第62話 奈落の伏兵
和戸一尉は敵兵が設置していた装置を見つめると、すぐさま無線機を手に取った。
「第10特殊武器防護隊を要請する。敵が何を仕掛けていたのか分からん。毒物、生物剤、放射性物質、その可能性も排除できない」
敵が工作活動を行っていた以上、最悪の事態を想定するのは当然だった。周囲にいた隊員たちも不用意には近づかず、装置を中心に警戒線を敷いていく。
一方で天津種二佐は、その場に立ち尽くしたままだった。
先ほどまで隊員を叱責していた姿はどこにもなく、力なく肩を落とし、和戸一尉の指示を黙って聞いているだけである。実戦の洗礼は、彼女が積み上げてきた自信を根元から打ち砕いてしまったらしい。
結局、負傷した鈴木一士は応急処置のうえで後送されることになり、残る隊員は2つの班に分かれた。一方は護送班、もう一方は周辺警戒を継続する哨戒班である。
僕は哨戒班に編入され、山中の警戒線を歩きながら特殊武器防護隊の到着を待つことになった。森は静かだった。つい先ほどまで銃撃戦が行われていたとは思えないほど風は穏やかで、木々の葉擦れだけが耳に届く。その静けさが、かえって神経を逆撫でする。
誰も口数は多くなかった。敵がまだ潜んでいるかもしれないという緊張もあるが、それ以上に、天津種二佐が完全に指揮を放棄してしまった現実が、隊全体に重くのしかかっていた。
もし再び敵が現れたなら、実際に指揮を執るのは和戸一尉になるだろう。誰もがそう理解していたが、それを口にする者はいない。
それから10分ほどが過ぎた頃だった。迷彩服の上から防護装備を身に着けた隊員たちが現場へ到着する。第10特殊武器防護隊である。彼らは到着すると、ほとんど会話も交わさず作業に取り掛かった。
防護服越しに各種測定器を操作し、周辺の土壌や空気を採取する姿は実に手慣れている。普通科とはまるで違う専門部隊の動きに、僕は思わず見入ってしまった。
「毒物反応なし。放射線異常なし。生物剤反応も確認できません」
淡々と報告が上がる。さらに隊員の一人が装置を分解しながら内部を確認すると、小さく頷いた。
「外部に指向性アンテナが取り付けられています。内部構造も通信装置ですね。敵前線部隊の中継局、あるいは野戦通信機器と思われます」
「通信設備か」
江鹿一曹が装置を見下ろしながら呟いた。
「だったら撤去して正解だったな」
「ええ。このまま敵に使わせる理由はありません」
和戸一尉は特防隊員へ軽く敬礼すると、感謝の意を述べた。
「助かった。こちらでは判断できなかった」
「こちらこそ。後は電子戦隊へ回せば詳細が分かるでしょう」
装置は慎重に梱包され、輸送用ケースへ収められていく。通信の暗号方式や周波数、運用方法が解析できれば、今後の戦いで大きな情報源になるかもしれない。
敵の兵器を撃破するだけではなく、その技術を解析し、自分たちの優位へ変えていく。それもまた戦争なのだと、僕は改めて実感した。
「鈴木も負傷した。これ以上深追いする必要はない」
和戸一尉は地図を折り畳みながら周囲を見渡した。
「本日の哨戒はここまでとする。全員、拠点へ帰投するぞ」
「了解!」
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。それでも誰一人として油断はしていなかった。
敵の伏兵を経験したばかりなのだ。帰路でも小隊は散開隊形を維持し、交互に周囲を警戒しながら慎重に山道を下っていった。
石橋の兵站拠点では、仮設テントが並び始め、負傷者の治療が進められていた。
鈴木一士も応急処置を終え、後送用の車両へ移されるところだった。利き腕には包帯が巻かれているものの、命に別状はないらしい。
「正直、戦場を離れられるのはラッキーですよ……」
鈴木一士は苦笑いを浮かべながらそう漏らした。周囲にいた隊員は誰も笑わなかった。その一言が本音だと、誰もが理解していたからだ。
戦場から離れられる安堵。それと同時に、自分だけが生き残って仲間を残していく後ろめたさ。鈴木一士の言葉には、その両方が滲んでいた。
僕は搬送されていく車両を見送りながら、胸の奥に重いものが沈んでいくのを感じた。今日負傷したのが鈴木一士だっただけで、明日は僕かもしれない。いや、この戦場では、そう考えること自体が当たり前になりつつあった。
―18:00―
兵站拠点中央の指揮所では、再び作戦会議が開かれていた。斥候部隊が新たな情報を持ち帰ったのである。
「ここから約3キロ先の道の駅に敵戦車を確認しました」
報告を行った郷三尉が地図上の一点を指差す。
「行動は確認できませんでした。現在も停止中です」
「3キロか。近いな」
有朋陸将は腕を組み、静かに頷いた。賀井一佐がそのまま説明を引き継ぐ。
「確認された車両は、鹵獲された16式機動戦闘車だ。連中のことだ、何らかの改修を施していると考えるべきだろう。性能は我々が知る16式以上と想定しろ」
地図上に赤鉛筆で新たな矢印が引かれる。
「まず重迫撃砲で叩く。敵戦車を無力化した後、一気に前進し、小田原方面への突破口を開く」
部屋の空気が一段と引き締まった。さらに賀井一佐は、相模湾沿岸へ視線を移す。
「もう一つ報告がある。敵艦隊が再び相模湾へ姿を現した。星山さつき公園には34普通科連隊の重迫撃砲中隊を配置する。海自部隊と連携し、洋上から迎撃を行う」
「了解」
各部隊長が短く応じる。敵は陸だけではない。海からも圧力を掛け続け、こちらの兵站線を断とうとしている。それでも、自衛隊側も少しずつ対応策を整え始めていた。
「明朝6時、全部隊前進開始」
賀井一佐は最後に全員を見渡した。
「今夜は十分休養を取れ。明日は大きく動く」
会議終了とともに、砲兵部隊はすぐさま出発準備に取り掛かった。迫撃砲陣地は夜のうちに構築しなければならない。敵より先に撃てる場所を確保することが、明日の戦いを左右するからだった。
――2020年9月29日 23時30分 石橋兵站拠点近傍・野営地――
山あいに設けられた野営地では、夜の冷気がゆっくりと地面を這い始めていた。
兵站拠点では施設科隊員が翌日の作業に備えて資材を整理し、砲兵部隊は暗闇の中で迫撃砲陣地の構築を続けている。金属を打つ音や小型重機のエンジン音が、ときおり静かな山中へ響いては消えていった。
僕たち普通科隊員は、それぞれ毛布にくるまって休息を取っていたが、明日の戦闘を前に熟睡できる者はほとんどいなかった。
焚き火のそばには、木山、小城、愛元、そして僕と、同期の4人が自然と集まっていた。
誰もが火を見つめたまま、しばらく言葉を発しない。薪が爆ぜる乾いた音だけが、夜の静寂を細かく砕いていた。
やがて木山が、火の中へ細い枝を放り込みながらぽつりと口を開く。
「さっきの鈴木の言葉が、頭から離れねえんだよな」
その声には、昼間までの取り乱した様子はなく、どこか落ち着いた響きがあった。
「『戦場を離れられてラッキー』か……。あれ、多分、本音なんだろうな」
「そうだろうな」
小城は89式小銃の機関部を丁寧に拭きながら頷いた。
「ただ、鈴木"さん"だ。階級は一士でも先輩なんだから、そのくらいは付けろ」
「分かってるよ」
木山は苦笑いを浮かべると、小さく肩をすくめた。僕も焚き火を見つめながら、自分の胸の内を素直に言葉にする。
「僕も怖いよ」
3人がこちらを見た。
「正直、明日も生き残れる保証なんてないし、敵がどこから現れるかも分からない。今日だって伏兵がいたし、砲撃まで受けた。考え始めると、きりがない」
愛元は火の向こうで苦笑した。
「それが普通だよ。怖くない奴なんていないさ。俺だって怖い。でも、俺たちが止まれば後ろの町がやられる。それだけは嫌なんだ」
その言葉に、誰も反論しなかった。怖くても前へ進まなければならない。それが自衛隊という部隊なのだと、皆が理解していた。
しばらく沈黙が流れたあと、小城がふと思い出したように笑う。
「そういやさっき、益子一士が藪の中へ入っていくのを見たぞ」
木山が勢いよく顔を上げた。
「マジか? またか?」
「相手までは見えなかったけどな」
僕は思わず視線を逸らした。本当は知っている。相手は瑛松二曹だった。
益子一士はいつもの下品な笑みを浮かべながら瑛松二曹の肩へ腕を回し、そのまま藪の奥へ消えていった。その光景を見た瞬間から、僕は瑛松二曹の顔をまともに見ることができなくなっていた。胸の奥に残る妙な感情は、自分でも説明がつかない。
憧れていた芸能人の熱愛報道を知った時の喪失感にも似ているし、自分とは関係ない出来事なのに、どこか心がざわつく。だから僕は、その事実を口にしなかった。
明日は攻勢作戦だ。今さらそんな話題で空気を乱す意味はない。
一方で木山は、妙に生き生きとしていた。昼間まで死の恐怖に押し潰されそうだった男とは思えないほど、表情が明るい。
「しかし益子さんも元気だなあ。あの人、本当に戦場でも平常運転なんだな」
「違う意味で鋼の精神力だな」
愛元が呆れたように笑うと、4人の間にも小さな笑いが広がった。それは決して楽しい話題ではない。けれど、こうして他愛もない話をしている時間だけは、戦場であることをほんの少しだけ忘れられる。
そのわずかな時間が、今の僕たちには何より貴重だった。笑い声が収まると、木山は焚き火を見つめながら静かに言った。
「俺さ、決めたんだ」
3人が木山を見る。
「俺は結婚するまでは絶対に死なない。明日も、その次の日も、生きて帰って、うまいビールを飲む。そのためなら何だってやる」
その言葉には、不思議な力があった。戦場の恐怖から逃げるための虚勢ではない。一度底まで恐怖を味わったからこそ辿り着いた、木山なりの覚悟だった。小城が銃を組み立て終えると、小さく笑う。
「なら、お前には死んでもらっちゃ困るな。俺も背中を預ける以上、生き残る」
「当然だ」
愛元も短く頷いた。僕も3人の顔を見回しながら言う。
「みんなで帰ろう」
その言葉に返事はなかった。けれど3人とも、小さく頷いていた。それだけで十分だった。
――2020年9月30日 4時40分――
睡眠と呼べるほど眠れた気はしなかった。
目を閉じても、昼間の伏兵や砲撃の光景が何度も脳裏をよぎり、気が付けば起床ラッパを迎えていた。
冷え切った空気の中で朝食を流し込み、装備を点検し、高機動車へ乗り込む。誰も余計なことは話さない。今日はこちらから敵地へ踏み込む。その事実だけで十分だった。
車列は石橋兵站拠点を離れ、国道135号へ向かってゆっくりと進み始める。やがて海が見えてきた。薄明の相模湾には、黒い影が幾つも浮かんでいる。
「敵艦隊確認!」
江鹿一曹が双眼鏡を下ろしながら報告した。
「中隊規模。こちらへ接近中!」
「84を展開!」
和戸一尉の命令が飛ぶ。
「上陸した瞬間を叩く!」
隊員たちは高機動車から飛び降り、一斉に84mm無反動砲を構え始めた。
海岸線には緊張が張り詰める。木山が唾を飲み込んだ。
「来るなら来い……返り討ちにしてやる」
その声は震えていた。小城が隣で笑う。
「震えてると照準も震えるぞ」
「うるせえ」
僕も深呼吸を一つして、小銃を握り直した。
「大丈夫」
自分へ言い聞かせるように呟く。海上の敵部隊は、ゆっくりと岸へ近付いてくる。
「まもなく上陸!」
智川三曹の報告が響いた。和戸一尉が右手を振り下ろす。
「撃て!」
その瞬間だった。轟音が大地を揺るがした。爆発は海ではない。僕たちの足元だった。
土砂が噴き上がり、視界が茶色く染まる。思わず身を伏せた僕は、耳鳴りの中で必死に周囲を見回した。
「何だ……?」
土煙がゆっくりと晴れていく。その先に広がっていた光景を見た瞬間、僕は言葉を失った。さっきまで何もなかった地面が、音を立てて崩れていく。
そして、その裂け目から次々と武装したグーリエ星人が姿を現した。1体、2体ではない。
まるで地下そのものが敵兵を吐き出しているかのように、無数の兵士が這い上がってくる。
海から接近していた敵部隊は囮だった。本命は、ずっと僕たちの足元に潜んでいたのである。その数は、中隊規模どころではなかった。地面を埋め尽くすほどの敵影を前に、僕は無意識に息を呑む。
「……そんな……」
常識が音を立てて崩れていく。これまで戦ってきた敵とは違う。彼らは地形そのものを利用し、地下へ潜み、奇襲の瞬間を待ち続けていたのだ。僕たちが見ていた戦場は、ほんの表面に過ぎなかった。奈落は、最初から僕たちの足元に口を開けていたのである。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公
和戸 一暁……35普連2中隊の頼れるベテラン
郷 昴流……35普連の情報小隊長
智川 義郎……35普連の情報小隊
鈴木 太陽……35普連2中隊所属。怪我で離脱する。
愛元 省向……35普連2中隊の新人
木山 拓哉……隼人や杏南の同期
小城 聖太……35普連2中隊の新人




