第56話 学び舎の死闘②
校舎から飛び出した僕たちを待っていたのは、戦場という言葉だけでは到底表しきれない惨状だった。
校庭の一角では、爆発で砕け散ったコンクリートが黒く焦げ、その中心には、先ほどまで廣嶋一曹と足尾二曹が身を隠していたはずの場所が残されている。しかし、そこに2人の姿はなかった。吹き飛ばされた装備品と血痕だけが、つい数分前まで彼らが生きていた証として無言のまま横たわっている。
さらに視線を上げると、上空には重力制御で浮遊する改造AH-64Dアパッチが、不気味な唸りを響かせながら校庭を旋回していた。その黒い機影は、まるで獲物を探す猛禽のように、生き残った隊員たちを見下ろしている。
「廣嶋さん……足尾さん……嘘だろ……」
木山の震えた声が耳に届く。
彼の両手は89式小銃を握っていたが、その銃口は小刻みに揺れていた。金属同士が触れ合う微かな音は、寒さではなく、抑え切れない恐怖が身体を支配している証だった。
思えば木山は、これまで幾度も死線をくぐってきたように見えて、その実、最も苛烈な戦場とは距離を置いてきた。新崎川での捕縛作戦でも、天使族との戦闘でも最前線には立たず、真鶴岬の激戦にも参加していない。海岸での戦闘でも、彼が相手にしたのは退却する敵ばかりだった。
しかし、今は違う。
目の前には、経験豊富な一曹や二曹でさえ一瞬で命を奪われる現実が広がっている。戦場の空気そのものが死を孕み、ほんの一歩踏み出すだけで命を失うことを、木山は初めて肌で理解していた。
「木山! しっかりしろ! 来るぞ!」
僕が叫ぶのと、校門の向こうで敵兵が動き出すのは、ほとんど同時だった。その瞬間、僕の視界を一つの影が駆け抜ける。杏南だった。
「……遅い」
静かな一言とともに、彼女の小銃が火を噴く。
乾いた銃声が連続し、最前列にいた敵兵たちが次々と崩れ落ちた。額を撃ち抜かれた者、胸部を正確に貫かれた者。杏南は一発たりとも無駄弾を撃たない。敵が引き金に指を掛けるより早く、その命を刈り取っていく。
校庭に赤い血が飛び散り、敵兵たちは悲鳴を上げながら倒れていった。
木山はその光景を、ただ呆然と見つめていた。
(……なんだよ、これ……。)
胸の内で言葉にならない声が漏れる。
(隼人も、苫米地も……いつの間に、あんなところまで行っちまったんだ。)
訓練では同じ失敗を笑い合い、演習が終われば愚痴をこぼしていた同期だった。そのはずなのに、今目の前にいる2人は、自分とはまるで別の世界で戦っているように見える。
敵の動きを読み切り、迷いなく引き金を引き、生死の境界を平然と渡っていく。その姿は頼もしくもあり、同時に、自分だけが取り残されてしまったような焦燥を木山に抱かせていた。
自分の指は引き金に掛かっている。それでも、撃つという単純な動作すら思うように身体が動いてくれない。戦場は、人を置き去りにしながら前へ進んでいく。
一方その頃、ゆずり葉学園から数キロ離れた外周では、第35普通科連隊第4中隊が封鎖任務に就いていた。
「享乱三佐! 学校で戦闘が始まりました! 俺たちも援護へ向かいましょう!」
運天 要二等陸士が焦燥を隠さず訴える。
彼にとって、この戦いはようやく訪れた実戦の舞台だった。ここで戦果を挙げれば、自分も英雄になれる。その思いだけが胸を支配している。しかし、享乱の返答は短かった。
「我々の任務は、10偵と5中隊の生存者救護だ。」
「……なんで俺たちが救助なんですか! あそこで仲間が戦ってるんですよ!」
要は思わず声を荒げた。
彼の目の前では、担架に乗せられた負傷者たちが次々と運び込まれてくる。血に染まった迷彩服、苦痛に歪む表情、衛生隊員の慌ただしい動き。その誰もが、つい先ほどまで最前線で戦っていた隊員だった。
「運天、落ち着け。」
享乱は静かに言った。
「この任務も戦闘と同じくらい重要だ。生き残った仲間を一人でも多く救う。それも自衛官の役目だ。」
「しかし……。」
「運天。」
享乱の声音が一段低くなる。
「命令を無視するな。」
それ以上、要は何も言えなかった。拳を強く握り締めることしかできない。その様子を少し離れた場所から見ていた厚巳は、小さく息を吐いた。
(国民の命を守るのが自衛官の使命だ。目の前で苦しんでいる仲間もまた、守るべき日本国民なんだ。)
要はその当たり前のことが見えなくなっている。戦いたいという気持ちは理解できる。しかし、その思いだけで動けば、部隊は組織として機能しなくなる。そんな中、享乱は一人にだけ別の命令を下した。
「角南。」
「はい。」
「お前だけは例外だ。ゆずり葉学園へ向かえ。現地はお前の力を必要としている。」
「了解。」
角南 朱杏陸士長は即座に敬礼すると、オフロードバイクへ跨った。エンジン音が高まり、土煙を巻き上げながら一気に走り去っていく。
「享乱三佐! なら俺も!」
要が叫ぶ。だが、享乱は振り返ることなく答えた。
「お前はここで生存者を守れ。それが命令だ。」
走り去る朱杏の背中を見送りながら、要は歯を食いしばることしかできなかった。
―再び、ゆずり葉学園―
「……来るぞ! 全員伏せろッ!」
和戸一尉の怒声が校庭に響いた。
上空で旋回していた改造アパッチが機首をゆっくりと下げ、30ミリ機関砲を校庭の生存者たちへ向ける。
その銃身がこちらを捕捉した瞬間、全身を嫌な汗が伝った。
(駄目だ……。)
僕は反射的に杏南の腕を掴もうとした。
(あれだけは、小銃じゃどうにもならない。)
しかし、杏南は空を見上げたまま微動だにしない。彼女の瞳は獲物を見据えるように細められ、アパッチの機首の動き、その微かな姿勢変化までも読み取ろうとしていた。
次の瞬間だった。空気そのものが震えた。遠くから近づいてきた轟音が、一気に学園上空を覆い尽くす。
「全地上部隊へ。こちら"ハンター01"。第一航空団、岡田 英一等空尉。これより対地支援を開始する。」
通信とほぼ同時に、2機のF-2戦闘機が超低空で校庭上空を駆け抜けた。その青い機影を見た瞬間、誰もが思わず空を見上げていた。
F-2の接近に気付いた改造アパッチは、慌てて機首を引き起こした。
操縦士は即座に回避機動へ移ると、旋回しながら一機のF-2へ照準を合わせる。火器管制装置が低い電子音を鳴らし、照準表示が目標を捉えた。
「ターゲットロック」
操縦士は機体を安定させながら呟いた。
しかし、その動きは空戦を熟知した航空自衛隊の操縦士にとって、予測の範囲内だった。
(まずい……その姿勢じゃ逃げられない。)
妙台 愛羽三尉はアパッチの動きを見ながら、機体をさらに低空へ滑り込ませる。敵の視線を自分へ引き付けることだけが、今の役目だった。その直後、僚機から落ち着いた声が無線に流れる。
「ターゲットロック。……送るぞ。」
岡田一尉のF-2から短距離空対空ミサイルが発射された。
白煙を引いたミサイルは、回避を始めたばかりのアパッチへ一直線に迫り、次の瞬間、その胴体を貫いた。
轟音とともに巨大な火球が夕空へ膨れ上がる。
爆風に吹き飛ばされた機体は、尾部から炎を噴き上げながら制御を失い、ゆっくりと弧を描いて校庭の外へ墜落していった。
数秒後、大地を揺るがす爆発音が周囲へ響き渡る。
それまで校庭を支配していた"空からの死"は、あまりにもあっけなく姿を消した。
(……毎回囮役っていうのも、心臓に悪いんだけどね。別に良いけど…)
妙台は苦笑しながら高度を回復させる。
その姿を見送る木山は、ただ呆然と空を見上げていた。自分たちが何一つ対抗できなかった相手を、航空自衛隊は一撃で撃墜した。
頼もしさを覚える一方で、自分の無力さを改めて突きつけられたようでもあった。
その時だった。
「まだだ!」
鋭い女性の声が校門の向こうから響く。土煙を巻き上げ、一台のオフロードバイクが校庭へ滑り込んできた。急制動で車体を横へ流しながら停車すると、乗っていた女性隊員が素早く飛び降りる。
角南 朱杏だった。
彼女は背負っていた狙撃銃を迷いなく構え、校門付近の帝国兵へ照準を合わせる。
「援護に来ました! ここは私に任せてください!」
朱杏の第一射が放たれると同時に、校外から迫撃砲の着弾音が連続して響き始めた。
35普通科連隊第3中隊による支援射撃だった。着弾した迫撃砲弾が帝国兵の進路を遮り、敵部隊は一時的に足を止める。
「援軍だ!」
山下が思わず声を上げる。その直後、校舎からも隊員たちが姿を現した。
「俺たちもいるぞ!」
橋本三佐に率いられた第1中隊である。2階の掃討を終えた隊員たちは、そのまま校庭へ雪崩れ込み、第2中隊と合流した。
これまで各所で分断されていた部隊が、ようやく一つの戦線を形成する。その様子を見つめていたイオクタンは、小さく目を細めた。
「……航空戦力まで投入してくるとは。思った以上に対応が早いわね。」
口調は冷静だったが、その瞳は戦況を冷徹に分析していた。すでに目的は果たしている。敵兵站拠点の候補地を混乱させ、偵察部隊と第5中隊へ甚大な損害を与えた。敵の進軍は大幅に遅れる。これ以上、この場に固執する意味はない。
「もう十分ね。」
イオクタンは静かに右手を上げた。
「これ以上の損耗は不要。一度撤退する。」
命令は即座に全隊へ伝達される。帝国兵たちは一切の混乱を見せることなく後退を開始した。
「逃がすな!」
橋本が号令を飛ばす。
「ここで殲滅するぞ!」
第1中隊と第2中隊が正面から追撃し、第3中隊と朱杏が退路を塞ぐように展開する。交差する銃火が帝国兵へ降り注ぎ、数名が倒れた。それでもイオクタンは振り返らない。
「アンタス。」
「はっ。」
「重力霧を展開。」
アンタスは腰から黒い球体を取り出し、地面へ叩き付けた。鈍い破裂音とともに、黒灰色の霧が地面を這うように広がっていく。霧は瞬く間に校門一帯を覆い尽くし、視界を完全に遮断した。
「何だ……!」
山下が照準器を覗き込む。しかし、光学照準は乱れ、敵影は揺らぎ続ける。さらに霧へ踏み込んだ隊員たちは、身体へ何倍もの重さがのしかかるような圧迫感に襲われた。
「ぐっ……!」
膝を突く隊員も現れる。瀧嶋二曹は異変を察知すると、即座に叫んだ。
「橋本三佐! 止まってください! 重力波の干渉です! 追撃は危険です!」
その一声で橋本も追撃を中止した。無理に突入すれば、隊形が崩れ、逆に各個撃破される。黒い霧の向こうで、イオクタンは立ち止まった。その視線は、杏南へ向けられている。
「……褐色の娘。」
わずかに口元を緩める。
「その力、次に会う時まで磨いておくことね。」
そして静かに続けた。
「もっとも、その頃には、その瞳も絶望に染まっているでしょうけれど。」
そう言い残すと、イオクタンの姿は霧の中へ溶けるように消えていった。
「待ちなさい!」
杏南は迷わず引き金を引く。一発の銃弾が黒い霧を切り裂き、遠ざかるイオクタンの左肩をかすめた。血が飛び散る。しかし、それだけだった。
イオクタンは速度を緩めることなく部隊を率い、そのまま闇の向こうへ姿を消していく。
やがて重力霧もゆっくりと薄れ始め、静まり返った校庭が姿を現した。
聞こえるのは、燃え続けるアパッチの残骸が爆ぜる音と、上空を警戒飛行するF-2のエンジン音だけだった。
「……終わった、のか。」
木山が呟く。誰も答えなかった。
校庭には無数の薬莢が散らばり、砕けたコンクリートには赤い血が広がっている。
僕は足を止め、廣嶋一曹と足尾二曹が倒れた場所へ歩み寄った。そこには原形を失った遮蔽物と、持ち主を失った鉄帽だけが残されていた。
「廣嶋一曹……足尾二曹……。」
自然と声が漏れる。
敵は退いた。学園は守り切った。それでも胸の中には、勝利の実感がまるで湧いてこない。
3階では、崩れ落ちた校舎からなお煙が立ち昇っている。橋本はその煙を黙って見つめ、地頭も固く拳を握り締めたまま動かなかった。
生き残った者たちの表情に浮かんでいたのは安堵ではなく、失われた仲間への深い喪失感だった。
いつの間にか杏南が僕の隣へ歩み寄り、何も言わず僕の手を握る。その手は驚くほど冷たかった。僕たちは確かに、この戦いを生き残った。
それなのに、この日の勝利を、誰一人として勝利だと思うことはできなかった。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公
苫米地 杏南……隼人の同期で恋人
木山 拓哉……隼人と杏南の同期
運天 要……隼人と杏南の同期、戦果を挙げて英雄になりたい。
角南 朱杏……35普連4中隊のエース
和戸 一暁……35普連2中隊の中隊長代理
岡田 英……第一航空団所属のエースパイロット
妙台 愛羽……第一航空団所属の精鋭パイロット
ファネッタ・イオクタン……帝国陸軍少佐で、真鶴攪乱部隊の指揮官
当作品に出てくる架空の装備
重力霧……帝国軍が撤退時もしくは、奇襲時等に用いる。風船のような物を破損させることで、黒い霧が当たりを包む。光が屈折し、照準器ドットサイトも役に立たない。また、霧の中では、重力に押しつぶされてしまう。




