第55話 学び舎の死闘
校舎の外では銃声と爆発音が絶え間なく響き続けていた。しかし、その喧騒が厚い壁を隔てた校長室には奇妙な静寂をもたらしていた。
和戸一尉、苫米 地杏南、そして僕――段場 隼人は、1人のグーリエ星人と向かい合っていた。
校長室は、かつて学校の象徴だった面影をかろうじて残しているだけだった。革張りの応接ソファは鋭利な刃物で切り裂かれ、壁に飾られていた歴代校長の肖像写真は床へ落ち、割れた額縁のガラスが足元に散乱している。窓際の書棚も倒れ、賞状や卒業アルバムが瓦礫に埋もれていた。
人数だけを見れば3対1。普通なら優位に立っているはずだった。しかし、その常識は目の前の敵には通用しない。
室内の空気が張り詰め、呼吸をするたびに肺が重くなる。敵兵が一歩も動いていないにもかかわらず、肌を刺すような殺気だけが絶えずこちらへ流れ込んできていた。
(……こいつ、今まで戦ってきた連中とは違う。)
無意識のうちに喉が鳴った。
敵は銃を構えたまま微動だにしない。ただこちらを観察しているだけなのに、その視線だけで身体が硬直しそうになる。
和戸一尉だけは視線を外さないまま、小さく口を開いた。
「2人とも深呼吸しろ。こいつはかなり強い。一瞬でも隙を見せれば首が飛ぶ。」
低く落ち着いた声だった。その一言で、乱れかけた呼吸をようやく整えることができた。
横を見ると、杏南は一切表情を変えていない。銃口は相手の胸元へ向けられたまま、その瞳だけが敵の肩や腰、足先のわずかな重心移動を追っている。
互いに動かない時間だけが流れる。
先に動いた方が負ける。そんな緊張が校長室を支配していた。
その均衡が破れたのは、一瞬だった。
「――はっ! 杏南、後ろ!」
背後の扉がわずかに軋み、別の気配が割って入る。
僕は反射的に振り向いた。その瞬間だった。目の前の敵兵が迷いなく引き金を引く。銃口が火を噴いた。
しかし、その弾丸が僕へ届くことはなかった。杏南が背後から迫っていた別のグーリエ星人の肩を強烈に押し込み、その身体を僕との間へ滑り込ませたのである。銃弾は割り込んだ兵士の胸部を貫いた。赤い鮮血が机へ飛び散り、その兵士は声を上げる暇もなく倒れる。
杏南はその反動を利用して身体を半歩回転させ、再び目の前の敵へ銃口を向けていた。
(杏南……なんて動きだ。)
あまりにも自然な一連の動作だった。僕が状況を理解した時には、彼女はすでに次の攻撃に備えている。
一方、フィアン・ファファゲ少尉の口元がわずかに吊り上がった。
(ほう……。)
その目には驚きよりも興味が宿っていた。
(私の射線を読んだだけではない。撃たれる兵を盾として利用し、小僧まで救ったか。下等生物にも、これほどの手練れがいたとは。)
その視線は杏南だけを見据える。
(面白い。だが、私の敵ではない。)
和戸一尉もまた、杏南から目を離さなかった。
(真鶴岬でも感じたが、この娘は別格だ。)
部隊を率いてきた経験が告げている。あれほどの反応速度は訓練だけでは身につかない。
(こいつがいる限り、この戦場にはまだ勝機が残っている。)
和戸は静かに確信した。
――その頃、校舎2階
2階の教室群では、橋本 紋次三等陸佐率いる第1中隊が着実に掃討を進めていた。
廊下には火薬の臭いが漂い、教室の入口には撃ち倒された帝国兵の遺体が横たわっている。しかし、自衛隊側の負傷者はまだ出ていなかった。
「三佐、2階は制圧完了です。」
山本 瑠維三曹が報告すると、橋本は頷いた。
「ああ。ここまでは想定より抵抗が弱い。」
周囲を見渡してから続ける。
「だが、油断はするな。本命はまだ上だ。」
「3階へ行きましょう。私が先頭に立ちます。」
山本が一歩前へ出ると、その横から藏 来満三曹が笑いながら割り込んだ。
「中隊長、自分にも行かせてください。瀧嶋二曹ばかり活躍させるわけにはいきません。」
その言葉に瀧嶋二曹が苦笑する。
「生意気になったな。」
「頼もしい部下じゃありませんか。」
橋本も思わず口元を緩めた。
「よし。山本、藏。お前たちが先頭だ。ただし、調子に乗るな。敵は必ずどこかで牙を剥く。」
「了解!」
2人は力強く返答すると、銃を構え直し、3階へ続く階段を駆け上がっていった。
その背中を見送りながら、橋本は胸の奥に小さな違和感を覚えていた。2階は、あまりにも抵抗が少なすぎる。まるで誰かがこちらを上へ誘い込んでいるようだった。
一方、校庭では戦況が急速に悪化していた。
イオクタン率いる歩兵部隊は、小型無人戦車を前面に押し立てながら着実に前進してくる。さらに上空では、帝国軍によって改造されたAH-64Dが校庭全体を見下ろし、逃げ場のない制圧射撃を続けていた。
土煙が舞い、砲弾が地面を抉るたびに校舎の窓ガラスが激しく震える。
「塹壕でも掘っておくべきだったな……。」
廣嶋一曹は倒れたコンクリート片に身を寄せながら歯噛みした。
視線を右へ向ける。数十メートル先では、負傷した足尾 哲也二曹が土を這うように姿勢を低くしながら応戦していた。
右脚を痛めているのか、射撃姿勢が安定しない。放った弾丸は帝国兵の頭上を虚しく通り過ぎていく。
「足尾! 戻れ!」
廣嶋は声を張り上げた。しかし、機関銃と砲撃が交錯する戦場では、その叫びは届かない。
小型無人戦車が砲塔をゆっくりと旋回させた。
次の瞬間、発射された一撃が足尾の頭部を正確に撃ち抜く。その身体は糸が切れた人形のように崩れ落ち、二度と動かなかった。
「廣嶋一曹! 耐えろ! 今、援護する!」
地頭 孝之曹長が叫び、手塚 泰二郎三曹、山下 裕介陸士長、鈴木 太陽一士、矢戸 聡士一士を率いて校門方向へ突入する。
しかし彼らの目に映ったのは、互角の戦闘ではなかった。一方的な蹂躙だった。
廣嶋の左腕は砲撃で大きく損傷し、不自然な方向へ折れ曲がっている。その足元には、足尾の亡骸が横たわっていた。
「曹長……来るな!」
廣嶋が血を吐きながら叫ぶ。
「ここは、もう……。」
「黙れ!」
地頭は叫び返した。
「見殺しになどできるか! 総員、撃て!」
隊員たちが一斉に火線を開く。だが、その瞬間だった。上空で旋回していたAH-64Dが機首をゆっくりとこちらへ向ける。敵パイロットが照準を合わせる。
「目標確認。」
続いて、イオクタンが静かに右手を上げた。
「撃て。」
その命令と同時に、30ミリ機関砲が火を噴いた。
イオクタンは、救援に駆け込んできた地頭たちへ視線を向けることなく、そのさらに前方、瓦礫を盾に最後の抵抗を続ける廣嶋たちへと冷ややかな視線を送った。
短い命令に応じ、上空で旋回していた改造AH-64Dの機首がゆっくりと俯いた。照準が定められたのは、廣嶋と足尾が身を寄せる遮蔽物である。
次の瞬間、30ミリ機関砲が咆哮した。
重い連射音とともに砲弾がコンクリートを噛み砕き、遮蔽物は一瞬で原形を失う。破片と土煙が噴き上がり、その中にいた廣嶋と足尾の姿は爆炎に呑み込まれた。
「廣嶋ッ!」
地頭の叫びだけが、砲声の尾を引く校庭に虚しく響いた。
――校舎三階――
一方、2階の制圧を終えた橋本三佐率いる第1中隊は、その勢いのまま3階へと進出していた。
藏と山本は、廊下を慎重に進み、突き当たりの大きな窓へと近付いていく。
校内は静まり返っていた。机も椅子も、そのまま8年間放置されていたかのように埃を被り、割れた窓から吹き込む風だけが、色褪せた掲示物を揺らしている。
「……3階に敵影なし。」
山本がそう口にした、その瞬間だった。窓の外に巨大な影が浮かび上がる。
「……!」
ホバリングした改造AH-64Dが、校舎の高さまで急上昇し、窓の真正面で停止していた。操縦席越しに見える敵兵の視線が、2人を捉える。
「しまっ――」
藏が叫ぶより早く、機首のロケットポッドが火を噴いた。轟音とともに放たれたハイドラ70ロケット弾が、窓ガラスを突き破る。爆発は廊下一帯を一瞬で飲み込み、猛烈な爆風が壁を引き裂いた。床が崩れ、天井が落ちる。
「山本ッ! 藏ッ!」
橋本三佐の叫びは、爆音にかき消された。炎と粉塵の中へ、2人の姿は消えていく。
ほんの数分前まで笑い合っていた若い隊員たちは、言葉を交わす暇さえなく瓦礫の下へ埋もれてしまった。
橋本は歯を食いしばり、拳を強く握り締めた。
――1階・校長室――
その頃、校長室では、依然として重苦しい空気が流れていた。ファファゲは窓の外へ耳を傾け、不敵な笑みを浮かべる。
「外が騒がしいな。貴様らの仲間も、そろそろ全滅した頃か。」
その声音には、確信にも似た余裕が滲んでいた。しかし、その言葉を遮るように杏南が一歩前へ出る。
「……外じゃない。」
静かな声だった。それでも校長室の空気を震わせるほどの力があった。
「あんたの相手は、ここだよ。」
杏南の瞳が、淡く青白い輝きを帯びる。隼人には分かった。彼女は敵の動きを見ているのではない。敵が"動こうとする意思"そのものを読んでいる。
「隼人、一尉。」
杏南は視線を外さないまま言った。
「下がってて。こいつは私がやる。」
「貴様一人で私に勝てるとでも思うか?」
ファファゲが鼻で笑う。
「馬鹿も休み休み言え。」
次の瞬間、短機関銃が火を噴いた。だが、その銃口が杏南を捉えることはなかった。
彼女は発砲の瞬間にはすでに射線から外れ、床を滑るように踏み込み、懐へ入り込んでいた。
「なっ――」
銃剣が一直線に突き出される。
鈍い手応え。刃はファファゲの胸を深々と貫いた。
「ぐっ……!」
それでもファファゲはなお反撃を試みる。短機関銃を振り上げ、銃床で杏南の側頭部を打ち砕こうとした。しかし杏南は左腕でその軌道を受け流し、ほとんど零距離から引き金を引く。乾いた銃声が校長室へ響いた。
ファファゲの身体が大きく仰け反り、そのまま力なく床へ崩れ落ちる。赤い血が床板をゆっくりと広がっていった。
静寂が戻る。
隼人は息を呑んだ。目の前に立つ杏南は、二等陸士という階級では到底測れない存在だった。戦場そのものを支配する狩人。
そんな錯覚すら覚えるほど、その姿には一切の迷いがなかった。
――校庭――
校長室の制圧から数分後。
江鹿一曹、亜久二曹、須田二曹らが、一階の残敵を排除し終えると、そのまま校庭へ飛び出した。
外ではなお激しい銃撃戦が続いている。
「地頭曹長! 2中隊、江鹿班、援護に入ります!」
江鹿が叫びながら射撃を開始する。その声に反応した地頭も振り返った。
「助かった! 右翼を頼む!」
「了解!」
江鹿班が加わったことで、防衛線はわずかに息を吹き返す。
その直後だった。校舎の正面玄関から3人の隊員が姿を現す。
和戸一尉、隼人、そして、その中央を歩く杏南。
返り血を浴びた戦闘服は凄惨だったが、その歩みに迷いはなかった。杏南は校門の向こうを静かに見据える。そこには、部下たちを従えたファネッタ・イオクタン少佐が立っていた。
互いに一歩も動かない。喧騒に包まれた戦場の中で、その2人だけは時が止まったように向き合っていた。杏南がゆっくりと89式小銃を構える。
「……皆を、これ以上死なせない。」
その声は決して大きくはなかった。だが、誰よりも強い決意が込められていた。
「絶対に。」
イオクタンもまた、杏南から目を離さない。互いに相手が、この戦場で最も危険な存在であることを本能的に悟っていた。
学び舎を舞台にした死闘は、新たな局面へ移ろうとしていた。
登場人物紹介
段場 隼人……主人公
苫米地 杏南……隼人の同期で恋人
和戸 一暁……35普連2中隊長代理
橋本 紋次……35普連1中隊長
フィアン・ファファゲ……陸軍少尉で、ハイエルフの女性。陸偵支隊長の1人
廣嶋 史龍……35普連2中隊のベテラン。享年30歳
※帝国産小型無人戦車……小回りが効き、連射も可能な無人戦車。純帝国産は、太陽光をエネルギーとして砲弾を作成するが、地球で作成された戦車は、弾の補充が必要になる。補充はドローンを用いている。暗い場所や悪天候の際は、専用の電池で動いている。




