第292話 戦場に立たぬ者
エクウィアは、自身の部下と作戦に参加した歩兵科の兵士たちを引き連れ、拠点へ戻っていた。
その顔は憔悴しきっていた。前回の任務に続き、今回も作戦は失敗に終わった。処罰を受けることも覚悟していたが、帰還した彼を待っていたのは、予想していたものとは別の反応だった。
旅団長からは厳しく叱責されたものの、最後には「切り替えて次に備えろ」と言われている。エクウィアはその言葉に従い、今は負傷した部下の治療と、自身の消耗からの回復に努めることにした。
しかし、周囲はそれを許さなかった。
第25空挺降下大隊の兵士たちは、拠点へ戻ってからというもの、冷ややかな目を向けられていた。水を取りに行くだけでも、負傷者の手当てを受けるだけでも、行動の一つ一つに揚げ足を取られる。作戦に失敗した部隊として、彼らはあらゆる場面で嘲笑の対象にされていた。
水を受け取ろうとした大隊の軍曹に対しても、予備隊の上等兵が皮肉を浴びせた。
「任務は失敗したのに、水は飲めるんですね」
軍曹は疲れ切った顔で上等兵を見た。反論する気力もなかったのか、何も言わずに水を受け取ろうとした。だが、その様子を見ていたアレスト・アンカー中尉が黙っていなかった。
「貴様、今の言葉を取り消せ!」
アンカーは上等兵に詰め寄った。声には明らかな怒気がこもっていたが、上等兵は怯む様子を見せなかった。自分が安全な予備隊に所属しているという意識があるのか、アンカーの階級や立場を意に介さず、薄い笑みを浮かべている。
「事実を言っただけでしょう。失敗したのは、こちらではありませんから」
「貴様……!」
アンカーがさらに詰め寄ろうとしたところで、周囲にいた兵士たちが間に入った。軍曹もアンカーを制し、これ以上の騒ぎになることを避けようとした。しかし、こうした嫌がらせは、それだけでは終わらなかった。
その矛先は、第25空挺降下大隊を率いるエクウィアにも向けられた。
以前の任務が失敗した際にも、強い不満を露わにしていたベテランの伍長が、拠点内でエクウィアに詰め寄った。
「何をやっているんだ!」
怒鳴り声が、周囲に響き渡る。エクウィアは足を止めたものの、伍長へ顔を向けただけだった。伍長はその反応を見て、さらに声を荒らげる。
「前回も失敗して、今回も失敗だ! それで大隊長を続けるつもりか!」
エクウィアは何も答えなかった。怒りがないわけではない。自分の指揮を批判されれば、反発したい気持ちはある。しかし、二度にわたる任務の失敗は、彼の体力だけでなく精神までも削り取っていた。帰還してからも部下の損害が頭から離れず、今は言葉を返すだけの気力すら残っていなかった。伍長は、エクウィアが黙っていることを、自分の言葉が核心を突いたためだと受け取った。
「何とか言ったらどうなんだ! 貴様には大隊長を務める資格がない!」
エクウィアは、なおも沈黙していた。
「大隊長を降りろ!」
その言葉が発せられたときだった。
「そこまでだ」
低い声が、その場に割り込んだ。怒鳴ったわけではない。それでも、周囲にいた兵士たちは一斉に口を閉ざした。エクウィアへ詰め寄っていた伍長も、声の主へ顔を向ける。
そこに立っていたのは、第2歩兵科旅団長、ジマーレ・バービック上級大佐だった。
「旅団長殿……しかし、こいつらは――」
「黙れ」
バービックは伍長の言葉を遮った。伍長は口を閉じたが、納得した様子はなかった。バービックはその表情を見たあと、静かに問いかける。
「お前は何をしている?」
「何を、と言われましても……」
「質問を変えよう。お前は、今回の戦闘に参加したのか?」
伍長は一瞬、言葉に詰まった。
「……私は予備隊として待機していました」
「そうか」
バービックはそれだけ答えると、周囲にいる兵士たちへ視線を移した。
エクウィアたちが戻ってきてから、同じような光景が繰り返されていた。第25空挺降下大隊の兵士が水を求めれば皮肉を言い、負傷者が通れば嘲笑する。前線で戦った者たちが休息を取ろうとするたびに、予備隊の兵士たちは失敗を責め立てていた。
自分たちは敵の銃火にさらされることなく、安全な場所で待機していた。その立場から、前線で損害を受けて戻った兵士たちを一方的に見下している。
その状況を、バービックは把握していた。
「お前たちは、25大隊が何をしていたのか知っているのか?」
「失敗したことなら、誰でも知っています」
別の兵士が答えた。
「そうだ。失敗した」
バービックは否定しなかった。
「だが、お前たちは、その失敗した場所にいたのか?」
誰も答えなかった。
「敵の射撃を受けながら前進したのか。負傷した仲間を連れて戻ってきたのか。それとも、敵の銃弾が届かない場所で待っていたのか」
兵士たちの顔から、少しずつ余裕が消えていく。
バービックは、誰かの返答を待つことなく続けた。
「25大隊の作戦が失敗したことは事実だ。だからこそ、私はエクウィア少佐から報告を受け、必要ならば処分も検討する。だが、お前たちがそれを理由に、戦場から戻った兵士を好き勝手に罵倒することは認めん」
その声は大きくなかった。しかし、先ほどまでの静かな口調とは違い、冷たい圧力があった。
「軍隊は、戦場から戻った兵士を嘲笑するために存在しているのではない」
それでも、先ほどの伍長は引かなかった。
「ですが、旅団長殿。失敗を繰り返した者を、そのまま大隊長にしておくわけには――」
「お前に人事権があるのか?」
「……ありません」
「ならば、口を閉じろ」
伍長は唇を噛んだ。バービックの言葉に反論できないことは理解している。それでも、納得できないという感情だけは隠しきれなかった。
その隣では、第25空挺降下大隊の兵士たちが黙っていた。エクウィアも何も言わない。
バービックが自分たちを庇っていることは分かっていた。しかし、それに応じるだけの気力が残っていなかった。
バービックはエクウィアへ一度だけ目を向けた。
「エクウィア少佐。お前は部下を連れて休め」
「……はい」
エクウィアは、かろうじてそう答えた。
それ以上は何も言わず、部下たちとともにその場を離れていく。アンカーも一度だけ周囲を睨みつけたあと、エクウィアの後に続いた。
第25空挺降下大隊の兵士たちが去っていくのを確認すると、バービックはその場に残った兵士たちを見渡した。
「予備隊長を呼べ」
しばらくして、予備隊を指揮していたヒヒム・マキンワ少佐が駆け寄ってきた。
「お呼びでしょうか、旅団長殿」
「こいつらは、お前の指揮下か?」
バービックが、先ほどまで第25空挺降下大隊を罵倒していた兵士たちを示す。
「はい」
「ならば、お前の責任だ」
マキンワの顔が強張った。
「……申し訳ありません」
「謝罪を求めているのではない」
バービックは、兵士たちから目を離さなかった。
「こいつらを拘束しろ」
「は?」
マキンワが聞き返す。
「聞こえなかったのか?」
「しかし……」
「前線で戦っている兵士を、安全な場所から罵倒し、士気を損なわせた。軍紀を乱した兵士を、そのまま放置するつもりか?」
マキンワは返答に詰まった。
バービックの表情には、先ほどまでの怒気とは違う冷たさがあった。怒りに任せて処分を命じているのではない。すでに判断を終え、必要な措置を淡々と指示している顔だった。
「こいつらを軍法に基づいて処分しろ。今回だけではない。同じことをしている者がいるなら、全員調べろ」
「了解しました」
「それから、お前も責任を取れ」
マキンワの顔が青ざめる。
「私も、ですか?」
「自分の部下が何をしていたのか把握していなかった。それだけでも指揮官として問題がある」
バービックは、それ以上説明しなかった。
マキンワが部下へ命令を下すと、兵士たちは次々と拘束されていく。先ほどまで強気な態度を見せていた者たちも、ようやく事態の重さを理解したのか、抵抗することなく連行されていった。
その様子を見ながら、バービックは遠ざかっていく第25空挺降下大隊の背中へ視線を向けた。
彼らは2度の作戦に失敗した。それについては、いずれ正式に評価しなければならない。戦果がなかったわけではないとしても、損害を出しながら目的を達成できなかった以上、責任を問われることになるだろう。だが、それは戦場から戻った兵士たちを、前線に出ていない者が嘲笑していい理由にはならない。
また、処罰を下すにしても、戦闘が終結してからだ。戦場から帰還したばかりの兵士たちを責め立てることは、規律の維持ではなく、ただ部隊の士気を損なうだけだった。
バービックは、兵士たちが去った後の静かな通路を見つめた。
「……戦えない奴ほど、口だけは達者になる」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
登場人物紹介
ノミ―・エクウィア……天使族の男性で、陸軍少佐。第25空挺降下大隊長
アレスト・アンカー……天使族の男性で、陸軍中尉。第98空挺降下中隊長
ジマーレ・バービック……ハイエルフの男性で、陸軍上級大佐。第2歩兵科旅団長
ヒヒム・マキンワ……猿型獣人族の男性で、陸軍少佐。予備隊長
※)上級大佐……大佐と准将の間に位置する階級。准将に値するが、准将の枠が埋まっている際に当てがわれる階級。准将の枠が空いていても無条件で准将に昇格できるわけではなく、昇進試験の合格or武功をたてることで昇進できる。
※2)アステリム帝国軍では、大佐が旅団長を務めることができます。




