第38話 罠
森は静まり返っていた。互いの距離は十歩にも満たない。ラランワ・アスゲニフ少佐は拳銃を下げたまま、イガを見つめていた。
「……わざわざ姿を見せるとはな。」
薄く笑う。
「何を考えている?」
イガは答えない。照準だけが、微動だにせず相手の胸を捉えていた。
「まあいい。」
アスゲニフは肩を竦める。
「どうせ、お前は喋らない。」
その瞬間だった。地面を蹴る音が消えた。
「!」
一気に間合いを潰す。イガは咄嗟にナイフを抜き、拳へ突き立てようとした。だが――
「甘い。」
乾いた金属音。アスゲニフは腕甲で刃を受け流す。次の瞬間、膝が跳ね上がった。
鈍い衝撃。イガの視界が揺れる。続けざまに軍靴が閃いた。靴底に仕込まれた細い刃が頬を浅く裂く。熱い感触。血が顎を伝った。
(毒はない。)
イガは傷口よりも刃先を見ていた。
(毒を使う相手ではない。)
「ほう。」
アスゲニフが笑う。
「今ので動けるか。」
「……。」
イガは無言のまま距離を取り直した。互いの呼吸だけが森へ溶けていく。その数十メートル横では、別の戦いが始まっていた。
「へぇ。」
セルチュク・ガー軍曹が軍刀を弾いた。
「なかなかやるじゃん。」
ハンゾウの銃剣が火花を散らす。互いに一歩も引かない。
そのさらに奥。
「ひぃ〜!」
キキ・ディオンヌ一等兵が情けない声を上げる。
「一番弱そうなの選んだのに!」
返事はない。フウマのナイフだけが何度も喉を狙う。軽口を叩く余裕はあっても、その表情から笑みは消えていた。
全員が理解している。一瞬でも隙を見せれば終わる。
同じ頃、数キロ離れた森。
ネウレイ・マーファク准尉は受信機へ耳を当てていた。
雑音、暗号、短い交信。それだけで十分だった。
「……なるほど。」
口元が歪む。
「三班編成か。」
紙へ素早く線を書き込む。
「行動半径も一定。」
視線は地図の一点で止まった。
「癖がある。」
無線機を取る。
「トロイカ大尉。」
『どうした?』
「そちらへ2匹向かいます。」
『2匹?』
「ええ。」
マーファクは笑う。
「こちらの獲物は泳がせます。」
『……珍しいな。』
「工兵隊が良い仕事をしてくれましてね。」
地図にマーキングする。
「罠へ誘導します。」
数秒の沈黙。やがて通信機の向こうで笑い声が響いた。
『面白い。』
「ありがとうございます。」
通信は切れた。マーファクは工兵たちが潜む森を一度だけ振り返る。
「後は予定通りだ。」
静かに歩き始めた。
その頃、コウガ班。
通信機が鳴る。
『コウガ。』
隊長イガの声だった。
『作戦変更だ。』
コウガは立ち止まる。
『前線へ戻れ。』
『敵伏兵。別当一佐以下六名戦死。ハチヤとタキだけでは持たん。』
コウガは返事をしなかった。
ほんの数秒、沈黙が続く。
「どうしました?」
ゴエが尋ねる。
「……いや。」
通信は続く。
『補給路はこちらで押さえる。急げ。』
「了解。」
通信が切れた。
しかし。コウガは歩き出さない。
「ゴエ。」
「はい?」
「違和感は?」
ゴエは即答した。
「あります。」
「だよな。」
「隊長の声でした。」
「声はな。」
コウガは森を見る。
「でも、喋り方が違う。」
ゴエも頷く。
「情報も細か過ぎます。」
「だが……。」
命令は命令だった。偽物だという証拠がない。
「行くぞ。」
「了解。」
二人は踵を返した。その背後で、木々の影が静かに動いた。
「来ました。」
マーファクが囁く。通信機へ口を寄せる。
「G地点、射程内です。」
『了解。』
トロイカの声。
『撃て。』
銃声が森を裂いた。
「伏せろ!」
コウガが叫ぶ。2人は同時に倒れ込む。頭上を弾丸が抜けた。木片が飛び散る。
「やっぱり。」
ゴエが苦笑した。
「罠でしたね。」
コウガは遮蔽物へ滑り込む。敵の位置を数える。
(1、2、3……。)
(6人。)
息を吐く。
「これは……。」
ライフルを構え直した。
「少々きついな。」
一方。
ダンゾウは1人で森を進んでいた。静かすぎる。鳥も鳴かない。風だけが枝を揺らしている。
(いる。)
敵ではない。罠だ。視線を地面から枝先へ移す。
葉の裏、倒木、蔦。何かが不自然だった。
「……。」
電子音、ごく微かな点滅。
(見つけた。)
だが起爆しない。
(誘っている。)
一歩、また一歩。その時だった。
風が吹いた。枯枝が肩へ落ちる。
「!」
反射だった。「てっぱち」を脱ぎ捨てる。
直後、枝が爆ぜた。
無数の木片が刃となって飛ぶ。袖が裂ける。頬が切れる。「てっぱち」は粉々に砕け散った。
(枝が爆薬……。)
理解した瞬間、銃声が聞こえる。
ダンゾウは地面へ転がった。森の奥から敵が姿を現す。その爆発音を聞いたマーファクは笑った。
「始まった。」
計画通りだった。
一方その頃、イガ班。
「ふう、思ってたよりもやるな。だが、それでも私たちの敵ではなかった。」
アスゲニフは、暗器についた返り血を拭き取ると、虫の息となっていたハンゾウとフウマの前にゆっくりと歩み寄った。
「お前たちの隊長は、優秀だった。だが、お前たちは、ただの犬に過ぎない。」
アスゲニフは、そう冷たく言い放つと、ハンゾウとフウマの後頭部に、躊躇なく拳銃の銃口を突きつけた。
森は奇妙なほど静かだった。そして――アスゲニフの指が、ゆっくりと引き金にかかる
登場人物紹介
ネウレイ・マーファク
種族・性別:狼型獣人族の男性
所属・階級:陸軍准尉、特殊作戦部隊支隊長の1人
備考:要人暗殺のため、自衛隊の中に潜んでいたが、暗殺を実行する前に次の作戦に移行していたので暴れ足りない。
特戦群
イガ……特戦群の隊長格
ハンゾウ……特戦群。イガと共に行動する。
フウマ……特戦群、イガと共に行動する。
コウガ……特戦群の隊長格。
ゴエ……特戦群、コウガと共に行動する。
ダンゾウ……特戦群の隊長格。仲間の負傷により、単独行動となる。
アステリム帝国軍
ラランワ・アスゲニフ……テリムト特特殊作戦部隊の部隊長
セルチュク・ガー……アスゲニフの部下
キキ・ディオンヌ……アスゲニフの部下
フィアン・トロイカ……テリムト特殊衣作戦部隊支隊長の1人
アジウ・ガックス……陸軍軍曹で、ヒョウ型獣人族の男性。トロイカの部下
デイジー・カムイリ……陸軍伍長で、ヒョウ型獣人族の女性。トロイカの部下
※2)爆弾や切れ味鋭い刃物は、木の葉や枝に見せかけて設置していた。爆弾や刃物と気付かない程、精巧に作られている。




