第76話 血筋
――2020年9月30日 7時30分 成田空港――
成田空港の朝は、普段であれば航空機の離着陸音で始まる。しかし今、空港施設に響いているのは、それとはまるで異なる轟音だった。遠くから断続的に伝わる爆発音と銃声が、司令部として使用されている管制塔の窓ガラスを微かに震わせている。
身支度を整えたタイタス・アイホロジェ陸軍准将は、その音に眉をひそめながら廊下を歩いていた。
「何やら兵が騒がしいな……。」
成田防衛隊司令官である彼は、そのまま足早に管制塔へ向かう。
タイタスはアステリム帝国四大貴族の一つ、アイホロジェ家の血を引く人物だった。本家筋の三男として生まれたため家督を継ぐことは叶わなかったが、軍人として武勲を重ね、今では千葉県方面軍を率いる地位に就いている。
そんな彼の胸に、得体の知れない不安が静かに広がっていた。爆発音は、確実に近づいている。
――成田空港 管制塔――
管制塔へ足を踏み入れるなり、タイタスは鋭い声を飛ばした。
「何事だ?」
慌ただしく動き回っていた士官たちが一斉に振り返る。
「准将殿!」
ラーミー・スハイル中尉が敬礼すると、そのまま緊張した面持ちで報告を始めた。
「こちらへ向かう装甲列車の中にネズミが混じっていました。現在、近衛中隊が戦闘中です。」
オペレーター席に座るモモ・イザトック空軍准尉も続ける。
「戦闘開始から約30分が経過しています。」
タイタスは苦々しく息を吐いた。
「むう……。呑気に寝ている場合ではなかったか……。」
敵の侵入を許し、自らその報告で目を覚ましたことが、軍人として何よりも屈辱だった。彼はすぐに気持ちを切り替え、スハイルへ向き直る。
「ラーミー、状況を整理しろ。何が起きた? 近衛中隊が手間取っているということは、ただのゲリラではないのだろう。」
「申し上げます。」
スハイルは一度唾を飲み込み、報告を続けた。
「列車内に潜伏していたネズミは、第1空挺団と呼ばれる部隊です。」
その瞬間、タイタスの表情が険しく変わった。
「馬鹿な。」
思わず机へ身を乗り出す。
「利根川水郷地帯は、対空砲と伏兵部隊によって制空権を確保していたはずだ。なぜ、その空港中枢にまで迫れる?」
「詳細は判明しておりません。しかし奴らは、我々の装甲車両を鹵獲した模様です。さらに、水郷地帯へ展開していた哨戒部隊も壊滅しました。」
「壊滅だと?」
タイタスの声が管制塔へ響く。
「あそこにはゼファーとゲンナーの小隊を配置していた。入念に準備した防衛線だ。それが、たかが下等生物の降下部隊ごときに……。アストロはどうした!」
「アストロ中佐殿は、用事があると早朝から出払っております。」
「ならば貴様が全権を取り、迎撃部隊を編成しろ!」
「しかし現在動かせるのは予備隊のみです。各部隊を集結させても、到着まで40分ほど掛かります。」
「いいからさっさと呼べ!」
「りょ……了解しました。」
怒号を浴びたスハイルは慌てて通信席へ走る。しかし、タイタスの焦りはそれだけでは収まらなかった。険しい表情のまま、さらに問い掛ける。
「近衛中隊の戦況は? 誰が指揮している!」
スハイルは一瞬だけ口を閉ざした。嫌な予感が胸をよぎる。
「ニーファ・マカベリー中尉です。そして……」
「そして何だ。言え!」
タイタスの一喝に、スハイルは覚悟を決めた。
「中隊には、アレン・アイホロジェ少尉が実習という形で合流し、ネズミの排除に参加しております。」
その一言で、タイタスの顔から血の気が引いた。
「……何だと。」
かすれた声が漏れる。アイホロジェ家では、本家の者は軍務によって武功を立て、その功績で家門の威光を保つことが代々の務めとされていた。
アレンは現当主ザクソン・アイホロジェの嫡男。家督継承の最有力候補であり、家門の未来そのものと言える存在だった。そして子に恵まれなかったタイタスにとっても、その甥は実の息子同然の存在だった。
「馬鹿な!」
拳が机へ叩きつけられる。
「この遠征は、アレンの戦功を積むための場だと兄上から聞いている! それを前線にだと!? ニーファは何をしている! 即座にアレンを後方へ下げさせろ! 彼は戦うべきではない!」
スハイルは苦渋の表情を浮かべる。
「しかし、マカベリー中尉は現在、敵の抵抗を鎮圧するため先頭で指揮を執っています。通信は混乱しており、准将殿の命令は現場へ届きません。」
タイタスは唇を強く噛み締めた。司令官としてではない。一人の叔父としての焦燥が、その胸を激しく締め付けていた。
タイタスは通信卓へ身を乗り出した。
「通信を確保しろ! 何としてもアレンを戦場から離脱させろ! 近衛中隊を消耗させるな! アレンを失えば、アイホロジェの血が……帝国の至宝が失われるぞ!」
その叫びは、もはや成田防衛隊司令官としての命令ではなかった。家門の未来を背負う甥を守りたい――ただ、その一念だけが彼を突き動かしていた。管制塔に居並ぶ士官たちは顔を見合わせる。司令官がこれほどまで取り乱す姿を、誰一人として見たことがなかった。
その重苦しい空気を振り払うように、スハイルはオペレーター席へ向き直る。
「イザトック!」
「はい。」
「空港内の戦闘状況を視覚情報へ切り替えろ。アレン少尉の所在を確認する!」
「了解。」
モモ・イザトックは素早く端末を操作した。
管制塔正面の大型モニターが切り替わり、近衛中隊員のヘルメットカメラから送られてくる映像が映し出される。煙が充満した空港施設の通路。
壁には銃弾の痕が無数に刻まれ、床には砕けたコンクリート片と鮮血が散乱していた。その最前線で部下へ指示を飛ばしていたのは、天使族の女性士官、ニーファ・マカベリー中尉だった。
「左翼を下げるな! 通路を死守しろ!」
部下たちが応戦する中、そのすぐ後方には一人の青年がいた。青年士官、アレン・アイホロジェ少尉。ライフルは構えているものの、その肩は強張り、周囲へ向ける視線にも戦場経験の浅さが滲んでいる。歴戦の兵士たちとは明らかに空気が違っていた。
大型モニターを見つめるタイタスは、思わず拳を握り締める。
「アレン……。」
その時だった。画面が大きく揺れた。
「中尉! 側面を破られました! 敵が流れてきます!」
叫び声が飛ぶ。爆風に煽られながらも、マカベリーは即座に状況を立て直そうとした。
「冷静になれ! アレン少尉、あなたは直ちに後方へ――」
言葉は最後まで続かなかった。破られた側面から炎と破片が一気に吹き込み、映像は激しく乱れる。次の瞬間、画面いっぱいに白いノイズが走った。通信は完全に途絶えた。
「アレン! アレン!」
タイタスの悲鳴が管制塔へ響き渡る。イザトックは慌ただしく端末を操作した。
「通信途絶! 空港内部、状況不明です!」
「くそっ……!」
タイタスは机を力任せに叩きつける。
「貴様ら、一体何をしている! ゴミ共め……許さんぞ!」
怒りの矛先は、もはや現場の近衛中隊ではなかった。利根川水郷地帯で哨戒部隊を壊滅させ、防衛線を突破し、装甲車まで鹵獲して成田へ侵入した日本軍空挺団。すべての元凶は彼らだという憎悪だけが、タイタスの胸を支配していた。その目には、司令官としての冷静さはもう残っていない。
ただ、家門を脅かす敵への激しい敵意だけが燃えていた。タイタスは振り返り、スハイルへ鋭く命じる。
「ラーミー!」
「はっ!」
「迎撃部隊の編成が終わり次第、水郷地帯壊滅の原因を徹底的に調べろ。そして、あの下等生物どもに我々の戦力の全てを見せつけてやれ!」
「了解しました!」
スハイルは敬礼すると、再び通信席へ駆け戻っていく。管制塔では次々と命令が飛び交い、迎撃部隊の編成が急ピッチで進められていた。しかし、その慌ただしさとは対照的に、タイタスは大型モニターを見つめたまま微動だにしなかった。そこに映るのは、通信を失ったまま砂嵐を映し続ける画面だけだった。
アレンは生きているのか。それとも――。誰にも分からない。
その頃、成田空港地下を張り巡らされた下水管では、闇に紛れた一団が静かに歩みを進めていた。先頭の隊員が腕時計型端末へ目を落とし、小さく告げる。
「目的地到着。」
後方の隊員が周囲を警戒しながら頷く。
「予定通りだ。」
短い沈黙の後、指揮官が静かに命じた。
「これより、作戦を開始する。」
湿った地下通路に、その声だけが静かに響いた。
登場人物紹介
タイタス・アイホロジェ
種族・性別:ヒト族の男性
所属・階級:陸軍准将、成田防衛隊最高司令官
備考:帝国4大貴族の本家筋三男。兄のザクソン・アイホロジェが家督を継ぎ、自身は軍人として出世する。
モモ・イザトック……モモンガ型獣人族の女性。空軍准尉で、管制塔でオペレーターを務める
ラーミー・スハイル……陸軍中尉で、天使族の男性。テリムト作戦参謀部所属
ニーファ・マカベリー……陸軍中尉で、天使族の女性。成田防衛隊・近衛中隊長
アレン・アイホロジェ……陸軍少尉。タイタスの甥で、アイホロジェ家の嫡男
ゼファー……ゼファー・チョウジュン少尉……前話で空挺団に倒された小隊長の1人
ゲンナー……ゲンナー・ムンチ少尉……前話で空挺団に倒された小隊長の1人
※近衛隊……司令官及び指揮官が貴族だった場合に、護衛として配属される部隊。司令部の管轄。男爵→1個支隊、子爵→1個分隊、伯爵→1個小隊、公爵→1個中隊、王族→1個大隊が与えられる。
※2)帝国4大貴族……アステリム帝国は、国を5分割しており、中央を王族が、東部をアルアパ家、西部をアポロ家、南方をアイホロジェ家、北方をアリステロム家が統治しています。4大貴族の爵位は公爵です。
※3)アステリム帝国は、アステリム大陸という1つの大陸が国でしたが、過去に「帝国憎し」の風潮から、独立戦争を行い、南部の複数地域が独立して国となりました。年月の経過とともに、各国、「帝国憎し」の風潮は消えましたが、帝国南部の国境線にある「バウト王国」はまだ「帝国憎し」の状態であり、国境を挟んで緊張状態が続いています。
その為、南部を統治するアイホロジェ家は、他の4大貴族と違い、戦争を身近に感じています。アイホロジェ家は、有事に備えて戦えるように、一族に兵役を課しています。




