第325話 失態の代償
第12補給連隊隷下、第59輸送大隊に所属するアルフ・アルカラ一等兵は、血の気の引いた顔で自身の所持品を確認していた。アルカラは犬型獣人族の男性であり、輸送兵として物資の運搬に従事していた。しかし、今の彼には任務を続ける余裕などなく、あるはずのものが見当たらないという事実に、ただひたすら動揺していた。
タブレット端末が、どこにもないのである。
それは単なる私物ではなく、物資を保管している各倉庫の位置や補給路、在庫状況をはじめ、兵站に関する膨大な情報が収められた端末だった。輸送任務に必要な情報を確認するための重要な装備であり、紛失したとなれば、輸送兵として致命的な失態といっても過言ではない。
アルカラは所持品を何度も確かめながら、最後にタブレットを使用した場面を思い出そうとした。
(どこだ…どこで失くした? 思い出せ……朝は確かにあった。その後だ。どこに……)
朝の時点では確かに所持していた。そこまでは覚えているのだが、それ以降の行動を順番に振り返ろうとすると、焦りばかりが先に立ち、肝心の記憶がなかなか浮かんでこない。しかし、物資を運搬していた際の光景が脳裏をよぎった瞬間、アルカラはあることを思い出した。
(あ、きっとあそこだ)
物資を運んでいたとき、一時的にタブレットを机の上へ置いたのである。その後も運搬作業は続き、ほかの荷物を扱うことに気を取られていた。改めて思い返してみても、机の上から端末を回収した記憶がない。
(あの時、タブレットは取ってない。どうしよう……今頃、タブレットは敵の手だ…)
アルカラの背筋を冷たいものが伝った。
置き忘れた施設がすでに敵の手に落ちているのであれば、タブレットも発見されている可能性がある。内部の情報を解析されれば、物資の保管場所や輸送経路が敵に知られ、補給活動そのものが脅かされかねない。
兵站は、前線で戦う部隊を支えるために欠かせない。武器や弾薬がどれほど優れていても、それらを必要とする部隊へ届けられなければ、戦闘を継続することはできなくなる。
自分が失くした端末によって輸送経路が流出し、補給に失敗する。その結果として帝国軍が敗北するような事態になれば、責任を問われるのは間違いなかった。
そこまで考えたところで、アルカラの想像はさらに悪い方向へ進んでいった。
兵站を失って敗北する未来に続いて、戦犯として粛清される自分の姿が浮かんでくる。自分1人が処罰されるだけなら、まだ覚悟のしようもある。しかし、失態の重大さを考えれば、それだけで済むとは限らなかった。故郷に残してきた家族まで、責任を追及されるのではないだろうか。
(おふくろ…)
母親のことを思い浮かべた途端、アルカラの呼吸は一段と荒くなった。冷や汗が止まらず、身体も小刻みに震え始めている。いつの間にか歯を強く噛み締めており、周囲にいる兵士たちも、彼の様子がおかしいことに気づき始めていた。
「お、おいアルカラよ…一体どうしたんだ?」
声をかけたのは、アルカラが所属する分隊の隊長、スイレン・スウド軍曹だった。
ラミア族の男性であるスウドは、部下の顔色が尋常ではないことを察し、事情を確かめようとしていた。
アルカラは咄嗟に口を開きかけたものの、言葉が出てこなかった。正直に話せば、どれほど厳しい叱責を受けるか分からない。場合によっては、その場で処分を言い渡されるかもしれなかった。だが、黙っていたところでタブレットが戻ってくるわけではない。事態がさらに悪化してから発覚すれば、取り返しのつかないことになる。
(う…いや、黙っていては駄目だ)
アルカラは意を決すると、震える声で報告した。
「申し訳ありません。タブレットを施設に忘れてしまいました!」
その言葉を聞いた周囲の兵士たちが、にわかにざわつき始めた。
何を置き忘れたのか理解した者ほど、表情を険しくしている。輸送任務に携わる彼らにとって、兵站情報を収めた端末の紛失がどれほど重大な問題なのかは、説明されるまでもなかった。
「この、大馬鹿者が!!」
スウドの怒鳴り声が地下道に響き渡った。
その声量は周囲の兵士たちを驚かせるほどであり、隊列の前方を歩いていた副大隊長の耳にまで届いた。
「どうしたというのだ?」
騒ぎを聞きつけてやって来たのは、第59輸送大隊の副大隊長を務めるヨン・ベアード大尉だった。
熊型獣人族の男性であるベアードは、恵まれた体格の持ち主だった。彼は顔を真っ赤にして怒鳴り続けようとするスウドをまず諫め、それからアルカラへ事情を説明するよう求めた。
アルカラは先ほどの報告を繰り返し、タブレットを置き忘れたと思われる場所についても説明した。話を聞き終えたベアードの表情が変わった。
重要な兵站情報を収めた端末が、敵に占拠された可能性のある施設へ残されている。アルカラが何をしでかしたのか、副大隊長も即座に理解したのである。
それでもベアードは声を荒らげることなく、アルカラへ静かに命じた。
「取り返して来い」
アルカラは一瞬、聞き間違えたのではないかと思った。
「私1人で、ですか?」
「当然だ。お前1人のミスのために隊を動かすわけにはいかん。自分のミスは自分で取り返せ。大隊長へは私が報告しておく」
「りょ、了解しました…」
アルカラは返事をしたものの、1人で施設へ戻ることには強い不安を覚えていた。すでに敵が占拠している可能性もあり、そこで何が待ち受けているのか分からない。しかし、命令を受けた以上、引き返さないわけにはいかなかった。それに、タブレットを取り戻すことができれば、少なくとも自分の失態を挽回する機会にはなる。アルカラはそう考えて気持ちを切り替え、部隊から離れて来た道を引き返した。
(大丈夫、きっとアルカラ)
こんな状況でくだらない駄洒落を思いついてしまう自分が、少しばかり情けなかった。笑っている場合ではないことなど、誰よりも本人が理解している。それなのに、追い詰められているときに限って、こうした余計な考えが浮かんでくるのだから始末が悪い。
アルカラは頭を振って雑念を追い払い、施設へ向かって走り続けた。
犬型獣人族である彼は俊足であり、帰路に大きな障害がなかったこともあって、目的の施設へ辿り着くまでにさほど時間はかからなかった。しかし、ようやく戻ってきた場所には、すでに誰の姿もなかった。施設はもぬけの殻となっており、アルカラがタブレットを置いたはずの机にも、探しているものは見当たらない。念のため周囲を確認したものの、端末が残されている様子はなかった。最も恐れていた事態が、現実になったのかもしれない。
「ど、どうしよう…」
アルカラはそれ以上動くこともできず、誰もいない施設の中で立ち尽くしていた。
第59輸送大隊の副大隊長、ヨン・ベアード大尉は、内心では激しく動揺していた。
自分の部下が、取り返しのつかない失態を犯してしまったのである。
タブレットが本当に敵の手に渡ったのか、あるいは内部の情報まで読み取られたのかは、まだ分からない。しかし、兵站に関する重要な資料を紛失した以上、最悪の事態を想定して行動しなければならなかった。
スウドやアルカラの前では、どうにか冷静な態度を保つことができた。だが、実際には今すぐ逃げ出したい気分だった。ベアードは熊型獣人らしい恵まれた体格を持ちながら、その内面は驚くほど小心者だった。重大な問題に直面するたびに不安が先立ち、考えれば考えるほど悪い結末ばかりが浮かんでくる。
今回も例外ではない。部下の失態が原因で補給網に被害が生じれば、自分も責任を免れないだろう。ましてや、敵に兵站情報を利用されるようなことになれば、副大隊長という立場にある自分がどのような処分を受けるのか、想像するだけでも気が重かった。
「はあ…」
ベアードは深くため息をつくと、腕に装着しているウォッチの無線機能を起動し、大隊長への通信を接続した。通話がつながるまでのわずかな時間さえ、今の彼にはひどく長く感じられた。
「大隊長殿、ベアードです」
『ベアードか、どうした?』
聞き慣れた大隊長の声が返ってきたところで、ベアードは覚悟を決めた。
「実は…私が率いる部隊の、アルフ・アルカラ一等兵が、タブレットを紛失しまして…」
報告を口にした途端、心臓の鼓動が一段と速くなった。血圧も相当上がっているに違いない。できることなら、これ以上の説明をせずに通信を切ってしまいたかったが、もちろんそんなわけにはいかなかった。
部下の失態は、上官の責任でもある。アルカラ1人を処分すれば済むという問題ではなく、部下の管理に不備があった以上、自分も責任を負わなければならない。ベアードには、部下に全ての責任を押し付けて、自分だけが処罰を逃れようとする度胸などなかった。もっとも、そうした姿勢こそが周囲から評価され、副大隊長への昇進を後押しした一因でもあった。本人からすれば、実に迷惑な話だった。
『何てことを…。あれほど紛失には気を付けろと言ったのに…』
大隊長の言葉を聞いたベアードは、ますます不安になった。
「どうしましょう?」
情けないと思われるかもしれないが、今の彼には大隊長の判断を仰ぐ以外の選択肢が思いつかなかった。
『情けない声を出すな。敵が行きそうな場所を予測し、兵を忍ばせる。敵が向かいそうな場所は分かるか?』
叱責を受けたベアードは姿勢を正し、これまでに把握している敵の行動を思い返した。
「はい。連中は少数で動いています。1ヶ所ずつ廻る余裕などありません。」
敵の規模を考えれば、兵站拠点を一つずつ攻撃して回るのは現実的ではない。仮にタブレットの情報を手に入れたとしても、全ての拠点を順番に攻略するより、重要な輸送経路を狙う可能性が高かった。
ベアードがそこまで説明すると、大隊長は即座に結論を出した。
『Aルートだな』
「ええ、筑紫野と最短距離になる、このAルートを目指すでしょう」
Aルートは、筑紫野方面との連絡を考えるうえでも重要な経路だった。敵が兵站情報を入手し、少数の戦力で補給網に打撃を与えようとするならば、そこを目標に選ぶ可能性は十分にある。大隊長も同じ判断に至ったことで、ベアードはわずかながら落ち着きを取り戻した。
『よし、お前達は急ぎAルートへ向かい、輸送を開始しろ。私は4歩連に援軍を要請する。』
「はっ」
ベアードが応じると、通信は途切れた。
彼はウォッチから手を離し、しばらくその場で大隊長の指示を反芻していた。
(流石は大隊長殿だ。不測の事態にも、慌てた様子がなかった。私も見習わねば)
大隊長は、重大な失態の報告を受けても取り乱さず、敵の行動を予測したうえで必要な命令を下した。それに比べて、自分はどうだっただろうか。
部下の前ではどうにか平静を装っていたものの、内心では処分への恐怖に怯え、大隊長へ報告するだけでも相当な覚悟を必要としていた。同じ指揮官という立場にありながら、この違いは何なのだろう。ベアードは自分の小心ぶりを情けなく思ったが、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。すでに大隊長から命令が下されている以上、副大隊長として部隊を動かす必要がある。彼は気持ちを切り替えると、Aルートへ急行して輸送を開始する旨を部下たちへ伝えた。
その指示は明瞭で、先ほどまでの動揺を感じさせないものだった。恵まれた体格に加え、落ち着いた口調で命令を伝えるベアードの姿は、周囲の兵士たちにとって頼もしく映ったらしい。アルカラの失態を知って不安を覚えていた者たちも、具体的な行動方針が示されたことで、次第に落ち着きを取り戻していった。少なくとも部下たちの目には、ベアードが内心でどれほど怯えているのかなど、まるで分からなかった。
その頃、第59輸送大隊長のクッシャー・チュリプリム中佐は、頭を抱えていた。
「あいつら……やってくれたな……」
登場人物紹介
アルフ・アルカラ……陸軍一等兵で、犬型獣人族の男性。第59輸送大隊所属
スイレン・スウド……陸軍軍曹で、ラミア族の男性。第59輸送大隊所属で、分隊長の1人
ヨン・ベアード……陸軍大尉で、熊型獣人族の男性。第59輸送大隊の副大隊長
クッシャー・チュリプリム……陸軍中佐で、ドワーフの男性。第59輸送大隊長
※第59輸送大隊は、第12補給連隊の隷下部隊です。
※)ウォッチ……帝国兵の通信機ほか、翻訳機能、カメラ機能、マイク機能などが搭載されている。スマートウォッチにスマホの機能が入っていると思ってください




