第274話 策は尽きず
第115歩兵科中隊が戦場から離脱してからしばらくして、大分方面軍本部と前線を結ぶ中継拠点の一つに、数台の車両が相次いで入ってきた。
そこは第31歩兵科大隊が前線への物資輸送と部隊運用のために使用している拠点であり、前線から一定の距離を保ちながら、後方の兵站拠点へも連絡を取れる位置にあった。
車両が停止すると、最初に降りたアルサーフィンは、周囲を見回すことなく歩き始めた。その表情には、戦場から戻った者特有の疲労が滲んでいる。
「おいおい、大丈夫か?」
出迎えたのは、1人のリザードマン、第116歩兵科中隊長、アルベルト・ヨッシー大尉であった。
「アル……」
アルサーフィンは足を止めた。
ヨッシーは敗残兵を一瞥してから、戦況を尋ねるような言葉を口にすることなく続けた。
「事情は知っている。敵はなかなかの手練れだったようだな」
「その通りだ」
アルサーフィンは短く答えた。
「敵に突破された」
ヨッシーの表情が僅かに変わった。
「損害は?」
「正確な集計はまだだ。だが、中隊として組織的な攻撃を続けられる状態ではない」
「……そうか」
ヨッシーはそれ以上、損害について尋ねなかった。代わりに前線方向へ視線を向ける。
「敵は?」
「進軍を続けている可能性が高い」
「追撃は?」
「今のところ確認されていない」
「しかし、追撃してこないからといって、敵がこちらを見失ったとは考えない方がいいな」
ヨッシーの言葉に、アルサーフィンは頷いた。
「俺もそう考えている。あの連中は、こちらが何をしようとしているのか戦いながら見ていた」
「単なる正面戦闘ではなかった、ということか」
「ああ。こちらが圧力を弱めれば進み、こちらが止めようとすれば、その動きからこちらの意図を探っていた。こちらが用意した場所へ誘導したつもりが、逆にこちらの配置を利用された」
その説明を聞きながら、ヨッシーは黙って前線を見ていた。
アルサーフィンの後ろでは、トーテやディアカテの部隊も戻ってきていた。トーテは戦闘中に使用していた装備を確認し、ディアカテは火力支援との連絡状況を確認しながら、それぞれ周囲の状況を把握している。
「狙撃兵も厄介でした」
トーテが口を開いた。
「こちらが観測を続けようとすれば撃ってきます。かといって、狙撃兵を探すために動けば、今度は歩兵の方に動きを読まれましたし、こちらが主導権を握る前に、戦場全体の主導権を取られていました」
ヨッシーはトーテへ視線を向ける。
「それほどか」
「少なくとも、今まで相手にしてきた連中とは違います」
トーテは一度言葉を切ってから続けた。
「ただ、敵の1匹を仕留めることが出来ました」
ディアカテも続ける。
「火力支援も同じですよ。観測が維持できなければ、砲撃は撃てても効果的な修正ができない。敵はそこを理解しているようでした」
ヨッシーは3人の話を聞き終えると、前線へ向けていた視線を戻した。
「それなら、俺達がここで敵を止める」
アルサーフィンがヨッシーを見る。
「第116中隊でか?」
「ああ」
ヨッシーは迷いなく答えた。
「大隊長殿の命令だ」
「次の策を考えるまでの足止めを命じられた」
「その大隊長は?」
「本部にいる」
ヨッシーは淡々と言った。
「敵の進軍速度を落として、こちらが態勢を立て直す時間を稼ぐ。それ以上は欲張らないさ」
アルサーフィンはしばらくヨッシーを見ていた。
「無理はするな」
「それは無理だ」
ヨッシーは僅かに笑った。
「お前の中隊が壊滅したんだ。無理もするさ」
「……そうか」
アルサーフィンはそれ以上何も言わず、頷いた。
ヨッシーは部下の方へ向き直ると、第116歩兵科中隊の出撃準備を命じた。中継拠点に停められていた車両が動き始め、出撃を待っていた部隊が次々とそれに続いていく。
その動きを見送りながら、トーテはアルサーフィンへ尋ねた。
「本部では、次の策があると思いますか?」
「あるさ」
アルサーフィンは前線を見ながら答えた。
「なければ、作るしかない」
やがて第116歩兵科中隊の車列が拠点を離れ、前線へ向かっていった。残されたアルサーフィン、トーテ、ディアカテも、本部へ向かう準備を始める。
戦場では第115中隊が敗退した。しかし、それによって帝国軍の作戦が止まったわけではない。むしろ今回の戦闘で明らかになった敵の能力を、次の作戦へどう組み込むかが問題になっていた。
同じ頃、大分方面軍本部では、すでに次の作戦についての協議が始まっていた。
作戦参謀部の将校たちが集まる部屋には、現在の戦線を示す情報が表示されている。
第115歩兵科中隊の位置は、すでに後方へ移されていた。その一方で、第116歩兵科中隊は前線へ向かっている。
第31歩兵科大隊長、ラース・シグコプリニ中佐が表示された情報を確認しながら口を開いた。
「第116中隊が足止めに向かわせました」
コインは戦域を見たまま答えた。
「どの程度、時間を稼げる?」
「敵の戦力次第ですが、長時間は難しいでしょう」
「長時間である必要はない」
コインはそう言って、別の情報へ視線を移した。
作戦参謀の1人が報告する。
「第115中隊は大きな損害を受けています。歩兵としての戦闘能力は残っていますが、先程と同じ形で再投入するのは難しいでしょう」
「当然だ」
コインは即答した。
「同じ策をもう一度使えば、同じように破られる」
別の参謀が続ける。
「問題は、敵の行動です。こちらの意図を察知する能力が高い。単純に部隊を動かして誘導するだけでは、また逆手に取られる可能性があります」
「狙撃兵についても考える必要があります」
シグコプリニが言った。
「こちらの観測を妨害されれば、火力支援の効果も落ちます。歩兵、狙撃、火力支援をそれぞれ動かすだけでは、敵に対応されるでしょう」
コインは表示された戦域図を眺めていた。
そこには、第115中隊が敗退するまでに確認された敵の動きが記録されている。
敵は、ただ正面から攻撃してきたわけではない。こちらがどこへ向かわせようとしているのかを読み取り、火力支援の存在を察知し、狙撃兵によって観測を妨害しながら、歩兵部隊の動きを変えていた。
その結果、第115中隊は自らが用意した戦場で戦うことになりながら、逆に敵によって戦場の主導権を奪われた。
ならば、次の作戦で必要なのは、単純な火力の増強ではない。敵に判断させる材料そのものを変える必要がある。
コインは静かに口を開いた。
「策が破れれば次の策を、策が尽きれば新たな策を練るだけだ」
作戦室にいた者たちが、コインへ視線を向ける。
「第115中隊の敗北を無駄にするな。敵が何を見て、何を判断して、どう動いたのか。それが分かっただけでも、次の策を作る材料にはなる」
コインは戦域図上の表示を切り替えた。
「敵は、こちらが何を狙っているのかを探っている。ならば、こちらは敵に探らせるものを選べばいい」
シグコプリニが表示を見つめる。
「敵に、こちらが狙っている場所を誤認させる?」
「それだけではない」
コインは答えた。
「敵がこちらの意図を読もうとすること自体を、こちらの策に組み込む」
参謀たちは表示された戦域図を見ながら、それぞれに考えを巡らせた。
まだ作戦の全容は決まっていない。だが、第115中隊の敗北によって得られた情報は、確実に次の作戦へ組み込まれようとしていた。
一方、前線へ向かう第116歩兵科中隊の車列は、戦場へ近づきつつあった。
ヨッシーは車内から前方を見据えている。
自分たちが担うのは、次の作戦を実行することではない。後方が次の策を練り上げるまで、敵の進軍を食い止めることだった。第115中隊が敗れた直後の戦場で、今度は第116中隊が敵を待ち受ける。そして後方では、コインを中心とする作戦参謀部が、その戦場そのものを利用した新たな策を練り始めていた。
帝国軍は一つの策を失った。しかし、策を失ったことは、戦いを失ったことではない。敗北によって得た情報を次の戦いへ持ち込むために、帝国軍はすでに動き始めていた。
登場人物紹介
エンリケ・アルサーフィン……第115歩兵科中隊長
エンリケ・トーテ……第115歩兵科中隊・狙撃分隊長
ゴリンボ・ディアカテ……第31歩兵科大隊・火力支援中隊長
アルベルト・ヨッシー……陸軍大尉で、リザードマンの男性。第116歩兵科中隊長
ラース・シグコプリニ……陸軍中佐で、ハイエルフの男性。第31歩兵科大隊長
※第115歩兵科中隊と第116歩兵科中隊は、31歩兵科大隊の隷下部隊です。




