第55話 非日常の隙間
――2020年9月24日 18:25――
気が付けば夕方になっていた。4中隊が10偵と5中隊の生存者を探していたが、死傷者はかなり多く、組織としては壊滅的であった。生き延びた隊員も、怪我の具合が芳しくないため、多くは、このまま戦線を離脱するということだった。
「一命を取り留めても、必ずしも復帰できるわけではない。」(理央)
戦場で壊れるのは、体だけじゃない。仮に日常生活に支障が出る怪我をしなくとも、死の恐怖に飲まれると、戦場で立ち上がる力も沸き上がらないのだと、瑛松二曹が教えてくれた。
「改めて校内を調べたが、もう敵はいないようだ。今晩は、ここで野営を行う。手の空いた者から、塹壕を掘れ。」(橋本)
この戦いで、「AH-64D」に大分やられてしまい、ほとんどの建物は倒壊した。かろうじて原型を留めている建物も、窓ガラスの破片や異臭がする。一夜を凌ぐのは問題ないが、ここを拠点にするのは厳しいと上層部は判断した。
「湯河原の兵站拠点は的山公園にするそうだ。明日は、真鶴の兵站拠点候補の偵察だ。34普連が”まなつるサボテンパーク”近隣を、35普連が”星山さつき公園”付近の哨戒する。今晩も、交代で夜間哨戒を行う。」(橋本)
「了解!」(一同)
周囲の隊員たちが一斉に動き出す。その中で、俺――木山拓哉は、自分の足が地面に縫い付けられたかのような錯覚に陥っていた。手にした円匙が、やけに重い。ザクッ、ザクッという音が夜の空にこだまする。
「……塹壕、か」(木山)
円匙の先が土に食い込み、乾いた音を立てた。廣嶋一曹が最期に漏らした「塹壕を掘っておくべきだった」――その言葉が、頭の奥でゆっくりと蘇る。
俺らは今、彼らの血が染み込んだ土を掘り返そうとしている。カツン、と乾いた音がして、円匙が小石を弾いた。 その振動が腕に伝わった瞬間、脳裏にあの光景がフラッシュバックする。 至近距離で炸裂するアパッチの機関砲。肉片となって散った先輩隊員たちの残骸。そして――。
「(……あんなの、勝てるわけないだろ)」(木山)
喉の奥まで出かかった言葉を、泥と一緒に飲み込む。 横を見ると、隼人が黙々と土を掘っていた。その動きに迷いはない。さらにその先では、苫米地が周囲の警戒に当たりながら、鋭い視線を闇へと向けている。2人とも、変わってしまった。 同期として、訓練校で同じ飯を食べ、同じように教官に怒鳴られていたはずなのに。
「なあ、隼人……」(木山)
隼人は手を止めた。
「怖くないのかよ」(木山)
思わず口を突いて出た問いに、隼人が手を止めた。 少しだけ疲れたような、けれど芯の通った瞳が俺を見る。
「……怖いよ。今だって、足の震えが止まらない。でも、止まったら終わるから。」(隼人)
隼人は短く答えると、また作業に戻った。 「怖い」と言いながら、あいつは戦っている。 でも、俺が感じているのはそんな「勇敢な恐怖」じゃない。もっとドロドロとした、足の先から冷えていくような、逃げ出したいという本能的な拒絶だ。
ふと、哨戒から戻ってきた苫米地と目が合った。あいつの瞳は、柔らかい光が宿っている。今は俺の知っている、人懐っこさのある、苫米地杏南だった。ここが戦場であることを一瞬だけ、忘れ去らせてくれるあの笑顔。でも、今の俺にとっては恐怖でしかない。
「(……化け物だ。どうしてあんなに平然としていられる?)」(木山)
自分でも驚くほど冷酷な言葉が、心の中に浮かんだ。 敵を次々と射抜いたあの時の彼女は、俺らの知っている「苫米地杏南」ではなかった。 そして今は、今まで見てきた苫米地杏南だ。オンとオフの切り替えが出来ていることが逆に恐怖心を煽る…。
「木山、手が止まってるぞ。早く掘らないと夜が明ける」(亜久)
亜久二曹の声に弾かれたように、俺は再び円匙を土に突き立てた。 掘っても掘っても、心の中の暗い穴は埋まらない。 隼人や苫米地との間に開いてしまった、決定的な「溝」。
明日になれば、また新しい拠点の偵察が始まる。 死ぬかもしれない場所へ、また自分から進んでいかなければならない。 その事実に、俺は吐き気すら覚えていた。
――2020年9月25日 3:00――
段場隼人です。塹壕を掘り終えた後、急いで夕食を掻き込んで、僕は熟睡していた。敵地の真っただ中であるにも関わらず、極度の疲労が僕を深い眠りへ誘っていた。
3:00になり、僕は、瑛松二曹とツーマンセルを組み、夜間哨戒を行うことになった。日中は、戦場となっていた「ゆずり葉学園高校」の敷地も、今は鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。隊の疲労はピークにきている。このまま何も起きないで欲しい。そう思っていたのだが…、
3:30、一緒に巡回していた瑛松二曹の姿を見失った。僕は焦った。何故? 一体何があった? というか、どうして気付かなかった?
僕はまた、戦場で注意力散漫になっていたのだろうか。これが、グーリエ星人の仕業なら大事だ。瑛松二曹を失い、かつ敵が側にいる。緊張が走った。僕は急ぎ、和戸一尉へ伝えようとした。その時…。
「待て待て。ここに敵はいないし、瑛松も無事だ。」
そう言って僕を止めたのは、益子武朗一等陸士。瑛松二曹の居場所も知っているようだ。では、一体どこに?
そうえいば、益子一士も1人だ。亜久二曹とツーマンセルを組んでいたはず。瑛松二曹は亜久二曹と一緒にいるということだろうか。
「着いて来い。」(益子)
益子一士に案内されたのは、保健室の前。この中にいるという。しかし、僕を中に案内してはくれない。何故?
「お前、察しが悪いなぁ。これだよ、これ。」(益子)
益子一士は、片方の指で輪っかを作り、もう片方の手の人差し指をその輪っかの中に通した。それで僕は察した。しかし、任務中に何をしているのか。しかも、真面目そうな瑛松二曹が。僕は驚きを隠せない。
「戦場に居続けるとなぁ、みんな溜まっちまうんだよ。だから、隠れてやってるのさ。俺も後でやらせてもらうんだよ。」(益子)
下品な笑みを浮かべる益子一士。「お前も頼んでみろよ。」なんて言われたが、そんな気にはなれなかった。その誘いに、僕は強い嫌悪感を覚えた。戦場で、仲間たちが死線を彷徨っている最中に、こんな行為に及ぶことが、果たして許されるのか。な、何より、僕には杏南がいるから。
「哨戒任務を続けます。」(隼人)
僕は、そう言って任務を続けた。続けてはいるけど…。ふと杏南の顔がよぎった。杏南も他の男と? 駄目だ、そんなこと絶対駄目だ…。任務に集中出来なかった。戦場なのに…。何も起きなかったのが不幸中の幸いというか…。
4:40、陣地へ戻る途中、用務員室から瑛松二曹が出てきた。顔が汗ばんで紅潮し、息が上がっている。薄暗がりの中で、その姿は普段の真面目な彼女からは想像できないほど、妙に艶めかしく、僕の視線を釘付けにした。何というか、色っぽい。
何か見てはいけないものを見た気がした。そして、妙なモヤモヤというか、切なさというか、今までに感じたことのない感情が芽生えている。これは、一体何なのだろう?
遠くで、誰かが交代の見張りを呼ぶ声がした。この場所が戦場だということを、思い出させる声だった。
登場人物紹介
益子 武朗
生年月日:1996年8月26日 / 出身:鳥取県
階級:一等陸士 / 所属:35普連2中隊
備考:学生時代から女遊びが激しく、問題児でもあった。自衛隊では一応、真面目に勤務しているが…。
段場 隼人……僕には杏南がいるので…
苫米地 杏南……隼人と同期で恋人
木山 拓哉……戦場の恐怖に飲まれつつある
瑛松 理央……真面目そうな人だったのに…驚きを隠せない
亜久 弘夏……お前何しとんねん
橋本 紋次……35普連1中隊の中隊長
※瑛松は誰と致していたかというと、亜久です。この2人は同期ですが、付き合っているわけではありません。また、益子とも付き合っているわけでもありませんので、安心してください。




