第186話 成功率3割の作戦
―山口県下関市沿岸部―
「後退線、維持できません! 左翼が崩れています!」
無線の向こうで誰かが叫んでいた。俺は応答せず、双眼鏡を下ろす。見なくても分かる。左はもう死んでいる。
「第3小隊、後退開始。右はそのまま抑えろ!」(虫枝昭尋二等陸尉)
短く指示を出す。
「虫枝二尉、このままでは包囲されます!」
分かっている。分かっているが、下げれば終わる。
「……時間を稼げ。空が開くまでだ」(虫枝)
そう言った瞬間、誰かが苦笑した。
「空、来ませんよ」
返す言葉はなかった。空を見上げる。曇っているわけではない。ただ、“使えない空”だった。対空火器は沈黙していない。有翼種も確認されている。輸送機は来られない。つまり、増援は来ない。
「――接近! 右前方!」
叫びと同時に、陣地の一角が吹き飛んだ。衝撃が身体を叩く。
「うぐっ…」(虫枝)
「虫枝二尉!」
誰かが名前を呼んでいる。俺は立ち上がろうとして、足が動かないことに気づいた。視界が揺れる。
「……ここまでか」(虫枝)
視界の端で、部下がまだ撃ち返しているのが見えた。――時間は、稼いだはずだ。そうであってほしいとだけ思った。
――通信はそこで途絶した。その後、送られてきた断片的な記録が、現在の敵配置図の基礎になっている。
「後発部隊、到着した。」(ブエンテロ)
苫米地杏南改め、カラーノです。私達、GASTの後発部隊も合流しました。これから私達は、首都圏での戦いとは比にならない、苛烈な戦いに身を寄せる事になります。
「来たか。すぐに会議を始める。来い!」(シルビア)
長机の上に、地図が広げられています。関門海峡。その両岸に、赤い印が密集しています。
「山口方面の戦闘は終了した」(シルビア)
「第13旅団は戦線を維持できず後退。損耗は大きい」(シルビア)
室内の空気が僅かに沈みます。
一瞬の沈黙。
「……だが、時間は稼いだ。敵の配置は把握できている。無駄死にではない」(シルビア)
「なお、九州奪還に対しては、方面隊司令部は既に方針を出している」(シルビア)
その一言で、全員の視線が上ります。
「正面突破は行わない。陽動により敵戦力を分散させ、その隙に小規模部隊を侵入させる」(シルビア)
中隊長が、地図の一点を叩きます。
「問題は“誰が入るか”だ」(シルビア)
「……つまり、俺たちか」(ブエンテロ)
「その通りだ」(シルビア)
間を置かずに続けます。
「海自が海上戦力を引き付ける。空自および航空部隊が対空網を飽和させる。その間にGASTが侵入する。最初の目的は、対空兵器を破壊し、空挺団の降下場所を確保する。」(シルビア)
誰も驚きません。想定通りだからです。クラウスレイさんが口を開きます。
「侵入経路は?」
「関門橋および周辺構造物。完全制圧は不要。足場を確保すればいい」(シルビア)
「……正面を抜くと…」(クラウスレイ)
「陽動込みだ。敵は分散する前提で動く」(シルビア)
完全な安全策ではありません。ブエンテロ班長が問います。
「成功率は?」(ブエンテロ)
「過去の同規模侵入とシミュレーションを合わせて、3割前後と見積もられている」(シルビア)
空気が一段重くなります。その時、私は具申しました。
「……それなら、可能性はあります」
全員の視線が向きますが、続けます。
「敵の配置が分散すれば、速度で抜けられます。小規模であれば、捕捉される前に突破可能です」(カラーノ)
クラウスレイさんが即座に返します。
「しかし、再現性が低い」
「はい。でも、現状それ以外に方法がありません」(カラーノ)
ブエンテロが短く笑う。
「いいじゃねえか。最初から博打なんだ」
その瞬間――
「馬鹿か」(BJ)
空気が変わりました。
「そんな“当たれば勝ち”のやり方で、どれだけ人間を失ってきたと思ってる?」(BJ)
「何だと!」(ブエンテロ)
「てめえに言われる筋合いはねえ!」(ブエンテロ)
「あるな。あんたの班がどうなったか、全員知ってる。撤退戦を潰されて何人の部下を死なせた?」(BJ)
「そうやって、また少なくなった部下を死なすのか?」(BJ)
「何!?」(ブエンテロ)
「ちょ、2人とも落ち着いて…」(フロリアン)
ですが、BJさんは引きません。
「速さで押し切る。それ自体は否定しない。でもな――“崩れた後”を考えてるか?」(BJ)
言葉が刺さります。
「……そこまで詰め切れていませんでした」(カラーノ)
「だろうな。今まではそれでどうにかなっていたんだろう。だがな、いつまでもそれが通用すると思うな。」(BJ)
「作戦を立案する以上、責任が伴う。テメェみたいなヒヨッコが責任とれるのか?」(BJ)
……私は何も言い返せません。
「責任を取るのは私の役目だ。会議を続けるぞ。」(シルビア)
中隊長が仲裁に入ったことで、会議は進みます。
「橋梁ルートは成立しますか? 爆破されていますが…」(クラウスレイ)
「構造物は残っている。支柱と残骸を足場にすれば移動は可能だ。ただし遮蔽物は少ない。露出は避けられない」(タハ)
「狙撃と対空の的になるよ。長く居れば終わる」(カバナー)
「だから陽動が前提になる。敵の視線を分散させ、その間に抜ける」(シルビア)
「海側はどうですか?完全封鎖?」(カン)
「水棲種が常時展開している。潜行は可能だが、成功率は安定しない。実質的には賭けになる」(シルビア)
「空路は論外だな。対空網が生きている以上、降下は成立しない」(カバナー)
消去法で橋しか残らないと。
私は地図を見ながら口を開いた。
「侵入は小隊単位で分散し、通過した部隊が足場を確保する形ですね?」(杏南)
「そうだ。橋脚、あるいは対岸の遮蔽物を確保し、後続の受け入れを行う」(シルビア)
諏訪陸士長改め、ギラードさんが続けます。
「問題は露出時間です。橋上は遮蔽物が少なく、完全に視線を切ることはできません。移動速度と隊形が重要になります」
その指摘に、クラウスレイさんが応じる。
「グラップルを使うか。接地時間を減らせる」
「はい。固定点を確保して水平移動すれば、被弾リスクは下げられます。ただし移動速度は低下します」(ギラード)
「どの程度落ちる?」(ブエンテロ)
「おおよそ1.5倍です」(ギラード)
短い沈黙のあと、ブエンテロさんは首を振りました。
「遅いな。陽動が持つ時間を考えれば致命的だ。戻ってきたら終わる」(ブエンテロ)
私はその判断に賛成でした。
「速度を優先すべきです。敵の視線は橋上に集中します。逆に言えば、橋脚側は“薄くなる時間帯”が生まれるはずです。それに、陽動の効果には限界があります。長く留まるほど不利になります」(カラーノ)
クラウスレイさんが確認する。
「被弾は織り込む、ということか」(クラウスレイ)
「はい。最短で抜ける前提で動くべきです」(カラーノ)
「崩れた場合の処理はどうする?」(カン)
その問いに対して、私は一拍置いて答えます。
「侵入後すぐに分岐させます。複数経路に散開し、捕捉された場合でも全滅を避ける形にします」(カラーノ)
「合理的ではあるが、理想的すぎる」(クラウスレイ)
「はい。それでも、現状で最も通る可能性が高い形です」(カラーノ)
ブエンテロさんが短く笑う。
「どうせ安全策なんてねえってことだろ」(ブエンテロ)
「何も学習してないのか」(BJ)
「あ?」(ブエンテロ)
視線が交差する。
「橋の上で撃たれたら終わりだ。遮蔽も退路もない場所で“速度頼み”は、戦術じゃなくて祈りだ。その後の設計もしていない時点で作戦とは呼べない。さっきも言った。学習できないなら口を開くな。」(BJ)
口は悪いですが、その通りです私は地図に視線を落とす。崩れた後――そこを詰め切れていない。
「……撤退線を設定します。各ルート毎に帰還経路を定義し、通信断でも単独で戻れるようにするべきです」(カラーノ)
「それなら成立する」(クラウスレイ)
シルビア中隊長が全体を見渡した。
「結論を出す」
全員が視線を上げます。
「橋梁侵入、小隊分散、速度優先。ただし撤退経路を事前設定する。これで行く」(シルビア)
机を軽く叩く音が響きます。
「アイアン班は退路構築を優先しろ。時間はない」(シルビア)
「了解」(タハ)
誰も異論は出しませんでした。
作戦は決まった。成功率は3割、つまり7割は失敗するという事です。それでも誰も、その前提を口にしませんでした。
登場人物紹介
虫枝 昭尋
生年月日:1986年7月31日 / 出身:島根県
階級:二等陸尉 / 所属:第17普通科連隊第1普通科中隊の中隊長代理
備考:山口県内での戦闘で戦死 / 享年:35歳
タハ……GASTアイアン班の班長
苫米地 杏南……コードネーム「カラーノ」
諏訪 明登……コードネーム「ギラード」
シルビア……GAST中隊長
クラウスレイ……GASTバイパー班の生き残り
ブエンテロ……GASTアルバトロス班の班長
カン……GASTタイガー班所属で、両目を負傷した
BJ……GASTピットブル班の班長、口が悪い
フロリアン……GASTピットブル班所属。大柄でオネエ口調で喋る
カバナー……GASTスパイダー班の班長
GASTアイアン班……GASTの施設科部隊




