第94話 止まらなかった指
――東海防衛支局――
東海防衛支局の一室では、特戦群群長・浅原 充一等陸佐が、陸上幕僚監部の幹部たちと向かい合っていた。
壁面を埋める大型モニターには、オペレーション・ギデオン――第7次首都圏奪還作戦における戦線維持部隊の配置と損耗状況が表示されている。
数字を見れば、誰の目にも明らかだった。戦線維持を担う部隊は、既に限界に近づいている。
将兵の損耗は深刻であり、部隊の再編成や補充が追いついていない。しかも、グーリエ星人との戦争が終わったわけではない。首都圏も吸収も、まだ奪還出来ていない。今後も戦闘が続く以上、優秀な隊員を一人でも多く確保しなければならない。
浅原は、モニターに映し出された数字を一瞥すると、静かに口を開いた。
「戦況は、もはや階級や資格といった形式的な規律に拘泥している場合ではない段階です。師団司令部を始め、各方面の戦力が崩壊しつつある中、優秀な若年戦力を即時投入しなければ、次の首都圏防衛ラインの維持すら危うくなります。GASTへの入隊は、例外的に陸士長以下、レンジャー資格を持たない者でも、入隊出来るよう、特戦群のルールを変えたいと存じます。」
室内に沈黙が落ちた。やがて、陸上幕僚監部の陸将補が口を開く。
「しかし浅原君、GASTは我が国の精鋭中の精鋭だ。陸曹としての十分な経験と指導能力、そしてレンジャー資格が必須である。二士や一士を、いきなりその地位に置くことは、規律の破壊に繋がる!」
正論だった。
自衛隊という組織において、階級や資格は単なる肩書きではない。部下を指揮する能力を担保し、部隊として行動するための最低限の基準でもある。だが、浅原は退かなかった。
「その規律が、この未曽有の戦局を打開できますか?」
淡々とした声だった。しかし、その言葉には一切の迷いがなかった。
「私が推薦する若手は、ただの若手ではありません。グーリエ星人相手に生き残り、強さの片鱗を見せた若手隊員です。彼らには、経験豊富な精鋭の消耗を最小限に抑え、未来を切り開く役割を担わせる。GASTへの入隊は、彼らが昇進試験とレンジャー試験を取得するまで、とりあえず保留としています。それでも、今この瞬間に、彼らを戦力としてカウントしなければ、我々は手遅れになります。」
浅原が示したのは、感情論ではなかった。
オペレーション・ギデオンにおける戦闘記録、生存者の戦闘行動記録、敵部隊との交戦記録。そして、GASTが失った隊員の数。
それらを積み重ねた上で、浅原は若い隊員たちを単なる「生き残っただけの兵士」とは見ていなかった。彼らは、極限状態に置かれた戦場で生き残った。
それだけではない。その戦闘能力を、既にGASTの隊員たちが認めている。だからこそ、浅原は制度そのものを変えようとしていた。
しかし、上層部の反応は鈍かった。誰も明確な反対を口にしない。だが、誰も首を縦には振らない。
戦時下であっても、軍隊は組織である。制度を変えるには、それ相応の手続きが必要になる。
浅原は、それを理解していた。理解しているからこそ、諦めるつもりもなかった。やがて会議が終わり、浅原が部屋を出ると、廊下でシルビアが待っていた。
「やはり、上層部は首を縦に振りませんでしたね。」
「ああ。だが、粘り強く交渉をするさ。」
浅原はそう答えた。その視線の先には、東海防衛支局の敷地が広がっている。
戦争が始まってから20年。浅原は、その長い戦争を生き抜いてきた。だからこそ分かっている。
人手不足は、単純に人を増やせば解決する問題ではない。経験のある隊員は戦場で失われる。新しい隊員を育てるには時間がかかる。そして、その時間を待ってくれるほど、戦況は甘くない。ならば、限られた人員の質を高めるしかない。
GASTを軸とした新たな戦力運用。それが、浅原の考えている次の一手だった。
「こんな時だからこそ、より柔軟に……」
浅原は小さく呟いた。だが、脳裏には先ほどの会議で向けられた視線が残っている。
「しかし、上層部は……」
制度を守ることも重要だ。だが、制度を守るために戦力を失えば、本末転倒になる。
浅原は、静かに拳を握った。戦場では、一つの判断が数10人、数100人の命を左右する。そして今、その判断を迫られているのは、彼自身だった。
――翌日、守山駐屯地。
木山 拓哉二等陸士は、幸目陸将からの呼び出しを受けていた。
オペレーション・ギデオン(第7次首都圏奪還作戦)において、木山が味方部隊に対して発砲した件について、正式な確認を行うためだった。
司令室には、幸目陸将のほか、木山、心療内科医、そして僕――段場 隼人が呼ばれている。
僕は、木山が味方に向けて発砲した瞬間を見ていた。あの時、僕は木山に「撃つな、味方だ」と叫び、彼の発砲を止めた。
久里浜三佐と瑛松二曹にも、その事実を報告している。だが、2人はもうこの世にいない。もし僕が黙っていれば、この件が正式に明らかになる可能性は低い。
けれど、それが木山にとって本当に良いことなのか。僕には分からなかった。
木山は、あの戦闘以来、ずっと自分を責め続けている。戦場で仲間を誤射した。その事実が、木山の心を少しずつ蝕んでいることは、明らかだった。
幸目陸将は、机の上に置かれた書類へ目を落としたまま、口を開いた。
「木山二等陸士。」
「先の戦闘における発砲について、確認する。」
「貴官は、味方に対して発砲した。」
木山の肩が、わずかに揺れた。
「……はい。」
返事は、かすれていた。
「発砲時、対象を敵と認識していたのか?」
「……敵だと、思っていました。」
「視認はしていたか?」
「……黒い影が、動いたんです。」
木山は俯いたまま、答えた。
「それが敵に見えました。」
室内に沈黙が落ちた。
幸目陸将は一度だけ顔を上げ、木山を見る。
「発砲後、何が起きた。」
木山は答えなかった。その代わり、両手が小刻みに震え始める。
「木山二士、答えろ。」
「……止められました。」
「誰にだ?」
一瞬、木山の視線が僕へ向いた。
「……段場 隼人二等陸士に。」
幸目陸将の視線が、ゆっくりとこちらへ移る。
「段場二等陸士。前へ出ろ。」
「……はい。」
僕は一歩、前へ出た。司令室の床を踏む足音が、やけに大きく響いた。
「発砲を確認したのは貴官で間違いないな?」
「はい。」
「状況を説明しろ。」
喉が、わずかに詰まる。それでも、言葉を選んでいる余裕はなかった。
「あの時、戦線は崩れかけていました。視界も悪く、敵味方の識別が困難な状況でした。その中で、木山二士が発砲しました。対象は――味方でした。」
木山の肩が、大きく震えた。僕はその様子を見ながら、続きを話す。
「私はすぐに――撃つな、味方だ、と叫びました。」
「……やめてください。」
木山の声だった。小さく、しかしはっきりとした声。
「……その言葉、やめてください。」
幸目陸将は表情を変えなかった。
「続けろ。」
「……はい。」
僕は、もう一度木山を見る。
「私が制止した時点で、発砲は止まりました。ですが、その時には――」
一瞬、言葉が止まる。
「あの時、仲間が被弾していました。」
時計の秒針が、やけに大きく聞こえた。
幸目陸将は、ゆっくりと書類を閉じた。
「木山二等陸士。」
「貴官は、自身の行為をどう認識している。」
木山は俯いたまま答えた。
「……誤射です。過失による発砲です。」
そして、わずかに間を置く。
「……ですが、撃ったのは、俺です。」
その一言は、妙に静かだった。
「誰の命令でもない、俺の判断です。責任は、俺にあります。」
幸目陸将は、しばらく何も言わなかった。やがて、低い声で尋ねる。
「久里浜三佐、瑛松二曹には報告していたな。」
「それは、私が……」
思わず口を挟みかけた僕を、幸目陸将の視線が制した。
「だが両名は戦死している。証言は確認できない。」
「……はい。」
木山が答える。幸目陸将は、今度は僕を見た。
「段場二士、貴官はどう判断する?」
一瞬、迷いがよぎった。僕が黙っていれば、木山はこの件から逃れられるかもしれない。だが、木山自身が責任を認めている。そして僕は、あの瞬間を見ていた。ならば、言うべきことは決まっていた。
「……誤射です。意図的な発砲ではありません。戦闘下での錯誤です。」
幸目陸将は、わずかに頷いた。
「木山 拓哉二等陸士。貴官の退官願は受理されている。」
木山の顔が僅かに動いた。
「だが、本件の調査終了まで手続きは保留とする。」
「……はい。」
「処分については後日通達する。」
幸目陸将は、そこで一度言葉を切った。そして、木山を正面から見据える。
「だが一つ、言っておく。」
室内の空気が変わった。
「戦場で判断を誤ることはある。それ自体を、私は責めない。」
「だが――」
幸目陸将の声が低くなる。
「引き金を引いた事実から、目を逸らすな。」
木山の手が、強く握られた。
「以上だ、下がれ。」
「失礼します。」
「失礼します。」
僕と木山は敬礼をすると、司令室を出た。その直後だった。廊下に出た木山の足が止まった。
「木山?」
返事がない。次の瞬間、木山はその場に崩れ落ちた。
「木山!」
「段場さん、少し離れてください!」
心療内科医が駆け寄る。木山は床に手をつき、激しく呼吸していた。吸うよりも先に吐こうとするような、浅く速い呼吸だった。肩が痙攣するように上下している。
「大丈夫、深呼吸して。」
医師が声を掛ける。だが、木山には届いていない。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
堪えていたものが、一気に溢れ出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
同じ言葉を何度も繰り返す。僕は木山の前にしゃがみ込んだ。
「木山、僕を見るんだ。」
木山の視線は定まらない。
「木山!」
僕が肩を掴んだ瞬間、木山の身体がびくりと跳ねた。
「……撃つな……」
「……撃つな……誰だ……?」
「じゃあ、あれは誰だったんだ……」
その声は、今ここにいる木山のものではなかった。あの戦場に取り残された兵士の声だった。
「敵じゃ……ない……」
「段場さん、少し距離を。今、フラッシュバックが出ています。」
医師の指示に従い、僕は一歩下がった。木山は床に手をついたまま、荒い呼吸を繰り返している。医師は、木山の視界に入る位置まで腰を落とした。
「木山さん、ここは安全です。今いるのは駐屯地の中。戦場ではありません。」
「……安全……?」
「そうです。銃声もありません。敵もいません。」
木山の呼吸は、まだ乱れている。医師は一定の声で続けた。
「ゆっくり息を吸ってください。4秒吸って、6秒吐きます。」
「……すぅ……っ」
「そう、そのまま。」
繰り返すうちに、木山の呼吸が少しずつ整っていく。だが、その目から戦場の記憶が消えたわけではなかった。
「……俺が撃ったんだ……」
ぽつりと落ちた言葉。今度は、はっきりしていた。
「俺が……撃った……」
僕は何も言わなかった。言えなかった。木山は、震える手を見つめている。
「……分からなかった。」
誰に言うでもなく、呟く。
「周りに敵しかいないと思った。」
医師の手が、わずかに止まる。
「……怖かったんです……」
その言葉に、僕は何も返せなかった。木山は、震える声で続ける。
「止まらなかった。」
「指が……止まらなかったんです……」
僕の拳が、強く握られる。
「……そして、俺は――」
木山は顔を上げた。その目には、逃げる場所など残っていなかった。
「撃った。」
完全に、自分の言葉で言い切った。その時、背後で扉が開いた。
「……医官。」
振り返る。そこに、幸目陸将が立っていた。
「状態は?」
「急性のフラッシュバックと過呼吸です。典型的な戦闘ストレス反応が見られます。継続的な観察と治療が必要です。」
幸目陸将は短く頷いた。そして、木山を見る。
「木山 拓哉二等陸士。」
木山は顔を上げない。だが、聞いている。
「貴官の処分は未定だ。だが、治療は受けろ。これは命令だ。」
「……はい……」
かすれた返事だった。幸目陸将は、今度は僕を見る。
「段場二士。」
「はっ。」
「しばらく付き添え。状態が安定するまで、単独行動はさせるな。」
「了解しました。」
幸目陸将はそれ以上何も言わず、踵を返した。数歩進んだところで、足を止める。振り返らないまま、低い声で言った。
「――戦場はな。人間を壊す。」
静かな声だった。だが、重かった。
「だが、自分が何をしたかだけは――最後まで、持っていけ。」
それだけ言うと、幸目陸将は去っていった。
扉が閉まる。乾いた音が廊下に響いた。
しばらくして、木山の呼吸はようやく正常に戻った。
「……隼人。」
「なんだ?」
「……俺、逃げてもいいと思うか?」
唐突な言葉だった。だが、その目は真剣だった。僕は少しだけ考えた。そして、短く答える。
「無理だな。」
「だよな……」
木山の口元に、苦笑ともつかない表情が浮かんだ。
「逃げても、頭の中にいるだろ。」
「……ああ。ずっといる。」
木山は俯いた。僕は、彼の隣に立った。
「だったら、逃げ場を変えるしかない。」
「……逃げ場?」
「逃げるんじゃなくて、向き合う場所だ。」
木山はしばらく何も言わなかった。やがて、小さく息を吐く。
「……きついな、それ……」
「だろうね。」
それ以上、僕たちは何も言わなかった。だが、それで十分だった。木山はゆっくりと立ち上がった。足元は、まだおぼつかない。それでも、自分の足で立った。
「……先生。」
心療内科医が木山を見る。
「治療、受けます。」
その声は、さっきよりほんの僅かにだけ、はっきりしていた。――だが、震えは消えていなかった。木山の指は、まだ震えている。
あの時、止まらなかった指。その記憶を、木山はこれからも背負っていくことになる。それが、戦場で引き金を引いた者に残された責任だった。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公
木山 拓哉……オペレーション・ギデオンで仲間を誤射してしまう
幸目 勇仁……守山駐屯地の司令兼第10師団師団長
浅原 充……特戦群の群長
シルビア……GASTの中隊長




