第96話 レンジャーへの請願
再編に向けた訓練再開から数日、第10師団の隊員達は、食堂や休憩室のテレビ画面に映し出されるニュースに、複雑な感情を抱いていた。
国会では、オペレーション・ギデオン(第7次首都圏奪還作戦)の失敗を、野党議員によって厳しく糾弾されていた。
「無計画な作戦によって、市民に多数の死者を出した責任は重い!湯場防衛大臣、あなた方はグーリエ星人との対話の可能性を完全に放棄し、武力による解決のみを強行した。その結果が、この1,000人を超える殉職者と、巻き込まれた無辜の市民の犠牲ではないのですか! 何度これを繰り返すおつもりですか!」(市ヶ崎儀郎社会一新党党首)
「報告によれば、戦地では自衛官がパニックに陥り、組織的な撤退すらままならなかったという証言もあります。中には、敵対勢力に対して過剰な暴力を振るい、事態を悪化させた特定の隊員の存在も囁かれている。これはもはや国防ではなく、一部の血に飢えた軍人たちによる暴走ではありませんか?」(市ヶ崎)
「失敗した”第7次首都圏奪還作戦”に、一体どれほどの血税が注ぎ込まれたのか! 失われた装備、消耗した弾薬、そして何より代替不可能な若者たちの命を、政府のメンツのために使い捨てにした。総理は、この責任をどう取るつもりですか? 失敗を認め、即刻撤退と和平交渉に向けたテーブルにつくべきだ! 」(市ヶ崎)
テレビでは社会一新党の市ヶ崎代表が、鬼の首を取ったかのごとく、総理や防衛大臣を糾弾している。駐屯地の正門前では、市民団体が「軍隊化反対」「人命軽視の自衛隊は解体せよ」と書かれたプラカードを掲げ、抗議の声を上げている。
その後、別のニュースに切り替わった。防衛大臣が、国民の不安払拭のためとして、硬い表情で声明を読み上げている。
「…作戦における指揮系統に重大な問題があったと認識しております。今後は二度と、同様の事態を招かぬよう、徹底した再発防止策と、指揮官の処分を含めた組織の刷新を行います。」(湯場雅人防衛大臣)
テレビでは、軍事評論家を名乗る男が、これが事実上の「現場の切り捨て」であると解説した。その言葉は、ここにいる誰一人の現実とも噛み合っていなかった。
「好き勝手言いやがって…。」(白川)
「防衛大臣が、指揮系統に問題って…言っちゃダメだろ。誰の味方なんだよ。」(二河)
「俺達が命がけでやったことを、ただ失敗とだけ言われ、ただただ糾弾される、こんなのやってられるか!」(佃)
周囲の隊員たちは、次第に口を閉ざしていった。そんな中、要は苛立ちを隠さなかった。
「こんな時に現場を守れない防衛大臣など価値がない。だが、現場の俺達まで馬鹿にしやがって!」(要)
要は、テレビに向かって罵声を浴びせ、拳を机に叩きつけた。それを見た輪床が、静かに要に語りかける。
「運天、落ち着け。外の人間には、戦場の真実なんて分かりっこねぇだろ。」(輪床)
輪床の言葉は、本来なら同じ痛みを知る者同士の連帯感から出たものだった。しかし要は、厚巳を巡って口論をした事を未だに根に持っていた。
「……分かりっこない? だから何だっていうんですか。分かってもらえないからって、泥を塗られたまま黙っていろと?」(要)
要はただ感情の赴くままに感情をぶつけた。その目は、政治家への怒り以上に、輪床に対する軽蔑に満ちていた。
「輪床三曹。あんた、さっきの大臣の言葉を聞きましたか? “指揮系統に問題”、”組織の刷新”……。暗に、死んだ片桐連隊長や、前線で散った先輩たちが無能だったから負けたんだと言ってるんですよ!」(要)
「それは……政治上の建前だろ。ああ言わなきゃ世論が収まらねぇんだよ。」(輪床)
「その ”建前” のために、俺たちの誇りは使い捨てですか! あんたの同期の厚巳三曹だってそうだ。腰抜けだろうがなんだろうが、最後に情報を上げた功績すら、あの大臣の言葉一つで ”失敗の原因” に書き換えられるんだ!」(要)
「……いい加減にしろ、運天!」(輪床)
輪床も思わず声を荒らげた。自分の考えに凝り固まり、その他を罵倒するその姿勢に、我慢の限界が来た。
「現場の人間が不満をぶちまけて組織がバラバラになったら、それこそあいつらの思うツボだろ! 今は耐えて、次の戦いで見せつけるしかねぇんだよ!」(輪床)
「耐えて、耐えて、その先に何があるんですか? また無計画な作戦に投入されて、死んだら ”無能”のレッテルを貼られる。……俺は、あんたたちみたいに “仕方ない” で済ませられるほど、お人好しじゃない。」(要)
要は冷笑を浮かべ、立ち上がった。
「戦えない上官に、現場を守れない大臣。そして、それを甘んじて受け入れる腑抜けた先輩。……こんな組織にいたら、俺まで腐っちまう。」(要)
「待て、運天! まだ話は終わってねぇぞ!」(輪床)
要はそれだけ言い捨てると、トレイを乱暴に片付け、食堂を後にした。残された輪床は、震える拳を握りしめ、去っていく要の背中を睨みつけることしかできなかった。
「……あいつ、本当に自分を何様だと思ってやがる……!」(佃)
「……放っておけ。あんな歪んだ自信は、いつか戦場で自分を殺すことになる。」(輪床)
輪床はそう吐き捨てたが、その表情には深い虚しさが漂っていた。
この2人のやりとりを遠くから眺めていた家泉は、頭を抱えていた。
「(このままでは、ただでさえバラバラな35普連が、本当に崩壊してしまう。次の任務が来たら、完全に瓦解するだろう。)」(家泉)
そんな中、隼人だけは、テレビの報道を見ながら、別のことを考えていた。
「(逃げ出したって言われても、批判されても、僕は強くなりたい。このままじゃ、誰にも何も言えない。誰にも頼らず、自分の足で立つ力が欲しい。)」(隼人)
隼人は、諏訪との確執、杏南との距離間、そして外からの批判を乗り越えるには、自分自身が圧倒的な「何か」を得るしかないと感じていた。夕食後、隼人は訓練指導担当である豆小玉の元へと向かった。
「(……逃げじゃないのか、これは。)」(隼人)
「(いや、そんなことはない!)」(隼人)
「豆小玉三曹。失礼します。」(隼人)
「何だ、段場。」(豆小玉)
豆小玉は素っ気ない態度を崩さない。
「レンジャー訓練に、志願したいのですが。」(隼人)
豆小玉は、一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。
「…ふざけるな。」(豆小玉)
その一言は、いつもの素っ気ない口調とは異なり、張り詰めた鉄線のような鋭さを持ち、隼人の覚悟を真っ向からへし折ろうとする強度を秘めていた。隼人は一歩も引かず、むしろその冷たい拒絶に、自分自身の腹を括る必要性を感じた。
「ふざけてはいません!僕は、強くなりたい。このままじゃ、何もできない。」(隼人)
「ほう、”強くなりたい” か。」(豆小玉)
一切の期待を含まない目で、隼人を測った。
「強くなりたいなら、目の前にある訓練で結果を出せ。なぜ、わざわざレンジャーだ? 青二才のお前が、あの訓練の地獄を乗り切れると本気で思っているのか。」(豆小玉)
豆小玉は、椅子から立ち上がると、隼人の目の前まで歩み寄った。その小柄な体躯からは想像もできないほどの圧力が、隼人を押し潰しにかかる。
「段場。レンジャーとは、”死にに行く” 覚悟だ。」(豆小玉)
豆小玉は声を荒げることなく、静かに、しかし絶対的な重みを持って告げた。
「お前の考えているような、自己啓発セミナーでも、格好つけるための勲章でもない。訓練期間中、人間としての尊厳を奪われ、飢えと疲労と睡眠不足で、理性は崩壊する。」(豆小玉)
彼の目の奥には、かつて見た戦場の炎とは違う、別の種類の凄惨な光が宿っていた。
「仲間が倒れても、水を分け与えることも許されない。教官から“死ね”と命令されたら、本当に死を選ぶかもしれないほどの極限状態だ。お前のその“強くなりたい”という動機は、その地獄を何のために潜り抜けるんだ?」(豆小玉)
豆小玉は、レンジャー徽章を胸に持つ自衛官の一人だ。彼にとって、レンジャーの資格とは、自らの限界と精神を削り、一度死んだ命を懸けて掴み取った証であり、その重みを知らない者の軽率な志願は許しがたかった。
「お前は、国のためか? 任務のためか? それとも、誰かに格好いいと思われるためか?」(豆小玉)
隼人は、迷いなく言葉を返した。
「僕は誰にも頼らず、自分の足で立ちたい。誰かを守りたい。誰に何も言われないような、圧倒的な力を手に入れたい!」(隼人)
「そして…。GASTのような強い隊員となって、両親の仇を討ちたいんです!」(隼人)
それは、部隊の再建や、国の使命といった大義名分とはかけ離れた、極めて個人的で、私的な欲望だった。しかし、豆小玉は、隼人の正直な告白に、むしろ微かに目を細めた。偽りの使命感より、私心であっても、そこに確固たる意志がある方がマシだと判断したのかもしれない。
「……ちっ。バカを相手にするのも疲れる。」(豆小玉)
豆小玉は、吐き捨てるように言った。
「志願は却下だ。ただし、レンジャーの教育は、連隊長の許可と、体力の基準クリアが絶対条件だ。お前はまだそれ以前の問題だ。」(豆小玉)
「基準とは?」(隼人)
「基本は、体力測定で全ての項目を”特級”でクリアすること。それから、連隊長への直接請願だ。」(豆小玉)
豆小玉は一枚の紙を机に叩きつけた。それは、自衛隊で定められている体力検定の項目と、それぞれの階級の基準値が詳細に記された書類だった。特級とは、一般の自衛官が到達できる最高の基準を示す。
「明日から、お前の訓練指導は、レンジャー訓練の特級基準クリアを目標とする。お前が、自らの志願を最後まで裏切らないと誓うなら、だ。」(豆小玉)
「途中で逃げるなら、最初から壊れておけ。」(豆小玉)
「誓います! 何があっても、絶対に裏切りません!」(隼人)
「ふん。誓いを破ったら、その時は……お前の全てを破壊してやる。」(豆小玉)
豆小玉の凍り付くような言葉に、隼人は背筋に冷たいものが走るのを感じた。それは脅しではなく、約束だ。一度足を踏み入れれば、二度と後戻りはできない。
「……失礼します!」(隼人)
隼人は鋭く敬礼し、豆小玉の部屋を後にした。 明日からは、体力の基準クリアと連隊長からの許可を得られるよう、訓練に励まねばならない。
「(さっきまでの迷いが、嘘みたいに消えていた。)」(隼人)
レンジャー試験を受けると決意した隼人。意図せずとも自分に矢印を向けた結果、諏訪との確執や、山下から言われた「お前を許さない」という言葉も昇華させることが出来た。
「(逃げ場は、もう作らない。)」(隼人)
「(絶対にレンジャーになってやる!)」(隼人)
登場人物紹介
市ヶ崎 儀郎
生年月日:1937年3月17日 / 出身:大阪府
備考:野党・社会一新党の党首。国益を考えているのか分からない政策や発言が多く、国会では、与党の揚げ足取りしかしないことで有名。
湯場 雅人
生年月日:1954年4月21日 / 出身:山形県 / 役職:防衛大臣
備考:自衛隊を不要と切り捨てる議員や団体に圧され気味で、やや頼りない
段場 隼人……本編の主人公。レンジャー試験を受けると決意し、吹っ切れた。
運天 要……隼人の同期で、英雄になることに執着している
輪床 圭慎……要と確執が強まっていく
家泉 興図……35普連を案じている
豆小玉 芙琉……隼人の直属の上官。身長166cm
白川 和萌……35普連3中隊の一等陸士




