第342話 不退の矜持
中部方面総監の国分 弘典陸将のもとに、九州方面から通信が入った。連絡してきたのは、九州奪還作戦の最高司令官を務める桂 蘭次郎陸将だった。
『国分です』
国分が応答すると、桂は挨拶もそこそこに用件を切り出した。
『国分総監、九州奪還作戦について、増援をお願いしたい』
国分は思わず眉をひそめた。
(援軍?)
第10師団を出動させたいということだろうか。だが、同師団の残存戦力については、幸目や浅原とも協議したうえで温存する方針を決めている。九州方面の戦況が厳しいことは承知していたが、これ以上の人員を送り出せば、今後の事態に対応する余力まで失いかねなかった。
国分はその事情を説明しようとしたものの、桂が何を求めているのか、ふと思い当たった。
『ドローンですね』
『ええ、中部方面隊が保有するドローンと、その運用要員を派遣していただきたい』
予想は当たっていた。
国分は椅子に深く腰掛け直し、頭の中で隷下部隊の状況を整理した。確かに、ドローンであれば人員を大量に投入することなく、偵察をはじめとした任務を補助できる。戦闘によって消耗した部隊にとって、利用できる手段が1つでも増えることには意味があった。
しかし、中部方面隊に所属する隊員の誰もがドローンを扱えるわけではない。機体を保有していても、それを運用できる隊員がいなければ戦力にはならず、実際に送り出せる人数も限られるだろう。九州方面が必要としている規模を考えれば、仮に増援を用意できたとしても、雀の涙程度にしかならない可能性があった。それでも、国分の判断は決まっていた。
(何もしないよりマシだ)
『分かりました。至急、各部隊に打診します。』
『頼みます』
通信を終えた国分は、すぐに隷下部隊の状況を確認するよう指示を出した。ドローンの保有数だけでなく、実際に運用できる隊員がどれほど残っているのかを把握しなければ、派遣の可否を判断することもできない。
一方、桂は通信を終えると、大分方面の戦況に思いを巡らせた。
国分から確約を得られたわけではない。それでも、増援を確保するための働きかけは始まった。あとは現地の部隊が、それまで持ちこたえられるかどうかだった。
(手は打った。しばし耐えてくれ)
桂の脳裏には、大分で戦い続ける部下達の姿が浮かんでいた。
*
「はあはあ…」
荒い呼吸を繰り返しながら、第1空挺団第2普通科大隊長の浪城 激二等陸佐は、重くなった瞼を必死に持ち上げていた。
一体、どれほどの時間を戦い続けているのだろうか。意識がぼんやりとして、つい先ほど受けた報告さえ思い出すのに時間がかかる。眠気に負けて目を閉じれば、そのまま意識を失ってしまいそうだったが、浪城は歯を食い縛り、何とか覚醒した状態を保っていた。これまで不眠不休で戦闘を続けてきた身体は、すでに限界を迎えつつあった。
幸いにも、補給だけは途絶えていなかった。弾薬や食料は定期的に届けられ、戦闘で消耗した物資を補うことができている。補給を受けられずに戦い続ける部隊もあることを考えれば、恵まれた状況と言えるのかもしれない。しかし、いくら弾薬や食料が届いても、疲労した身体まで元に戻るわけではなかった。
浪城自身、最後にまとまった睡眠を取ったのがいつだったのか、すぐには思い出せなかった。周囲の隊員達も同じような状態で、僅かな休息の間に居眠りを始める者や、立ち上がろうとして足元をふらつかせる者まで現れている。
それでも敵の攻撃が始まれば、隊員達は眠気を振り払い、銃を手にして持ち場へ戻っていった。
「浪城二佐、少しでも休まれては?」
竹下 泰端一等陸尉が声を掛けてきた。
その顔には浪城に劣らぬ疲労が浮かんでおり、目の下には濃い隈ができていた。それでも上官を気遣うだけの余裕は残っているらしい。
「俺が寝ている間に敵が来たらどうする。お前こそ休める時に休んでおけ」
「その言葉、そっくりお返ししますよ」
竹下は苦笑したが、それ以上は何も言わなかった。浪城が一度決めたことを容易には曲げない人物だと、よく知っていたからだ。
2人の会話を遮るように、前方から銃声が響いた。
続いて爆発音が重なり、地面を伝わってきた振動が浪城の足元を揺らした。後方で休息を取っていた隊員達も一斉に顔を上げ、反射的に小銃を引き寄せる。
『前方で敵部隊を確認! こちらへ接近しています!』
無線から切迫した報告が届いた。
浪城は眠気を振り払うように頭を振ると、双眼鏡を手に取って前方を確認した。
視界の先では帝国軍の歩兵が遮蔽物を利用しながら前進していた。敵は1ヶ所に固まることなく、互いに間隔を取りながら接近しており、その後方には車体の一部を露出させた戦車の姿も確認できた。
「また来やがったか……」
竹下が吐き捨てるように言った。
浪城は双眼鏡を動かし、敵戦車の位置と周囲の歩兵の動きを確かめた。戦車が姿を見せた以上、前方の隊員たちに対して警戒を促さなければならない。
「前田を呼べ。対戦車小隊に敵戦車の位置を伝えろ。それから各中隊にも警戒を徹底させろ」
「了解!」
近くにいた隊員が返事をすると、すぐさま連絡に向かった。
浪城は再び双眼鏡を覗き、敵の前進を追った。
これまでにも敵の攻撃は幾度となく退けてきたが、そのたびに味方の負傷者が増え、戦闘に参加できる隊員は少しずつ減っていた。補給によって弾薬不足こそ避けられているものの、失われた人員を容易に補うことはできない。
敵歩兵の姿が遮蔽物の陰に消えた直後、前方から激しい銃声が響いた。浪城達のいる場所にも弾丸が飛来し、近くの地面から土砂が跳ね上がった。
「伏せろ!」
竹下が叫ぶのとほぼ同時に、浪城は身を低くした。
弾丸が頭上を通過する音が聞こえ、少し離れた場所では何かが砕け散る音もした。前方の隊員達が応射を始めると、双方の銃声が重なり、敵の位置を耳だけで判断することは難しくなった。
浪城は無線を手に取り、各隊の状況を確認した。
応答する隊員達の声には疲労が滲んでいたものの、敵の位置や射撃状況に関する報告は的確だった。長時間の戦闘によって集中力が低下していることは明らかだったが、隊員達は何とか持ち場を維持していた。
そこへ、塗 渉二等陸曹から報告が入った。
『こちら塗! 敵歩兵が接近中! 射撃を継続しています!』
浪城は無線越しに聞こえる銃声の激しさから、塗のいる場所にも相当な圧力がかかっていることを察した。
「無理に前へ出るな。今いる位置を維持しろ!」
『りょ!』
短い返答が届き、浪城が無線を戻そうとした瞬間だった。塗のいる方向で激しい爆発が起きた。
地面から大量の土砂が噴き上がり、周囲を覆うように広がっていく。爆発の衝撃が遅れて浪城たちのいる場所まで伝わり、銃声に混じって隊員達の叫び声が聞こえた。浪城は反射的に無線を握り直した。
『塗、応答しろ! 塗!』
返事はなかった。爆発地点の周囲では、なおも敵の銃撃が続いているらしく、無線の向こうから断続的な射撃音が聞こえていた。
浪城がもう一度呼び掛けようとしたところで、別の隊員から報告が入った。
『塗二曹が被弾! 救護を試みていますが、反応がありません!』
その言葉を聞いた浪城は、思わず奥歯を噛み締めた。しかし、今は指揮を執らなければならない。
『……救護を続けろ。ただし、他の隊員まで危険に晒すな』
『了解!』
浪城は無線を下ろした。
救護の結果を待つ間にも、敵の攻撃は止まらなかった。前方では銃声と爆発音が絶え間なく響き、負傷者を後方へ運ぼうとする隊員たちにも危険が迫っていることが分かった。
浪城は塗の安否を気に掛けながらも、他の隊員達から届く報告に応じ、戦闘を継続するための指示を出し続けた。
しばらくして、塗の死亡が確認されたとの報告が届いた。浪城は一瞬だけ目を閉じ、短く息を吐いた。
(すまん、塗……)
それ以上の言葉は浮かばなかった。
何かを考えようとするたびに、前方から新たな銃声が響き、別の隊員から報告が入ってくる。塗をはじめとした部下達の死を悼む時間すら与えられない状況に、浪城は胸の奥が締め付けられるような思いを抱いた。
「二佐、第7普連の園一尉から通信です」
竹下の声に、浪城は顔を上げた。浪城は無線を手に取った。
『こちら園です。浪城大隊長、我が中隊も損耗が激しく、これ以上の戦闘継続は困難と判断しています。一度後退し、態勢を立て直すべきではありませんか?』
園の声には、疲労と焦りが滲んでいた。浪城はすぐには答えなかった。
第7普連の隊員たちも、自分達と同じように長時間の戦闘を強いられている。戦闘を続ければ負傷者はさらに増え、十分な休息を取れない状態が続けば、いずれ部隊としての機能を維持することさえ難しくなるだろう。
園の具申には、それだけの理由があった。それでも浪城には、ここで退くという選択肢を受け入れることができなかった。
『園一尉、言いたいことは分かる。だが、今ここを放棄すれば、敵は後方へ進出する。そうなれば、我々がこれまで食い止めてきた意味がなくなる』
『しかし、このままでは隊員達が持ちません!』
園の訴えは切実だった。浪城自身も、それが決して大げさな言葉ではないことを理解していた。現に、塗を失ったばかりであり、周囲の隊員達も限界に近づいている。
『承知している。だからこそ、持ちこたえられる間に敵を1体でも多く食い止めるんだ』
無線の向こうで園が言葉を失った。
浪城は通信を維持したまま、周囲を見渡した。
疲労で顔色を悪くした隊員達が、それでも銃を握り、敵のいる方向へ視線を向けている。休息を取らせたいという思いはあったが、今ここで戦闘を中断すれば、敵の前進を許すことになる。
そんな浪城の様子を見ていた1人の隊員が、声を掛けてきた。
「二佐、俺達は引くつもりはありませんよ」
浪城はその隊員へ目を向けた。
声を掛けてきた隊員も、決して余裕があるわけではなかった。額には汗が滲み、疲労のためか目元にも力がなかったが、その手は小銃をしっかりと握っていた。
第1空挺団には、「精鋭無比」という言葉がある。
浪城にとって、それは単なる標語ではなかった。厳しい訓練に耐え、困難な任務を遂行するために培ってきた誇りであり、どのような状況でも最後まで責任を果たすという覚悟でもあった。しかし、部下に犠牲を強いるための言葉であってはならないことも、浪城は理解していた。
目の前の隊員達が、どれほどの疲労を抱えながら戦っているのか。負傷した仲間を救おうとする者達が、どれほど危険な状況に置かれているのか。それらを知らずに戦闘継続を命じているわけではなかった。
(塗まで失った。これ以上、誰も死なせたくはない……)
それでも、撤退を命じることができない自分がいた。
浪城は再び無線へ意識を向けた。
『園一尉、貴官の具申は受け止めた。だが、我々はまだ戦える。第7普連にも、もう少し踏ん張ってもらいたい』
しばらく沈黙が続いた後、園から返答が届いた。
『……了解しました』
浪城は通信を終えると、竹下へ向き直った。
「俺も前へ出る。各隊の状況を確認するぞ」
「浪城二佐まで出る必要はありません。ここで指揮を執ってください」
竹下は即座に制止した。
敵の攻撃が続いている以上、大隊長まで前方へ出れば、指揮そのものに支障が生じる危険がある。竹下の言葉には、上官の身を案じる気持ちだけでなく、指揮機能を維持しなければならないという考えもあった。しかし、浪城は小銃へ手を伸ばした。
「隊員達が限界なのは分かっている。だからこそ、俺だけ安全な場所で休んでいるわけにはいかん」
竹下は何か言いかけたが、浪城の表情を見て口を閉じた。
浪城は小銃を手に取り、疲労で重くなった足を踏み出した。少し歩いただけでも身体の節々が痛み、睡眠不足によって鈍くなった頭を働かせるには、強い意志が必要だった。それでも足を止めるつもりはなかった。
空挺団の誇りを口にするだけなら、誰にでもできる。その言葉に恥じない行動を取れるかどうかは、今この瞬間に問われているのだと、浪城は考えていた。
*
その頃、ビービ達GASTの隊員は、友軍が戦闘を続けている場所を目指して足早に移動していた。
(急げ…急がないと…)
ビービは前方へ視線を向けたまま、歩調を緩めなかった。
GASTの隊員達にも疲労は蓄積していた。交戦を重ね、十分な休息を取れないまま行動を続けている以上、身体への負担が小さいはずはない。それでも、疲れていることを理由に仲間を見捨ててよいわけではなかった。
空挺団と普通科連隊の隊員達は、今も帝国軍の攻撃を受けながら戦い続けている。彼らがどれほど消耗しているのか、ビービには正確なところまでは分からなかったが、援護が必要な状況にあることだけは確かだった。
ビービは呼吸を整えながら、さらに足を速めた。一刻も早く、友軍のもとへ辿り着かなければならなかった。
登場人物紹介
国分 弘典……中部方面総監
桂 蘭次郎……九州奪還作戦の最高司令
浪城 激……第1空挺団第2普通科大隊長
竹下 泰端……第1空挺団第2普通科大隊所属の一等陸尉
園 佳行……第7普通科連隊第1中隊長
殉職した隊員
塗 渉
生年月日:1992年12月26日生まれ / 出身:千葉県
階級:二等陸曹 / 所属:第1空挺団第2普通科大隊
享年:30歳




