第170話 許容範囲の死
瓦礫の向こうに、再び帝国旗が立っていた。立川駐屯地の再制圧を知らせる報告が、司令部へ届く。
「立川駐屯地、再制圧を確認しました」
その報告を聞いたステフェン・アストロは、胸の奥に溜め込んでいた息を吐いた。
「ふう……」
ようやく緊張が僅かに緩む。
立川を奪われたという報告を受けたとき、アストロの内心には明確な焦りがあった。彼に与えられている地位は、決して安定したものではない。
プレヤディッチは、自分が何を企んでいるのか理解している。それでも排除しない。理由は単純だった。使えるからだ。
以前、プレヤディッチから直接言われた言葉が脳裏に蘇る。
「貴様が何を考えているかは知っている」
あのときの声には、怒気もなかった。
「だが構わん。帝国に利益をもたらす限りはな」
そして、最後にこう続けた。
「……ただし、しくじった時は別だ。」
感情のこもらない言葉だった。
処分を予告しているのではない。アストロにとって、それはもっと厄介なものだった。結果を出し続ける限りは生かしておく。ただし、結果を出せなくなった瞬間、その扱いが変わる。それだけの前提条件を提示されていた。
しくじれば死ぬ――アストロは、その事実を肌で感じていた。そして、もう1人、彼が意識せざるを得ない人物がいる。
人事参謀長、コーディー・ヴァランクエ。反プレヤディッチ派の急先鋒であり、アストロもこれまで彼と行動をともにしてきた。しかし、心から信頼できる相手ではない。ヴァランクエにとって人は同志ではなく、利用価値によって並べられる駒に過ぎない。
もしアストロがプレヤディッチの逆鱗に触れれば、ヴァランクエも躊躇なく彼を切り捨てるだろう。
その緊張は、連日の胃痛となってアストロを苦しめていた。そこへ立川駐屯地の喪失が重なった。
「メンキ大佐、戦死!」
続く報告に、アストロの表情が険しくなる。
「アインツやアイトンダはどうした?」
「アインツ中佐、アイトンダ中佐、アル・ミルカー少佐は、東立川まで後退、兵站の防衛に切り替えております!」
「ふざけるな!」
アストロの拳が机を叩いた。
「防御も維持できず、拠点を明け渡した挙句に後退だと……」
吐き捨てるような言葉だった。それは単純な怒りではない。自分の部下に対する評価が、さらに落ちていくことへの苛立ちだった。
「奴らに伝えろ!今すぐ立川に戻れと!」
それでも収まらない。
「……奴等、1階級降格だけでは足りなかったようだな……」
抑えていたものが、一気に噴き出していた。だが、その空気にそぐわない穏やかな声が返ってくる。
「まあまあ、落ち着いて下さい。まだ大丈夫です」
アストロの動きが止まった。
「……何だと?」
声の主はコール・ヴァルナー空軍少佐だった。
「状況は良くありませんが、まだ立て直せます。」
断言する声音に、焦りはなかった。
ヴァルナーはテリムト作戦参謀の空軍担当である。アイソレイテやヴァランクエとは軍学校時代からの同期だった。2人と比べれば昇進は遅れているものの、本人はそれを気にしている様子を見せない。その結果、現在では後輩であるアストロの部下という立場に甘んじている。だが、そんな立場にあっても、ヴァルナーの口調は変わらなかった。
「何か策があるのか?」
アストロの問いに、ヴァルナーは落ち着いたまま答える。
「これまでの戦闘記録を参照しました。敵は勝利時でも損耗が大きい」
「……続けろ」
「再編には時間が必要です。つまり――今は空白です」
ヴァルナーはそこで一度言葉を切った。
「そこを叩けばいい。都内の予備戦力を即時投入すれば、物量で押し返せます」
アストロは数秒、黙っていた。先ほどまでの怒りは、すでに消えている。代わりに、冷静な計算が頭の中を占めていた。
「……確率は?」
「高いかと」
「損害は?」
「許容範囲です」
わずかに頷く。
「いいだろう」
決断に迷いはなかった。
「全予備戦力を投入する。立川を奪い返せ」
それから間もなく、結果は出た。
再び、立川駐屯地には帝国旗が立っている。
煙はまだ上がっていた。建物は崩れ、車両は焼け、戦闘の痕跡がそこかしこに残っている。完全に制圧しきったわけではない。それでも、少なくとも「立川を奪い返した」という事実だけは揺るがなかった。
「……ヴァルナーの言った通りになったな。」
アストロは小さく呟いた。
胸の奥を圧迫していたものが、わずかに緩む。連日続いていた胃の痛みも、今は引いていた。
「各部隊、掃討を継続中。抵抗は散発的です」
「補給線も確保されつつあります」
報告が淡々と積み重なる。
どれも悪くない。むしろ、良すぎるくらいだった。
「アインツ、アイトンダ、アル・ミルカーは?」
「現在、再編の上で前線に復帰。損耗はありますが、戦闘継続可能です」
アストロは一瞬だけ目を細めた。
「……使えるな」
評価は、それだけだった。先ほどまで激昂していたことなど、すでに忘れたかのようだった。数字だけを見れば、彼らは許容範囲に収まっている。
「やはり空白でしたね」
すぐ横から、ヴァルナーの穏やかな声が続いた。
「敵は押し切られる形になりました」
「……ああ」
アストロは短く応じる。
「こちらの損耗は?」
「想定内です。増援で十分に補填可能かと」
アストロは頷いた。
「なら問題ない」
その一言で、すべてが処理された。
アストロはモニター越しに立川を見つめていた。
瓦礫と焼け跡が広がり、その間には無数の影が横たわっている。拡大された映像の隅には、損耗率と補充予定数が表示されていた。
画面に映る遺体からは、敵味方の区別さえつかない。だが、数値は正確だった。
どちらが何人失われ、どれだけ補充すれば戦力を維持できるのか。その数字だけが、戦場に残されたものを明確に分類していた。
「……帝国に利益をもたらす限りは、か」
アストロは低く呟いた。それは、かつてプレヤディッチから告げられた言葉だった。そして同時に、自分自身へ向けた確認でもあった。
今回、自分は結果を出した。だから、生きている。それ以上でも、それ以下でもない。
「こちらの損耗、第2波で補填可能です」
ヴァルナーの報告が続く。
「問題ない」
アストロは即答した。すでに計算は終わっている。そこに思考を挟む必要はなかった。
「次の準備に入れ。このまま圧力を維持する。敵に再編の時間を与えるな」
「了解」
参謀たちが一斉に動き始める。
それでもアストロは、モニターから視線を外さなかった。画面の中では、担架がいくつも並べられている。だが、それもすぐに視界の外へ押しやられた。必要なのは、そこに何体あるかという事実だけだった。
帝国旗が風に揺れている。その下で、戦争は続いていた。そして、その継続こそが、ステフェン・アストロにとっての価値だった。
登場人物紹介
コール・ヴァルナー
種族・性別:ハイエルフの男性
所属・階級:テリムト作戦参謀空軍担当
備考:アイソレイテやヴァランクエの軍学校の同期。
ステフェン・アストロ……現テリムト作戦参謀長




