第85話 最強にして最恐
俺の名は、アイジー・カシカロ。
アステリム帝国陸軍少尉であり、今回の地球侵攻では小田原殲滅隊、第2歩兵連隊、第7大隊、第16中隊、第50小隊を率いている。
長いから、今後は50小隊と呼ぶことにしよう。
ところで、「アイジー」という名前は本来、帝国では女につける名前だ。なのに俺は男である。理由は簡単だ。親父が娘を欲しがっていたからだ。
生まれてきたのが俺だったと知った時は、それはもう露骨に落胆したらしい。挙げ句の果てには、「娘が生まれたら付ける予定だった名前」を、そのまま俺につけやがった。
赤ん坊の頃は、本気で女の子だと思い込んでいた時期まであったそうだ。
……どう思う?
おカシカロう?
…………。
…………。
この鉄板ネタ、地球じゃウケないのか。
まあ、そんなことはどうでもいい。今の俺は、それどころじゃない。俺が率いていた小隊は、俺一人を残して全滅した。目の前にいる、たった一人の男によって。
事の始まりは、自衛隊の敗残兵掃討だった。敗走する敵を一匹残らず始末する。その程度の任務だと思っていた。
だから俺は部隊を3つに分けた。手負いの敵など恐れる必要はない。広く散開した方が効率よく狩れる。そう判断した。
今となっては、それが全ての始まりだった。俺の分隊が山中を進んでいると、一人の兵士が息を切らせて駆け込んできた。
ネイミン・テガ二等兵だった。無線ではない。わざわざ走ってきた。その時点で異変に気付くべきだった。
テガ二等兵以外は、全員戦死。さらに、もう一つの分隊とも連絡が取れない。2個分隊が同時に壊滅するなど信じたくはなかった。だが、生存者を捜索する余裕もない。
敵が近くにいる。そう判断した俺は、そのまま前進を命じた。その判断が、2度目の失敗だった。
歩き始めて間もなく、銃声が響く。
テガ二等兵とマタール・ムッラ一等兵が、ほぼ同時に倒れた。狙撃だ。
「警戒しろ!」
全員が周囲へ銃口を向ける。だが敵は見えない。静寂だけが森を包む。その直後だった。
ラッツ・レゴ一等兵が、音もなく崩れ落ちる。喉が深々と裂かれていた。
「誰がやった?」
答える者はいない。誰も見ていなかった。誰も気配すら感じていなかった。背筋を冷たいものが走る。
次の瞬間、スラヴァト・アモロ伍長の身体が、ゆっくりと前へ倒れた。その胸には、一筋の斬撃が走っていた。
そこでようやく理解する。
俺の2個分隊を壊滅させた奴は、もう近くまで来ている。
いや──。最初から、この森の中にいたのだ。
その時、通信士から慌てたような通信が来た。
『少尉! 2個分隊をやった敵が、こちらへ向かっています! 全力で逃げろとのことです!』
……いや。
遅い。
遅すぎる。
その「敵」は、もう目の前にいる。
グーカン・エンゴナン上等兵を地面へ押さえつけ、四肢を切り刻み、その背中へ刀で何かを書いている。
遊んでいる。まるで獲物をいたぶる猛獣だった。
「いっそ殺してくれぇ!」
エンゴナン上等兵の絶叫が山中へ響く。
助けたい。
本当に助けたい。
もちろん助けようともした。
だが、一歩踏み込めば死ぬ。
理屈ではない。
本能がそう告げていた。
奴の放つ殺気だけで、足が竦む。
え?
「機関銃を撃てばいいだろ」って?
撃った。
もちろん撃った。
何百発も撃った。
だが、あの男は刀で銃弾を弾き返した。
一発ではない。
二発でもない。
何度も、何度もだ。
先に尽きたのは、俺たちの弾薬だった。
……何なんだ。
あいつは、本当に地球の下等生物なのか。
男は、エンゴナンへ向けていた刀を静かに引き抜いた。刃から滴る血が地面へ落ちるたび、赤黒い染みがゆっくりと広がっていく。やがて男は、興味を失ったように一言だけ呟いた。
「飽きた。」
その声に感情はなかった。次の瞬間、刃が一閃する。エンゴナンの苦鳴は、一瞬で途絶えた。残されたのは、凄惨な死体だけだった。
男は振り返る。
視線の先には、ただ一人生き残ったこの俺、アイジー・カシカロ少尉が立ち尽くしていた。
全身が震える。
武器を握る力など、とうに失われていた。
(勝てない。)
それだけは理解できた。
目の前の男は、自分が知る「強い兵士」という枠組みから完全にはみ出している。
銃撃は通じない。
接近戦になれば一瞬で斬られる。
逃げようにも、背を向けた瞬間に殺される未来しか見えなかった。
カシカロはゆっくりと機関銃を地面へ置く。
腰の拳銃を外し、手榴弾もナイフも投げ捨てた。
両手を頭上へ掲げる。
「降参する! 俺は降参する!」
日本語で叫ぶ。
必死だった。
無様でも構わない。
生き残れるなら、それでいい。
しかし男は答えない。
ただ静かにこちらを見つめ、小さく唇を動かした。
(……どうやって殺そうか。)
読唇術で、その言葉だけは理解できた。
(ちょ、ちょっと待て。)
背筋を冷たいものが駆け上がる。
(自衛隊って、降伏した兵士は殺さないんじゃなかったのか?)
教本にもそう書いてあった。
だから降伏した。
なのに、この男は最初から殺すつもりでいる。
(それは、おカシカロう!?)
笑う余裕などない。
それでも頭のどこかで、そんなくだらない言葉だけが浮かんでしまう。
「お願いだ! 助けてくれ! 命だけは! 俺は今からあんた等につく! 帝国軍の情報も話すから、頼む!」
情けない声だった。
軍人としての誇りなど、もう残っていない。
生きたい。
ただ、それだけだった。
男はゆっくりと歩き始める。
一歩、また一歩。
血に濡れた刀を下げたまま、静かに距離を詰めてくる。
そして、冷え切った瞳でカシカロを見下ろした。
「お前らは、そうやって命乞いをした奴等を生かしたのか?」
返事ができない。
喉が動かない。
「自分だけ生き残ろうだなんて、虫が良すぎると思わないか?」
その言葉に込められた怒気は、叫び声よりも恐ろしかった。
帝国軍がこれまで地球で何をしてきたのか。
この男は、その全てを見てきたのだろう。
(駄目だ……。)
膝から力が抜ける。
(殺される。)
「こ、殺さないでくれ……。」
情けなく懇願する声だけが漏れた。
男は刀を握り直す。
「安心しろ。早く死にたいと思うくらい、痛めつけてから殺してやる。」
「全然安心でき――」
最後まで言い終えることはできなかった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!!」
山中に絶叫が響き渡る。
何度も、何度も。
やがて悲鳴は嗚咽へ変わり、それすら次第に力を失っていった。
どれほど時間が経ったのか。
男は、目の前で泣き叫ぶだけの肉塊となったカシカロを見下ろしていた。そこに、もはや帝国軍少尉としての面影はない。恐怖と激痛によって心は壊れ、自我すら失われていた。
男は小さく息を吐く。
「しまった……。」
我に返ったように周囲を見回す。
「まだ敵は残っているのに、何をやってるんだ、俺は……。」
感情に任せて時間を使い過ぎた。
その事実だけが、男には悔やまれた。
刀が静かに振り上げられる。
一閃。
カシカロの首は地面へ転がった。
男は血の付いた刀身を見つめる。
赤く染まった刃には、自分の顔がぼんやりと映っていた。
「時間を無駄にしてしまった。」
誰に言うでもなく呟くと、男は刀を払い、再び戦場へ歩き出す。
登場人物紹介
アイジー・カシカロ
種族・性別・エルフ族の男性
所属・階級:陸軍少尉、第50歩兵小隊の小隊長
備考:とある自衛官により凄惨な死に方をした。
※とある自衛官に成す術なく殺られた皆さん
ネイミン・テガ……陸軍二等兵。ドワーフ族の男性。
マタール・ムッラ……帝国陸軍一等兵。ドワーフ族の男性。
ラッツ・レゴ……帝国陸軍一等兵。エルフ族の男性。
スラヴァト・アモロ……帝国陸軍伍長。ハーフエルフの男性。
グーカン・エンゴナン……帝国陸軍上等兵。リザードマン族の男性。




