第89話 去る者、残る者
――2020年10月10日 東海防衛支局――
秋晴れの空の下、東海防衛支局では、オペレーション・ギデオン――第7次首都圏奪還作戦で殉職した隊員たちの合同葬送式が、厳かに執り行われていた。
戦死者は1000人を超える。
駿河湾を望む広大なグラウンドには、整然と並べられた祭壇と無数の遺影が広がり、その前には喪服姿の遺族、自衛官、関係者たちが静かに列を作っていた。
聞こえてくるのは、風に揺れる木々の音と、どこかで押し殺すように漏れるすすり泣きだけだった。
僕は祭壇に並ぶ遺影を見つめていた。
つい10日前まで同じ戦場で戦っていた先輩たちが、今は白黒の写真となって静かにこちらを見つめている。
身体の傷はもうほとんど癒えていた。それでも胸の奥を締めつける痛みだけは、少しも薄れてはいなかった。
「……隼人、そろそろ中へ。」
隣に立つ杏南が、小さく声を掛ける。泣き腫らした目はまだ赤く、無理に気丈に振る舞っていることが見て取れた。
杏南だけではない。ここにいる誰もが、大切な仲間を失った悲しみと、生き残ってしまった罪悪感を抱えたまま、この場所に立っている。
弔辞が読み上げられる。隊員たちは一斉に黙祷を捧げた。目を閉じた僕は、心の中で静かに誓う。
(あなた達の犠牲を、絶対に無駄にはしない――。)
もう二度と、同じ後悔は繰り返さない。もっと強くなる。もっと戦える自衛官になる。そう誓わずにはいられなかった。
だが、その決意とは裏腹に、戦場が残した傷跡は、僕たち一人ひとりの人生を大きく変えていた。
葬送式が終わり、参列者が静かに帰路につき始める中、僕は一人で佇む木山を見つけた。
以前の木山なら、きっと誰かと冗談を言い合っていたはずだ。しかし今の彼は、ただ地面だけを見つめている。
僕が声をかけると、木山は小声で話してくれた。
「俺……辞めることにした。」
その一言だけで十分だった。理由を聞くまでもない。石橋で彼は急性ストレス障害を発症した。あの日から、木山は一度も以前の笑顔を見せていない。
「俺には……もう無理だ。迷彩服を見るだけで、あの時の光景がフラッシュバックするんだ。」
その声には力がなかった。眠れない夜が続いていることも、銃声が聞こえる夢を見ることも、誰かから聞いていた。戦場から帰ってきても、彼の戦いは終わっていなかった。僕には何も言えなかった。
「頑張れ」などと言えるはずがない。そんな陳腐な言葉でどうにかなるものではない。
さらに、湯河原町での戦闘で両眼を失った烏丸二曹も退官が決まったと聞く。命は助かった。しかし、視力を失った彼が再び前線へ立つことはできない。
戦争は命だけではなく、人の未来も奪っていく。その現実を、僕たちは嫌というほど思い知らされていた。
それでも――戦い続けると決めた以上、立ち止まるわけにはいかない。
あの日、生かされた意味がある。命を懸けて僕たちを逃がしてくれた先輩たちの想いを繋げなければならない。そう決意した。
失った仲間の分まで、自分が戦う。その覚悟だけは揺らがなかった。
合同葬送式を終えた翌日、軽傷だった僕はすでに守山駐屯地の隊舎へ戻っていたが、入院中の杏南の見舞いのため、再び病院を訪れていた。
その時だった。
「山下が退官届を出したらしい。」
廊下で交わされた隊員たちの会話が耳に入る。
「……え?」
信じられなかった。山下陸士長が、自衛隊を辞める――。
「どうしてですか!? 山下士長!!」
思わず廊下に響くほど大きな声を上げてしまった。彼もまた、自衛隊を退官するという。
木山とは違う。山下陸士長は最後まで冷静に戦い抜き、その能力を存分に発揮していた。精神的な後遺症があるようにも見えなかった。だからこそ理解できなかった。
どうして、戦い続けることをやめるのか。山下陸士長は何も答えず、ただ僕を見据えていた。その眼差しには怒りとも悲しみともつかない感情が宿っている。僕は食い下がった。
「どうしてなんですか!」
「先輩たちに託されたじゃないですか!」
それでも返事はない。
「せめて理由だけでも教えてください!」
ようやく山下陸士長が口を開いた。
「……お前に答える必要はない。」
そう言い残し、その場を立ち去ろうとする。僕は思わずその背中へ叫んでいた。
「あの時、僕らは先輩達から託されたじゃないですか!」
「その想いを無駄にするんですか?」
「先輩達はそんな事、望んじゃいない!」
その瞬間だった。視界が横へ大きく揺れた。頬に焼けるような痛みが走り、身体が床へ投げ出される。
何が起きたのか理解するより早く、目の前に諏訪一士が立っていた。握り締めた拳が、小刻みに震えている。その瞳に宿る怒りは、これまで見たことがないほど激しいものだった。
「お前に……何が分かる……。」
――前日――
病室の窓から差し込む夕陽が、白い壁を赤く染めていた。消毒液の匂いが漂う静かな病室で、諏訪は山下の言葉を聞き返した。
「辞める?」
「ああ、俺はもう前線に出る気力がない。」
諏訪は思わず息を呑んだ。山下さんの表情に迷いはなかった。その静かな口調が、かえって決意の固さを物語っていた。
「……渚さんの死が理由ですか?」
「………そうだ……」
山下さんはしばらく俯いたまま黙り込んでいたが、やがて胸の奥に押し込めていた感情を、一つひとつ吐き出すように語り始めた。
サラリーマンを経て自衛官となった渚さんは、同期の中でも年長者だった。高校卒業と同時に入隊した山下さん達にはない社会経験を持ち、若い隊員たちにとっては兄のような存在だったという。
悩みを聞き、愚痴を受け止め、厳しい訓練で心が折れそうになれば励ましてくれる。戦場では誰よりも冷静で、仲間の精神的な支柱だった。
「辛いときにいつも助けてくれたのが渚さんだ。仲間を失って辛い時も、自分も辛いはずなのに……皆を支えてくれていた。」
山下さん震える拳を見つめながら続ける。
「俺は、そんな渚さんの心の強さに憧れ、あの人の背中を見続けてきた。でも、渚さんが死んだ時、俺の心が音をたてて崩れていったのが分かった。」
その言葉に、諏訪は何も返せなかった。
渚さんには、一年後輩の自分も何度となく救われてきた。極限状態が続く任務の中で、誰かの一言にどれほど救われるかを知っている。だからこそ、山下さんの喪失感は痛いほど理解できた。
やがて諏訪は、小さく息を吸い込み、力強く言った。
「…大丈夫です。俺が、山下さんの想いを受け継ぎます。渚さんの想いも、これまでに亡くなった仲間の無念も背負って、必ずグーリエ星人を駆逐します。」
山下さんは目を閉じ、小さく頷く。
「すまん………。頼む……。」
そう言って右拳を突き出した。諏訪も迷わず拳を差し出し、静かに拳を合わせる。それは別れの握手ではない。戦えなくなった者から、戦い続ける者への託宣だった。
――現在――
病院の廊下には、先ほどまでの口論の余韻が重苦しく残っていた。
諏訪は、山下の内情を知っているからこそ、何も知らずに正論だけをぶつける隼人への怒りを抑えきれなかった。
渚の死は、隼人の軽率な行動が招いたものだった。
あの日、自分は何度も考えた。
――あの時、こいつを見捨てる判断が正しかったのではないか。
その思いが胸の奥で燻り続けていた。
「お前があの時、あの場に戻ろうとしなければ、渚さんは死ぬことはなかった。」
「お前の軽率な行動で、渚さんは死んだ。」
「!?」
杏南は黙ったまま俯く。諏訪の言葉は、そのまま彼女自身の心にも突き刺さっていた。
糸原 ツヅラ三等陸曹。
自分を庇い、命を落とした先輩。
もっと自分が強ければ。もっと早く動けていれば。その後悔は今も消えることなく胸に残っている。
隼人は諏訪の視線を真正面から受け止めながら、それでも言葉を絞り出した。
「大切な仲間が死んだ辛さ、僕にも理解できます。それでも、立ち上がらなくちゃいけない!」
「山下士長のような、優秀な隊員が必要なんですよ? どうして…。」
「この…。」
諏訪が再び拳を振り上げた瞬間だった。
「駄目です!」
坂下と杏南が間へ割って入り、諏訪を必死に押し留める。険悪な空気の中、それまで黙っていた山下が静かに口を開いた。
「お前、後輩の軽率な行動で、苫米地が犠牲になったら、そいつを許せるか?」
「……!?」
「あの時、お前が取った行動は、そういう事だ。」
「…俺は、お前が許せない。」
その一言は、怒鳴り声よりも重く隼人の胸へ沈んだ。
言葉が出ない。渚という存在が、山下にとってどれほど大きかったのか。その重みを、今になってようやく理解した。何を言っても言い訳にしかならない。そう悟った隼人は、深く頭を下げる。
「申し訳…ありませんでした…。」
謝罪の言葉だけが、静かな廊下へ落ちた。
山下は何も答えず、その場を立ち去る。諏訪も小さく舌打ちを残し、自室へ戻ろうとした。その時だった。
「何をしている?」
低く、腹の底へ響くような声が廊下を貫いた。全員が反射的に振り向く。
2人の自衛官がこちらへ歩いてくる。
一人は鋭い眼光を隠そうともせず、歩くだけで周囲の空気を張り詰めさせる男。もう一人は眼鏡を掛けた穏やかな雰囲気の男だった。
「何でも、ありません…。」
「ほう、あれだけデカい声を出して何でもないと? ここは病院だぞ? 病院で静かに出来ない非常識な奴が国防に携わっているのか?」
その声を聞いた瞬間、隼人は息を呑んだ。間違いない。あの日、自分たちを救ってくれたピットブル班の班長だ。
今日は覆面も装備もなく素顔だったが、鋭い眼差しと全身から滲み出る殺気は、戦場で見た時と何一つ変わっていなかった。蛇に睨まれた蛙のように身体が硬直する。一方、隣の男は苦笑しながら一歩前へ出た。
「まあまあ、時間が惜しいです。要件をさっさと済ませましょう。」
柔らかな物腰。知的な雰囲気。眼鏡越しの穏やかな笑み。しかし、その奥に宿る気配だけは尋常ではない。
この男もまた、歴戦の戦士なのだと隼人は本能で理解した。男は杏南へ視線を向け、静かに告げる。
「君、苫米地杏南二等陸士だね? 少し、込み入った話がある。一緒に来てくれるかい?」
突然の呼び出しに杏南は一瞬戸惑ったものの、小さく頷いて2人の後を追う。
歩き出す直前、彼女は一度だけ振り返った。不安そうな視線が隼人と交わる。しかし、その理由を知る者は、この場には誰一人いなかった。
病院の廊下には再び静寂が戻る。残された隼人は、遠ざかる3人の背中を見送ることしかできなかった。
登場人物紹介
段場 隼人……本作の主人公
苫米地 杏南……本作のヒロイン。隼人の同期で恋人
木山 拓哉……隼人や杏南の同期。急性ストレス障害となり退官する
山下 裕介……実は隼人と同じ横須賀出身で、8年前に同じヘリで避難していた。お互いにその事は知らない
諏訪 明登……隼人のことを良く思っていない
坂下ジュリア……杏南に憧れるWAC隊員
※防衛省は、帝国軍の占領下にあるため、東海防衛支局にて葬儀を行いました。
※2)山下、諏訪、杏南、坂下は怪我で入院しています。葬儀は、外出届を出して参列していました。軽傷だった隼人は寮へ戻っていました。杏南の見舞いに来た際に、山下の退官を知ったという流れです。




