第309話 変わらぬ戦場
――名古屋市。
日本政府が発表したニュースは、瞬く間に国内を駆け巡った。
テリムトと日本の国交樹立。
そして、両者の間で停戦協定が成立したことも同時に発表された。
新聞各紙は一面でこの出来事を取り上げ、テレビでも繰り返し報じられている。これまで日本政府が帝国との接触を認めたことさえ大きな議論を呼んでいたのだから、正式な国交樹立となれば反応が広がるのは当然だった。
しかし、その報道を見た人々の反応は一様ではなかった。
社会一新党は、政府の対応を厳しく批判した。
党首の市ヶ崎 儀郎は記者会見で、テリムトとの国交そのものを否定するのではなく、九州で戦闘が続いていることを問題にした。
「テリムトとは停戦したにもかかわらず、なぜ九州では戦闘を続けているのでしょうか」
市ヶ崎は記者団を前にして問いかけた。
「政府が本当に戦争を終わらせるつもりなのであれば、九州で戦闘している自衛隊に武装解除を求めるべきです。話し合いを始めるのであれば、まず日本側が戦闘を止める意思を示す必要があります」
これまでにも繰り返してきた主張だった。
社会一新党にとって、テリムトとの国交樹立は、むしろ自らの主張を強める材料になっていた。テリムトで日本人とグーリエ星人が共存しているのであれば、九州でも同じ道を探るべきだというのである。
一方、民意党の反応は異なっていた。
党内や保守系の政治家からは、政府が首都圏の一都三県を「テリムト」と呼んでいることへの批判が相次いだ。
「そこは日本の領土ではないのか」
「なぜ政府が侵略者の呼び方を使うのか」
「日本の領土を占領している相手に、その土地の呼称まで合わせる必要があるのか」
さらに、国交樹立によって帝国による占領を既成事実として認めることになるのではないかという批判も出ていた。
同じ国交樹立をめぐっても、政府に向けられる批判の内容は大きく異なっていた。
この情報は、守山駐屯地で訓練に励む僕の耳にも届いていた。
気が付けば、僕は陸士長になっていた。自衛官になって3年目に入り、後輩も増えた。オペレーション・ミネルヴァ(第8次首都圏奪還作戦)から、およそ1年が経っている。その間、首都圏で大規模な戦闘は起きていなかった。そして昨日の会談によって、日本とテリムトの間には停戦協定が結ばれた。
僕は訓練の合間に、ニュースを見ていた。
画面には、テリムトの街並みが映し出されている。日本政府の関係者が訪れた施設や、そこで暮らす日本人とグーリエ星人の姿も報じられていた。その映像を見ながら、僕は複雑な気分になっていた。
故郷の横須賀は、今もグーリエ星人の占領下にある。そこは僕が生まれ育った場所だった。家族と暮らしていた街であり、両親を失った場所でもある。僕にとっては、単なる地名ではない。
それなのに、今ではそこを含む首都圏一都三県が「テリムト」と呼ばれている。そして、日本政府もその呼称を使っている。
(テリムト……)
頭では理解できる。政府には政府の事情がある。戦争を続けるだけでは得られないものもあるのだろう。テリムトとの国交によって、日本に新しい技術がもたらされる可能性もある。停戦によって、少なくとも首都圏ではこれ以上の戦闘を避けられる。
それでも、僕には簡単に受け入れられることではなかった。
僕は、そんなに達観していない。
横須賀を奪われた。その場所を取り戻すために自衛官になった。それなのに今、日本政府は僕の故郷を「テリムト」と呼び、そこを支配しているグーリエ星人と国交を結んだ。
(じゃあ、僕は何のために自衛官になったんだ……?)
胸の奥に、言葉にならない感情が渦巻いていた。
国を守るためだった。家族を奪った敵と戦うためだった。少なくとも、僕はそう思っていた。けれど、戦争が始まってから長い時間が過ぎ、状況は僕が自衛官になった頃とは変わっている。
政府の決断を間違いだと言い切ることもできない。だからこそ、余計に苦しかった。
僕には、政府の決断を簡単に否定するだけの材料もなければ、自分の中にある感情を押し殺して納得することもできなかった。ただ、ニュース画面に映る「テリムト」という文字を見つめながら、僕は自分の中に生まれたやり場のない感情を抱え続けていた。
「おい隼人」
同期の小城に呼ばれた。
「訓練再開だ」
「あ、ああ」
小城は、5月のレンジャー教育課程を修了し、無事レンジャー隊員になった。オペレーション・ミネルヴァで得た不思議な力の影響で、体力的な負担が少なかったと聞く。
「隼人」
「何だ?」
「俺達も九州に行く可能性はあるんだ」
「辛い気持ちも分かるが、今は飲み込め。なっ!」
「ああ」
空返事だった。簡単に受け入れられない。だが、今は小城の言う通りにするしかなかった。
政治の世界で議論が続いている間にも、九州では戦闘が続いていた。
――下関。
九州奪還作戦を指揮する司令部にも、政府から正式な報告が入った。
矢段防衛大臣から桂 蘭次郎陸将へ、テリムトとの国交樹立と停戦協定成立についての説明が行われる。
「テリムトとの国交樹立について、政府として正式に決定しました」
「テリムト?」
桂の眉が吊り上がった。
「グーリエ星人が統治している首都圏一都三県のことです。彼らはそう呼んでいます。ひとまず、ここはテリムトと呼ぶことをご了承下さい」
矢段は怯まず続けた。
矢段防衛大臣の言葉を聞き、桂陸将は資料へ目を落とした。
「まあいいでしょう。それで、停戦協定も結んだのですか?」
桂陸将が確認する。
「はい。テリムトとの間では停戦協定が成立しています」
矢段は答えた。
「ただし、九州での作戦方針については変更ありません」
その言葉を聞いた司令部内に、ざわめきが広がった。
テリムトと日本が国交を結んだ。それだけなら、政治上の出来事として受け止めることもできる。だが、九州では今も帝国軍との戦闘が続いている。
首都圏では停戦しながら、九州では戦争を続ける。その状況に、司令部の隊員たちも戸惑いを隠せなかった。
第1空挺団長の森間 護平陸将補も、報告を聞きながら難しい表情を浮かべていた。
「首都圏での停戦が、九州に影響する可能性はないのでしょうか?」
森間が尋ねた。矢段は首を横に振った。
「現時点では、そのような情報はありません。テリムト側も、九州の帝国軍に対して直接介入する考えは示していません」
桂は黙って2人の話を聞いていた。
九州奪還の最高司令官として、政治判断そのものを覆す権限はない。政府が決定した外交方針を受け入れたうえで、与えられた任務を遂行する。それが現在の立場だった。
「分かりました」
桂は静かに答えた。
「政府の決定は理解しました。こちらの作戦については、これまで通り進めます」
その言葉を受け、司令部の空気も少しずつ落ち着きを取り戻していった。
だが、門司ではその情報すら、まだ届いていなかった。
――門司
GASTを率いるシルビアは、隊員たちとともに戦闘地域に展開していた。周囲では戦闘が続いている。
帝国軍との距離が近い状況では、政府が発表した外交上の出来事など、すぐに確認できるものではない。シルビアにとって重要なのは、目の前の戦況と、隊員たちの安全だった。
やがて司令部から連絡が入り、シルビアにもテリムトとの国交樹立について伝えられた。シルビアは報告を聞き終えると、しばらく黙っていた。
「小高総理が、そう決断したのですね」
シルビアが確認する。
『はい。首都圏との国交樹立と停戦協定の成立が正式に発表されています』
通信越しに司令部の隊員が答えた。
シルビアは少し考えた。
首都圏でプレヤディッチが進めている政策は、確かに異例だ。グーリエ星人が占領した地域でありながら、人間との共存を進める。今回、日本政府との国交樹立にまで至ったのも、その政策があってこそだろう。
しかし、シルビアは、それが長く続くとは考えていなかった。
(そのやり方は、近い将来に破綻する)
明確な根拠を言葉にすることはできない。それでも、アステリム帝国という巨大な組織の中で、首都圏だけがいつまでも独自の道を歩み続けられるとは思えなかった。
だからといって、小高の決断を否定するつもりもなかった。外交によって得られるものがあるなら、それを利用することに意味はある。少なくとも、今この場にいるシルビアが政治判断を評価する立場ではない。
「私は、小高総理の決断を尊重します」
シルビアは静かに答えた。
『了解しました』
通信が終わる。
シルビアは再び戦場へ視線を戻した。
東京では、日本政府とテリムトの間に新たな関係が生まれた。下関の司令部では、その知らせを受けて今後の作戦への影響を考えている。
だが、門司の戦場には何も変化が起きていない。九州では、今も帝国軍が日本の領土を占領している。そして、自衛隊もまた、その奪還を目指して戦い続けていた。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公。第35普通科連隊第2中隊所属
小高 味一……現内閣総理大臣
市ヶ崎 儀郎……社会一新党の党首
小城 聖太……隼人の同期
矢段 泰則……現防衛大臣
桂 蘭次郎……九州奪還作戦の最高司令
森間 護平……第1空挺団長
シルビア……GASTの中隊長




