第332話 血痕の行方
メロッティは咄嗟にナイフを取り出すと、背後に回り込んでいた男に向かって斬りつけた。しかし、その男――コルガンは刃の軌道を見切って難なく身を躱し、反撃するように拳銃を構えると、メロッティの両腕を撃ち抜いた。
「ああ!」
両腕を襲った激痛に悲鳴を上げ、メロッティはその場に蹲った。ナイフを振るうどころか、負傷した腕を動かすことさえ苦痛だったが、目の前の男は彼女の状態など意に介さず、躊躇なく銃口を向けてきた。
「くそ…」
このままでは殺されると悟ったメロッティは、痛みに耐えながら重力霧を取り出し、地面へ叩きつけた。
「うぐっ……」
負傷した両腕に激痛が走ったものの、ここで命を落とすよりはましだった。
地面に叩きつけられた重力霧から霧が広がり、周囲の視界を急速に奪っていく。メロッティを仕留めようとしていたコルガンも、その影響を受けてしまった。
(……動けない!)
コルガンはその場から動けなくなり、霧の向こうにいるはずの敵を追うこともできなかった。拳銃を構えたまま相手の気配を探ったものの、視界が遮られている以上、メロッティがどちらへ逃げたのかも分からない。
やがて霧が晴れ、再び周囲を見渡せるようになったときには、メロッティの姿は既になかった。
「逃げたか…」
コルガンはそう呟いたものの、敵狙撃手を取り逃がしたことを悔やむ様子は見せなかった。少なくとも、スライスとピケットを狙っていた相手をこの場から退かせることには成功している。コルガンは、2人が交戦している方向へ視線を移すと、無線で状況を伝えた。
『スライス、フォックス01。お前等を狙ってた狙撃手は逃げた。とりあえず大丈夫だ』
『こちらアマゾネス02。援軍感謝』
スライスから返答を受けたコルガンは、改めて2人の正面に展開している帝国兵たちの様子を確認した。
先程までスライスとピケットを足止めしていた帝国兵のうち、数人が狙撃によって撃破されている。射撃が行われたと思われる方向から考えると、ワードの仕業だろうか。
「もっと早く援護に入れなかったのか」と思ったものの、ワードも狙撃位置を変更していた可能性があった。敵に位置を知られたまま射撃を続ければ、反撃を受ける危険が高まるため、移動そのものは理解できる。
(その判断自体は、悪くない……のか?)
もっとも、仲間が狙撃手に足止めされ、正面からも攻撃を受けていたことを考えれば、援護の遅れは軽視できなかった。
ワードが射撃位置を変更したことで敵に発見される危険を抑えられたとしても、その間にスライスとピケットが追い詰められてしまっては意味がない。コルガンは、位置の秘匿が重要であることを認めつつも、今回ばかりは仲間への援護をもっと早く行うべきだったと結論づけた。
一方、コルガンから逃れたメロッティは、両腕の痛みに耐えながら第116歩兵科中隊の陣地へ戻っていた。
重力霧を使用したことで敵の動きを封じることには成功したが、両腕を負傷していなければ、その間に相手を殺すこともできたはずだった。しかし、今の状態ではまともに武器を扱うこともできず、撤退する以外に選択肢はなかった。
(ちくしょう…次会ったら必ず殺してやる!)
メロッティは逃げ延びたことに安堵するよりも、敵を仕留められなかった悔しさを募らせていた。ところが、ようやく陣地へ戻ってきた彼女を待っていたのは、労いや治療の申し出ではなかった。
「メロッティじゃないか、何故持ち場を離れている?」
そう問いかけてきたのは、第116歩兵科中隊隷下、第295小隊の小隊長を務めるユージン・クレシ中尉だった。クレシはメロッティの両腕が負傷していることを認識していたが、それでも持ち場を離れた理由を問いただしてきた。
メロッティとしては、むしろ小隊長であるクレシが前線を離れ、ここで何をしているのかを尋ねたいところだった。しかし、相手は上官であり、感情に任せて反論するわけにもいかなかった。
「敵によって、両腕を負傷してしまい、撤退をしました…」
メロッティが事情を説明すると、クレシは彼女の負傷を気遣うこともなく言い放った。
「それは見れば分かる。俺が言いたいのは、帝国兵たる者、腕を怪我した程度で撤退するなという事だ。」
その言葉に、メロッティは怒りを覚えた。
両腕を撃ち抜かれた状態で戦闘を続けられるはずもなく、治療を受けるために後退したことまで責められる筋合いはない。それにもかかわらず、クレシは負傷した部下の事情を考えようともせず、持ち場を離れたという一点だけを問題にしていた。
メロッティは反論を飲み込もうとしたが、目の前の上官が部下を残して陣地にいることへの疑問を抑えきれなかった。
「中尉殿こそ、持ち場を離れて何をされていたのですか?」
言ってしまってから、メロッティは自分が上官に問い返したことを意識した。しかし、クレシの言い分が単なる揚げ足取りにしか思えなかった以上、今さら発言を取り消す気にもなれなかった。
「俺は戦況を報告に来ただけだ。ほれ、お前も戻れ」
クレシは当然のように答え、負傷したメロッティに再び持ち場へ戻るよう促した。
だが、戦況の報告であれば無線でも行えるはずだった。中隊長であるヨッシー大尉ですら前線で命を張っているというのに、この男は部下を残して後方にいるばかりか、治療も受けていない自分に戦闘を続けろと言っている。
メロッティが怒りを堪えていると、陣地の中から1人の女性が現れた。
「はい! あんたは早く行きな。メロッティはこっちに来い。治療をしなきゃ戦えない腕をしている。」
女性はそう言いながらクレシを引っ叩き、負傷したメロッティを自分の方へ呼び寄せた。
彼女の名はラウティカ・ワグ海軍少佐。オーガ族特有の大柄な体躯を持ち、面倒見のよい姉御肌の医官だった。もともとは第17領海警備基地に駐在していたが、基地が襲撃された際に無事脱出できたらしく、現在は大分方面軍の一員として今回の戦闘に参加していた。
「は、はい…」
クレシは突然の平手打ちに面食らった様子で返事をした。
「ありがとうございます。」
理不尽な叱責から解放されたメロッティは、ワグに礼を述べた。両腕の負傷を理由に撤退したことを責められていただけに、治療を優先するよう促してくれたことがありがたかった。
「可哀そうに…止血する暇もなかったんだね」
ワグはメロッティの両腕に目を向け、痛ましそうに言った。
撃ち抜かれた腕からは今も血が滴り落ちており、ここまで走ってくる間にも出血は続いていた。コルガンから逃れることを優先したメロッティには、立ち止まって止血する余裕などなかったのである。
「さ、早く中へおいで。」
ワグに促されたメロッティは、治療を受けるため陣地の中へ入ろうとした。
しかし、その瞬間、突然銃声が響いた。
メロッティは反射的に身を伏せたが、顔を上げた彼女の眼前には、腹部を押さえたワグの姿があった。
「ワグ医官!」
自分を庇ってくれた医官が撃たれたことに、メロッティは動揺した。ワグは腹部を押さえながらも意識を保っており、心配する彼女を落ち着かせるように口を開いた。
「大丈夫さ……オーガの頑丈さを舐めてはいけないよ。ささ、早く入んな。敵は狙撃手だ。中までは来ない…」
そう言われても、負傷したワグをその場に残して逃げるわけにはいかなかった。
メロッティは立ち上がると、ワグの肩を抱えて陣地の中へ運ぼうとした。しかし、オーガ族の大柄な身体を、両腕を負傷した非力な兎型獣人のメロッティが支えるのは困難だった。何とか身体を動かそうとするたびに両腕へ激痛が走り、思うように力を入れることができなかった。
(う…重い…でも、運ばないと医官が…)
ワグを助けたい一心で踏ん張るメロッティだったが、自分一人の力ではどうにもならなかった。
「どうした!?」
「何があった?」
メロッティがワグを支えようと悪戦苦闘していると、騒ぎを聞きつけた第116歩兵科中隊の本部管理小隊員たちが、陣地の中から姿を現した。
メロッティは負傷した両腕を庇いながら、敵の狙撃手に襲われたことと、ワグ医官が腹部を撃たれたことを伝えた。自分一人ではオーガ族の巨体を支えきれず、陣地の中へ運び込めない状況だったため、隊員たちの助けが必要だった。
「肩を貸す。貴官も早く中へ」
そう指示したのは、本部管理小隊長のラグラン・コロム大尉だった。
コロムは部下たちとともにワグの身体を支え、メロッティにも早く陣地へ入るよう促した。腹部を負傷したワグをこれ以上外に留めておくわけにはいかず、狙撃手が再び発砲する危険もあるため、彼らは急いで医官を中へ運び込んだ。
ワグを陣地内へ収容すると、コロムは敵狙撃手への対処を命じた。
「敵の狙撃手を見つける! タギラ、部下を連れて出撃しろ!」
命令を受けたのは、先任曹長のスラヴァト・タギラだった。タギラは部下を率いて陣地の外へ出たものの、狙撃手は彼らの動きを見逃さなかった。外へ踏み出した直後に銃弾が飛来し、タギラたちは敵の狙撃によって討たれててしまった。
敵を捜索するために出撃させた部下まで狙撃されたことで、コロムは陣地の外に出ることの危険性を思い知らされた。狙撃手の位置が分からない以上、同じように部下を送り出しても、被害を増やすだけになる可能性が高かった。
「く……このまま、中で籠城するしかないのか…」
コロムは苦々しい表情を浮かべた。
陣地の中に留まっていれば、少なくとも狙撃手から直接撃たれる危険は抑えられる。しかし、それは敵の攻撃を防いでいるというより、相手に行動を制限されている状態でもあった。
「しかし、敵に居場所を知られました。いずれ、敵が攻めてくるでしょう」
部下の1人が、今後の危険を指摘した。
狙撃手が陣地の位置を把握している以上、ここに敵がいるという情報がほかの部隊へ伝わる可能性もある。そうなれば、狙撃を警戒して籠城している間に、新たな攻撃を受けることも考えられた。
「分かっている。おい、ヨッシー先任大尉とシグコプリニ中佐へ報告しろ。ここの場所が割れたとな。」
「了解」
コロムの命令を受けた部下は、陣地の位置が敵に知られたことを上官へ報告するため、直ちに対応に移った。
その間にも、腹部を撃たれたワグと両腕を負傷したメロッティには治療が必要だった。特にメロッティは、コルガンとの交戦で負傷してから止血もできないまま撤退してきたため、これ以上処置を遅らせるわけにはいかなかった。
「まずは、医官とメロッティの治療だ。その間は、俺がここを守る」
コロムは部下たちに向かって力強く宣言した。しかし、その場にいた帝国兵たちは、彼の言葉だけで状況が好転するわけではないことを理解していた。
陣地の外には腕利きの狙撃手が潜んでおり、敵の位置を探ろうとしたタギラたちも討たれている。こちらから反撃することも、容易に陣地を離れることもできない以上、現状を打開するには外部からの援軍が必要だった。
コロムが守りを固めようとしている一方で、陣地を発見した張本人であるジミーは、少し離れた場所からスコープ越しに帝国兵たちの様子を眺めていた。
(思わぬ収穫だ)
ジミーがこの陣地を発見したきっかけは、偶然見つけた血痕だった。
狙撃ポイントを探して移動していた際、地面に残された血痕を発見し、その跡を辿ってきたのである。それがメロッティの両腕から流れ落ちた血液だということも、彼女がスライスとピケットを狙っていた帝国軍の狙撃手だということも、ジミーは知らなかった。ただ、血痕を追った結果として敵の陣地を発見できたことは、彼にとって予想外の収穫だった。
(さて、奴らはこのまま籠城する気か?)
ジミーは対人狙撃銃のスコープ越しに陣地を観察しながら、相手の出方を窺っていた。
M24 SWSは対人狙撃を目的とした銃であり、陣地そのものを破壊できるような装備ではない。敵が内部に籠もって姿を見せない以上、狙撃できる相手もおらず、威嚇射撃を行ったところで効果は期待できなかった。それでも、ジミーは無理に攻撃を仕掛けようとはしなかった。
(まあ、我慢比べなら負けん)
ジミーは一度スコープから目を離し、周囲の状況を確かめてから、再び敵陣地へ視線を戻した。
先程まで外に出てきた帝国兵たちも、仲間が狙撃されたことで警戒を強めたらしく、それ以降は誰一人として姿を見せていない。こちらの位置を探ろうとしている可能性もあったが、少なくとも現時点では、敵が陣地から出てくる気配はなかった。
もっとも、ジミーに焦りはなかった。敵の陣地を発見できたこと自体が収穫であり、無理に攻撃を仕掛けて自分の位置を晒す必要もない。相手が籠城を続けるのであれば、その間は監視を続ければよいだけの話だった。
ただし、いつまでも膠着状態が続くとは限らない。敵が何らかの手段で状況を打開しようとする可能性もある以上、わずかな動きも見逃すつもりはなかった。
ジミーは銃を構え直し、スコープ越しに陣地の出入口を捉えた。
敵が動くのが先か、それとも状況が変わるのが先か。少なくとも、どちらかが動かなければ、この膠着状態が終わることはない。
そのことを理解しながらも、ジミーは静かに敵の動きを待ち続けた。
登場人物紹介
コルガン……GASTフォックス班の班長
ジミー……GASTフォックス班所属で、GASTナンバー2狙撃手
アルセフィーナ・メロッティ……兎型獣人の女性で陸軍少尉。第116歩兵科中隊・狙撃班長
ユージン・クレシ……ヒト族の男性で陸軍中尉。第295小隊長
ラウティカ・ワグ……海軍少佐で、オーガ族の女性。医官。
ラグラン・コロム……陸軍大尉で、ドワーフの男性。116中隊の本部管理小隊長
スラヴァト・タギラ……陸軍曹長で、ホブゴブリンの男性。第116中隊本部管理小隊の先任曹長
重力霧……風船のような球を割る事で、重い重力を辺りに展開させる帝国軍の装備。広範囲に散布される。帝国兵は、専用のワクチンを接種しているので、この霧の範囲内でも素早く動ける。




