第75話 鹵獲作戦
――2020年9月30日 千葉県柴崎町・利根川水郷地帯――
闇を裂くように、CH-47JA輸送ヘリから降下索が垂れ下がる。先頭を任された加呂 翼三等陸曹は、ロープを滑り降り、湿った泥へ膝をついて着地した。素早くフックを外し、小銃を構えて周囲へ視線を走らせる。
降下直後に浴びせられるはずだった銃撃は――来ない。耳に届くのは、風が稲穂を揺らす音と、水路を流れる水音だけだった。
「敵影なし! 静かすぎます!」
報告が夜明け前の水田地帯へ響く。水路にも、畦道にも、人影はない。利根川水郷地帯特有の入り組んだ水路は、奇襲には絶好の地形であるはずだった。にもかかわらず、そこには伏兵の気配すら感じられなかった。続いて降下した小柳も周囲を一瞥すると、防水加工された地図を取り出した。
第1空挺団第1大隊は訓練どおりに降下を終え、水田の中でわずかに盛り上がった高台へ各小隊が速やかに集結していく。混乱はない。負傷者もいない。あまりにも順調だった。
『森間陸将補、こちら第1大隊。降下地点の確保を完了。敵の抵抗なし。全隊、損耗なし。』
落ち着いた声で報告を終えた小柳だったが、その視線は絶えず周囲を警戒し続けていた。隣で警戒に当たる加呂が、小さく息を飲む。
「大隊長、この沈黙は……」
「わかっている。だが、我々の任務はここではない。」
短く答えた小柳は、地図の一点へ指を置く。その先にあるのは、成田空港だった。
「全隊に告ぐ。ここからが戦いだ! 敵の待ち伏せがあるとしても、この機に乗じて一気に敵中枢を叩く。進軍開始!」
号令と同時に、大隊は縦隊を組んで前進を開始した。夜明け前の薄闇の中、半長靴が湿った畦道を踏み締める音だけが静かに続く。隊員たちは互いに間隔を保ち、水路や用水路へ警戒を向けながら歩を進めていく。しかし、誰もが同じ違和感を抱いていた。
――静かすぎる。
利根川水郷地帯は、水中戦を得意とする半漁族が最も力を発揮できる場所だ。水路から突然襲い掛かってくる敵を想定し、全員が神経を張り詰めていた。だが、何も起きない。
百合﨑 立司二等陸曹が辺りを見回しながら口を開く。
「おい、本当に敵がいないのか?」
範 来人一等陸曹も小銃を構えたまま、水路へ視線を送る。
「この辺で、半漁人の奴らが水路で待ち伏せていても、おかしくないが……。」
隊員たちが最も警戒していたのは、水中からの奇襲だった。しかし、特戦群からもたらされた情報どおり、水路にも田んぼにも敵影は見当たらない。小柳は進軍速度を落とさず、無線機へ手を添えた。
(偵察隊の報告は正確だった。だが、敵の対空砲が沈黙した理由は? そして、水中にいるはずの奴らが消えた理由は?)
疑問は増える一方だった。作戦はあまりにも順調に進みすぎている。
(このまま第2大隊、第3大隊を降下させても問題ないのか……。)
答えは出ない。だからといって立ち止まることも許されない。小柳は表情を変えぬまま、先頭を歩き続けた。やがて水田地帯を抜け、市街地が視界へ入り始めた。
その瞬間、先頭を進む比嘉 篤志二等陸尉が思わず足を止める。
「街が……復興している!?」
隊員たちも息を呑んだ。そこに広がっていたのは、彼らが想像していた廃墟ではなかった。
道路は補修され、街路は整然と区画整理されている。建物の窓には灯りがともり、人が生活していることを示す痕跡が随所に残されていた。
川屋 英明二等陸尉が低く呟く。
「生活の跡もあるな。」
グーリエ星人が占領して8年。日本人が暮らしていた街は朽ち果てていると思っていた。しかし、現実は正反対だった。
薮下 栄龍三等陸曹が街並みを見渡しながら言う。
「奴らは地球を住処にするみたいだし、街を綺麗にしてても不思議じゃない。」
その言葉に、粟母 憲久三等陸曹は苦々しく吐き捨てた。
「この街に住む方の土地を奪い、のうのうと暮らしやがって……。許せねぇ……。」
加呂も複雑な表情で街を見つめる。
「この街で生活している奴が、全員グーリエ星人だとしたら、奴らは地球に何人いるんだ?」
「……もう移住が始まってるってことだろ。」
薮下の返答に、小柳は眉をわずかにひそめた。
(そう考えるのは早計と思うが……。今は推測している場合じゃない。)
彼らの任務は敵の実態を調査することではない。成田へ到達し、作戦の突破口を切り開くことだ。隊員たちの視線が街並みに奪われていることへ気付いた小柳は、雷鳴のような怒声を飛ばした。
「おい、てめぇら! 無駄口叩いてねぇで集中しろ!」
一瞬で部隊の空気が引き締まる。小柳は前方を見据えたまま続けた。
「大隊各員へ。ここから成田まで徒歩で進む余裕はない。線路沿いの補給拠点を強襲し、敵の装甲車両を奪う。移動速度を上げろ、駆け足!」
「了解!」
号令とともに、第1大隊は速度を上げた。朝靄の中を駆け抜ける空挺隊員たちの視線は、すでに次の目標――線路沿いに設けられた帝国軍補給拠点へ向けられていた。
隊員たちは一斉に速度を上げ、水田地帯を駆け抜ける。その時だった。静寂を切り裂くように、水路から泥水を跳ね上げる独特の駆動音が響く。
「敵影!」
加呂が双眼鏡を構えたまま叫ぶ。
「水路からリザードマンの遊撃班! 規模は2個小隊!」
ようやく姿を現した敵に、小柳は即座に命令を飛ばす。
「川屋! 比嘉! 2個小隊で排除しろ!」
「了解!」
「範は突入班を率いて車両を奪え。」
小柳は線路脇の補給拠点を睨み据えた。
「航空機が来る前に必ず確保するぞ!」
「了解!」
命令と同時に、空挺隊員たちは一斉に堤防道路へ駆け上がった。その先、駅舎の陰には六輪装甲車が数両、補給を受けながら待機している。地球製車両とは比較にならない防御力を誇る、グーリエ軍の装甲戦闘車両だった。
空挺隊員たちは堤防道路へと駆け上がった。
目標は、運休した駅舎の陰に偽装配置されたグーリエ軍の六輪装甲車である。地球の装甲車を遥かに凌ぐ防御力を備えた帝国軍の主力車両だ。薮下が光学照準器を覗き込み、小さく告げた。
「敵歩哨、2名」
歩哨の一人が駅舎の周囲を見回し、もう一人は装甲車の側面に立って周囲を警戒している。その様子からも、自衛隊がここまで踏み込んでくるとは考えていないことが窺えた。
「何故敵がここに?」
「利根川で足止めしていたはずじゃ……。」
戸惑いの声が漏れる。しかし小柳は一切動じなかった。
「加呂、一瞬で終わらせろ」
「了解」
加呂は伏せたまま対物ライフルへ対装甲徹甲弾を装填する。その横で小柳は懐から通信妨害装置を取り出し、静かに電源を入れた。帝国軍の通信網が乱れ始める。
「仕掛けろ!」
重々しい発射音が朝の空気を震わせた。
2発の徹甲弾は狙い違わず歩哨の頭部を貫き、ヘルメットごと吹き飛ばす。突然の攻撃に周囲の兵士たちが何事かと振り向いた時には、すでに空挺隊員たちは装甲車へ向かって疾走していた。
「行け!」
範の号令と同時に突入班がハッチへ取り付く。ハッチが開いた瞬間、内部へスタングレネードが投げ込まれた。閃光と炸裂音が密閉された車内を満たし、悲鳴が響く。
加呂たちは一気に車内へ雪崩れ込み、混乱した搭乗員を引きずり出して次々と拘束していく。
「小柳二佐! 装甲車確保! ……ですが、電子ロックが掛かっています!」
加呂の報告を聞くや否や、小柳は無線機を握った。
「電子作戦隊、こいつの認証を抜け!」
『……小柳二佐、無茶言わないでください。グーリエの暗号体系ですよ? 解析に3時間は欲しい』
「30分でやれ!」
『無茶だ! 3時間もだいぶ無理な設定で物理的に……え?』
突然、無線の向こうで相手の声が止まった。次の瞬間、装甲車内部のコンソールが淡い緑色に発光する。電子音が短く鳴り響き、自動ロックされていたハッチが静かに解除された。
「一体何が?」
誰かが思わず呟いた。その時、無線へ別の声が割り込む。
『……安心して下さい。私も自衛隊の者です』
無機質で冷徹な口調だった。しかし、その周波数はどこか聞き覚えがある。
『空挺団の皆さん、健闘を祈ります』
短い沈黙の後、その人物は誰かへ向けて続けた。
「……これでいいですか、群長?」
「ああ、上出来だ」
通信はそこで途切れた。装甲車の周囲に一瞬だけ静寂が戻る。加呂は無線機を見つめたまま呆然と呟いた。
「今の、一体……」
一方、小柳だけは小さく口元を緩めた。
「なるほど……。あいつらか。」
その正体を口にはしない。今は問い詰める時間などないのだ。小柳は装甲車の車体を軽く叩き、大きく号令を飛ばした。
「よし、総員搭乗! この地獄を脱出し、さらなる地獄へ向かうぞ!」
エンジンが低く唸りを上げる。
鹵獲された六輪装甲車は黒煙を吐きながら幹線道路へ躍り出ると、そのまま成田方面へ向けて一気に加速した。しかし、小柳の胸に宿る違和感だけは消えなかった。敵の抵抗はあまりにも薄く、装甲車の鹵獲も信じられないほど順調だった。
成田は近い。――近すぎるほどに。
登場人物紹介
第1空挺団 第1普通科大隊
小柳 傑二等陸佐(大隊長)
川屋 英明二等陸尉
比嘉 篤志二等陸尉
範 来人一等陸曹
百合﨑(ゆりさき) 立司二等陸曹
粟母 憲久三等陸曹
加呂 翼三等陸曹
薮下 栄龍三等陸曹




