第91話 指揮官の責任
10月某日、怪我も癒え、無事退院した杏南と諏訪は、守山駐屯地の司令室へ呼び出された。そこには、35普連2中隊の天津種中隊長と、第10師団師団長の幸目陸将の姿があった。
「(これは何の呼び出しだろう…?)」(杏南)
疑問に思う杏南と諏訪に対し、幸目師団長が口を開く。
「諏訪明登一等陸士と、苫米地杏南二等陸士で間違いないな」(幸目)
「はい」(杏南、諏訪)
「貴官2人に聞きたい。貴官らは、先のオペレーション・ギデオン(第7次首都圏奪還作戦)において、上官の命令を無視し、撤退を図ったそうだな。」(幸目)
杏南と諏訪は、一瞬だけ顔を見合わせた。
「……そのような事実はありません。」(杏南)
杏南は落ち着いた声で答える。幸目は表情を変えず、机の上の書類を一枚めくった。
「しかし、ここにはこう記録されている。」(幸目)
「天津種二佐は、海岸線での持久戦を命じた。しかし部下数名が命令を無視し、箱根方面へ撤退した――とな。」(幸目)
静かな部屋に、紙のめくれる音だけが響く。諏訪の眉がわずかに動いた。
「……天津種中隊長が、そう証言されたのですか。」(諏訪)
その問いに、天津種がゆっくりと口を開く。
「そうだ。」(天津種)
「敵の奇襲で戦況が混乱していたのは事実だ。しかし私は、海岸線での持久戦を命じた。」(天津種)
「だが君たちは、その命令を無視して離脱した。」(天津種)
諏訪の拳が、わずかに握られる。杏南はその横で、静かに息を整えていた。
「……確認させてください。」(杏南)
「天津種二佐は、海岸線での持久戦を命じた、と。」(杏南)
「その通りだ。」(天津種)
杏南は一瞬だけ視線を落とす。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「私たちが受けた命令は、それとは違います。」(杏南)
部屋の空気が、わずかに変わった。
「ほう。では、どのような命令だったのか。」(幸目)
諏訪が一歩前に出る。その声には、怒りが滲んでいた。
「敵が掘った地下通路を兵站拠点にし、そこで籠城する――それが天津種中隊長の命令でした。」(諏訪)
一瞬、沈黙が落ちた。天津種の目が細くなる。天津種は小さく息を吐き、淡々と答える。
「戦場ではな、諏訪一士、「命令と違う行動を取った時点で、それがどんな理由であれ――それは“逃亡”だ。」(天津種)
「部隊が崩れるのはな、敵のせいじゃない。」(天津種)
「命令を守らない兵が出た時だ。」(天津種)
「(こいつ…)」(諏訪)
「発言よろしいでしょうか?」(杏南)
「許可する。」(幸目)
「私と諏訪一士は、天津種中隊長と接触したタイミングは同じではありません。ですが、共通するのは、敵が掘った地下道にいたという事実です。」(杏南)
「地下通路を拠点にするなど、私は命じていない。」(天津種)
天津種は即座に否定した。
「戦場の混乱で、君たちが誤解したのだろう。」(天津種)
これでは堂々巡りだ。その時、杏南はある事を思い出した。
「私達はあの戦場でGASTによって救護されました。天津種中隊長も、GASTによって救護されていたのではないでしょうか? 天津種中隊長を保護したGASTの隊員がいれば、新たな証人になると思います。」(杏南)
天津種の顔が一瞬引きつった。その表情を、杏南は見逃さなかった。
「(やっぱり……)」(杏南)
幸目は杏南の言葉を聞き、わずかに視線を上げた。
「……なるほど。」(幸目)
「天津種二佐、貴官はGASTによって救護されたのか。」(幸目)
天津種は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに答えた。
「……その通りです。」(天津種)
「だが、それが何だと言うのですか。」(天津種)
杏南は静かに続ける。
「私が地下道で中隊長と接触したのは、9月30日の午前中でした。」(杏南)
「私が接触したのはその日の夕方です。」(諏訪)
「約半日、同じ場所に留まっていた可能性が高い。救助された場所が同じなのか、それと弾薬の消費量を見れば分かるのではないでしょうか?」(杏南)
杏南のその言葉を聞き、幸目はあるところに電話をする。
「浅原君、幸目だ。すまんが、調べて欲しいことがある。石橋の海岸線で保護された隊員の詳細だ。」(幸目)
――数分後――
詳細が書かれた報告書が送られてきた。
「ふむ、この報告書によると、天津種二佐が保護された場所は、件の地下通路とみて間違いない。天津種二佐、貴官はここで何をしていたのだ?」(幸目)
「……持久戦をするための拠点です。私はその可能性を検討していただけです。」(天津種)
弾薬の消費記録を見ながら、幸目が言った。
「……妙だな。」(幸目)
報告書を指で叩く。
「天津種二佐。」(幸目)
「海岸線で持久戦をしていた部隊の弾薬消費とは思えん。」(幸目)
「弾薬が――ほとんど使われていない。」(幸目)
天津種の顔が強張るり、額から汗が噴き出す。
「あの戦いでは、補給路が断たれてしまい、弾薬が足りず、敵から鹵獲してそれでも足りないほどでした。「海岸沿いで持久戦をしていたのなら、弾薬は尽きているはずです。」(諏訪)
「天津種二佐、海岸線で持久戦を命じた、と先ほど言ったな。」(幸目)
「…はい。」(天津種)
「だが報告書では、貴官は地下通路付近で保護されたとある。」(幸目)
天津種の口元が、わずかに強張る。
「……戦況が変化したのです。」(天津種)
「持久戦の拠点を確認するため、私自身が地下通路を偵察していました。」(天津種)
諏訪が低く呟く。
「偵察、ですか。半日も地下にこもって偵察ですか。」(諏訪)
天津種は諏訪を睨みつける。
「兵が指揮官の判断を測る立場ではない。」(天津種)
幸目が静かに口を開く。
「天津種二佐。」(幸目)
「確認する。」(幸目)
「貴官は海岸線で持久戦をする命令を下していない。」(幸目)
「そうだな?」(幸目)
「……その通りです。」(天津種)
幸目は机の上の報告書を閉じた。
「地下通路には、私たちの他にも数名の隊員がいました。」(杏南)
「全員が、その地下通路を新たな兵站拠点にするという命令を聞いています。」(杏南)
もっとも、その隊員は退官した山下を除くと戦死しているのだが…。諏訪が続ける。
「我々がその場所から撤退したのは、それが不可能だと判断したからです。」(諏訪)
「補給も退路もない場所でした。」(諏訪)
「そのまま残っていても何もならないと考えます。」(諏訪)
天津種が声を荒げる。
「戦場での判断は、指揮官の専権だ! 兵が勝手に撤退するなど――」(天津種)
「天津種二佐。」(幸目)
その一言で、天津種は口を閉じた。幸目の声は低かった。幸目はしばらく天津種を見ていた。
「では確認する。」(幸目)
「天津種二佐。」(幸目)
「貴官は海岸線で持久戦を命じた。そして、地下通路では、持久戦の拠点を“検討していた”。」(幸目)
幸目はゆっくりと言う。
「……その間、部隊はどこにいた?」(幸目)
沈黙。天津種は答えない。部屋の空気が凍りつく。諏訪が小さく息を吐く。天津種は視線を逸らした。その様子を見て、幸目は報告書を閉じた。
「……結論は明白だ。作戦報告と現場証言に重大な齟齬がある。さらに、貴官の位置情報も証言と一致している。」(幸目)
幸目はゆっくりと椅子にもたれた。
「……結論は明白だ。」(幸目)
部屋の空気が張り詰める。
「天津種二佐。」(幸目)
「貴官には、作戦報告における重大な虚偽の疑いがある。」(幸目)
天津種の顔が固まった。
「本日付で、貴官の指揮権を停止する。調査終了までの間、定職処分とする。」(幸目)
天津種は言葉を失った。幸目は視線を杏南と諏訪へ向ける。
「諏訪一士、苫米地二士。現時点で、貴官らに命令違反の事実は確認されていない。原隊復帰を命じる。」(幸目)
2人は同時に敬礼する。
「了解しました。」(杏南・諏訪)
杏南と諏訪が敬礼し、司令室を出ようとした時だった。
「待て。」(幸目)
2人が足を止める。目は椅子に座ったまま、静かに言った。
「覚えておけ。」(幸目)
「戦場で判断を誤ることは、誰にでもある。」(幸目)
一瞬の間。そして、幸目は天津種を見た。
「だが――」(幸目)
「その責任を部下に押し付けた時点で、指揮官ではない。」(幸目)
部屋が静まり返る。天津種は何も言えない。幸目は最後に言った。
「以上だ。下がれ。」(幸目)
登場人物紹介
苫米地 杏南……本編のヒロイン
諏訪 明登……隼人との確執がある若手
天津種 麗……35普連2中隊の中隊長
幸目 勇仁……第10師団の師団長で、守山駐屯地の司令




