第7話 オペレーション・ギデオン開始
湯河原町に入る直前、神奈川県と静岡県の県境を越え、標高が下がり始めた場所で、僕らは第34普通科連隊の情報小隊と合流した。彼らから伝えられたのは、湯河原町に残された住民の情報や道路の封鎖状況、そして敵の活動が「完全に途絶えている」という異様な報告だった。
「この街を手放したということ?」
下葛三曹が怪訝な顔で尋ねると、情報小隊の隊員は首を横に振った。
「それはないだろう。奴らは地球の征服が目標だからな。この先に罠を張っている可能性を視ているが……。奴らが何故、活動を隠密にしているのかは不明だ。」
結局、敵が姿を消した理由については、情報小隊も掴めていなかった。報告が一通り終わると、第35普通科連隊長の片桐一佐が隊員たちを労った。
「ご苦労だった。後は、我が35普連の情報小隊が任務を引き継ぐ。郷、頼むぞ。」
「了解しました」
片桐一佐の指示に応じたのは、第35普連の情報小隊長、郷 昴流三等陸尉だった。郷三尉は第34普通科連隊の情報小隊から必要な情報を引き継ぎ、今後の偵察に備えた。
情報小隊間の引き継ぎが終了すると、第35普通科連隊は国道135号線へと向かった。僕ら第2中隊は、先行する情報小隊から百メートルほど距離を保ちながら前進したが、道路上には割れたガラスの破片が散乱し、アスファルトにはタイヤ痕だけが残されていた。
国道135号線には車の気配がなく、交差点の信号機だけが、通る者のいない道路に向けて赤と青を繰り返していた。聞こえてくるのは、風に揺れる看板の軋みと、遠くから届く波の音ばかりで、普段なら街の至るところから感じられるはずの人の営みが、すっかり失われていた。
僕の近くを歩いていた下葛三曹も、悲しそうな表情で街並みを見つめていた。彼女の故郷である熱海市も、すでにゴーストタウンと化している。湯河原の惨状を目の当たりにして、故郷の光景を思い出しているのかもしれなかった。そんな彼女の姿を見ているうちに、僕も熱海を通過したときに感じた、故郷への不安を思い出していた。ここは僕の生まれ育った街ではない。それでも、人の姿が消え、無残なほど静まり返った街を見るたびに、横須賀に残された人たちのことを考えずにはいられなかった。
(もし、横須賀もこんな風になっていたら、故郷の逃げ遅れた皆も、この張り詰めた静寂の中で、助けを待っているのだろうか……。)
そう考えると胸が締め付けられたが、同時に、この静寂を打ち破るために僕らはここへ来たのだと、改めて思い知らされた。ふと海へ目を向けると、遠くの水平線に灰色の艦影がいくつか並んでいるのが見えた。
「駿河湾の艦隊か……。」
僕は思わず呟いた。
海上自衛隊は駿河湾に防衛線を敷いている。相模湾がすでに敵の勢力圏となっている以上、あの艦隊も緊張を強いられているはずだった。しかし、今のところ海上にも陸上にもグーリエ星人の姿は見えない。それどころか、今回の作戦が始まってから、どの部隊も敵と遭遇したという報告を受けていなかった。事前の情報と一致しているとはいえ、これほど敵の気配がないことが、かえって不気味に思えた。
「人の気配、本当にありませんね……」
僕が不安げに呟くと、隣を歩いていた江鹿一曹が静かに答えた。彼は小銃を保持したまま、引き金に指を掛けることなく、周囲へ注意を向けていた。
「情報では聞いていたが……ここまで静かだと逆に気味が悪いな」
「ねー、本当に静かすぎて怖いわ。まるで撮影所のセットみたで、どこからか 『カット!』って声が聞こえてきそう。んで、夜になったら絶対出るよ、ここ」
魚見陸士長が冗談めかして言うと、地頭 孝之陸曹長が低い声で注意した。
「遊んでいる場合ではないぞ、魚見、目を離すな。」
地頭曹長は、かつて第32普通科連隊に所属し、首都圏陥落時の激戦を経験した歴戦の隊員だった。その経験からか、周囲の建物や路地に目を配り、少しの異変も見逃すまいとしている。
「しかし、本当に誰もいないと考えるべきではない。俺達が見つけられていないだけだ。奴らは巧妙に隠れている可能性が高い。」
「はーい!」
魚見士長は地頭曹長の注意に返事をしたが、その傍らにいた瑛松理央二曹は何も言わず、周囲への警戒を続けていた。
やがて、第2中隊長の園山 勇将三等陸佐が無線機を手に取った。
「智川、敵の痕跡は見つかったか?」
『こちら、智川。ビルの屋上、建物の隙間も入念に探していますが、グーリエ星人の痕跡はありません。』
応答したのは、第35普通科連隊情報小隊に所属する智川 義郎三等陸曹だった。先行して偵察を行っている彼らも、敵の所在を掴めていないらしい。
そのとき、別の通信が入った。
『こちら34普連。施錠された民家を9件確認。』
「施錠だと?」
園山三佐が聞き返すと、第34普連の隊員から詳しい報告が続いた。
『建物をくまなく調べていますが、中には施錠されている民家があります。インターホンを押しても反応はありませんが、生活の形跡があります。中隊長の指示で、その民家はマーキングしています。』
施錠された民家があるという報告に、僕は少し疑問を感じた。
「施錠? 避難する時に鍵をかけたとか?」
「お前は、避難する時に施錠するのか? そんな余裕があったのか?」
前を歩いていた諏訪 明登一等陸士が、振り返ることもなく呆れたように口を開いた。
「い、いや、戦闘に巻き込まれていない場所なら、避難する時に施錠するかと思ったのですが…。」
「あーはいはい。」
諏訪一士はそれだけ答えると、再び前方へ注意を向けた。顔は見えなかったが、その後ろ姿だけでも、僕の発言に呆れていることが伝わってきた。この人は僕にだけ当たりが強いような気がするけれど、気のせいだろうか。そんなことを考えている間にも、園山三佐は無線で状況を確認していた。
「施錠された民家は何件あった?」
『現時点で9件です。いずれも国道から奥まった場所に集中していました』
その報告を受けた園山三佐の表情が険しくなった。
「総員、警戒を強めろ。この状況は不自然だ。」
「了解。」
隊員たちが指示に応じると、園山三佐は続けて情報小隊にも注意を促した。
「智川も警戒を怠るな。」
『了解しました』
智川三曹からの返答を確認した園山三佐は、周囲の家屋を調査するため、隊員たちへ新たな指示を出した。
「各班、左右に展開。家屋を確認しながら前進。地頭、現場の指揮は任す」
「はい!」
地頭曹長が力強く返事をすると、僕らは園山三佐の指示に従って二手に分かれた。
国道から脇道へ入り、民家や商店の様子を確認しながら前進する。先ほどまで歩いていた国道とは異なり、建物が近くに迫る場所では死角も増えるため、隊員たちは互いの位置に気を配りながら慎重に進んでいた。
そのときだった。新崎川を渡る細い橋の手前に差しかかったところで、僕は奇妙な音に気づいた。
川面から、水をかき分けるような湿った音が聞こえてくる。最初は水の流れる音かと思ったが、耳を澄ませると、何かが水中を移動しているようにも感じられた。さらに、その水音に交じって、誰かが話しているような声まで聞こえてきた。何を言っているのかは分からない。ただ、少なくとも日本語ではなかった。
(まさか、グーリエ星人が……?)
僕が川の方へ目を向けた、その直後だった。
「川縁に何かいます。動きあり。」
諏訪一士が低い声で警告した。彼も何かを発見したらしい。その報告によって、僕が感じていた違和感は、敵が潜んでいるかもしれないという強い疑念へと変わった。
「物陰に隠れ警戒せよ。銃を構えよ。」
地頭曹長の指示を受け、僕らは近くの物陰へ身を寄せ、小銃を構えながら川の様子をうかがった。水音はまだ聞こえていたが、相手の姿までは確認できない。敵がいる可能性は高まっているものの、誰も不用意に発砲することなく、川縁の動きに注意を集中させていた。
すると、水音の聞こえていた方向から、突然、小さな黒い塊が飛んできた。それは空中で回転しながら道路へ落下すると、一度跳ねてから地面を転がった。何が飛んできたのか理解するまで、ほんのわずかな時間しかかからなかった。
(手榴弾!?)
乾いた音を立てて転がる黒い塊を見た瞬間、心臓が激しく脈打ち始めた。逃げなければならないと思ったが、身体はすぐには動かなかった。
「伏せろ!」
江鹿一曹の怒号が響いた直後、彼の身体が僕の視界に割り込んできた。江鹿一曹は僕を突き飛ばすと、地面に転がった手榴弾を素早く拾い上げ、そのまま飛んできた方向の川縁へ投げ返した。あまりにも突然の出来事で、僕は何が起きているのか理解するだけで精一杯だった。江鹿一曹は迷う素振りさえ見せず、まるで訓練で繰り返してきた動作のように、一連の行動をやってのけたのである。
次の瞬間、川縁で手榴弾が爆発した。凄まじい爆発音とともに土煙が舞い上がり、僕の耳には甲高い耳鳴りが残った。突き飛ばされた勢いで地面に倒れていた僕は、慌てて周囲を見渡したが、幸いにも仲間たちに負傷した様子はなかった。
江鹿一曹の機転と瞬発力が、僕らを救ってくれたのだ。しかし、安心している暇はなかった。手榴弾が投げ込まれたということは、川縁に潜んでいた何者かが僕らを敵と認識し、攻撃を仕掛けてきたということになる。
「苫米地、諏訪、道路からの射線確保! まひる、後方警戒!」
瑛松二曹が鋭く指示を飛ばした。彼女はすでに小銃を構え、爆発によって舞い上がった土煙の向こうへ視線を向けていた。先ほどまで無言で周囲を警戒していた姿からは想像できないほど、その動きは素早かった。状況の変化に即座に対応する瑛松二曹を見ていると、まるで最初から敵がそこに潜んでいると分かっていたかのようにさえ思えた。
「ぎゃっ!」
川縁から悲鳴が上がった。爆発の衝撃によって吹き飛ばされたのか、3体の人影が道路へ転がり出てきた。
僕は思わず、その姿を凝視した。緑色の皮膚に、水かきのある手。嘴のように突き出た口元と、頭頂部にある皿のようなくぼみ。その姿は、僕がこれまで訓練で教えられてきたどの敵とも違っていた。あまりにも見覚えのある、しかし実在するとは思ってもいなかった姿を目の当たりにして、僕は驚きのあまり声を上げた。
「か、河童!?」
登場人物紹介
郷 昴流……1984年12月29日生まれ 愛知県出身 三等陸尉 35普連情報小隊の小隊長
地頭 孝之……1981年5月14日生まれ 京都府出身 陸曹長 35普連2中隊所属。首都圏陥落時の2012年は32普連に所属していた。
園山 勇将……1978年12月5日生まれ 愛知県出身 三等陸佐 35普連2中隊の中隊長
智川 義郎……1995年5月31日生まれ 愛知県出身 三等陸曹 35普連情報小隊所属。ドローンの操縦に定評あり。
諏訪 明登……2000年9月10日生まれ 埼玉県出身 一等陸士 35普連2中隊所属。隼人と杏南の一年先輩にあたる。何故か隼人への当たりがきつい。




