第322話 届かなかった手
「音楽は心を豊かにします」
中学生の頃、音楽の先生が言っていた言葉だ。何故だろう。その言葉が妙に心に響いて、それまで帰宅部だった私は吹奏楽部へ入部した。部活動は楽しかった。決して演奏が上手だったわけではないけれど、仲間と一緒に音を重ねる時間が好きだったし、練習を重ねるたびに少しずつ曲らしくなっていくことが嬉しかった。先生の言っていたことは、本当だったと思う。私の心は、確かに豊かになっていた。
ただ、当時の日本は、音楽を楽しんでいられるほど平和な国ではなかった。地元の岡山では、いつグーリエ星人が侵攻してくるか分からない恐怖が常につきまとっていた。山口や愛媛が陥落すれば、次は岡山かもしれない。そんな不安を抱えながら暮らすことが、いつの間にか当たり前になっていた。
兄は、そんな状況から日本を解放し、平和を取り戻したいと考えて自衛官になった。私も兄の背中を追うように、自衛官の道を選んだ。この世界に平和を取り戻すために。
もっとも、私には兄のように、武器を手に取ってグーリエ星人と戦う自信はなかった。だから、音楽科を希望した。音楽は心を豊かにする――中学生の頃から大切にしてきたその言葉を胸に、私は音楽を通じて仲間の心を一つにしたいと考えていた。
私自身にグーリエ星人を倒す力がなくても、戦っている仲間を励ますことならできる。戦争に疲れた人々の心を、ほんの少しでも軽くできるかもしれない。それが、私なりの国の守り方だった。
希望が叶い、私は中部方面音楽隊に配属された。音楽科の一員として、この国を守っていこう。そう決意した。しかし、現実はそう甘くなかった。
2017年、当時の私は、入隊2年目の一等陸士だった。
愛媛県松山市で、中部方面音楽隊による演奏会が開催された。度々戦地となっている愛媛県の人々を勇気づけることが目的で、私たちもその思いに応えようと演奏に臨んでいた。
ところが、その日に限って、松山市へグーリエ星人が侵攻してきた。演奏会へ足を運んでくれたお客様も、同じ音楽隊の仲間も、大勢が殺された。私が初めて戦闘を経験したのは、そのときだった。
正直に言えば、戦闘中のことはあまり覚えていない。ただ、後から聞いた話では、私は多くのグーリエ星人を撃破していたらしい。その戦果が、特戦群の浅原群長の目に留まった。そして私は、まだ発足していないGASTの創設メンバーとしてスカウトされることになった。
いや、待ってほしい。私は音楽科の人間であって、普通科ではない。そもそも、そのGASTとやらに入ったところで、私に何ができるというのだろう?
軍事の専門家でもなければ、戦闘を得意としているわけでもない。松山での出来事だって、どうしてあれほど多くの敵を倒せたのか、自分でも分かっていなかった。
だから、群長には何度も伝えた。「私には無理です」と。けれど、あの人は聞く耳を持たなかった。私は、群長が嫌いだ。あの人は、人間の心を持っていない。
2017年からは、女性もレンジャー教育課程を受講できるようになっていた。その翌年、私は半ば強引に試験を受けさせられた。レンジャー訓練は、普段の訓練よりもはるかに過酷なはずだった。ところが、不思議なことに、私には肉体的な疲労がほとんどなかった。周囲の隊員が苦しんでいるのに、どうして自分だけ平気なのか。あのときは、何が起きているのか分からず、私自身が一番困惑していたと思う。結局、私はレンジャー教育課程を修了した。
それで終わりかと思ったら、今度は三等陸曹への昇任試験を受けることになった。その年の年度末に受けた試験は、不合格だった。当然、群長のカミナリが落ちた。だけど、私は内心ホッとしていた。これでGASTに入らなくて済むかもしれない。そう期待していたのだ。しかし、翌2019年には、結局、群長の圧力に負けて昇任試験に合格してしまった。
2020年、私は三等陸曹となった。群長は「間に合った」と安堵していたけれど、私にとっては喜べる話ではなかった。むしろ、このときほど自衛官になったことを後悔した日はない。音楽を通じて人々を支えたいと願っていたはずなのに、どうして私は、こんな道を歩いているのだろう。
そして、GASTが発足した2020年、私は北海道にいた。そこで目にした光景は、今でも忘れられない。あまりにも凄惨で、目を背けたくなるような出来事ばかりだった。松山での戦闘を経験していたはずなのに、北海道で見たものは、それまで抱いていた覚悟を簡単に打ち砕いてしまった。私の心は、ぐちゃぐちゃになった。だから、決めた。生きて帰ったら、自衛官を辞めよう。もう戦いたくない。そう思った。当然、退官は認められなかった。
GASTに入ってからというもの、私は戦い続けている。北海道から帰ってきたと思ったら、今度は都内への潜伏任務。そして、現在は九州にいる。音楽科として国を守りたいと願っていた私が、どうしてこんな場所にいるのだろう。
目の前では、同じ班のイリーがデラミーと数人のグーリエ星人を相手に戦っている。銃声が聞こえる。イリーが、必死に抵抗している。
(イリーを助けなきゃ……)
そう思っているのに、どういうわけか、猛烈な眠気が襲ってきた。瞼が重い。少し気を抜けば、そのまま眠ってしまいそうだった。でも、不思議なことに、さっきまで感じていた痛みは消えている。怪我が治ったのだろうか。それなら、まだ戦える。
目の前の敵は、私に背中を向けていた。
(今なら、撃破出来る)
私は拳銃を取ろうとした。しかし、身体が動かなかった。腕を伸ばそうとしても、指先に力が入らない。起き上がろうとしても、身体は床に横たわったままだった。
(動け……動け!)
何度も念じた。イリーが戦っているのに、私だけ寝ているわけにはいかない。早く起きて、援護しなければ。そう思うほど、意識が遠のいていく。私は最後まで、拳銃に手を伸ばすことができなかった。
床に倒れていたサリカムこと池中 美月三等陸曹の腹部には、デラミーが突き刺した軍刀が残されていた。致命傷を負った彼女は、すでに助からないと判断され、そのまま放置されていたのである。大量の出血によって意識が薄れていく中、サリカムは最後までイリーを助けようとしていた。
しかし、その願いが叶うことはなかった。やがて、彼女の呼吸は途絶えた。
享年24歳。
音楽によって人々の心を支えたいと願っていた1人の自衛官は、九州の戦場で、その生涯を終えた。
イリーは遮蔽物から身を乗り出すと、デラミーをはじめとする帝国兵へ銃口を向けた。
室内にはすでに複数の帝国兵が侵入しており、2人の兵士が互いの死角を補うように前進してくる。先頭の兵士がイリーの位置を確認するより早く、彼女は引き金を引いた。銃弾を胸部に受けた兵士が倒れ、続いて応射しようとしたもう1人も、頭部を撃ち抜かれて床へ崩れ落ちた。
イリーの視界には、先ほどデラミーに軍刀で刺されたサリカムの姿が入っていた。腹部に軍刀を突き立てられたまま、サリカムは動かなくなっている。
(守れなかった……)
同じ班の同志に対して「守る」という考え方は、失礼に当たるのかもしれない。サリカムもまた、自分に与えられた任務を果たそうとしていた。彼女だけが一方的に守られる立場だったわけではない。それでも、目の前で仲間を失ったという事実を、簡単に受け入れることはできなかった。
その間にも、帝国兵は室内へ次々と入り込んできた。
(囲まれた!?)
銃撃によって退路を塞がれたイリーは、遮蔽物に身を隠しながら反撃を続けた。しかし、敵の数は多く、室内に留まり続ければ逃げ場を失うことになる。彼女は銃声の間隔から敵の射撃が途切れる瞬間を見計らい、廊下へ飛び出した。
「うっ……」
その直後、サンスーファの放った銃弾がイリーの右肩を掠めた。肩口から血が流れ、衝撃によって姿勢が崩れる。それでもイリーは壁際へ移動すると、射撃してきた相手へ銃口を向けた。
「随分と粘るじゃないか、下等生物」
サンスーファはそう言いながら、遮蔽物を利用して素早く位置を変えた。イリーが銃口を向けたときには、すでに次の遮蔽物へ移動している。反撃の機会を窺っても、狙いを定めるだけの時間を与えてくれなかった。それでも、イリーは無理に追いかけようとはしなかった。相手が再び姿を現す位置を予測し、銃口を向けて待ち構える。
サンスーファが遮蔽物から飛び出した瞬間、イリーは引き金を引いた。しかし、サンスーファは身を低くして射線を外れ、そのまま別の方向へ走り抜けた。
(速い! でも、対応できない程じゃない)
イリーは相手の移動先へ銃口を追従させた。ところが、その瞬間、背後から別の銃声が響いた。振り返ると、デラミーが接近していた。
「くっ……」
イリーは咄嗟に身を伏せ、頭上を通過した銃弾をやり過ごした。直後に反撃したものの、デラミーは遮蔽物へ身を隠し、こちらの射撃を容易には受け付けなかった。2人の帝国兵は、互いの位置を確認しながら攻撃を続けていた。
イリーがサンスーファへ射撃を集中させれば、デラミーが別方向から銃撃を加える。逆にデラミーを狙おうとすれば、サンスーファが素早く位置を変えて攻撃してくるため、どちらか一方を落ち着いて狙うことができなかった。
それでもイリーは、周囲から接近する帝国兵への警戒を怠らなかった。近くの遮蔽物から飛び出してきた兵士を射殺すると、相手の身体が床へ倒れるより早く位置を変えた。さらに、側面から回り込もうとした別の兵士にも銃撃を浴びせ、接近を阻止する。しかし、デラミーとサンスーファだけは仕留められなかった。
「つっ……」
右肩に痛みが走り、イリーは顔を歪めた。負傷した肩口から血が流れ続けている。止血しなければならないことは分かっていたが、2人の帝国兵は彼女にその時間を与えなかった。
デラミーもまた、イリーの負傷に気づいていた。右肩からの出血は止まっておらず、先ほどまでの動きと比較しても、徐々に反応が鈍くなっている。
(このまま遊んでいても、奴は自滅する。だが、残りの虫共も駆除せねばならん)
デラミーは、これ以上イリー1人に時間を費やすつもりはなかった。
「サンスーファ、右から回れ!」
「了解!」
デラミーの指示を受けたサンスーファが、一気に距離を詰めた。
イリーは接近を阻止しようと銃口を向けたものの、デラミーの射撃によって狙いを妨げられ、壁際へ退避せざるを得なかった。
その直後、サンスーファが遮蔽物を回り込み、至近距離から銃を突きつけてきた。イリーは反射的に相手の銃身を横へ払い、射線を逸らした。銃声が響き、放たれた弾丸が壁へ突き刺さる。そのままサンスーファの腹部へ膝を叩き込もうとしたが、相手は身体を捻って衝撃を逃がすと、逆にイリーの腕を掴んだ。
イリーは拘束を振りほどこうとしたものの、サンスーファはすぐに手を離し、後方へ飛び退いた。なぜ、追撃してこないのか。そう疑問に思った直後、イリーは相手の狙いを理解した。サンスーファは、彼女をその場に留めるために接近してきたのだ。背後から迫っていたデラミーが、イリーの銃を持つ腕を掴んだ。
「しまっ……!」
イリーは咄嗟に振り向き、空いている手でデラミーの顔面を殴ろうとした。しかし、デラミーはその腕を払い除けると、彼女の身体を強引に壁へ押しつけた。背中を打ちつけた衝撃によって肺から空気が押し出され、一瞬、呼吸が止まる。イリーはなおも抵抗しようとしたが、デラミーは彼女の銃を奪い取り、床へ投げ捨てた。
「随分と手間をかけさせてくれたな。だが、所詮は下等生物だ。1匹では何もできん」
デラミーが低い声で告げる。イリーは相手の腹部を蹴りつけようとしたものの、その動きも読まれていた。デラミーは身体を半歩ずらして蹴りを避けると、彼女の首へ手を伸ばした。
「がっ……!」
デラミーの指がイリーの喉元を締めつけた。イリーは両手で相手の腕を掴み、必死に引き剥がそうとした。しかし、デラミーの握力は凄まじく、どれだけ力を込めても指一本動かせない。やがて、足が床から離れた。デラミーはイリーの首を片手で掴んだまま、彼女の身体を持ち上げていた。
イリーは足をばたつかせながら抵抗を続けたが、喉を圧迫されているため、まともに呼吸することすらできなかった。視界の端が徐々に暗くなり、耳鳴りが大きくなっていく。
「離……せ!」
絞り出した声は、ほとんど言葉になっていなかった。デラミーの手は緩まない。イリーは腰の装備へ手を伸ばそうとしたものの、指先が思うように動かなかった。酸素を求めて口を開いても、喉から漏れるのは掠れた音だけだった。
デラミーの表情は変わらなかった。彼にとって、今のイリーはもはや脅威ではない。
(……駄目だ)
イリーの抵抗が弱まっていく。腕に力が入らなくなり、デラミーの手を掴んでいた指が少しずつ離れた。その様子を見たデラミーは、サンスーファから軍刀を受け取った。そして、イリーの右肩口へ刃を振り下ろした。
「うぎゃああああああああああああああああああああ」
イリーの絶叫が廊下に響き渡った。すでに銃弾によって負傷していた右肩を、今度は軍刀で斬りつけられたのである。
「あ……が……」
激痛によって身体が大きく震えたものの、首を掴まれた状態では逃げることもできなかった。呼吸を奪われた苦しさに加え、右肩から伝わる激しい痛みが意識を圧迫していく。
死への恐怖が込み上げ、イリーは白目を剥いた。やがて意識を失い、失禁によって尿が床へ滴り落ちた。
「大隊長殿、そろそろとどめを!」
サンスーファが促した。
「そうだな。」
デラミーは軍刀を持ち直すと、意識を失ったイリーの喉元へ刃を向けた。もはや抵抗する力のない彼女を殺すことは、容易だった。
デラミーが軍刀を動かそうとした、そのときだった。3発の銃声が響いた。
1発目の銃弾がサンスーファの眉間を貫き、残る2発がデラミーの両腕を捉えた。
「サンスーファ!?」
サンスーファはその場で即死した。両腕を撃たれたデラミーも衝撃に耐えきれず、掴んでいたイリーと軍刀を手放した。支えを失ったイリーの身体が床へ落ちる。
「誰だ!?」
デラミーは銃声のした方向へ振り返った。そこには、1人の女性が立っていた。女性は鬼気迫る表情を浮かべ、デラミーを睨みつけていた。
登場人物紹介
イリー……GASTアマゾネス班所属
ビーウェル・デラミー……エルフの男性で、陸軍少佐第32歩兵科大隊長。
アッサム・サンスーファ……犬型獣人族の男性で、陸軍中尉。第119歩兵科中隊長
殉職したGAST隊員
サリカム:本名:池中 美月
生年月日:1998年3月2日 / 出身:岡山県
階級:三等陸曹 / 所属:GASTアマゾネス班
享年:24歳
※サリカムのお兄さんは、ご存命です。サリカムがGASTにいることは知りませんが、急に連絡がつかなくなったので、状況は察しています。今もどこかで生きていると信じて、訓練に取り組んでいます。




