表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外星戦記  作者: 無名の凡夫
第2章 成長と挫折

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
96/261

第96話 縁の下の力持ち

気持ちを切り替えた杏南とは対照的に、隼人の心は晴れないままだった。


訓練が再開されてから数日が経っても、その状態は改善する気配を見せていない。以前なら難なくこなしていた動作で足が止まり、判断を求められれば一瞬の迷いが生じる。その僅かな遅れが積み重なり、訓練全体の動きまで鈍らせていた。そして今日もまた、隼人は上官の怒声を浴びていた。


「段場! てめぇ、いつまでも腑抜けてんじゃねぇ!」


豆小玉三曹の怒声が、訓練場に響き渡る。隼人は何も言い返さなかった。返す言葉がない。


自分でも分かっているのだ。自分の動きが鈍っていることも、集中できていないことも、訓練に身が入っていないことも。


分かっている。分かっているからこそ、余計に腹が立つ。


山下陸士長から投げつけられた言葉が、頭から離れない。


――お前が許せない。


その言葉が、何度も脳裏に蘇る。


渚陸士長を死なせたのは、自分の判断ミスだった。


あの時、自分がもっと冷静に動いていれば。あの場で、別の判断をしていれば……そんな「もしも」を考え始めれば、きりがない。隼人は拳を握りしめた。


(ちくしょう……分かってる。でも、どうすれば……)


答えは出ない。


前へ進まなければならないことは分かっている。それでも、過去に足を取られたまま、隼人は一歩も進めずにいた。


そんな彼の姿を、少し離れた場所から眺めている男がいた。運天要である。


「(はあ、あいつ…何やってるんだか…。いつまでも過去に囚われるなよ。)」


要は小さく息を吐いた。




俺は運天要だ。


オペレーション・ギデオン(第7次首都圏奪還作戦)では、大きな怪我もなく、すぐに原隊へ復帰することができた。


初陣は大敗だった。俺自身も、戦場で何か大きな戦果を挙げたわけではない。敵を倒したわけでも、仲間を救ったわけでもない。


それでも、俺は生きている。だからこそ、次は違う。この悔しさを胸に、次の戦いでは絶対に勝つ。そのために、俺はもう動き始めている。訓練を重ね、技術を磨き、次の戦場で役に立つための力を身につける。過去を振り返っている暇などない。


そう考えていた。しかし、オペレーション・ギデオンが残した傷は、俺が考えている以上に深かった。


俺が所属している35普連4中隊は、壊滅的な被害を受けている。多くの仲間が戦死し、中隊長の享乱三佐をはじめ、生き残った隊員の中にも意識不明の重体となった者がいる。


まともに動ける隊員は、俺と角南陸士長の2人だけだ。そのため、現在の訓練は35普連3中隊との合同訓練になっている。


本当は、もう1人いた。だが、その男は退官した。まあ、戦場でビビっていたのだから、辞めても驚きはしない。


要にとって、厚巳(あつみ) 千宏(ちひろ)三曹という男はそういう存在だった。戦える者が強い。敵を前にしても引き金を引ける者が生き残る。任務を遂行できる者に価値がある。それが、この男の考えだった。


だから、戦場で動けなかった厚巳を、要は評価していなかった。むしろ、自分たちが生き残るために戦っている最中、何もできずに立ち尽くしていた姿が、今でも許せなかった。そんなことを考えながら歩いていた時だった。


「お、未来の英雄じゃん!」


背後から、聞き覚えのある声が飛んできた。


「ちっ、会いたくない奴に会った…。」


振り返ると、そこにいたのは同期の星野(ほしの) 橘花(きっか)二等陸士だった。


星野(こいつ)は、会うたびに人を小馬鹿にしてくる、非常に鬱陶しい女でもある。だがこいつは、そんな俺の反応などまるで気にしていない。


「そう言うなよ、ウチとあんたの仲だろう。」


「どんな仲だよ…。」


「同期の仲。」


「……ついて来んな!」


「何でよ~、一緒に飯食おうぜ~」


星野(こいつ)と話している時間が惜しい。次の訓練までにやることはある。こんなところで、星野(こいつ)の相手をしている暇などない。だが、こいつは俺の反応を面白がるように、一定の距離を保ちながら後ろをついてくる。


俺は無視することにした。


食堂へ向かう途中、35普連3中隊の隊員たちとすれ違った。その中の一人が、ぽつりと口を開く。


「なあ、厚巳さん、大丈夫かな?」


俺の足が止まった。


「だいぶ参ってましたよね。PTSDとかになってなければいいんですが…。」


(つくだ) 琢也(たくや)陸士長と白川(しらかわ) 和萌(かずも)一等陸士だった。


2人とも、厚巳三曹のことを心配しているようだった。


「ふん」


「厚巳三曹は、戦場でびびって戦えなかった腰抜けだ。あれが三曹になるまで居座っていたのだから、質が悪い。」


その瞬間、空気が変わった。


「おい! お前、何て言った?」


声を上げたのは輪床(わとこ) 圭慎(けいしん)三等陸曹だった。厚巳と同期の隊員である。


要は、自分が何を言ったのか理解していた。しかし、取り消すつもりはなかった。


「お前、厚巳のことを馬鹿にしたよな?」


「今、厚巳さんを侮辱したよな?」


輪床と佃が詰め寄り、白川も険しい表情で要を見ている。要は3人の視線を受けても、怯まなかった。


「今、言った通りです。俺は厚巳三曹と行動をしていましたが、あの人は戦場でびびって何も出来てませんでした。上官として、尊敬する所など、見つかりませんでした。」


言葉を選ぶつもりもなかった。むしろ、ここで引けば自分の考えを否定することになる。


オペレーション・ギデオンで、要は何もできなかった。仲間が倒れていくのを見ながら、自分もまた、ただ生き残ることしかできなかった。だからこそ、戦える人間にならなければならない。その焦りが、要の言葉をさらに鋭くしていた。


「俺は、仲間が次々に倒れる地獄で、”使えない先輩”の背中を見ていました。その結果、部隊は壊滅した。俺たちは、ビビって立ち止まるために自衛官になったわけじゃない。もし、あの場で厚巳三曹が職務を果たせていれば、助かった命があったはずです!」


「何だと!」


白川が声を荒げた。


「待て、要!」


星野が慌てて要の肩を掴む。しかし、その制止も間に合わなかった。


輪床が一歩、前へ出る。その顔からは、先ほどまでの驚きが消えていた。代わりに、抑えきれない怒りが浮かんでいる。


「…お前には、あの時の厚巳の苦しみがわかるのか?」


輪床の声は震えていた。


「厚巳はな、お前ら新人とは違う!中堅として、すべてを背負って戦地に立ち続けていたんだ。あいつの体が動かなくなったのは、腰抜けだからじゃない。お前が想像もできないほどの重圧に、心が耐え切れなくなったからだ!」


「結果は同じでしょう!心が折れて、体が動かなければ戦力ではない!俺たちには、そんな弱さを見せられる余裕はない!」


要の言葉には、迷いがなかった。だが、その冷徹さこそが、輪床の怒りに火をつけた。


「黙れ!」


輪床の手が要の胸倉を掴んだ。次の瞬間、要の背中が壁に叩きつけられる。食堂にいた隊員たちが、一斉に振り返った。


「お前のような、戦場の重さも知らねぇガキに、厚巳を侮辱する権利はねぇんだよ!」


輪床の拳が握り締められる。その拳が振り上げられた瞬間だった。


「そこまでだ! 輪床、手を下ろせ!」


鋭い声が食堂を貫いた。全員が一斉に振り返る。そこに立っていたのは、空間 瑠衣一等陸佐だった。


35普連の新しい連隊長である。先日の挨拶で見せた穏やかな笑みは、今の彼女の顔にはなかった。


空間は2人のもとへ歩み寄る。


輪床は一瞬、拳を止めた。連隊長の視線を受け、やがて要の胸倉から手を離す。要もまた、空間に直接見咎められたことで、僅かに顔を強張らせた。空間は2人の間に立つ。


「ここは戦場ではない。内輪で拳を振り上げるとは、規律をどう考えているのか。」


静かな声だった。しかし、その声には有無を言わせぬ力があった。空間はまず輪床を見る。続いて、要へ視線を移した。


「運天二士。貴官の信念は理解できる。しかし、それは仲間を侮辱してよい理由にはならない。」


要は黙っていた。自分の考えが間違っているとは、まだ思っていない。戦場で戦えなければ、仲間を守れない。それは事実だ。空間は続けた。


「そして輪床三曹。貴官の戦友を思う気持ちは評価する。だが、暴力は何も解決しない。感情に流され、部隊の秩序を乱すことが、本当に厚巳三曹の名誉を守ることになると考えるか?」


輪床の拳が、ゆっくりと下がる。それでも、怒りは消えていなかった。空間は2人を見たまま、深く静かに息を吸った。


そして、声を落とす。


「2人とも、厚巳三曹が退官したという、その一瞬しか見ていないようだな。」


要が顔を上げる。輪床もまた、空間を見る。空間の視線は、2人のさらに向こう側を見ているようだった。


「厚巳三曹は、オペレーション・ギデオンにおいて、最後に何を為したか。貴官たちはそれを知っているのか?」


要の表情が僅かに変わった。輪床もまた、言葉を失う。厚巳が戦場で何をしていたのか、要は知らない。


少なくとも、要が見ていた厚巳は、敵を倒すこともできず、戦闘に参加することもできなかった男だった。だから、要にとって厚巳は「戦えなかった男」でしかない。


だが――空間は知っていた。厚巳が何をしていたのかを。


「……今から、話そう。」


空間の脳裏に、あの日の光景が蘇る。




―回想―


2020年9月30日 夜――


国道135号線、湯河原町付近、静岡県との県境。


オペレーション・ギデオンの戦場で、厚巳千宏三等陸曹が最後に果たした任務の記憶だった。


そこは、もはや道路と呼べる状態ではなかった。路面には車両の残骸が散乱し、建物の壁面には銃弾が無数に食い込んでいる。敵味方双方の発砲音が途切れることなく響き、時折、どこかで砲弾が炸裂するたびに、地面そのものが揺れた。


硝煙と血の臭いが混じった空気を、厚巳 千宏三等陸曹は荒い呼吸とともに吸い込んでいた。


足が重い、腕が上がらない。頭の中では、さっきから警報のような音が鳴り続けている。


―――逃げろ、ここにいるな、危ない


その感覚は、初めて戦場に出た時から、何度も厚巳を苦しめてきた。銃声が聞こえるたびに体が竦み、敵の姿を見れば足が止まる。


自分は兵士に向いていない。何度、そう思ったことか。それでも、厚巳は歩いていた。いや、歩いているというより、引きずっていた。自分の体を。そして、背中に背負った仲間を。


「羽毛、頑張ってくれ……。もう少しだ。この先なら、電波が……」


背中から返事はない。羽毛 大和一等陸士の体は、厚巳に預けられたまま微動だにしなかった。


それでも厚巳は歩き続けた。何度も足を止めた。そのたびに、背後から聞こえる銃声に身を竦ませた。振り返ることもできない。


怖かった。ここにいることが怖い。このまま進むことも怖い。だが、それ以上に怖かった。このまま羽毛を置いていくことが。だから厚巳は、また歩き出した。


国道135号線を進む途中、厚巳は何度も進路を変えた。理由を説明することはできなかった。右側の路地を見て、足を止める。そして、左へ進む。しばらく歩いたところで、前方から敵の銃撃が始まった。


厚巳は反射的に身を伏せた。弾丸が、さっきまで自分が進もうとしていた道路を切り裂いていく。厚巳は震えながら、羽毛を背負い直した。


「……危なかった……」


それだけ呟く。自分でも、なぜあの場所を避けたのか分からない。ただ、嫌な感じがした。それだけだった。


厚巳は再び歩き出した。やがて、静岡県側へ抜ける。その瞬間だった。ポケットの中の携帯電話を取り出す。


「……電波……」


画面を見る。圏外の表示が消えていた。


「抜けた!」


思わず声が出た。


「この電波で救助を要請できる!」


ようやく助けを呼べる。そう思った瞬間、全身から力が抜けた。厚巳はその場にしゃがみ込み、震える手で携帯電話を操作する。


だが……


「……え?」


画面に表示された文字を見て、厚巳の顔が引きつった。


バッテリー残量――ゼロ


「くそっ……!」


携帯電話を握り締める。ここまで来た。あと少しだった。助けを呼べるところまで来たのに。厚巳は歯を食いしばった。そして、背中の羽毛を見た。


「羽毛、すまねぇ、携帯を持ってるか調べさせてく……」


言葉が止まった。羽毛を背負い直そうとした。だが……さっきまで確かに感じていた重さがない。厚巳の手から力が抜けた。


「……羽毛?」


ゆっくりと地面に下ろす。その顔を見た。


「羽毛……」


返事はなかった。厚巳は、しばらく動かなかった。いや、動けなかった。何かを理解することを、頭が拒んでいた。


「ああ……」


 声が震えた。


「羽毛……羽毛――!」


あと少しだった。あと少し早ければ。あと数分、早く電波の届く場所まで来ていれば。厚巳は羽毛の肩を掴んだ。


「羽毛、起きろ……」


返事はない。


「なあ……起きろよ……」


何度呼びかけても、羽毛は目を開けなかった。


「羽毛、羽毛……。すまねぇ」


厚巳は、その場に崩れ落ちた。自分は何もできなかった。敵を倒すこともできなかった。仲間を守ることもできなかった。羽毛も救えなかった。


「……いや」


厚巳は呟いた。震える手を地面につく。


「いや、まだだ!」


自分でも、何を言っているのか分からなかった。羽毛は死んだ。それは分かっている。それでも――


「羽毛、すまねぇ、ちょっと待っててくれ」


厚巳は立ち上がった。何かできることがある。まだ、何かできる。そう思わなければ、立っていられなかった。厚巳は羽毛の遺体を道路脇へ移動させた。そして周囲を見回す。


敵がいるかもしれない。危険かもしれない。それでも、厚巳は歩き出した。しばらくして、一軒の民家を見つける。住民がいた。


玄関先で何度も頭を下げ、事情を説明した。幸い、住民は厚巳の話を聞き、電話を貸してくれた。厚巳は震える手で受話器を握った。そして、番号を伝える。


オペレーション・ギデオンの本部、月白展望台。


「35普通科連隊、厚巳です! 現地点より湯河原の状況を報告します!」


声は震えていた。だが、報告内容は明確だった。


35普連4中隊の壊滅状況、確認できた死傷者。部隊がどの方向へ分散したのか。そして、湯河原周辺に展開する敵部隊の位置と、おおよその規模。厚巳は覚えている限りの情報を伝えた。


自分が何を見たのか。どこで敵と接触したのか。どの道が危険だったのか。どこを通れば比較的安全に移動できる可能性があるのか。


厚巳は、戦場で敵を倒すことはできなかった。だが、戦場から持ち帰った情報を伝えることはできた。電話の向こうで、その報告を聞いていた者の中に、空間瑠衣一等陸佐がいた。


当時、作戦本部にいた空間は、厚巳の声を直接聞いていた。その時のことを、今でも覚えている。声は震えていた。何度も言葉に詰まった。だが、報告そのものに混乱はなかった。


厚巳は、自分が見たものを一つずつ伝えていた。部隊が壊滅したという絶望的な状況に置かれながら、それでも戦場から得た情報を本部へ届けようとしていた。


その報告は、後にGASTの派兵にも影響を与えることになる。


そして、作戦終了後、空間は別の証言も耳にした。


厚巳は、あの戦場で羽毛だけを運んでいたわけではなかった。敵の銃撃が交錯する中、角南陸士長を救出した。負傷した隊員の応急手当てを行った。運天二等陸士を戦線から離脱させた。廃墟となった街を歩き回り、残された物資を探した。


それは、誰かの目に留まるような華々しい戦果ではなかった。敵兵を倒したわけでもない。重要拠点を奪取したわけでもない。戦場を変えるような英雄的な行動でもない。ただ、その場にいた仲間を一人でも多く生かそうとした。


その結果として、これまで何人もの隊員が生き残った。


空間は、食堂の中で向かい合う2人を見つめた。


「厚巳三曹の最後の行動は、部隊の壊滅を防ぐことはできなかったが、彼の報告によって、我々は敵の動向を正確に把握することができた。彼の取った行動は無駄ではなかった、と記録されている」


要は黙っていた。輪床も、何も言わない。


「更に、厚巳三曹は、敵の銃弾が交錯する戦線合で、角南士長、羽毛一士、そして運天二士を救出し、怪我の手当てや、廃墟となった街中を奔走して物資を探していたとも聞く。」


空間の視線が、要へ向く。


「厚巳三曹は、腰抜けなどではない。彼の働きは、目立つことはないが、誰も見ていないところで、仲間を生かしていた。彼の最後の任務は、決して馬鹿にされていいものではない。」


「厚巳……」


輪床の声が震えた。目には、涙が浮かんでいた。厚巳と同期だった輪床は、誰よりも彼のことを知っていた。厚巳が臆病だったことも知っている。戦場に出れば、敵の姿を見ただけで足が竦むこともあった。銃を構えることさえできなくなることもあった。それでも――


誰かを助ける時だけは、なぜか動いた。危険な場所を避ける。敵の接近を察知する。仲間を連れて、安全な場所へ移動する。なぜか厚巳は、そういうことだけは妙に上手かった。


それを、輪床は何度も見てきた。佃も白川も、厚巳に救われた経験がある。だからこそ、2人は厚巳を慕っていた。彼が敵を倒せなくても、前線で戦えなくても。自分たちが生きているのは、厚巳のおかげだと知っている。


だが―――要だけは、違った。


「……」


要は何も言わなかった。空間の話を聞いても、表情を変えない。ただ、胸の奥では別の感情が渦巻いていた。


(どれだけ上官が評価しようとも、辞めた時点で、全部終わりだろ)


要にとって、厚巳が退官したという事実は変わらない。


戦場で何をしたか、誰を救ったか、どれだけ仲間から感謝されていたか。そんなものは、要にとって二次的な問題だった。


自衛官として戦場に立つ以上、敵と戦う力が必要だ。任務を遂行する力が必要だ。そして、自分はその力を身につけなければならない。要は、そう信じている。だからこそ、厚巳の行動を認めることができなかった。


いや――認めてしまえば、自分が今まで信じてきたものまで否定することになる。


初陣で何もできなかった自分、仲間を救えなかった自分、それでも、生き残った自分。その悔しさを、要は「もっと強くならなければならない」という思いに変えていた。


だから、要は気づいていない。厚巳が「臆病だったからこそ」生き残ってきたことに。危険を恐れたからこそ、危険を誰よりも早く察知していたことに。そして、その力によって何人もの仲間が生き残っていたことに。


それを知る者は、まだ誰もいない。厚巳本人でさえも。彼自身は、自分がただ臆病なだけだと思っている。戦闘能力に秀でたわけでもない。敵を倒せるわけでもない。だからこそ、自分には自衛官を続ける資格がない。そう考え、退官を選んだ。


しかし――


その「臆病さ」が、戦場で何度も彼自身と仲間を救ってきたことを、厚巳自身は知らない。それが特別な力だと知る者もいない。


ただ一つ確かなのは、厚巳千宏という男が、誰にも見られていない場所で、何度も仲間を生かしてきたという事実だけだった。


空間は、そんな厚巳の姿を知っている。だからこそ、要の言葉を聞き流すことはできなかった。


「運天二士。」


「……はい」


要が顔を上げる。


「貴官は、先ほど厚巳三曹を腰抜けと評したな。」


「……」


「ならば、聞こう。」


空間の声が、低くなる。


「貴官は、厚巳三曹が救った隊員たちの前でも、同じことが言えるか?」


要の表情が固まった。答えは返ってこなかった。食堂の空気が、再び静まり返る。空間は、それ以上追及しなかった。


ただ、要を見つめる。やがて要は、視線を逸らした。輪床は何も言わない。佃も、白川も。誰も要を責めなかった。


空間は2人に背を向ける。


「……食事中だったな。続けろ。」


それだけ言うと、空間はその場を離れていった。輪床は、しばらくその背中を見送っていた。やがて、要へ視線を戻す。


「……運天。」


要は答えない。


「俺は、お前が厚巳を嫌うことまで否定するつもりはねぇ。」


要の眉が僅かに動く。


「だがな。」


輪床の声には、先ほどまでの怒りはなかった。ただ、疲れが滲んでいた。


「知らねぇことまで、知ったような顔で言うな。」


要は黙っていた。


「厚巳が何をしてきたのか。あいつが何を背負っていたのか。お前は何も知らねぇだろ。」


「……」


「だったら、せめて黙ってろ。」


輪床はそれだけ言うと、要から離れた。佃と白川も、輪床の後を追う。星野だけが、要の隣に残った。


「……なあ、要。」


「なんだよ。」


「ちょっとくらい、認めてもいいんじゃない?」


「何をだよ。」


「厚巳さんのこと。」


「……俺は間違ったことを言ったつもりはない。」


「そう。」


星野はそれ以上、何も言わなかった。ただ、要の横顔を見つめる。要は視線を落とした。


自分が間違っているとは思っていない。厚巳を認めれば、自分が今まで信じてきたものが揺らいでしまう。


強くなければならない。戦える兵士でなければならない。戦場で立ち止まってはいけない。その考えだけが、要を支えている。だから、要は何も言わなかった。

登場人物紹介

運天うんてん かなめ……隼人の同期で、自身の力を過大評価している。

星野ほしの 橘花きっか……第408会計隊所属で、要の同期

輪床わとこ 圭慎けいしん……厚巳の同期

空間そらま 瑠衣るい……35普連の新しい連隊長

羽毛はも 大和やまと……オペレーション・ギデオンで戦死した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミリタリー SF ファンタジー 自衛隊 戦争
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ