第82話 繋げる者たち
「渚、山下、聞こえる?」
「はい。」
「新人を連れて逃げなさい。」
「瑛松二曹はどうされるのですか?」
「殿を務める。」
その一言に、空気が凍りついた。
殿――その意味は、僕にも分かった。
「……しんがり?」
思わず漏れた声は、自分でも驚くほど震えていた。そんなのは無茶だ。殿を務めるということは、最後まで敵を食い止めるということだ。生きて戻れる保証など、どこにもない。
「待ってください! 僕も残って戦います! 一緒に戦わせて下さい!」
叫びながら駆け寄ろうとした僕を、誰も責めなかった。
「ここで逃げたら、皆を見殺しにすることになる!」
それが本心だった。
仲間を置き去りにして、自分だけ生き延びるなど考えられない。
しかし、新山三曹は小さく笑った。
「お前はまだヒヨッコだ。残ったところで足手まといにしかならん。心配するな、死ぬつもりはねぇよ。」
軽口のように聞こえたが、その声には覚悟が滲んでいた。続いて亜久二曹が静かに言う。
「後輩を守るのが、先輩の務めだ。」
その言葉に続けるように、須田二曹が諏訪へ視線を向けた。
「諏訪、お前なら分かるだろ? この意味が。」
「須田二曹……」
諏訪は何も言わず目を閉じ、小さく頷いた。その姿を見て、僕は理解した。諏訪一士は分かったんだ。先輩たちが何を託そうとしているのかを。
生き残ること。
それこそが、ここで倒れた仲間たちと、これから命を懸ける先輩たちの願いなのだと。
「この戦いは負けだ。それでも、お前らは生きろ! 生きている限り、反撃のチャンスはある!」
「………了解しました……。」
山下陸士長は苦しそうに返事を絞り出した。
「渚さん、行きましょう。」
「うん、そうだね……。」
2人とも顔を上げることができない。
誰もが分かっていた。ここへ残る先輩たちは、自分たちが助かるとは思っていない。だからこそ、その命を後輩へ繋ごうとしている。
「嫌です、一緒に戦わせて下さい!」
それでも僕は食い下がった。もう誰にも死んでほしくなかった。ここで一人でも多く残れば、その分だけ助かる命が増えるかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
「駄目だ! お前たちは生きろ! ここで死ぬ必要はない!」
「でも……。」
言い返そうとした、その瞬間だった。
吉良三尉が敵弾を浴びて倒れた。続いて浅井一曹も胸を押さえ、膝をつく。2人とも弾薬を撃ち尽くし、戦死した仲間や討ち取った敵兵の小銃を拾おうとしていた。敵は、それを読んでいた。
銃剣へ持ち替えて突撃したものの、その切っ先が届くより早く、敵の刃が浅井一曹を貫いた。
「何やってるんだ……あいつ等……。」
その言葉を最後に、浅井一曹は動かなくなった。一瞬の沈黙を、中西三曹の怒鳴り声が切り裂く。
「早く行け! このままじゃウチ等は無駄死にだ!」
亜久二曹も即座に命じる。
「手塚、糸原、お前はついていけ。渚、山下を引っ張ってやれ。」
「……了解しました。」
手塚三曹と糸原三曹の返事は短かった。坂下二士は涙をこらえながら呟く。
「皆さん……。死なないで……。」
諏訪一士が僕を振り返る。
「おい、段場! 早くしろ馬鹿野郎が!」
その時だった。杏南が、そっと僕の腕を掴んだ。
「隼人……。行こう……。」
その手は小刻みに震えていた。声も震えていた。杏南だって、本当は残りたいはずだ。いや、この場にいる誰一人として、先輩たちを置いて逃げたい者などいない。それでも――僕らが生き延びることこそが、この人たちの願いなのだ。
「撤退するぞ! このまま全滅しては意味がない!」
山下陸士長の声が響く。僕は唇を強く噛み締めた。鉄の味が口いっぱいに広がる。それでも、何一つ言葉は出なかった。ただ、胸の奥で何かが音を立てて崩れていくような気がした。
「皆、生きて帰ってね。そして、いつか絶対に勝ってね。」
瑛松二曹は穏やかな笑みを浮かべていた。その笑顔は、まるで僕たちの背中を押すためだけに作られたものだった。
「考えてたことは同じだったようだな。」
亜久が苦笑する。
「そうみたいね。」
理央も肩をすくめるように笑った。
「はあ、これで俺達もおしまいか。こんな事なら、俺達付き合っておけば良かったな。」
「私は嫌よ。これから死ぬ男になんて興味ないわ。」
「愛してるよ。」
「はいはい。」
「ちっ、連れないなぁ。」
「貴方に魅力がないからよ。」
「悲しいこと言うなよ。」
軽口を交わす2人の姿は、不思議なくらい自然だった。死を目前にしているとは思えないほど、穏やかな時間がそこには流れていた。やがて理央は前を向き、小銃を構える。
「さあ、最期の任務よ。後輩達の未来を守りましょう。」
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公。35普連2中隊所属の二等陸士
苫米地 杏南……隼人の同期で恋人。多大な戦果を挙げるが負傷してしまう
瑛松 理央……35普連2中隊の二等陸曹
渚 恭平……脱サラして自衛官になった
山下 裕介……渚の同期
坂下 ジュリア……35普連3中隊の新人
糸原 ツヅラ……第4施設群所属の三等陸曹
手塚 泰二郎……35普連2中隊所属の三等陸曹
亜久 弘夏……理央と同期の二等陸曹
須田 寿一……35普連2中隊の二等陸曹
新山 岳……35普連2中隊の三等陸曹
中西 蛍……35普連2中隊の三等陸曹
諏訪 明登……謎の力に覚醒
※亜久は高校卒業後に入隊。理央は、高校卒業後に就職した会社がブラックだったので、半年で退職し、その後、自衛官の試験を受けました。会社員時代よりも自候生時代の方が理不尽さを感じていましたが、同期との絆で乗り切りました。その1人が亜久です。そして、数々の戦場を経験した結果、唯一の新人隊員教育隊での同期となってしまいました。
終盤の2人の掛け合いは、ただの軽口です。ただ、理央の「私は嫌よ」と、「貴方に魅力がないからよ。」は本心です。亜久は同期として信頼に足る存在でしたが、”男”としては魅力がなかったようです。




