第271話 動かぬ狙撃手
砲撃によって崩れた斜面には、まだ土煙が残っていた。
アマゾネス班は煙が完全に晴れるのを待つことなく、北西へ向かっていた。先程まで正面から圧力をかけてきた帝国兵の姿は減り、銃撃も散発的になっている。敵が撤退したようにも見えたが、ビービはその印象を信用していなかった。
「スライス、前方を見て」
「わかった」
スライスが光学照準器を覗き込む。しばらく周囲を確認してから、低い声で報告した。
「敵影は確認できません」
「後方は?」
「キーラが確認しています」
ビービは周囲を見回した。
敵の姿は見えなかったが、撤退したわけではない。むしろ、これまで執拗に続けていた射撃を止めてまで、こちらの動きを待っているように感じられた。
(静かすぎる)
敵がGASTを北西へ押し込むことが目的なら、この沈黙にも意味があるはずだった。
「全員、警戒を維持して」
ビービが指示する。
「敵が見えないからって、気を抜かないで」
「わかった」
スライスが応じた。
アマゾネス班は周囲への警戒を続けながら、崩れた斜面を越えていった。
その少し後方では、アルバトロス班も同じ方向へ移動していた。
ブエンテロは崩れた地形を避けながら前進していたが、こちらも、先程までとは明らかに敵の反応が違うことに気付いていた。
「クラウスレイ」
「はい」
「敵が静かすぎないか?」
クラウスレイは周囲を観察した。
「同感です」
「追撃してこない」
「はい」
「だったら、今のうちに距離を詰める」
クラウスレイはすぐには答えなかった。
「班長、少し待ってください」
「何だ?」
「敵の抵抗が弱くなったのは、我々が突破したからではないと思います」
ブエンテロが足を止める。
「どういうことだ?」
「敵がこちらを止める必要がなくなった、と考えた方が自然です」
クラウスレイは北西側へ視線を向けた。
「これまで敵は、我々の進路を細かく修正していました。こちらが左へ寄れば左から撃ち、右へ移れば右側から圧力をかける。それが突然なくなったということは、我々が予定していた位置へ入った可能性があります」
ゴルムが顔をしかめる。
「つまり、敵にとってはもう押す必要がない?」
「そういうこと」
ソブラウが前方を覗き込んだ。
「じゃあ、ここから先が本当の罠ですか?」
クラウスレイは答えず、地図を確認した。
「この先は開けた場所があります。敵が火力を使うなら、そこを狙うのでは」
ブエンテロは銃を握り直した。
「だったら、そこで待ってやるか」
マメッドが驚いたように振り返る。
「待つんですか?」
「敵が俺達をそこへ押し込みたいなら、逆にそこで敵を探す」
ブエンテロは前を向いた。
「罠だと分かっているのに、何もせず戻るわけにはいかないだろ」
クラウスレイは、その言葉を否定しなかった。
「ただし、予定地点へ入る前に敵の配置を確認します。ここまで抵抗が弱くなった理由を確認しないまま進むのは危険です」
「分かった。任せる」
ブエンテロは珍しく素直に応じた。
アルバトロス班は速度を落とした。しかし、その判断とは別に、敵の狙いは着実に進んでいた。
同じ頃、フォックス班はカロを失った地点から移動していた。
コルガンは何度も後方を確認しながら、隊員達を新しい射撃位置へ誘導している。カロをその場へ残したことが、全員の精神に重くのしかかっていた。
「ダンタス、後方は?」
「今のところ追撃はありません」
「分かった。全員、移動を続ける」
コルガンはそれだけを告げると、先へ進んだ。
ジミーは黙ってスコープを覗きながら歩いていた。グイダがその横を進む。
「ジミー」
「何だ?」
「敵を探すのはいいけど、勝手に離れるなよ」
「分かってる」
「さっきもそう言ったな」
ジミーは答えなかった。
しかし、今回は以前のように単独で先行しようとはしなかった。カロが倒れた瞬間を、まだ頭から消せない。
(あそこで俺が勝手に動いていたら、同じようになっていたかもしれない)
ジミーは奥歯を噛み締めた。
「グイダ」
「何?」
「左を頼む」
「分かった」
2人は互いの射界を確認しながら移動した。
その様子を少し前から見ていたコルガンは、何も言わなかった。今は、それでいい。
やがて新しい射撃位置へ到着すると、コルガンは周囲を確認した。
「ここから味方を援護する」
ダンタスが地図を広げる。
「アマゾネスとアルバトロスの位置は?」
「この辺りです」
「距離があるな」
「敵が間に入っています」
コルガンは北西を見た。
「なら、敵が動いた瞬間を狙う」
そのとき、ジミーがスコープから目を離した。
「敵がいる」
コルガンが振り向く。
「どこだ?」
「前方の林。こっちを見ている」
グイダも確認する。
「……本当だ。観測してる」
コルガンは少し考えた。
「撃つな」
ジミーが不満そうにする。
「観測員なら――」
「撃てば、こっちの位置も知られる」
コルガンは答えた。
「今は見るだけだ」
ジミーは渋々スコープを下ろした。
フォックス班は、敵に見られていることを承知したうえで、その場に留まった。
その頃、セイレーン班は移動していなかった。
ローレライは伏せた姿勢のまま、長時間にわたって同じ方向を監視している。シリングはその隣で別の方向を警戒し、ラスタも少し離れた位置から周囲を監視していた。
「班長」
「何?」
「フォックス班から通信がありません」
「今は通信を増やさない方がいい」
「……了解」
シリングは再び前方を見る。
「敵は、まだこちらを動かそうとしていると思います」
「そうだね」
ローレライは答えた。
「アマゾネスとアルバトロスが北西へ進んでいる。フォックスも移動した。私達だけが残っている」
「このままでは、孤立するのでは?」
シェンブリが問う。ローレライはスコープ越しに遠方を見た。
「でも、今動けば敵が用意した場所へ入る」
シリングは黙った。
ローレライの判断は明確だった。
動かない。ただし、それは何もしないという意味ではない。
敵がどこにいて、何をしているのかを探るために、セイレーン班はその場から戦場を観察し続けていた。
やがてローレライの視界に、奇妙な動きが入った。
「……あれ」
「何か見えましたか?」
シリングが尋ねる。
「右奥。林の向こう」
シリングが照準を移す。
「確認できません」
「少し待って」
ローレライは動かなかった。
しばらくして、木々の間から帝国兵が姿を見せた。周囲を警戒しながら何かを喋っている。ローレライはその動きを追った。
「観測員かもしれない」
ラスタが言う。
「そう思う」
「撃ちますか?」
ローレライは答えなかった。
その兵士は何度も周囲を確認しながら、無線で何かを伝えている。
その直後、遠方で砲撃音が響いた。
ローレライの視線がわずかに動く。
「……あれが火力支援を動かしている」
シリングが息を呑んだ。
「では、撃つんですか?」
「まだ」
ローレライは照準を外さなかった。
「今撃てば、敵は私達の位置を知る」
「でも、アマゾネス班とアルバトロス班が……」
「分かってる」
ローレライは静かに答えた。
「だから、撃つタイミングを選ぶ」
その言葉に、シリングは黙って頷いた。
一方、帝国軍側では、アルサーフィンが前方から届いた報告を確認していた。
「敵の歩兵部隊は予定地域へ進んでいるか」
「はい。現在も北西へ進んでいます」
「こちらからの圧力を弱めたところ、敵はさらに前進しました」
アルサーフィンは地図を確認した。
「そのまま進ませろ」
「了解」
「敵がこちらの意図に気付いている可能性は?」
部下が答える。
「可能性はあります。ただ、現在のところ進路に大きな変化はありません」
アルサーフィンは地図上の一点を見た。
「ならば問題ない」
そこには、帝国軍が火力を集中させる予定地点が記されていた。しかし、アルサーフィンはその地点を見ながら、わずかに眉を寄せる。
「一つ、まだ動いていない敵がいる」
「後方の狙撃兵ですか?」
「そうだ」
アルサーフィンは答えた。
「歩兵と、もう1つの狙撃兵が動いている。だが、残っている連中もいる」
「火力支援へ影響しますか?」
「分からん」
アルサーフィンは即答しなかった。
「だから、無理に動かそうとするな。こちらが動かそうとすれば、逆に何を狙っているのか悟られる」
その報告は、別の場所にいるエンリケ・トーテ少尉にも伝えられていた。
トーテは双眼鏡を下ろした。
「まだ残っているのか?」
「はい」
「なら、こちらから追わない」
「追わないのですか?」
「追えば撃たれる」
トーテは淡々と答えた。
「敵狙撃兵は、こちらが動くのを待っている。ならば、こちらが動くことはしない」
彼の視線は、セイレーン班が潜んでいる方向へ向けられていた。
「先に姿を見せた方が負ける」
山中では、再び砲撃音が響いた。今度の着弾地点は、アマゾネス班の進路を塞ぐ位置だった。
ビービは土砂を避けながら、すぐに周囲を確認した。
「スライス、負傷者は?」
「いません!」
「よし。右へ回る」
アマゾネス班が移動を始める。
しかし、右側へ回り込もうとしたところで、前方から帝国兵の射撃が始まった。
「敵が出てきた!」
キーラが報告する。
ビービは身を伏せながら、敵の位置を確認した。
「撃ち返して。前へ出すぎないで」
「了解!」
アマゾネス班が射撃を開始する。
敵は激しく抵抗するわけではなかった。一定時間の射撃を終えると後退し、別の位置から再び射撃してくる。その動きは、これまで繰り返されてきたものと同じだった。
ビービには、その動きがこれまでと同じものに見えた。
(また押している)
しかし、今度は少し違う。敵はアマゾネス班を前へ進ませるために、わざと逃げ道を残している。
「……そういうことか」
ビービが呟いた。
スライスが振り返る。
「何か分かりましたか?」
「敵は私達を止めたいんじゃない」
ビービは北西を見た。
「私達に、ここを通らせたいんだ」
その瞬間、アルバトロス班から無線が入った。
『アマゾネス、こちらアルバトロス。前方に敵を確認しました』
ビービは答える。
「こちらも確認している」
『敵が後退しています』
「追わないで」
『了解』
ビービは周囲を見回した。
敵の配置は、明らかにGASTを一つの方向へ集めようとしている。
しかし、その罠の存在に気付いているのはGASTだけではなかった。遠方で、ローレライがスコープを覗いている。
視界の中で、先程の観測員が再び無線を使った。
ローレライは照準を合わせる。今度は撃つ。引き金を引いた瞬間、遠くで敵兵が倒れた。
ほぼ同時に、アマゾネス班への砲撃が途切れた。
「……止まった」
シリングが呟く。ローレライはスコープから目を離さなかった。
「観測が切れたんだと思う」
ラスタが周囲を見た。
「敵は、こちらの位置を探すでしょうね」
「そうだね」
ローレライは銃を構え直した。
「だから、今度はこちらが探す」
セイレーン班は移動しなかった。その代わり、ローレライたちは敵が次に何をしようとしているのかを探り始めた。
そして、遠く離れた場所では、トーテが先程まで続いていた火力支援の射撃が突然止まったことを確認していた。
「……撃ったな」
部下が振り向く。
「何がですか?」
トーテは答えなかった。視線だけを山の奥へ向ける。敵狙撃兵はまだ動いていない。それでも、こちらの火力支援に干渉してきた。
「探せ」
トーテが命じた。
「動いていない敵狙撃兵を探せ。こちらが見つけるまで、歩兵を無理に動かすな」
部下が敬礼する。
「了解」
トーテは再び双眼鏡を構えた。その視線の先には、まだ何も見えていない。しかし、確実に存在する敵がいる。そして、その敵もまた、こちらを見ている。
山間部に広がる戦場は、互いの姿を直接見ることなく、狩人同士が獲物の位置を探り合う状況へ変わりつつあった。
登場人物紹介
GASTアマゾネス班
ビービ(班長)、スライス(副班長)、イリー、キーラ、ピケット、サリカム、シャオリン(怪我により離脱中)
GASTアルバトロス班
ブエンテロ(班長)、クラウスレイ(副班長)、ゴルム、ソブラウ、マメッド
GASTセイレーン班
ローレライ(班長)、ボナー(副班長)、シリング、ラスタ、ベルチャー、シノシック、ファス、ビュー、シェンブリ
GASTフォックス班
コルガン(班長)、ダンタス(副班長)、ジミー、グイダ、ラーキン 他3名
エンリケ・アルサーフィン……猿型獣人族の男性で陸軍大尉。第115歩兵科中隊長
エンリケ・トーテ……エルフの男性で、陸軍少尉。第115歩兵科中隊・狙撃分隊長




