第64話 死と対峙する者
「段場、木山、怪我はないか!」
銃声の合間を縫うように響いた地頭曹長の声で、僕は我に返った。
隣を見ると、木山は肩で荒く息をつきながらも立っている。顔面は蒼白で、さっき味方を誤射してしまった衝撃から立ち直れてはいない。それでも、自分の足で立っているだけ、ほんの少しだけ正気を取り戻したように見えた。
「問題ありません!」
「はぁ……はぁ……俺も、大丈夫です……」
木山の返事は頼りなかったが、地頭曹長はそれ以上何も言わなかった。今は一人ひとりの精神状態を気遣っている余裕などない。生きている者は撃ち、生き残るために動く。それだけが戦場の現実だった。
その間にも、地頭曹長と花井三佐は互いに位置を確認しながら射撃を重ね、僕らを包囲していた敵陣に少しずつ穴を開けていく。2人とも違う連隊の所属でありながら、長年訓練を積んできた隊員同士らしく呼吸は見事に噛み合っていた。
敵兵が一体、また一体と倒れ、包囲網の一角が崩れる。その僅かな綻びを見逃さず、花井三佐が声を張り上げた。
「敵陣形が崩れた! 一気に突破するぞ!」
僕らは反射的に走り出した。だが、あと数歩というところで乾いた銃声が重なり、花井三佐と地頭曹長の身体が同時によろめく。
「ぐっ……!」
「くっ……!」
2人とも倒れ込んだが、致命傷ではない。敵弾は右脚と左脚をそれぞれ撃ち抜いていた。
「三佐!」
山田三曹が飛び出そうとする。しかし花井三佐は、激痛に顔を歪めながらも鋭く怒鳴った。
「来るな! 敵の狙いはそこだ!」
「ですが!」
「俺に構うな!」
その声に重なるように、地頭曹長も歯を食いしばりながら叫ぶ。
「山田、段場たちは俺が何とかする。お前は前を見ろ!」
それでも山田三曹は命令に背を向けた。
「放っておけるかぁぁぁぁ!」
叫ぶと同時に立ち上がり、89式小銃を連射しながら2人のもとへ駆け出す。正面の敵兵も応戦し、銃声が一斉に重なった。
次の瞬間だった。山田三曹の頭部が大きく跳ね、赤黒い飛沫が宙を舞う。その身体は慣性のまま数歩進み、やがて糸の切れた人形のように道路へ崩れ落ちた。
「山田ぁっ!」
花井三佐の悲痛な叫びが響く。助けようとした部下は、目の前で命を落とした。その現実を受け止める暇もなく、敵兵はさらに距離を詰めてくる。地頭曹長は素早く状況を見極めると、僕へ視線を向けた。
「段場! 木山を連れてここから離れろ!」
「でも!」
「いいから行け! お前たちが残っても無駄死にだ!」
頭では理解していた。この命令が正しいことくらい。それでも身体は動かなかった。
花井三佐も地頭曹長も、僕にとっては頼れる上官だった。その2人を置き去りにして逃げるという選択だけは、どうしても受け入れられなかったのである。
僕は89式小銃を握り直すと、迫ってくる敵兵へ向けて夢中で引き金を引き続けた。何発かは命中した。しかし、焦りから狙いは甘く、敵を仕留めるまでには至らない。
「……馬鹿野郎。」
地頭曹長が、呆れとも諦めともつかない声を漏らした、その時だった。花井三佐の胸が大きく跳ね上がる。一発の銃弾が心臓を正確に撃ち抜いていた。
三佐は何かを言おうと口を開いたが、声になることはなく、その身体はゆっくりと国道135号線のアスファルトへ崩れ落ちた。
地頭曹長は流れ落ちる血も構わず、最後の抵抗とばかりに手榴弾の安全ピンを抜き、敵陣へ投げようと腕を振り上げる。しかし、その腕は途中で力を失った。
握っていた手榴弾が手元へ転がり落ち、次の瞬間、鈍い爆発が地頭曹長の身体を包み込む。爆煙が晴れた時、そこに立っていたはずの姿はもうなかった。
初めて会った時、厳しくも温かく僕らを導いてくれた頼れる曹長は、誰よりも前線に立ち続けた末に、この国道135号線でその生涯を終えたのである。
隣では木山が震えながらその光景を見つめ、乾いた唇を動かした。
「あ……ああ……」
その瞳から完全に生気が失われていくのを見て、僕は背筋が凍る思いだった。そして気付けば、僕らの周囲を敵兵が再び取り囲み始めていた。逃げ道は、もうどこにも残されていなかった。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公。敵に囲まれて絶対絶命
木山 拓哉……隼人の同期。またパニックになる。
花井 賢人……34普連3中隊の中隊長。心臓を貫かれ死亡。享年39歳。
地頭 孝之……35普連2中隊の頼れるベテラン。手榴弾の暴発のより死亡。享年39歳。
山田 士之介……34普連3中隊の三等陸曹。敵の銃弾を頭部に受け死亡。享年26歳。




