第47話 撤退戦ー悲劇の桂川ー
テリムト大月攻略隊野戦病院では、怒号が絶え間なく飛び交っていた。
「歩ける者はトラックへ! 重傷者はヘリへ搬送しろ! 手の空いている者は負傷兵を運べ!」
軍医ピーエイ・カインズ少佐の指示の下、衛生兵たちは血に染まった担架を抱えて走り回る。
片腕を失った兵士。
両脚を吹き飛ばされた兵士。
視力を失い、ただ天井を見つめる兵士。
勝利を疑わなかった帝国軍は、今や壊走寸前だった。
カインズは負傷兵を一瞥し、小さく舌打ちする。
(……助からん。)
瀕死の兵が並ぶ一角を見回し、傍らの看護兵へ低く命じた。
「苦痛を長引かせるな。」
「……了解しました。」
看護兵は表情一つ変えず薬液を注射器へ吸い上げる。戦場では、生き残る者を優先する。それが帝国軍の軍医だった。
一方、大隊長アイトンダも撤退を決断していた。
「補給路を断たれた以上、このまま戦えば全滅する。」
苦渋の決断だった。兵站を失った軍隊は戦えない。今は兵を残すことが最優先だった。その時、1人のラミア族下士官が進み出る。
「大佐殿。桂川を使いましょう。」
ガッキー・イブング曹長だった。
「我々なら負傷兵を背負ったまま川を渡れます。」
その一言で作戦は決まった。ラミア族が負傷兵を背負い川を渡る。リザードマンが護衛し、ケンタウロスが陸路を確保する。犬型獣人は負傷兵を捜索し、生き残った将兵が殿となる。帝国軍は総力を挙げて撤退戦へ移行した。
しかし、その動きは自衛隊も察知していた。
「敵が桂川へ向かっています。」
報告を受けた桐谷は双眼鏡を下ろす。
「追撃する。」
「ですが、こちらも消耗しています。」
王子野が慎重論を口にした。
「分かっている。」
桐谷は静かに答える。
「だが、ここで逃がした敵は、次の戦場でまた我々と戦う。」
短い沈黙のあと、
「1人でも多く敵兵を減らす。」
誰も異論を口にしなかった。
―夜の桂川―
月明かりだけが静かに水面を照らしていた。そこへ、巨大な蛇体が音もなく滑り込む。ラミア族だった。背中には重傷兵が乗せられている。
「しっかり掴まっていろ!」
イブングが叫ぶ。
その周囲をリザードマンが警戒しながら泳ぎ、負傷兵を守る。
あと少し。あと数十メートル。向こう岸へ届く――その瞬間だった。
「撃て。」
乾いた命令と同時に、無数の銃声が夜を切り裂いた。水柱が次々と立ち上がる。
「ぐあっ!」
負傷兵が川へ転落した。赤黒い血が流れへ広がっていく。
「沈むな! 腕を離すな!」
イブングは必死に叫びながら仲間を引き上げる。だが弾丸は容赦なく降り注いだ。
背負われた兵士も、泳いでいた兵士も、護衛のリザードマンさえ、次々と川へ沈んでいく。
「怪我人を撃ちやがって……!」
リレーボア少尉は怒りに任せ、小銃を撃ち返した。その弾丸が、自衛隊側の王子野を捉える。
「ぐっ……!」
「王子野さん!」
若い隊員が駆け寄る。
「俺はいい!」
王子野は傷口を押さえながら怒鳴った。
「攻撃を続けろ!」
再び銃を構えた、その時だった。
リレーボアの投げた手榴弾が弧を描く。
王子野たちの姿は煙の中へ消えた。
「撤退完了!」
最後の負傷兵が対岸へ到達する。
アレイア・ニカウィー少尉が大きく手を振った。
「殿も離脱する!」
帝国軍は一斉に川を離れた。桐谷は双眼鏡を下ろし、小さく息を吐く。
「……これ以上は追えない。」
部隊も限界だった。敵も味方も、もう戦える状態ではない。
「敵影、ありません。」
栫の報告を聞いた隊員たちは、その場へ座り込んだ。
「終わった……のか。」
誰かが呟く。しかし勝利を喜ぶ声は上がらない。大月は守り切った。それでも、多くの仲間が帰らなかった。
桂川の流れは、月明かりを映しながら静かに流れている。その水は、敵味方の血を分け隔てなく飲み込み、何事もなかったかのように闇の中へ流れていった。
この夜を生き延びた者たちは、その光景を決して忘れることはない。
登場人物紹介
桐谷 法征……第12偵察大隊長
栫 仁星……第12偵察大隊第3中隊所属
王子野 吹樹……第12偵察大隊所属の若手。殉職
ピーエイ・カインズ……陸軍少佐で、ヒト族の男性。テリムト軍の軍医
ガッキー・イブング……ラミア族の女性で、第1歩兵大隊所属
ライナー・リレーボア……陸軍少尉で、リザードマンの男性
アレイア・ニカウィー……陸軍少尉で、エルフの女性
ペーリ・アイトンダ……陸軍大佐で、赤鬼科鬼人族の男性。大月攻略隊長
グーリエ星に存在する種族
ラミア族……下半身が蛇で攻勢されている。男性よりも女性が多い。水中・水上・森林の中を素早く動ける。身体に巻き付かれると、たちまち骨が粉々になり、内臓は破裂する。巻き付かれた時の力の強さは、アナコンダやニシキヘビよりも強い。
リザードマン……蜥蜴の姿をした種族。卵生。水陸両用で動ける。スピードとパワーをバランスよく兼ね備える。




