第68話 直感
苫米地杏南です。石橋の街で水と食料を確保した私たちは、次の目標である湯本へ向けて移動を開始しました。
敵の奇襲によって部隊は壊滅状態にあり、通信も依然として妨害されています。このまま展望台へ到達し、生存している部隊へ状況を伝えることが最優先ですが、その道中にも敵が待ち構えている可能性は十分に考えられました。
「まずは、この"ターンパイク箱根"を目指す。そこで敵の状況をみてルートを決める。最短ルートで行きたいけど、それは敵に読まれていることを想定しましょう。」
理央先輩の指示に、全員が短く応じます。
「了解。」
鹵獲した水や食料を背嚢へ詰め込んだことで荷重は一気に増えました。肩へ食い込む重みは歩くたびに全身へ伝わり、疲労した筋肉が悲鳴を上げています。それでも補給を失えば、この先を生き抜くことはできません。重さを恨む余裕など、今の私たちにはありませんでした。
石橋の街を出ようとした、その時です。道路脇に建つ一棟のビルへ視線を向けた瞬間、胸の奥がざわつきました。理由は説明できません。敵がいるという確信でも、仲間がいるという確証でもありません。ただ、この建物を見過ごしてはいけないという感覚だけが、強く私の中で警鐘を鳴らしていました。
「どうした、苫米地?」
山下士長の問い掛けにも、私は視線を外せませんでした。
「このビル、何故か気になるんです。何か放っておけないというか…。」
「仲間が潜んでいるとか?」
渚士長が周囲を見回しながら尋ねます。
「何も感じないけど…。」
一橋一士も首を傾げました。
「俺達は、早く月白展望台へ向かわないといけない。ここで時間を使っている暇はないぞ。」
山下士長の言葉はもっともです。私も頭では理解しています。しかし、それでも足が動きませんでした。
「うん、敵の姿も見えるようになった。急がないと。」
渚士長も先を促します。
それでも私はビルから目を離さず、意識を研ぎ澄ませました。遠くで響く銃声。海から聞こえる波の音。風が建物の隙間を吹き抜ける音。それら一つひとつを意識の外へ追いやり、建物の内部だけへ神経を集中させます。やがて、微かな生活音のようなものが耳へ届きました。
「……床の軋みと鎖の音、衣擦れの音が聞こえます。5人。」
私がそう告げると、山下士長が怪訝そうな顔をしました。
「何を言ってるんだ。」
「グーリエ星人?」
渚士長が低く尋ねます。
「分かりません。敵か味方か……。ただ、仲間なら助けたいと思います。」
そう答えると、山下士長は険しい表情のまま口を開きました。
「敵だったらそうする? 俺達の役目は――」
「待って。」
その言葉を遮ったのは理央先輩でした。
「敵であれば、さっきの戦闘で応援が来なかったのは不自然よ。こちらに気付いていないのか、あるいは身動きが取れない状況にあると考えるべき。無駄な戦闘は避けたいけど、確認してみましょう。」
「仲間が閉じ込められていると?」
山下士長が聞き返します。
「可能性の一つね。」
理央先輩は静かに答えました。
「仲間だったら助けないと!」
久木田二士の言葉に、誰も反論はしませんでした。山下士長だけは納得しきれていない様子でしたが、それでも理央先輩の判断に従います。こうして私たちは予定を変更し、このビルを捜索することになりました。
「私が先頭で行きます。」
89式小銃を構え、私は静かに建物の中へ足を踏み入れます。内部は驚くほど静まり返っていました。
窓から差し込む夕日が廊下を赤く染め、人気のない空間に長い影を落としています。どこかに人がいる気配は感じるものの、この階にはそれらしい反応はありません。
「この階に気配は感じません。」
「時間が惜しい。2階へ行きましょう。山下は後方を警戒して。」
「了解。」
階段を上る足音さえ敵に聞かれないよう、一歩ずつ慎重に進みます。敵が潜んでいるのか、それとも罠なのか。誰も口を開かず、張り詰めた空気だけが私たちを包んでいました。その時、不意に久木田二士が足を止めます。
「あの部屋、誰かいます。」
私が感じた5人とは別の位置です。私は何も感じませんでしたが、理央先輩は頷きました。
「確認だけしましょう。」
「僕が行きます。」
久木田二士は小銃を構えたまま扉をゆっくり押し開けました。しかし、部屋へ入った途端、その場で硬直します。
「!!!!!」
「どうした?」
一橋一士が駆け寄ります。
「マネキン?」
部屋の隅には、戦闘服を着せられた5体のマネキンが整然と並べられていました。
まるで人間がそこに立っているように配置されたその異様な光景は、敵の悪趣味な悪意をそのまま形にしたようで、背筋に冷たいものが走ります。
「(漏らすかと思った……。)」
久木田二士が小さく呟くと、一橋一士は苦笑する余裕もなく舌打ちしました。
「くそ、ふざけた真似を。」
「……誰かが、ここで俺たちを見てるみたいだな。」
山下士長の言葉に、誰も否定できませんでした。
マネキンに罠が仕掛けられている可能性も否定できないため、私たちは不用意に触れることなく部屋を離れ、私が感じ取った5人のいる3階へ向かうことにしました。
3階へ上がると、私の感じていた気配はさらに明瞭になりました。
「私が人の気配を感じたのは、ここです。」
廊下の突き当たりにある一室を指差すと、渚士長がドアノブを軽く回します。
「鍵がかかっているね。」
理央先輩は扉の周囲へ素早く目を走らせました。
「罠はなさそう。突入するよ。」
全員が頷き、私は拳銃を構えます。
「1、2、3」
理央先輩の合図と同時に、一橋一士が勢いよく扉を蹴り破りました。私たちは一斉に室内へ突入します。
「!?」
「あなた達!?」
部屋の奥にいたのは、5人の女性自衛官でした。
両手足を拘束され、壁際へ座らされています。顔には殴打の痕が残り、服は泥や血で汚れていました。中には下着姿のまま震えている隊員もおり、その光景だけで彼女たちがどのような扱いを受けてきたのか、おおよその想像がついてしまいます。
胸の奥から込み上げてきたのは、怒りでした。敵への怒りであり、このような目に遭わせた者たちへの嫌悪でした。私は理央先輩と手分けして拘束を解き、一人ひとりの容体を確認します。
「私達、グーリエ星人に捕まって、ここに閉じ込められたの。」
最初に口を開いたのは、坂下ジュリア二等陸士でした。
「奴ら、『軍曹殿のコレクションにしてやる』とか言ってた。」
北嶺 百合果一等陸士は悔しさを押し殺すように唇を噛み締めています。
「おとなしくしておけば、命は取らないと言っていたけど、紅林さんは、抵抗して殴られて……。」
糸原 ツヅラ三等陸曹の視線の先には、顔を腫らした紅林 珠陸士長がいました。右目は大きく腫れ上がり、ほとんど開いていません。
衛生小隊所属の東雲 舞夢三等陸曹が慎重に患部を確認すると、表情を曇らせます。
「眼窩底骨折の可能性があります。」
「……。」
私は思わず息を呑みました。
「(コレクション? まさか……。)」
嫌な予感が胸をよぎります。
「あの、その軍曹というのは、モグラのグーリエ星人ですか?」
そう尋ねると、東雲三曹は静かに首を横へ振りました。
「分からない。私を捕らえたのは、モンスターのような姿だった。」
「私は猿みたいな奴にここに連れてこられた。」
坂下二士も続けます。
「みんなバラバラよ。わ、私は、大きな蜥蜴みたいな奴だった。抵抗した時にやられちゃったけどね……。」
紅林陸士長は腫れた目元を押さえながら、小さく笑おうとしました。
女性だけを捕らえて監禁する――その先に何が待っていたのか、考えたくもありません。私は拳を強く握り締めました。
理央先輩は全員の様子を見渡すと、状況を簡潔に説明します。
「私達は補給任務で石橋に入った。ここで補給が出来たから、湯本を目指す。一度、御殿場の展望台へ戻って援軍を要請するつもりよ。貴方たちも協力して。」
「わ、分かりました。」
坂下二士は力強く頷きます。
「一度、死を覚悟した身です。勿論やりますよ。」
糸原三曹の表情にも、もう迷いはありません。ですが、紅林陸士長だけは首を横へ振りました。
「私はここに残るわ。こんな体じゃ、足手まといにしかならない。」
「珠さん……。」
坂下二士が悲しそうに俯きます。私は紅林陸士長の前へしゃがみ込み、目を合わせました。
「大丈夫ですよ。無理だと思ったら休んでてください。仲間は一人でも多い方が心強いですから、紅林さんもついてきて下さい。」
すると、東雲三曹も紅林陸士長の肩へ手を添えます。
「珠さん、逃げるわよ。足手まといなんて言わせない。」
私は決して精神論だけで言っているわけではありません。負傷した仲間を連れて歩くことが危険なのも理解しています。ですが、ここへ置いていけば、彼女は再び敵に捕まるでしょう。それだけは絶対に避けなければなりません。
理央先輩は全員の装備を見回しました。
「とりあえず、ここを脱出したいけど、外は敵兵がうろうろしている。そして、貴方たちは丸腰よね。」
「ええ、捕らえられた時に奪われました。」
糸原三曹が悔しそうに答えます。私は理央先輩と目が合いました。お互い、考えていることは同じでした。
「私が人数分の銃を鹵獲してきますね。」
その場の空気が一瞬止まります。救出された5人はもちろん、一橋一士たちまで驚いた表情で私を見ていました。
「あ、あんた何言ってるの?」
北嶺一士が思わず声を上げます。
「外は敵だらけなんでしょう? 1人じゃ危ない。」
坂下二士も信じられないという顔でした。当然の反応です。ですが、この人数を丸腰のまま街へ出すわけにはいきません。理央先輩も静かに頷きます。
「とはいえ、丸腰のまま外に出すわけにもいかない。他に案があれば別だけど。」
東雲三曹が考え込みながら言いました。
「ここに来た敵兵から奪えれば。」
「敵が何人で来るか分からないわ。大勢で来られたら太刀打ち出来ない。こちらから攻めた方が良い。」
理央先輩の判断は冷静でした。受け身ではなく、主導権を握る。それが生き残るための最善策です。私は皆を安心させるように微笑みました。
「大丈夫です。私、強いんで!」
理央先輩も苦笑しながら頷きます。
「ただし、無理は禁物よ。30分を過ぎたら、私たちは武器を持たずに脱出を試みる。」
自分でも無茶な提案だとは思っています。それでも、全員で生き残る方法を考えた結果、私にはこの策しか思い浮かびませんでした。
必要なのは小銃五挺。つまり、最低でも敵兵5体を無力化し、武器を回収して戻らなければなりません。
単純な話に思えますが、実際はそう簡単ではありません。敵を倒したあと武器を回収する一瞬は、どうしても隙が生まれます。その間に別の敵に見つかれば終わりです。だからこそ、敵の配置を正確に把握し、周囲に援軍がいない状況で仕掛ける必要がありました。
時刻は17:12
残された時間は30分あまり。私は深く息を吸い込み、意識を研ぎ澄ませました。
周囲の音が少しずつ整理されていきます。風がビルの壁をなでる音。遠くから響く銃声。瓦礫を踏む足音。そして、その中から目的の音だけを拾い上げます。
──集中しろ
──敵の位置を感じ取れ
5時方向。
足音……4人……。いや、5人。
敵でしょうか。それとも味方でしょうか。私は壁際まで静かに移動すると、建物の角からわずかに外を覗きました。予感は当たっていました。
その中にいた一体を見た瞬間、胸の奥で押し殺していた怒りが、一気に燃え上がりました。あのモグラです。まひる先輩を私の目の前で殺し、仲間の亡骸を盾にして嘲笑った、あの敵でした。
(いた……。)
思わず拳を握り締めます。忘れるはずがありません。あの時、「必ず仇を討つ」と心に誓った相手が、自分から私の前へ現れたのです。さらに、紅林陸士長を捕らえたと聞いた大柄な蜥蜴の姿も確認できます。
進行方向は、このビルです。拘束していた女性隊員たちの様子を見に戻ってきたのでしょうか。
私は静かに息を吐きました。他を探す必要はありません。向こうから来てくれたのです。まるで運命が、この機会を与えてくれたかのようでした。
(好機。運命か……)
敵はこちらに気付いていません。距離も申し分ありません。ここで仕掛ければ、奇襲は成功するはずです。私は小銃を握り直し、照準をゆっくりと先頭の敵へ合わせました。
まひる先輩の仇。そして、仲間を辱め、捕らえた報いは、ここで受けてもらいます。
ここで、討つ。
登場人物紹介
北嶺 百合果……第10通信大隊所属の一等陸士
坂下 ジュリア……35普連3中隊の新人
糸原 ツヅラ……第4施設群364中隊所属の三等陸曹
紅林 珠……第10特殊武器防護隊所属の陸士長。片目を怪我している。
東雲 舞夢……34普連衛生小隊所属の三等陸曹。看護師免許を持つ
苫米地 杏南……本作のヒロイン
瑛松 理央……35普連2中隊の頼れる先輩
渚 恭平……脱サラして自衛官になった
山下 裕介……渚の同期
一橋 剛……35普連1中隊の一等陸士
久木田 怜……35普連1中隊の新人




