小玉はしばらく考えた後、富貴へ声を掛けた。
「富貴三曹、段場に連隊長への請願の段取りを教えようと思います。体力は入校基準に満たない。だけど、その先は本人が死んで決めればいい。」
「本気か? あいつがレンジャーに耐えられるわけがない!」
富貴が驚いた顔で豆小玉を見る。当然の反応だった。隼人が現在の状態でレンジャー訓練に入れば、待っているのは地獄だ。
いや、地獄という言葉すら生ぬるい。途中で身体が壊れる可能性もある。精神が折れる可能性もある。最悪の場合、本当に命を失うことだってあり得る。それでも豆小玉は、隼人から視線を外さなかった。
「馬鹿を相手にするのも疲れますが、執念だけは大したものです。連隊長を説得できるかは別ですが、奴の執念に懸けてみるのも面白いでしょう。」
「まあ…レンジャー持ちのあんたが言うなら、信じてみよう。」
富貴は、半ば呆れながらも頷いた。豆小玉は、再び隼人を見る。その背中は、決して強者のものではない。誰かを圧倒する力もない。周囲から見れば、無謀な挑戦にしか見えないだろう。
だが、豆小玉は知っている。強さというものは、最初から完成しているものだけではない。何度倒れても立ち上がる者が、いつか自分の限界を越えることもある。だからこそ、豆小玉は隼人に道を示すことにした。
それが正しい道なのかは、まだ分からない。ただ一つ確かなのは、その先に待っているのが、決して楽な道ではないということだった。豆小玉は、隼人が自ら望んだ地獄への入口を、静かに開いた。
乾いた銃声が、訓練場に響き渡った。標的の中心に、弾痕が刻まれる。
2発目も中心。3発目も、ほとんど同じ場所に命中した。
「……あいつ、また当てたぞ。」
二河が思わず呟く。
「すげぇな、あいつ本当に強くなってる!」
飯田も驚きの声を上げた。少し離れた射撃位置では、諏訪 明登が銃を構えていた。
天使族や鳥人族など、空中を自在に飛翔する敵との戦闘を想定した訓練。地上の敵とは異なり、三次元的な機動を行う相手に対しては、射手側にも高度な射撃技術が求められる。
標的が移動する、距離が変化する。射撃姿勢も一定ではない。それでも、諏訪の射撃には迷いがなかった。放たれた弾丸は、次々と標的を捉えていく。
周囲から感嘆の声が上がる。しかし、諏訪自身は、その結果をただ冷静に受け止めていた。
(あの時の、あの不思議な感覚…。あの力は、今も俺の中に残っている。一体何なんだ? 怪我の治りも早いし、俺は化け物にでもなったのか?……この力、都合が良すぎる。)
オペレーション・ギデオン――あの戦場で、自分の中に何かが目覚めた。それが何なのか、諏訪には分からない。医学的な説明もできない。
ましてや、軍事的に見ても、そんな能力を持つ人間が存在するなどという話は聞いたことがなかった。それでも、現実に自分の身体は変わっている。
射撃の精度、身体能力、そして、負傷からの異常な回復。自分自身が、以前とは違う人間になっている。その事実に、諏訪は戸惑っていた。
だが――。
(……まあ、俺が化け物でも何でもいい。この力があれば、奴らを駆逐できる。使いこなしてみせるさ。)
諏訪は、銃を構え直した。自分が何者になったのか。そんなことを考えている暇はない。
グーリエ星人に怯えながら暮らす人々がいる。戦場で命を失った仲間たちがいる。そして、自分自身にも、まだ果たしていない目的がある。
この国を取り戻す。奪われたものを奪い返す。志半ばで散った仲間たちの想いを、未来へ繋ぐ。そのためなら、自分が化け物だろうが何だろうが構わない。
諏訪にとって重要なのは、力の正体ではない。その力を、何のために使うかだった。
また一発、標的の中心を撃ち抜く。
「おお、諏訪の奴、また当てた!」
飯田の声が聞こえた。諏訪は、周囲の声に反応することなく、次の標的を見据える。その胸中には、もう一つの考えがあった。
(俺がGASTにスカウトされたって事は、角南さんや苫米地もスカウトされているだろう。もしかしたら、他にもスカウトされた奴はいるかもしれん。)
オペレーション・ギデオンを生き残った者たち。
その中には、自分と同じように、何か特別な力を持つ者がいるのかもしれない。あるいは、自分よりも遥かに優れた能力を持つ者が。
(確か、13普連にも天才がいるって話だ。……名前知らんけど。)
諏訪は、ふと苦笑した。自分の知らない場所にも、強者はいる。ならば、いつかそいつらとも肩を並べられるくらいになればいい。
いや――肩を並べるだけでは足りない。GASTに入る。それが今の諏訪にとって、新たな目標になっていた。
(年度が代われば、俺は陸士長だ。再来年の昇任試験を受けられる。その前にレンジャー試験の合格だ。来年度はいろいろと忙しくなる。)
諏訪は、銃を下ろした。
視線の先には、黙々とランニングを続ける一人の女性がいた。角南 朱杏陸士長。長い距離を走り続けても、その速度は落ちない。周囲の訓練が終わっても、彼女は走り続けていた。諏訪は、そんな朱杏の背中を静かに見つめる。
(角南さん、先にGASTへ行って待ってて下さい。)
諏訪は、心の中でそう告げた。いつか、自分もそこへ行く。そのために、まずはレンジャーになる。そして、自分自身の力を磨く。諏訪は再び銃を構えた。
遠くでは、朱杏が走っている。その背中を追うように、諏訪もまた、自分の道を歩き始めていた。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公。レンジャー目指して奮闘中
諏訪 明登……GASTからスカウトされた有望な隊員。隼人を快く思っていない
角南 朱杏……GASTからスカウトされた有望な隊委員。
豆小玉 芙琉……隼人直属の上官。レンジャー持ち




