第340話 退く銃声
エミッショ・コイン陸軍准将は、第4歩兵科連隊の指揮所での協議を終えると、リストコミュニケーターを操作し、ラリグアン少将へ連絡を取った。
コインは通信が繋がるのを待ちながら、先程の協議で決まった方針を改めて確認した。陸路の輸送経路を変更するだけでなく、航空輸送を併用することで、地上の輸送部隊に集中していた負担を軽減する必要がある。
やがて、ラリグアンから応答があった。
『コインか? どうした?』
『ラリグアン少将、兵站の輸送について報告があります。現在使用しているAルートでは、敵の攻撃による損害が拡大しています。陸路では迂回経路へ変更するとともに、航空輸送を併用することにしました』
『航空輸送だと? どこへ運ぶつもりだ?』
『かつて空港として使われていた場所を使用します。シビスエとも話はついています。輸送経路には斥候を派遣しており、現時点で対空装備は配備されていませんでした』
ラリグアンは、すぐには返答しなかった。
輸送機を利用すれば、陸路とは異なる経路でまとまった量の物資を運ぶことができる。しかし、輸送機が飛行中に攻撃を受ければ、積載している物資だけでなく機体まで失う危険があった。斥候によって対空装備の配備が確認されなかったとしても、輸送経路の安全が完全に保証されたわけではない。
『滑走路の使用に問題はないのか?』
『輸送機の運用に支障がないか、現在、187偵察飛行中隊が哨戒中です。陸路の輸送を完全に停止するわけではありません。輸送手段を分散させることで、敵の攻撃による損害を抑えるつもりです』
『なるほど。陸路を狙われている以上、空路を利用するのも一つの手か』
『はい。ジーノンとも調整し、輸送する物資の振り分けを進めます』
ラリグアンはコインの説明を聞き、しばらく考えた。
第12補給連隊が担う物資輸送を陸路だけに依存させれば、再び敵の攻撃によって輸送が滞る恐れがある。一方、航空輸送を併用すれば、輸送経路を分散できるものの、新たに航空機の安全を確保する必要が生じる。
『分かった。ただし、航空輸送を始める前に、滑走路と飛行経路の安全確認は徹底しろ。輸送機まで失うわけにはいかん』
『了解しました』
ラリグアンとの通信を終えたコインは、近くにいた第20航空支援隊長、アルマルク・シビスエ空軍大佐へ顔を向けた。
「ラリグアン少将の了承は得られた。旧福岡空港の滑走路を利用する方向で準備を進めてくれ」
「了解しました。航空輸送の準備に取りかかります」
シビスエは直ちに航空輸送の準備を進めるため、コインのもとを離れた。
コインもまた、第12補給連隊長のジャスティナ・ジーノン大佐との調整に移った。陸路で輸送する物資と航空輸送に振り分ける物資を整理しなければ、輸送手段を増やしたところで十分な効果は得られない。
前線部隊の撤退と並行して、帝国軍は輸送体制の立て直しを進めようとしていた。
その頃、前線で戦闘を続けていた帝国軍の各部隊にも、撤退命令が伝達され始めていた。
『こちら第31歩兵科大隊本部。各部隊へ通達する。現時点をもって戦闘を切り上げ、順次撤退を開始せよ。残存戦力は再編後、輸送部隊の護衛任務へ移行する』
通信を受けた帝国兵の1人は、思わずリストコミュニケーターへ目を落とした。
先程まで敵の攻撃を押し返すために応戦していたにもかかわらず、突然、後退を命じられたのである。周囲では依然として銃声が響いており、敵の射撃も弱まっていなかった。
「撤退? 何で?」
「いいから急げ! 撤退するぞ!」
「でも、輸送部隊の援護は?」
疑問を口にした兵士が後方へ目を向けた瞬間、近くの地面に銃弾が着弾した。跳ね上がった土砂に思わず身をすくめると、別の帝国兵がその肩をつかみ、遮蔽物の陰へ引き戻した。
「まだ敵が撃ってきています!」
「分かっている! 撃ち返しながら下がれ! ここで全滅するつもりか!」
兵士達は遮蔽物から銃口を突き出し、敵のいる方向へ応射した。発砲を繰り返す間に数人が後方へ移動を始め、十分な距離を取ったところで振り返ると、今度は彼らが援護射撃を行った。
その射撃に合わせて、前方に残っていた兵士たちも移動を開始した。
しかし、すべての部隊が順調に撤退できているわけではなかった。
敵の射撃が激しい場所では、遮蔽物から離れた途端に銃弾が飛来し、後方へ走り出した兵士が地面に倒れることもあった。仲間が倒れたことに気付いた帝国兵が振り返ろうとしたものの、すぐ近くに着弾した銃弾によって足を止められた。
「くそっ! あいつが撃たれた!」
「今は戻るな! こっちまでやられるぞ!」
「だが、このままじゃ!」
「敵の射撃が収まるまで待て! まずは遮蔽物に入れ!」
帝国兵達は敵の射撃を警戒しながら、後方への移動を続けた。
前進を命じられていたときには敵を押し返すことだけを考えていた兵士達も、今は無事に戦闘地域から離脱することを優先せざるを得なかった。
第59輸送大隊でも撤退に向けた動きが始まっていた。
大隊長のクッシャー・チュリプリムは、手にしていた98式大口径実体弾小銃を構え直した。
「このクッシャー・チュリプリムが殿を務める! 貴官らは速やかに撤退しろ!」
その言葉を聞いた部下の1人が、驚いた様子で振り返った。
「大隊長、無茶をしないで下さい! 大隊長にまで何かあったら…」
チュリプリムは部下へ向き直ると、厳しい表情で言い放った。
「馬鹿もん! 部下を守るのも上官の役目だ! 今、隊に必要なのは、物資を届ける貴官らのような兵士なのだ! 大隊長の命令は素直に聞け! 何、無理な戦闘をするつもりはない」
部下はなおも何か言いかけたものの、チュリプリムの態度が変わらないことを悟り、それ以上引き留めようとはしなかった。
「大隊長殿…ご武運を!」
敬礼した部下が後方へ走り去ると、チュリプリムは前線へ視線を戻した。
離れた場所からは依然として銃声が聞こえており、撤退命令が伝わっていても、すぐには離脱できない兵士が残されていることが伺えた。
チュリプリムは98式大口径実体弾小銃を握り直し、周囲の遮蔽物を利用しながら、前線に取り残された部下を探しに向かった。
その途中、前方で銃声が続けざまに響いた。
チュリプリムが身を低くして様子をうかがうと、帝国兵の1人が敵の射撃を受け、遮蔽物から動けなくなっていた。
兵士がわずかに身を乗り出した途端、すぐ近くの地面が銃弾によって抉られた。慌てて身を引いた兵士は、後方から近づいてきたチュリプリムの姿に気づくと、驚いた表情を浮かべた。
「おい! 撤退命令は聞こえているな!」
「大隊長殿!? どうしてここに!」
「貴官らを迎えに来た! まだ動けるか!」
「動けます! ですが、敵の射撃が激しくて!」
チュリプリムは兵士が身を寄せている場所と、その前方を確認した。
敵の射撃が続いている間に遮蔽物から飛び出せば、後方へ到達する前に撃たれる危険がある。しかし、ここに留まり続けたところで状況が改善する保証はなく、ほかの部隊が撤退してしまえば、取り残された兵士はさらに孤立することになる。
「私が撃つ! その間に後ろへ下がれ!」
チュリプリムは98式大口径実体弾小銃を構え、敵の射撃が行われている方向へ銃弾を撃ち込んだ。
大きな発砲音が響き、反動を受けた銃身がわずかに跳ね上がる。チュリプリムが続けて射撃を行うと、遮蔽物に身を寄せていた兵士がその機会を逃さず立ち上がり、後方へ走り出した。
「止まるな! そのまま行け!」
兵士は振り返ることなく走り続け、やがて後方の遮蔽物へ飛び込んだ。それを確認したチュリプリムも射撃を止め、敵の反撃を受ける前に身を引いた。
「大隊長殿! こちらです!」
先ほど救出した兵士が、離れた場所から声を上げた。
「分かっている! 貴官は先に下がれ!」
チュリプリムは周囲にまだ取り残されている部下がいないかを確認しながら、慎重に後方へ移動した。
自ら殿を務めると宣言した以上、部下を置き去りにして撤退するつもりはなかった。しかし、敵との交戦を長引かせれば、救出した兵士まで再び危険にさらすことになる。
チュリプリムは敵のいる方向へ銃口を向けたまま、部下達が撤退していく様子を見守った。
GASTも、帝国軍の動きが変化したことに気付いていた。
アルバトロス班が交戦していた敵兵は、それまでのように前進を試みることなく、射撃を続けながら少しずつ後方へ移動していた。遮蔽物の陰にいた兵士が別の位置へ移り、残された者が援護射撃を行う様子からも、単なる陣地の変更ではないことがうかがえた。
「敵が下がっているぞ! 撤退か?」
ゴルムが、照準の向こうで後退する帝国兵を見ながら声を上げた。
「そう見えるな。だが、追いかけすぎるなよ」
ブエンテロは敵の動きを警戒しながら答えた。
「今までの班長なら、ここで追っていたのに。どういう心変わりで?」
ゴルムは意外そうにブエンテロへ顔を向けた。
「敵が逃げているからって、何も考えずに追いかけていいわけじゃない。後ろに何がいるか分からんだろ!」
ブエンテロがそう言った直後、後退していた帝国兵の1人が振り返り、こちらへ向けて発砲した。銃弾が近くの地面を叩き、ゴルムは反射的に身を低くした。
「まだ撃ってきやがる!」
「当たり前だろ。向こうだって、黙って撃たれるつもりはないんだ」
ブエンテロは遮蔽物から敵の位置を確認し、銃口を向けた。
「右側、まだ2体残っている!」
ゴルムが指し示した先では、2人の帝国兵が後方へ移動しようとしていた。うち1人は振り返って射撃を行い、もう1人は近くの遮蔽物へ向かっていた。
「確認した。撃てるうちに仕留めるぞ!」
ブエンテロは銃床を肩に押し当て、後方へ移動している帝国兵へ照準を合わせた。
引き金を引くと銃声が響き、銃弾を受けた帝国兵が前のめりに倒れた。もう1人は仲間が倒れたことに気づき、慌てて遮蔽物へ身を寄せようとしたものの、ブエンテロが続けて放った銃弾を受け、その場に崩れ落ちた。
「よし、2体撃破」
ゴルムはそう言いながら、さらに後方へ逃げていく帝国兵へ視線を向けた。
敵の姿はまだ見えていたが、距離は次第に開いていた。先程まで激しく交戦していた場所にも帝国兵の姿は少なくなっており、残された者たちも援護射撃を続けながら後退していた。
「敵がさらに下がった!」
ゴルムは遮蔽物から身を乗り出し、逃げていく敵を追おうとした。
「追うな! そこから先は深追いになる!」
ブエンテロに制止されたゴルムは、不満そうに振り返った。
「まだ敵が見えている!」
「見えているからって、必ず仕留められるとは限らん。それに、ここから先へ進めば、今まで使っていた遮蔽物から離れることになる」
ブエンテロは後退する帝国兵の動きを見ながら、ゴルムがそれ以上前進しないことを確認した。
「とても班長の指示とは思えん…」
「余計なお世話だ」
ブエンテロは悪態をついた。
ゴルムは肩をすくめると、再び敵のいる方向へ視線を戻した。
「それで、どうする? このまま見送るのか?」
「射程内にいる奴は撃つ。ただし、こっちから無理に距離を詰めるな。逃げた奴を追いかけて、今度は俺達が撃たれたんじゃ笑い話にもならん」
「了解。撃てる奴だけ撃てばいいんだな」
ゴルムは銃を構え直し、後方へ移動している帝国兵の姿を探した。
その時、離れた場所から再び銃声が聞こえてきた。
「まだやっているな」
ゴルムが音のした方向へ顔を向けると、ブエンテロも周囲の様子を確かめた。
「ほかの連中も交戦しているんだろう。こっちはこっちで警戒を続けるぞ」
「りょ」
ゴルムは照準を覗き直したものの、先程まで見えていた帝国兵は、既に遮蔽物の向こうへ姿を消していた。
「ちっ、もう隠れやがった」
「無理に撃つな。見えない相手を狙ったところで仕方ないだろ」
「りょ」
ゴルムは銃口をわずかに下げ、敵が再び姿を見せないかを確認した。
周囲では散発的な銃声が続いていたが、アルバトロス班の前方に残っていた帝国兵の数は明らかに減っていた。敵が後退するにつれて射撃の間隔も長くなり、やがてゴルムの照準の中から帝国兵の姿が消えた。
「……もう見えなくなったな」
ゴルムは照準から目を離し、周囲を見渡した。
「そうだな。だが、まだ油断するなよ」
ブエンテロは銃を下ろさず、帝国兵が撤退していった方向を警戒し続けた。
「また戻ってくるかもしれないと?」
「その可能性もある。とにかく、今は周囲を確認するのが先だ」
ゴルムも頷き、改めて銃を構え直した。
しばらくの間、2人は敵が姿を消した方向を警戒していたが、新たな帝国兵が現れる気配はなかった。
「班長、どうやら本当に下がったみたいだ」
ゴルムが声をかけると、ブエンテロは最後にもう一度、帝国兵が姿を消した方向を見つめた。
「……ひとまず、ここまでか」
その言葉にゴルムは何も答えず、周囲に敵が残っていないかを確かめた。
登場人物紹介
ブエンテロ……GASTアルバトロス班の班長
ゴルム……GASTアルバトロス班所属
エミッショ・コイン……陸軍准将でハイエルフの女性。大分方面軍の司令官
シガー・ラリグアン……陸軍少将で獅子型獣人族の男性。北部方面軍の司令官
クッシャー・チュリプリム……陸軍中佐でドワーフの男性。第59輸送大隊長
当物語に出てくる架空の武器
98式大口径実体弾小銃……アステリム帝国兵が使っている一般的な小銃。偶然、89式小銃と親和性があったので、自衛隊はよく弾薬を鹵獲している。




