第42話 シーソーゲーム
「……もう一度報告しろ。」
ホルナ・オズスリットリウム少佐は、通信タブレットの端末を強く握りしめた。
『上空哨戒部隊……全滅しました。』
その一言だけで十分だった。オズスリットリウムはゆっくりと目を閉じる。補給路は奪還された。さらに制空権を取り戻すために投入した天使族部隊まで失った。
無線越しに響いていた銃声や爆発音も、先ほどまでとは明らかに違っていた。激しかった戦闘音は次第に途切れ、自衛隊側が主導権を握り始めたことを物語っている。
「各隊の被害を報告しろ。」
静かな声だった。しかし、その場にいた副官たちは、その静けさの中に怒りが押し殺されていることを理解していた。
「現在、戦闘可能なのは約2個中隊です。」
副官のエスリー・ハインツ中尉が答える。
「……想定以上だな。」
開戦以来、多くの戦場を渡り歩いてきたオズスリットリウムだったが、これほど短時間で大隊が消耗した経験はなかった。そこへ、新たな通信が飛び込んでくる。
「大隊長殿!」
「報告。」
「第3中隊、壊滅。ジャック・アルジャ中尉、戦死しました。」
一瞬だけ、その場の空気が止まった。ハインツは思わず視線を落とす。アルジャは決して優秀な指揮官ではなかったが、前線を任せられるだけの経験は持っていた。その中隊が丸ごと崩壊したのである。
「……そうか。」
オズスリットリウムは短く答えると、戦況図へ視線を戻した。
「まだ第2中隊が健在です。」
側近のカミィ・アークス准尉が静かに口を開く。
「エレクトラオ中尉なら、この状況でも戦線を維持できるでしょう。」
その言葉に、オズスリットリウムは小さく頷いた。
「ならば時間はまだ残されている。」
そう言って腰の軍刀を抜き、静かに鞘へ収め直す。
「我々も前へ出る。」
「大隊長自らですか?」
「兵は指揮官の姿で戦う。」
その一言に異論を挟む者はいなかった。
「武器を取れ。」
「了解!」
副官と側近は一斉に敬礼し、オズスリットリウムの後に続いた。
一方その頃。
白木 歩夢准尉が率いる分隊は、森の中を慎重に前進していた。周囲には撃ち倒された帝国兵の遺体が点在し、硝煙の臭いがまだ濃く残っている。
「あのでかいオーガが中隊長だったようですね。」
柳田 俊輔二等陸曹が遺体へ目を向ける。
「あいつを倒してから敵の動きが鈍くなった。」
白木も周囲を警戒しながら答えた。
「指揮系統が崩れたんでしょう。」
敵の射撃は散発的になり、連携も目に見えて悪くなっていた。
その頃、第3中隊の生き残りでは混乱が広がっていた。
「誰が指揮を執る?」
伍長のコウ・コピウムが周囲を見回す。
誰も答えない。次席となる下士官も討たれ、生き残った者は皆、自分より誰かが前へ出ることを期待していた。
「お前がやれよ。」
「俺が?」
「ここじゃ一番古参だろ。」
「伍長だぞ、俺は。」
押し付け合いが始まる。誰1人として指揮官になりたくなかった。その空気を切り裂くように、1人の兵士長が前へ歩み出た。
「何を怖気づいていますの?」
猫型獣人の少女、エヒメ・ヴォラニュスだった。彼女は軍刀を抜き放つと、周囲を見渡した。
「敵は5匹程度ですわ。数はこちらが上です。勇敢な者は私に続きなさい!」
迷うことなく駆け出す。
「待て!」
コピウムが叫ぶ。
「隊形も組まず突っ込むな!」
しかし、その声は届かなかった。ヴォラニュスに続き十数名が森へ飛び込む。
その瞬間だった。乾いた発砲音が森へ響く。
白木たちは飛び出してきた敵兵を冷静に照準へ収め、1人、また1人と確実に撃ち抜いていく。突撃は1分も経たないうちに瓦解した。ヴォラニュスも胸を撃ち抜かれ、その場へ崩れ落ちる。
「……だから言ったんだ。」
コピウムは呆然と呟いた。わずかな時間で、第3中隊に残されていた兵力はさらに半減していた。
「もう終わりだ……。」
軍曹タリオスは小銃を握ったまま、その場へ膝をつく。戦意は完全に失われていた。白木は敵の動きが止まったことを確認すると、小銃を構え直す。
「敵はあと少しだ。」
その声に柳田たちも前進を開始する。誰もが、この戦いは終わったと思っていた。だが、その認識は次の瞬間、覆されることになる。
その時だった。森の向こうから羽ばたく音が幾重にも重なり、数人の天使族が上空へ舞い上がった。その先頭に立つ1人の姿を認めた瞬間、柳田の表情が強張る。
「……まさか。」
白木も視線を向けた。白銀の翼を広げた天使族の女性が、戦場全体を見下ろすように静止している。その姿には一切の焦りがなく、むしろ状況を観察する余裕すら感じられた。
「あれは……ホルナ・オズスリットリウム。」
柳田の声がわずかに震える。
「8年前、防衛大臣暗殺事件を指揮した張本人だ。首都圏奪還作戦では相模湾の護衛艦隊を突破し、多数の艦艇を沈めた帝国軍屈指の指揮官……。」
白木は思わず息をのんだ。その名は、自衛隊の間では知らぬ者がいない。
「どうして奴がここに……。」
その疑問に答える者はいなかった。
一方、オズスリットリウムは部下たちへ視線を向ける。アルジャ中隊の生き残りは、恐怖と混乱でまともな戦力とは言えない状態だった。
「撤退する。」
短い命令だった。
「私に続け。」
「りょ、了解!」
コピウムたちは慌てて立ち上がり、オズスリットリウムの後を追う。
「逃がすな!」
白木が叫ぶ。
「追撃する!」
「土井!」
「はい!」
「残敵は任せる!」
「了解!」
土井 近太郎陸士長は照準を切り替え、逃げ遅れた敵兵へ狙いを定めた。
逃走しようとした敵兵が振り返るより早く、一発の銃弾が眉間を撃ち抜く。そのまま前のめりに倒れた。続いて戦意を失っていたタリオスも、物陰へ逃げ込もうとしたコピウムも次々と撃ち倒される。土井は無駄弾を一発も撃たなかった。
オズスリットリウムは、その光景を一瞥しただけで振り返らない。
「……下らん。」
その呟きに感情はなかった。
「役目を終えた駒に執着する必要はない。」
彼女の関心は、すでにその先へ移っていた。
「武石一佐!」
白木からの報告が武石 哲也一等陸佐のもとへ届く。
『ホルナ・オズスリットリウムを確認しました!』
武石は一瞬だけ地図から目を離した。
「オズスリットリウムだと……。」
この戦場で最も危険な指揮官の1人。その本人が姿を現したのである。
「どうしますか?」
古伝間が訪ねる。武石は数秒だけ考え込む。
「……危険だ。」
そう呟いたあと、静かに続けた。
「だが、これほどの好機は2度と来ない。」
もしここで討ち取れば、敵の1個大隊の指揮系統は完全に崩壊する。山梨方面の戦局そのものが変わる可能性すらあった。
武石は決断する。
「全部隊へ通達。」
「目標、ホルナ・オズスリットリウム。」
「総力を挙げて討ち取る。」
「了解!」
各部隊へ一斉に命令が伝達される。
13普連情報小隊長の有永 勝太二等陸尉は、オズスリットリウムの現在位置を確認すると、即座に座標を共有した。その情報を受け、自衛官たちは各所から一斉に移動を開始する。
「麻生三尉!」
「白木!」
森の一角で両隊が合流した。疲労の色は濃い。それでも誰の表情にも期待が浮かんでいた。
オズスリットリウムを討つ。その共通の目的が、兵たちを前へ進ませていた。
その頃、上空ではオズスリットリウムが静かに戦場を見渡していた。
「大隊長殿。」
側近のアークス准尉が報告する。
「予定位置まで誘導を完了しました。」
「そうか。」
オズスリットリウムは小さく頷く。そして、眼下で集結し始めた自衛隊部隊を見下ろした。
「頃合いだ。」
アークスは通信機へ手を伸ばす。
「各隊、準備。」
短い沈黙。そして――
「――始めろ。」
次の瞬間だった。
森の左右から無数の銃口が一斉に火を噴く。
激しい銃声が山中へ轟いた。
「伏兵!」
白木が叫ぶ。その叫びとほぼ同時に、自衛官たちが次々と撃ち倒されていく。
「ぐあっ!」
「伏せろ!」
「どこから撃っている!」
希望へ向かって駆け出した部隊は、一転して十字砲火の中へ投げ込まれていた。麻生は倒木の陰へ身を伏せながら低く呟く。
「……罠か。」
自分たちが敵を追い詰めたのではない。敵に誘い込まれていたのだ。
木々の間から姿を現したのは、第2歩兵大隊最後の戦力、第2中隊。十分な兵力を温存していたその中隊が、待ち伏せのためだけに配置されていたのである。
オズスリットリウムは上空からその光景を静かに見下ろしていた。
「盤面は整った。」
誰に語るでもない独り言だった。
「ここからが反撃だ。」
自衛隊が握ったと思われた主導権は、再び帝国軍の手へと移ろうとしていた。
ホルナ・オズスリットリウム
種族・性別:天使族の女性
所属・階級:陸軍少佐、第2歩兵大隊大隊長
オズスリットリウムの部下
エスリー・ハインツ……陸軍中尉で、ヒト族の男性
カミィ・アークス……陸軍准尉で、ヒト族の女性
白木 歩夢……13普連2中隊所属の陸准尉
柳田 俊輔……13普連2中隊所属の二等陸曹
土井 近太郎……13普連1中隊所属の陸士長




