第323話 狙撃手の間合い
数十分前、セイレーン班は第119歩兵科中隊の残存兵力に対する掃討戦を続けていた。
ローレライは狙撃位置から敵兵の動向を監視し、次の標的を探していた。帝国兵の抵抗はなおも続いていたが、班の隊員たちはそれぞれの持ち場で交戦しており、ローレライも周囲の戦況を把握できていた。
ところが、先ほどから妙な胸騒ぎが収まらなかった。何かを見落としているのだろうか?
改めて周囲を確認しても、直ちに対処しなければならない異変は見当たらない。掃討戦そのものも継続できている。それにもかかわらず、胸の奥に引っかかるような感覚だけが消えなかった。
ローレライはしばらく考えた末、ボナーとファスに連絡を取った。
「ボナー、ファス、聞こえる?」
『どうしました?』
2人から応答が返ってきた。
「ここをお願い」
『班長はどうするのですか?』
「先へ進む。何か嫌な予感がする」
短い沈黙の後、ボナーが答えた。
『……分かりました。ここはお任せください』
『了解』
ファスも了承した。
ローレライは2人に掃討戦を託すと、狙撃位置を離れた。
胸騒ぎの原因を裏づける情報は何もない。単なる思い過ごしという可能性もあったが、このまま持ち場に留まっていても、気がかりを拭い去ることはできそうになかった。彼女は先へ進むことを選んだ。
ローレライが駆けつけたとき、イリーは敵指揮官に首を掴まれ、軍刀でとどめを刺される寸前だった。その傍らには、腹部に軍刀を突き立てられたまま、すでに息絶えたサリカムが倒れていた。
「…っ!」
ローレライは状況を確認すると、拳銃から立て続けに3発を撃ち込んだ。1発はサンスーファの眉間を貫き、残る2発はデラミーの両腕を捉えた。
サンスーファは即死し、両腕を撃たれたデラミーはイリーと軍刀を手放した。そして今、デラミーは負傷した両腕を庇いながら、突然現れたローレライを睨みつけていた。
「敵に名乗る名はないわ」
ローレライは、デラミーの問いにそう返した。
デラミーは彼女の装備へ視線を移した。携行している銃器や装備の構成から、狙撃を任務とする兵士だと判断する。
(狙撃手のくせに、前に出るなんて愚かな奴だ。やはり、下等生物は1匹だけでは何も出来ない阿呆だ)
デラミーは、ローレライを侮った。遠距離から標的を狙うことを専門とする狙撃手が、わざわざ接近してきたのである。自分の得意とする距離を捨てた相手に、警戒する必要はないと考えていた。
しかし、その判断はすぐに揺らぐことになった。
ローレライの銃口が動いた。デラミーがその動きを認識した直後、銃声が響いた。彼は咄嗟に身を引き、銃弾を回避したものの、弾丸は身体のすぐ近くを通過していた。
(何だ、この速さは……!?)
ローレライは射撃後も姿勢を崩さず、デラミーが体勢を立て直すより早く、次の射撃へ移ろうとしていた。
床に落ちた衝撃によって、イリーはわずかに意識を取り戻した。しかし、視界は霞み、周囲で何が起きているのかを正確に把握できる状態ではなかった。頭を動かそうとするだけで目眩が生じ、身体も思うように動かない。
(あれは……ローレライ班長?)
イリーは床に横たわったまま、ぼやける視界の中で女性の姿を追った。
何故、ここにいるのだろう?
セイレーン班は、別の場所で帝国兵と交戦していたはずだった。声をかけようとしたが、喉に激しい痛みが走り、口から漏れたのは掠れた呼吸音だけだった。右肩も熱を持ったように痛み、身体を起こそうとしても腕に力が入らない。
その間にも、ローレライとデラミーの戦闘は続いていた。
デラミーは両腕の傷を庇いながら、近くの遮蔽物へ身を寄せた。銃弾を受けた箇所からは血が流れ、指先にも思うように力が入らなかったが、相手が拳銃を使用していることは確認できていた。
ローレライが再び銃口を向ける。
デラミーは発砲の直前に身を引いて銃弾を回避した。しかし、彼女は射撃後も姿勢を崩さず、移動するデラミーへ銃口を追従させてきた。
(狙撃手が、これほど素早く拳銃を扱うだと……?)
遠距離から一方的に射撃するだけの兵士ではないらしい。デラミーは認識を改めたものの、相手を侮っていたことを認めるつもりはなかった。負傷した両腕では、銃を構えて正確に射撃することも難しい。そこで彼は遮蔽物を利用してローレライの射線を外しながら、接近する機会を窺った。相手の拳銃さえ封じれば、まだ勝機はある。
ローレライが位置を変えようとした瞬間、デラミーは遮蔽物から飛び出した。しかし、彼女は慌てなかった。デラミーが間合いへ踏み込むより早く、ローレライは拳銃を向けた。銃声が響き、デラミーの身体を銃弾が掠める。
「ぐっ……!」
デラミーは身を捻って直撃を避け、そのまま距離を詰めようとしたが、ローレライは後退しながら銃口を向け続けた。近づけば射撃され、距離を取れば相手に狙いを定める時間を与えてしまう。負傷した両腕では拳銃を奪うことも容易ではなく、デラミーは思いどおりに間合いを詰められない状況に苛立ちを覚えた。
(小賢しい……!)
彼は床を蹴り、再び一気に踏み込んだ。ローレライが銃を構えるより先に、その腕を押さえ込もうとする。しかし、彼女はデラミーの接近を見切っていた。伸ばされた腕を身体の向きでかわすと、ローレライは拳銃を保持したまま、空いている手でデラミーの負傷した腕を弾いた。
「がっ……!」
銃創に衝撃が加わり、デラミーの動きが一瞬止まった。その隙にローレライは相手の側面へ移動し、至近距離から拳銃を向ける。デラミーは反射的に身体を引いたが、銃声とともに新たな痛みが走った。負傷した身体を支えきれず、彼は壁へ肩を打ちつけた。
(何だ、こいつは……!)
デラミーは歯を食いしばった。狙撃手であることは間違いない。それなのに、接近戦でもこちらの動きを正確に読み、拳銃を使い続けている。
彼女は射撃することだけに集中しているのではなかった。相手との距離を保つべき場面と、自ら間合いを詰めるべき場面を判断し、デラミーが反撃へ移る前に次の動作へ移っていた。
床に倒れているイリーにも、2人の動きが断片的に見えていた。
(……凄い)
デラミーの強さは、身をもって知っている。サンスーファと連携していたとはいえ、イリーは全力で抵抗した末に制圧された。首を掴まれたときの恐怖も、右肩を斬られた激痛も、まだ身体に残っている。その相手が、今はローレライの攻撃を防ぐことに精一杯だった。
イリーは何とか身体を起こそうとしたが、視界が揺れ、再び床へ倒れ込んだ。
ローレライは、イリーの方へ視線を向けなかった。彼女が負傷していることは分かっている。しかし、目の前の敵を排除しない限り、救助へ移ることはできなかった。
デラミーは壁から身体を離すと、ローレライの拳銃へ視線を向けた。これ以上、相手の射撃を許せば勝ち目はない。彼は残された力を振り絞り、再び接近を試みた。
ローレライはデラミーが踏み込んでくるのを待ち、銃口を向けた。
デラミーは射線から逃れようと身体を傾けながら、負傷した腕を伸ばした。拳銃を掴むことができれば、相手の攻撃を止められる。
だが、ローレライはその手をかわすと、デラミーの身体の側面へ回り込んだ。続いて響いた銃声に、デラミーの身体が大きく揺れた。
「ぐあっ……!」
デラミーは膝をついた。それでも倒れまいと踏ん張り、ローレライを睨みつける。
(馬鹿な……。この俺が、下等生物などに……)
彼は立ち上がろうとしたが、負傷した両腕では身体を十分に支えられなかった。
ローレライは拳銃を向けたまま、デラミーとの距離を保っていた。相手がまだ抵抗する意思を失っていないことを、彼女は理解していた。
デラミーは最後の力を振り絞って身体を起こし、ローレライへ飛びかかろうとした。しかし、彼女の反応の方が早かった。銃声が響き、放たれた銃弾がデラミーの胸部を貫いた。デラミーは勢いを失い、前のめりに倒れた。床に身体を打ちつけた後も、しばらくは動こうとしていたが、やがて力が抜けていった。
ローレライは銃口を向け続け、デラミーが動かなくなったことを確認した。
アステリム帝国陸軍第32歩兵科大隊長、ビーウェル・デラミー少佐は、ここに戦死した。
ローレライは周囲を警戒しながら、床に倒れているイリーへ近づいた。
イリーは、彼女の姿をぼんやりと見上げていた。
(……助かった、の?)
そう思ったものの、言葉にすることはできなかった。ローレライが自分の傍らに膝をつくのを見届けたところで、イリーの意識は再び遠のいていった。
登場人物紹介
ローレライ……GASTセイレーン班の班長で、凄腕のスナイパー
イリー……GASTアマゾネス班所属。デラミーとの戦闘で負傷する
ビーウェル・デラミー……エルフの男性で陸軍少佐。第32歩兵科大隊長




