第54話 学び舎の戦い
――2020年9月24日 10:58 ゆずり葉学園高校――
渡り廊下へ姿を現したグーリエ兵は、一瞬だけ校庭を見下ろすと、何事かを鋭く叫び、そのまま東校舎へ駆け込んだ。その姿を見逃す者はいない。
「待ちやがれ!」
35普通科連隊第1中隊の瀧嶋 達世二等陸曹と藏 来満三等陸曹は、ほぼ同時にグラップルワイヤーを構えた。
乾いた射出音が響き、2本のワイヤーが渡り廊下の手すりへ吸い込まれる。金具が確実に食い込んだことを確認すると、2人は迷いなく壁面を駆け上がった。
訓練を積み重ねた隊員の動きには一切の無駄がない。
渡り廊下へ着地した瞬間、東校舎へ逃げ込もうとしていたグーリエ兵が振り返った。だが、反応は一瞬遅かった。
瀧嶋二曹の89式小銃が火を噴き、続いて藏三曹の短い連射が敵兵の胸を撃ち抜く。
鮮血が渡り廊下の床へ飛び散り、グーリエ星人はそのまま崩れ落ちた。瀧嶋二曹は素早く周囲を見渡し、安全を確認すると無線機へ口を寄せた。
「よし、渡り廊下確保。後続、上がれ。」
「了解。」
地上で待機していた4名の隊員が、ほとんど同時にグラップルワイヤーを発射する。
シュッ――。
ワイヤーはコンクリートの縁へ正確に掛かり、隊員たちは軽快な動作で校舎2階へ登っていった。8年前まで生徒たちが行き交っていた渡り廊下は、今や完全に戦場となっていた。
橋本 紋次三等陸佐は校舎の配置図へ視線を落としながら無線を開いた。
「和戸一尉、こちら橋本。第1中隊が2階と3階を制圧する。第2中隊は1階および校舎外周の警戒を頼む。」
「了解した。我々は正面玄関から突入する。一階を確保しながら上の部隊を援護する。」
橋本は短く頷いた。
「上から押し込み、下から挟撃する。敵を校舎内へ閉じ込めるぞ。」
その指示を受け、和戸 一暁一尉も即座に部隊へ命令を飛ばす。
「廣嶋、足尾、瑛松、新山、中西、渚、魚見、諏訪、木山は校舎外周を警戒。正面玄関と裏口を押さえろ。敵を外へ逃がすな。」
「了解!」
各員が散開し、それぞれ持ち場へ走る。残る隊員は和戸一尉の後ろへ集まり、正面玄関突入の準備を整えた。
僕は小銃を握る手へ自然と力が入るのを感じていた。
東校舎2階の窓。色褪せたカーテンの隙間を、何かが横切ったように見える。
「……来るか。」
誰へ言うでもなく、小さく息を吐いた。校舎は静まり返っている。風が割れた窓を抜けるたび、カーテンがゆっくり揺れ、軋んだ音だけが耳へ届いた。
しかし、その静けさがかえって不気味だった。敵はこちらを見ている。そんな感覚が、肌にまとわりつく。
その時だった。
「瀧嶋、こちら和戸。」
無線が鳴る。
「2階教室で熱源を確認した。数は不明。十分警戒しろ。」
『了解。』
返ってきたのは短い返答だけだった。その直後である。校舎内から激しい足音が響き始めた。廊下を何者かが一斉に駆ける音。
そして、
「ギャアアアッ!」
グーリエ星人の叫び声が校内へ響き渡る。
「コンタクト! 2階渡り廊下突き当たり!」
瀧嶋の怒号が無線を震わせた。
「撃て!」
乾いた銃声が連続する。
東校舎の窓ガラスが次々と内側から砕け散り、破片が校庭へ降り注いだ。敵味方双方の銃火が交錯し、火線が薄暗い校舎を切り裂いていく。
「突入!」
和戸一尉の号令が響いた。僕たちは正面玄関へ駆け寄る。和戸一尉が勢いよく扉を蹴り開くと、重い金属音が校舎内へ響き渡った。
鼻を刺すのは硝煙と埃、そして長い年月を経ても消えない乾いた血の臭いだった。僕は1歩足を踏み入れた。薄暗い昇降口には、数百個の下駄箱が整然と並んでいる。その一つひとつへ、上履きが残されたままだった。誰にも履かれないまま。埃をかぶり、色褪せ、朝を静かに待ち続けている。
あの日、生徒たちはいつも通り登校し、靴を履き替え、教室へ向かった。そして、誰一人として戻ってこなかった。その事実だけが、この静寂の中へ重く沈殿している。
2階ではなおも激しい銃撃戦が続いていた。
銃声が天井を震わせるたび、校舎全体が低く唸る。和戸一尉は素早く校内を見回し、小声で指示を出した。
「江鹿、須田は右翼。保健室と事務室を確認しろ。」
「了解。」
「俺と段場、苫米地は左翼。職員室を制圧する。残りは後方警戒。階段を押さえろ。」
「了解。」
僕たちは壁伝いに隊形を整え、ゆっくり廊下を進み始めた。床には割れたガラスや教材、色褪せたプリントが散乱している。一歩踏み外せば大きな音を立ててしまう。
誰も無駄口を叩かない。聞こえるのは互いの呼吸と装備が擦れる小さな音だけだった。
視界の端には、「今月の生活目標」と書かれた掲示物が残っている。壁には体育祭や文化祭の写真。楽しそうに笑う生徒たち。
8年前の時間だけが、この校舎にはそのまま閉じ込められていた。僕は胸の奥が締め付けられるのを感じながらも、小さく首を振る。
(集中しろ……。)
(ここは学校じゃない。今は戦場だ。)
前を進む杏南は、銃口をわずかもぶらすことなく角を曲がっていく。その背中を追いながら、僕も呼吸を整えた。
やがて、半開きになった職員室の扉が見えてくる。
職員室のドアが見えてきた。ドアノブは壊され、半開きになっている。中からは、小声で言葉を交わすような声と、機器を操作する電子音が微かに漏れ聞こえていた。
和戸一尉は静かに拳を上げる。
「3、2、1」
指が閉じられた。
「突入!」
和戸一尉の号令と同時に、職員室の扉が勢いよく押し開かれた。僕と杏南は左右へ展開し、銃口を室内へ向ける。
職員室には複数の机が整然と並び、その上には出席簿や教材が散乱していた。窓際には倒れた書棚があり、床には割れたガラスが広がっている。
その一角に、4名のグーリエ星人がいた。
彼らは端末機器を囲むように集まり、何らかの情報を確認していたらしい。突然の突入に気付いた一体が振り返る。驚愕の表情が浮かぶ。しかし、その反応よりも早く和戸一尉が引き金を引いた。89式小銃の発射音が職員室へ響き渡る。
続いて僕も射撃を開始した。銃弾が机の縁を砕き、タブレットのような物が、机から落ちた。
敵兵の一人が倒れ込んだ。
残る3名も武器へ手を伸ばすが、すでに距離が近すぎた。杏南が机の陰を利用して前進しながら射撃する。無駄のない連射だった。
銃弾は正確に敵を捉え、2体のグーリエ星人がその場へ崩れ落ちる。
最後の1体は窓際へ身を投げ出したが、和戸一尉の射撃がそれを許さなかった。静寂が戻る。火薬の臭いだけが室内へ漂っていた。
「職員室、制圧完了。」
杏南が短く報告する。和戸一尉は周囲を確認しながら頷いた。
「負傷者なし。情報収集を急げ。」
僕は敵兵が使っていた端末へ近付いた。画面には周辺地図が表示されている。
真鶴町、湯河原町、国道135号線。そして複数の地点へ記号が打ち込まれていた。
「地図です。」
「兵站拠点候補かもしれんな。」
和戸一尉は画面を覗き込む。敵がこの周辺を偵察していたことは間違いない。だが、それ以上の解析を行う時間はなかった。耳元のレシーバーから激しいノイズが流れたのである。
『こちら10偵!』
聞き覚えのある声だった。
姉吉 篤也三等陸尉だ。しかし、その声には普段の冷静さがなかった。
『敵航空戦力を確認! 繰り返す! 敵航空――』
通信の向こうで爆発音が響く。
誰かの怒号、金属が軋む音。そして、
『ぐああああっ――!』
絶叫。
通信はそこで途絶えた。職員室の空気が一瞬で変わる。僕は思わず和戸一尉を見た。
「今のは……」
「10偵だ。」
和戸一尉の表情が険しくなる。
「敵増援が来たらしい。」
校舎の外では廣嶋たちが警戒に当たっている。5中隊も周辺に展開しているはずだ。だが、10偵が悲鳴を上げるほどの敵が現れたとなれば話は別だった。
「援軍へ向かいますか?」
僕が尋ねると、和戸一尉は即座に首を振った。
「駄目だ。」
その声に迷いはなかった。
「敵が何を狙っているか分からん以上、この校舎を中途半端な状態で放置するわけにはいかない。」
そして廊下の奥へ視線を向ける。2階では依然として断続的な銃声が続いていた。
「1中隊もまだ戦闘中だ。」
和戸一尉は小銃を握り直す。
「まずは一階を完全制圧する。その後で外の状況を確認する。」
「了解。」
僕と杏南も頷いた。
校舎の外で何が起きているのか分からない。だが、それでも目の前の任務から目を逸らすことはできなかった。職員室を出ると、長い廊下の先に続く薄暗い階段が見える。その向こうでは、まだ敵が動いている気配があった。学び舎だった建物は、今や完全に戦場へ変わっている。
そして校舎の外では、僕らの知らないところで、さらに大きな戦いが始まろうとしていた。
――同時刻 第35普通科連隊第5中隊――
「中隊長、10偵が交戦中です! 敵航空戦力の出現を確認。かなり劣勢と思われます!」
浮氣 美穂二等陸曹が無線機を握り締めながら報告する。
淵脇 隆也三等陸佐は地図へ視線を落とし、現在位置と10偵との距離を瞬時に測った。
「この距離なら間に合う。」
そう呟くと、連隊本部へ通信を入れる。
「連隊長、こちら第5中隊。第10偵察大隊救援のため進出したい。」
『許可する。』
片桐一佐の返答は即答だった。
「よし、出るぞ。」
淵脇は振り返り、部下たちへ命じる。
「智川、二瓶。先行してドローンを上げろ。まず敵情を把握する。」
『了解!』
2人は携行ケースから小型偵察ドローンを取り出し、次々と空へ放った。白い機体は木立の上を滑るように飛び、ゆずり葉学園方面へ向かっていく。淵脇はその姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
「……10偵、持ちこたえてくれ。」
――少し時間を遡る 第10偵察大隊――
「……何だ?」
双眼鏡を覗いていた姉吉篤也三尉の動きが止まる。
青空の一点、雲間から黒い影が姿を現した。それはグーリエ星人の飛行兵器ではなかった。
「AH-64D……?」
思わず漏れた声には困惑が滲む。陸上自衛隊がかつて運用していた戦闘ヘリ。しかし、その機体は装甲や各部が帝国軍の技術で改造され、原形を残しながらも異様な姿へ変貌していた。
「各員散開!」
姉吉の怒号が響く。
「撃てッ!」
しかし、その命令よりも敵の攻撃が速かった。機体下面から放たれた青白い光が地面を薙ぐ。次の瞬間、重力波が炸裂した。軽装甲機動車が宙へ浮き上がり、車体は紙細工のように引き裂かれる。87式偵察警戒車も横転し、炎に包まれた。
「こちら10偵! 敵航空戦力を確認! 繰り返す、敵航空――」
通信の途中で爆発が起きる。猛烈な衝撃波が姉吉たちを飲み込み、通信は悲鳴だけを残して途絶えた。情報を持ち帰る暇すら与えられず、第10偵察大隊は制空権を握った敵の奇襲によって壊滅的な打撃を受けた。
――第35普通科連隊第5中隊――
「10偵、応答しろ!」
淵脇は繰り返し呼び掛ける。しかし返ってくるのは耳障りなノイズだけだった。その時、ドローンから映像が送られてくる。
映し出されたのは燃え上がる車両。逃げ惑う隊員。そして、その上空を悠然と旋回する鹵獲ヘリだった。
「淵脇三佐!」
智川が声を上げる。
「敵航空戦力を確認!」
「……数は?」
「少なくとも4機!」
淵脇の表情が険しくなる。
「二瓶、03式を展開しろ!」
「了解!」
対空班が慌ただしく発射機を展開し始める。だが、その準備を見届けるかのように、校門脇の植え込みが静かに揺れた。誰も気付かない。その影が人影であることに。
木々の陰から、一個大隊規模の帝国軍部隊が静かに姿を現した。先頭に立つのはファネッタ・イオクタン少佐。部下たちは一切声を発しない。足音すら最小限に抑えながら、自衛隊陣地へ包囲網を広げていく。
イオクタンは戦場全体を見渡した。上空では航空部隊が10偵を拘束している。正面では35普連第5中隊が対空戦闘の準備に追われている。誰も背後を警戒していない。
「……今です。」
小さな一言だけだった。右手が静かに振られる。それが攻撃開始の合図だった。轟音が地面を揺らす。
第5中隊前面へ埋設されていた地雷が一斉に炸裂した。爆風と土砂が舞い上がり、最前列の隊員たちが吹き飛ばされる。
「伏せろ!」
淵脇が叫ぶ。しかし、その声より早く帝国兵たちは飛び出していた。爆発によって崩れた陣形へ、一気に距離を詰める。常人では考えられない速度だった。
「応戦!」
自衛隊も直ちに射撃を開始する。89式小銃が火を吹き、数名の帝国兵が倒れる。しかし、残る兵は止まらない。
ジグザグに動きながら射線を切り、瞬く間に近接戦闘の距離へ入り込んだ。
「近い!」
「白兵戦だ!」
帝国兵の軍刀が振るわれる。防弾ベストの隙間を正確に狙った一撃。
一人、また一人と隊員が倒れていく。
淵脇は拳銃を抜き放ち、目前へ迫る敵兵へ発砲した。銃弾は命中する。だが、その直後には別の帝国兵が側面へ回り込んでいた。
激しい銃撃と怒号が入り乱れる中、イオクタンだけは一歩後方に立ち続けている。戦況を冷静に観察しながら、必要最小限の命令だけを下していた。
「右翼、押し込め。」
「左翼、退路を断て。」
部下たちは即座に動き、包囲網を完成させていく。アンタス中尉が敵陣を見回し、小さく頷いた。
「お見事です、少佐殿。」
イオクタンは視線を前へ向けたまま答える。
「まだ終わっていない」
その口調には勝利への高揚も慢心もない。あるのは、与えられた任務を遂行するという軍人としての責務だけだった。
第5中隊は懸命に抵抗を続ける。しかし、上空からの攻撃と地上からの包囲を同時に受け、徐々に戦線を押し潰されていった。
――ゆずり葉学園 正面玄関付近――
校舎外周を警戒していた廣嶋 史龍一曹は、通信機から流れてくる断続的な銃声と悲鳴に顔を強張らせた。つい先ほどまで近くで展開していた第5中隊の通信が、急速に減っていく。
「そんな……。」
通信機の向こうから聞こえてくるのは断末魔ばかりだった。やがて、木立の向こうに一団の姿が現れる。
返り血を浴びた帝国兵たち。その先頭には、イオクタン。彼女は校舎を見つめながら、ゆっくりと右手を上げる。その動作だけで帝国兵たちは横一列に展開し、ゆずり葉学園を取り囲み始めた。
廣嶋は思わず無線機へ叫ぶ。
「和戸一尉!」
息が上がる。喉が張り付く。それでも必死に言葉を絞り出した。
「正面玄関側、敵に包囲されました! 第5中隊は壊滅的被害! 現在、我々だけで食い止めていますが、このままでは持ちません!」
通信を終えた廣嶋は、小銃を構え直した。校門の向こうでは、帝国軍が着実に包囲を狭めてくる。校舎内では、まだ仲間たちが戦っている。退路は、すでに閉ざされつつあった。
登場人物紹介
段場 隼人……主人公
苫米地 杏南……隼人の同期で恋人
瀧嶋 達世……35普連1中隊所属
藏 来満……同上
橋本 紋次……35普連1中隊長
和戸 一暁……35普連2中隊長代理
ファネッタ・イオクタン……真鶴や湯河原をかく乱すべく結成された部隊の指揮官
フェア・アンタス……イオクタンの副官




