第88話 突きつけられる現実
――2020年9月30日 16時50分 月白展望台――
輸送トラックが月白展望台へ到着すると、待機していた衛生隊員たちが一斉に駆け寄ってきた。
「さあ、着いたわよ。手当してもらいなさい。」
トラックの荷台から降ろされた僕たちは、そのまま医療テントへ案内される。
僕自身は歩ける状態だったが、杏南は足に深い裂傷を負い、諏訪一士も全身に大小の傷を負っていた。精神的な衝撃から急性ストレス障害を発症した木山も、すぐに医官の診察を受けることになった。
僕たちを送り届けたピットブル班は、休む間もなく再び前線へ戻っていく。
北海道奪還作戦を戦い抜き、ようやく短い休暇を得たばかりだというのに、今度は首都圏奪還作戦へ投入されている。彼らの背中を見送りながら、僕は頭が下がる思いだった。
「あんたも来なさい。」
「いや、僕は大丈夫です。」
そう答えた瞬間だった。全身から力が抜けた。さっきまで敵の中を走り回っていた身体が、急に鉛のように重くなる。肩、脇腹、脚、気付かないうちに受けていた打撲や擦過傷が、一斉に痛みを訴え始めた。
「うっ……!」
膝が折れ、その場によろめく。
「緊張の糸が切れたんだろう。」
「和戸一尉!」
聞き慣れた声に顔を上げる。そこには包帯を巻いた和戸一尉の姿があった。思わず駆け寄ろうとしたが、一歩踏み出しただけで脇腹に激痛が走る。
「いて……。」
「無理するな、お前も早く治療を受けろ。俺も無傷じゃないから、早く治療を受けたい。」
「すみません……。」
その苦笑は、どこか力がなかった。和戸一尉は智川三曹と共に戦っていたとの事だ。嫌な予感を抱きながら尋ねると、一尉は静かに視線を落とした。
「智川は……やられた。」
「そうですか……。智川三曹が……。」
それ以上、言葉は続かなかった。
和戸一尉もまた、自分だけが生き残ってしまった現実を受け止め切れていないようだった。その表情が、何より雄弁に物語っていた。
ほどなくして、益子一士が矢戸一士を背負ってやって来た。
益子一士も足を負傷していたが、自力で歩いている。しかし、矢戸一士は意識が朦朧としており、全身が血で染まっていた。
「はい、どいてどいて!」
衛生隊員が担架を運び込む。
「こっちは一刻を争う! 急ぎ富士病院へ搬送を!」
周囲では次々と負傷者が運び込まれ、怒号のような指示が飛び交っていた。担架が走る。
止血帯を締める衛生員、無線で搬送先を確認する隊員、遺体確認を急ぐ幹部。駐車場一帯には医療テントが何張りも設営され、展望台とは思えない光景が広がっている。
ここはもう観光地ではない。戦場の最前線を支える野戦病院だった。
「小城や要は無事だろうか……。」
自然と仲間たちの顔が浮かぶ。皆、それぞれ別方向へ散って戦っていた。
「そうだ、瑛松二曹や、亜久二曹はいませんか?」
和戸一尉は静かに首を横へ振った。まだここには到着していない。
だが、信じるしかなかった。あの人たちは僕たちのすぐ近くで最後まで戦っていた。GASTも到着している。きっと、生きて帰ってくる。そう、自分に言い聞かせた。
「コラ! 怪我人はおとなしく中で休んでなさい!」
※片倉 玲子三等陸佐/医官
「申し訳ありません。でも、一緒に戦った仲間を迎えたいんです……。」
杏南は包帯を巻かれたまま医療テントを飛び出していく。諏訪一士も何も言わず、その後を追った。その姿を見て、僕も足を引きずりながら外へ出る。
遠くからエンジン音が近づいてきた。荷台に白いシートを積んだトラックが、静かに月白展望台へ入ってくる。誰も声を上げなかった。皆、その意味を知っていたからだ。
トラックが停止すると、隊員たちは無言のまま荷台を見つめていた。白いシートが、一つ、また一つと並んでいる。整然と。まるで物資でも運んでいるように。
だが、その下にあるのは、もう二度と起き上がることのない仲間たちだった。僕は無意識のうちに歩き出していた。
瑛松二曹だけは違う。きっと違う。そう願いながら、一番手前に置かれたシートの前で足を止めた。
白いシートを前に、僕はしばらく動くことができなかった。手を伸ばせば、現実になってしまう。そう分かっていたからだ。
「……瑛松……二曹……?」
自分でも驚くほど小さな声だった。震える指先でシートの端をつまむ。めくるのが怖い。それでも僕は、ゆっくりと布を持ち上げた。
そこに横たわっていたのは、見慣れた迷彩服だった。しかし、その顔には激しい戦闘の跡が残り、生前の面影は薄れていた。最後まで戦い抜いたことだけが、その姿から痛いほど伝わってくる。
「あ……。」
声にならなかった。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。瑛松二曹だった。間違いなく、僕たちを最後まで守り抜いた瑛松二曹だった。
そのすぐ隣では、杏南が一枚のシートへ駆け寄ろうとして足を止め、その場へ崩れ落ちる。両手で口元を押さえたまま、何も言えない。涙すら流れないほど、大きな衝撃だった。瑛松二曹は、彼女にとっても誰より頼れる上官だった。
一方、少し離れた場所では、諏訪一士が須田二曹の遺体を見つけて立ち尽くしていた。しばらく動かなかった諏訪は、突然、拳を地面へ叩きつけた。
「クソが!!」
乾いた音が展望台に響く。
もう一度、さらにもう一度。
「クソが! クソが!」
拳の皮が破れようとも構わないと言わんばかりに、何度も地面を殴り続ける。
「なんでだよ……!」
その叫びは怒りではなかった。自分自身を責める声だった。
「なんで先輩が死んで、俺が生きてんだよ!」
「クソが!! クソが! クソがー!」
諏訪一士は涙を流しながら叫び続ける。殿を務めた先輩たち。最後まで自分たちを逃がすために戦い続けた人たち。その姿を見捨てて撤退したという現実が、彼の心を容赦なく締めつけていた。
坂下と山下陸士長も、白いシートを見つめたまま言葉を失っている。山下陸士長は、青ざめた顔で震え続け、何かを言おうとしても声にならなかった。つい数十分前まで共に戦っていた先輩たちが、もう二度と立ち上がらない。その事実を受け止め切れないのだ。
「あ……。」
背後から内田 希依准尉が静かに声を掛けた。
「顔は……見るな。もう……痛くない。」(内田)
その声には、衛生隊員として何度も遺体を見送ってきた者だけが持つ優しさが滲んでいた。しかし僕は、その言葉に従うことができなかった。瑛松二曹の隣へ視線を向ける。そこには、さらに4枚の白いシートが並んでいた。
「……亜久二曹も、だ……?」
思わず息を呑む。
「須田二曹、新山三曹、中西三曹まで……。」
5人とも、僕たちを逃がすため最後尾に残った先輩たちだった。誰一人として戻ってこなかった。
その傷だらけの姿は、どれほど壮絶な戦いだったのかを雄弁に物語っている。命を懸けて後輩を守り抜いた。その誇り高い最期を前にしても、僕の胸に込み上げてくるのは感謝ではなかった。
圧倒的な無力感だった。自分は守られただけだった。何一つ返せなかった。その現実が胸を締めつける。
ふと視線を横へ向けると、別のシートの前へ杏南が膝をついていた。静かに、その亡骸へ手を合わせる。
「まひる先輩、帰ってこれて……良かった……。」
震える声だった。生きて帰れなかった。それでも、戻ることだけはできた。その言葉には、そんな願いが込められていた。
「えっ? まっぴー!?」
治療へ向かう途中だった角南陸士長が、その声に反応して駆け寄ってくる。魚見 まひるの姿を見た瞬間、彼女の表情は凍りついた。
「まっぴー……噓でしょ? ねえ、まっぴー……。目を開けて、目を開けてよ!」
何度も名前を呼ぶ。返事が返ってくるはずもない。
「こら、遺体に触れるな!」
制止の声も耳に入らない。朱杏は魚見の肩へすがりついた。
「まっぴー!!」
次の瞬間、彼女の悲鳴が展望台中へ響き渡った。
「う……う……うわあああああああああああああああああああああああああ」
その絶叫は、誰の胸にも突き刺さった。
魚見まひるは、朱杏にとって単なる同期ではない。父と弟を失い、心を閉ざしてしまった彼女へ再び笑顔を教えてくれた親友だった。
その親友が、故郷・小田原へ帰る目前で命を落とした。その残酷さに、誰も言葉を掛けられない。
周囲では、顔を覆う隊員。その場へしゃがみ込み、肩を震わせる者。黙って敬礼を続ける者。それぞれが、それぞれの方法で仲間との別れを受け止めていた。
「う、ううう……ぐすっ、うう……。」
気付けば、僕も涙を流していた。止めようとしても止まらない。次々と運び込まれる白いシート。
泣き崩れる仲間。静かに敬礼する上官。誰もが理解していた。
守るべき仲間を失い、守るべき街を取り返せず、多くの命が失われた。これを勝利と呼ぶことなど、誰にもできなかった。
オペレーション・ギデオン――第七次首都圏奪還作戦は、失敗した。
その事実は、白いシートとなって僕たちの目の前に突きつけられていた。
この日、僕たちは初めて知った。戦争とは、生き残った者さえも容赦なく傷つけ続けるものなのだと。そして、大切な仲間の命は、どれほど願っても二度と戻らないのだと。
第一部 完
登場人物紹介
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公。35普連2中隊所属の二等陸士
苫米地 杏南……隼人の同期で恋人。多大な戦果を挙げるが負傷してしまう
諏訪 明登……謎の力に覚醒した若手
和戸 一暁……35普連2中隊の経験豊富なベテラン
角南 朱杏……まひるとは同期で元バディ
内田 希依……富士病院勤務の看護師。陸准尉
片倉 玲子……富士病院勤務の医師。三等陸佐
亜久 弘夏……理央の同期、享年28歳
瑛松 理央……35普連2中隊の頼れる中堅隊員。享年29歳
須田 寿一……諏訪を導いた上官。享年27歳
新山 岳……35普連2中隊の三等陸曹。享年24歳
中西 蛍……35普連2中隊の若き三等陸曹。享年22歳
※魚見まひると、角南朱杏の関係
朱杏は、地元北海道が帝国軍に侵略された際、父と弟を失いました。その悲しみから暗い影を落とし、感情を表に出さなくなりました。
朱杏は、元々の夢だった保育士になるべく、保育士資格が取れる短大へ進学しましたが、父や弟を殺した帝国軍への怒りがシコリとして残っていました。短大卒業後、父・弟の敵討ちをすべく、自衛官になることを決意。そこで出会ったのが魚見まひるでした。
まひるは、明るい性格で人懐っこく、厳しい訓練の中でも弱音を吐かず、同期を励まし、勇気づけました。そんなまひるとバディを組んだ朱杏は、彼女の明るい性格に惹かれ、徐々に明るさを取り戻していきます。そんな2人は、ただの同期ではなく、親友と呼べる関係にまでなりました。まひるは小田原市出身で、故郷へ向かう直前に戦死してしまいました。




