第67話 良心の天秤
私たちは理央先輩の指揮の下、石橋の市街地を目指していました。
地下からの奇襲によって部隊は壊滅し、生き残った者も互いに分断されています。それでも立ち止まることは許されません。湯本方面へ突破するためにも、まずは石橋で食料や水、そして可能であれば弾薬を確保する必要がありました。
しかし、その道のりは決して平穏ではありません。敵は小隊規模で何度も進路を塞ぎ、そのたびに私たちは交戦を余儀なくされます。幸い、理央先輩が地形を巧みに利用してくれたおかげで包囲されることはありませんでしたが、弾薬だけは確実に減っていました。
「……きりがありませんね。」
久木田二士が息を切らしながら呟きます。渚士長も残弾を確認すると、小さく首を振りました。
「こちらも残りが少ない。このまま撃ち合いを続ければ先に弾が尽きます。」
理央先輩は倒れている敵兵へ歩み寄ると、慣れた手つきで小銃を取り上げ、弾倉だけを抜き取ります。
「正規の補給は期待できない」
そう言って弾倉を久木田二士へ放り投げました。
「今は使えるものを使うしかないわ。敵の装備でも弾薬でも、生き残るために必要なら遠慮する理由はない。」
その言葉に誰も異論はありませんでした。敵兵から弾薬を鹵獲するなど、本来の自衛隊では考える機会も少ない行為です。それでも今は補給線が完全に断たれた孤立部隊でした。教範どおりに戦っていては、生き残ることすらできません。
私たちは敵を撃退するたびに弾薬を回収しながら、一歩ずつ石橋の市街地へ近づいていきました。
やがて建物が見え始める距離まで接近すると、理央先輩が拳を上げます。全員がその場で伏せ、私は双眼鏡を取り出しました。街の入口には3人のグーリエ星人が配置されています。見張りでしょう。ただ、それ以上に私の目を引いたのは、市街地そのものの様子でした。
道路には瓦礫が散乱しておらず、建物の囲いにも大きな損傷は見当たりません。雑草が伸び放題ということもなく、人の手が入っているような整然とした景観が広がっています。真鶴や湯河原で見てきた廃墟とは、まるで別の街でした。
「敵がいるということは、この街を使っている可能性がありますね。」
渚士長が小声で言いました。理央先輩は視線を外さないまま、小さく頷きます。
「ええ。でも、それだけとは限らない。」
少し間を置いて続けました。
「ここが敵の補給拠点なのか、それとも私たちを誘い込むための罠なのか、その判断はまだできない。」
一橋一士が街を観察しながら提案します。
「瑛松二曹、部隊を2つに分けて、一方を外周へ回すのはどうでしょう。」
理央先輩は即座に首を横へ振りました。
「それは危険よ。」
否定の理由もすぐに説明します。
「こちらは6人しかいない。無線も使えない状況で戦力を分散すれば、各個撃破される危険が一気に高まる。少人数ほど戦力は集中させるべきよ。」
一橋一士も納得したように頷きました。
「了解しました。」
山下士長が前方を指差します。
「まずは、あの見張りを排除しませんか。」
「そうしましょう。」
理央先輩は地形を見渡しながら短時間で配置を決めていきます。
「一橋、久木田。2人は右側の建物沿いへ移動して敵を引きつけて。」
「了解。」
「渚、山下は左側から回り込む。敵の側面を取る」
「了解」
「苫米地。」
私は理央先輩を見ました。
「あなたは私と中央で援護射撃。」
「了解しました。」
全員が静かに持ち場へ散っていきます。
一方その頃、市街地入口では3人の警戒兵が退屈そうに巡回を続けていた。
「暇だな」
オライ・オドリ一等兵が欠伸を噛み殺す。
「奇襲が成功したんだ。敵がここまで来るわけないだろ。」
隣の兵士、コサック・ウェール一等兵は肩をすくめる。
「それじゃ武功が立てられねぇだろ。せっかく前線に来たのに」
「俺たちは補給路の警戒が任務だ。余計なことは考えるな。」
2人のやり取りを聞いていたハーフエルフの女性兵士が鋭い声を飛ばす。
「私語は慎みなさい。周囲の警戒を続けて。」
※シエナ・ペティス上等兵、田原殲滅隊・第8補給支援連隊4大隊所属
「ちっ。耳長が偉そうに」
オドリが悪態をつく。
「エルフな。いや、ハーフエルフだったかな」
「どっちでもいいわ」
不満そうに悪態をつくオドリ。その時、ウェールが何かを発見した。
「……今、何か動かなかったか?」
「野生動物じゃないか?」
「そうならいいんだけど。」
ペティスは2人より先に確認へ向かう。その判断だけは正しかったのだろう。しかし、その瞬間にはもう遅れていた。
「敵――」
警告の声と同時に発砲音が響く。右側から一橋一士と久木田二士が姿を現し、敵の注意を一斉に引きつけた。
「苫米地、援護!」
「はい!」
そこで、私は理央先輩と同時に引き金を引きます。敵の視線は完全に右側へ向いていました。そこへ左翼へと回り込んでいた渚士長と山下士長が側面から射撃を開始します。
挟撃を受けた2人のドワーフ兵は反応する間もなく倒れ込み、最後まで周囲を警戒していたエルフの兵士だけが咄嗟に遮蔽物へ飛び込みました。それでも四方向から集中する火線を1人で凌ぐことはできません。
遮蔽物から飛び出した瞬間、山下士長の放った一発が胸を正確に撃ち抜き、その体は力なく石畳へ崩れ落ちました。理央先輩は周囲を素早く確認すると、小さく頷きます。
「周辺の脅威は排除できたわ。街へ入りましょう。」
理央先輩の指示を受け、私たちは慎重に石橋の市街地へ足を踏み入れました。
目の前に広がっていた光景は、これまで通ってきた真鶴や湯河原とはあまりにも違っていました。建物に倒壊の跡はほとんどなく、道路も瓦礫で塞がれていません。雑草が伸び放題ということもなく、住民の遺体や動物の死骸すら見当たりませんでした。戦場の真っただ中とは思えないほど街並みは整然としており、その静けさがかえって不気味さを際立たせています。
「奴らが拠点にするために整えたんでしょうか?」
一橋一士が周囲を見回しながら尋ねます。
「分からない……けど、先に物資を探しましょう。」
理央先輩は警戒を緩めることなく周囲へ視線を巡らせます。私たちは建物を一軒ずつ確認しながら進みました。
コンビニもスーパーも荒らされた形跡はなく、商品は棚へ整然と並んでいます。自動ドアこそ動いていませんでしたが、入口の鍵は開いており、店内へ入ることができました。
食品売り場へ足を運んだ私は思わず息をのみます。野菜も果物も色艶を失っておらず、パンや飲料水まで普通に陳列されていました。人の姿だけが消えた街で、生活だけがそのまま切り取られているような異様な光景です。
「野菜も果物も新鮮だ。」
渚士長が静かに呟きます。
「ここは敵の兵站拠点なのか?」
山下士長も店内を見回しながら首を傾げました。誰にも答えは分かりません。分かっているのは、この状況があまりにも不自然だということだけでした。
「今のうちに水や食料を運びましょう!」
一橋一士の声で、私たちは我に返ります。
必要最低限とはいえ、店の商品を持ち出すことには抵抗がありました。まるで万引きをしているような後ろめたさがあります。ですが、ここは戦場です。補給線を断たれた私たちにとって、この物資は生き延びるために欠かせないものでした。そう自分に言い聞かせ、水や保存食をリュックへ詰め始めた、その時でした。
「誰だ!」
店のバックヤードから鋭い声が響きます。聞き慣れない言語でした。その瞬間、私は相手がグーリエ星人だと判断し、反射的に銃を構えます。すると、その人物は、今度は流暢な日本語で叫びました。
「貴様ら、何をしている?」
姿を現したのは、人間と何一つ変わらない外見の男でした。一瞬だけ、日本人なのではないかという考えが頭をよぎります。ですが、その男は私たちへ迷いなく銃口を向けていました。
私は男の服装へ視線を走らせます。シャツの胸元には、何かを外した跡がありました。グーリエ星人の階級章です。
座学で学んだ知識が瞬時によみがえります。階級までは判別できませんでしたが、その位置と縫い跡に見覚えがありました。迷っている時間はありません。
もし判断を誤れば、撃たれるのは私たちです。私は引き金を引きました。乾いた銃声が店内へ響き渡ります。男が崩れ落ちるのを確認すると、私はすぐ仲間へ振り返りました。
「長居は無用です。行きましょう!」
私たちは運べるだけの物資を抱え、その場を離れます。安全な場所まで退避してから、私は皆へ発砲した理由を説明しました。
「あの男のシャツに、階級章を外した跡がありました。座学で教わったものと一致しています。あのまま躊躇していたら、先に撃たれていたと思います。」
山下士長は苦笑いを浮かべました。
「躊躇なく撃ったからびっくりしたぜ。」
渚士長も小さく頷きます。
「でも、よく気付いたね。」
2人の言葉を聞いても、私の胸は晴れませんでした。
少し前までは、店の商品を持ち出すことに罪悪感を覚えていました。それなのに今は、人間と見分けのつかない相手へ迷わず引き金を引いてしまった自分がいます。もちろん、あれは正しい判断だったのでしょう。撃たなければ、撃たれていたのは私たちでした。
それでも胸の奥では、何かが静かに軋んでいました。生き残るためには良心を押し殺さなければならない――。その現実を、この戦場は容赦なく私たちへ突きつけてきます。
良心が痛む出来事でした。
登場人物紹介
オライ・オドリ……ドワーフ族の男性で、陸軍一等兵。小田原殲滅隊・第8補給支援連隊4大隊所属
コサック・ウェール……ドワーフ族の男性で陸軍一等兵。小田原殲滅隊・第8補給支援連隊4大隊所属
シエナ・ペティス……ハーフエルフの女性で、陸軍上等兵、小田原殲滅隊・第8補給支援連隊4大隊所属
苫米地 杏南……本作のヒロイン
瑛松 理央……35普連2中隊所属の頼れる先輩
渚 恭平……脱サラして自衛官になった。
山下 裕介……渚と同期の陸士長。
一橋 剛……35普連1中隊の一等陸士
久木田 怜……35普連1中隊の新




