第168話 身勝手な英雄
呆気にとられたまま、要はその場に立ち尽くしていた。
何が起きたのかは理解できていない。それでも、自分が助けられたという事実だけは分かった。目の前には、さっきまで自分へ銃口を向けていた敵兵が倒れている。その間に立っている男は、日本刀についた血を軽く払いながら、こちらを振り返ろうともしなかった。
「し、死んだ方が良かったって……どういう事ですか! それが自衛官の言う事ですか!」
声が上ずっていた。怒りというより、自分の存在そのものを否定されたことへの反発だった。
BJは振り返らない。
「ここに来るまでの間、部下が2人死んだ」
平坦な声だった。
「北海道奪還にも貢献した。2人とも、お前とは比べ物にならん程の精鋭だ。」
要の喉が詰まった。自分の背後に残された隊員たちの姿が脳裏をよぎる。だが、それを認めることを拒むように、要は言葉を探した。
「……その2人が、お前を拾うために動いた。その結果がこれだ」
BJの言葉には、言い訳を挟む余地がなかった。
「違う……俺は……」
要の声は途切れる。何を言えばいいのか分からなかった。
自分は戦おうとした。敵を押し切ろうとした。あの場で動かなければ、戦線が崩れると思った。その判断が間違っていたとは、まだ認めきれない。しかし、そのために何人もの隊員が倒れたことだけは、もう否定できなかった。
「価値の話だ」
BJが初めて要へ視線を向けた。
「部下の命を使ってまで拾う価値があったのか、という話だ」
「う……」
要の口から、呻きに近い声が漏れる。
「結論は出ている」
BJは間を置かなかった。
「無かった」
その言葉が、要の胸へ突き刺さる。
「あいつらは無駄死にだった。」
空気が止まったように感じられた。要の中で、何かが音を立てて崩れかける。
「……違う……俺は、英雄に――」
「関係ない」
即座に遮られた。
「お前が何になりたいかはどうでもいい」
BJが一歩だけ近づく。その視線が、初めて真正面から要を捉えた。
「だがな――」
低い声だった。
「他人を巻き込むな」
「……っ」
要は何も言い返せなかった。その時、無線が割り込んだ。
『班長、聞こえる? 敵増援がそこまで迫ってきているわ。既に囲まれてるかも…』
フロリアンの声だった。通信が途切れた直後、周囲の空気が変わった。
瓦礫の隙間や崩れた壁の陰から、複数の気配がゆっくりと間合いを詰めてくる。敵の位置は一つではない。前方だけでなく、左右、そして背後にも動きがあった。
「……囲まれてる」
要の声が乾いた。逃げ場はなかった。
その時、BJが一歩踏み出した。
次の瞬間、要の視界から姿が消える。認識が追いつくより早く、金属音が弾けた。敵兵の1人が声もなく崩れる。続けざまに、もう1人。さらに1人。遮蔽物の裏に隠れていた敵兵まで、引きずり出されるように斬り伏せられていく。
「な……」
要は呆然とした。
これは戦いではなかった。敵が反撃するための時間すら与えられない。一方的な「処理」だった。
散発的に敵の射撃が返ってくる。しかし、その弾丸はBJを捉えられない。撃つ前に斬られているのか、それとも撃つ余裕そのものを奪われているのか、要には判別できなかった。
僅か数10秒の間で、周囲にあった気配が消えた。
要はその場に立ち尽くしていた。やがて、ようやく声を絞り出す。
「……助けて、ください」
BJは振り返らない。
「断る。」
即答だった。
「テメェでどうにかしろ」
「なっ……! この状況で――」
要の言葉が荒れる。だが、BJの声は変わらない。
「命令を無視し続けて、助けだけ乞うのか。ムシが良いな。」
その言葉には怒りすらなかった。ただ、要がこれまで取ってきた行動を、そのまま突きつけているだけだった。
「テメェで判断して出てきたんだ。なら、テメェで帰れ」
「俺は……俺は……!」
言葉が出てこない。BJが要を見る。
「できるんだろ?」
そして、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「英雄さんよ」
嘲笑ではなかった。むしろ、英雄になりたいという要の願望そのものを、完全に切り捨てるような言葉だった。
要は何も返せない。足が震えている。
「……消えろ」
「う、うう…うわぁ!」
それだけだった。要は走り出した。転びそうになりながら瓦礫の間を抜け、後ろを振り返ることもできずに逃げる。
その背後から銃声が響いた。しかし、弾丸は要の身体を捉えない。すぐ脇を掠め、瓦礫を弾き飛ばすだけだった。なぜ致命的な一撃が来ないのか、要は気付かない。しばらくして、その姿は完全に視界から消えた。
どれだけ走ったのか、要自身にも分からなかった。
ようやく瓦礫帯を抜けた頃には、息が上がり、肺が焼けるように痛んでいた。遠方からは、味方の射撃音が聞こえている。
「……はぁ、はぁ……」
呼吸を整えようとして、要は顔を上げた。遠くに人影が見える。仲間たちが後退しながら火線を維持していた。
「前出すな! 線を維持しろ!」
輪床の声が響く。
「了解!」
隼人が応じる。
その視界の端に、よろめく影が入った。隼人がそちらへ目を向ける。
「……あれ、要か?」
要は、ほとんど転がるようにして陣地へ戻ってきた。
「……戻ったのか」
輪床も要へ視線を向ける。状況を確認するための視線だった。しかし、その視線は長く続かなかった。すぐに外される。
今はそれどころではない。そういうことなのだろう。それでも隼人には、その視線の外し方にわずかな違和感が残った。
「……敵は……」
要が口を開く。何を聞こうとしたのか、自分でも分からなかった。言葉が続かない。自分が何をしていたのかも、うまく整理できていなかった。
その時、後方からゆっくりとした足音が近づいてくる。誰かが振り返った。
「……GASTか」
そこにいたのはBJだった。刀を担いだまま、まるで何事もなかったかのように歩いてくる。その視線が要を捉えた。
「ちっ……」
露骨な舌打ちだった。
「生きてやがったか」
間を置かず、吐き捨てる。
「ゴキブリ並みにしぶといな」
BJの視線は一瞬だけ要を捉えた。そして、すぐに興味を失ったように外れる。
要は何も言えない。視線を逸らすことすらできなかった。BJも、それ以上は何も言わなかった。興味を失ったように視線を外す。
その様子を見ていた隼人は、思わず唖然とする。
(仲間になんてこと言うんだ、この人……)
BJはそのまま無線へ手を伸ばした。
「ピットブル班、聞こえるか?」
『……聞こえてるわ』
フロリアンの声は、いつもより低かった。
「リスターとパルヴァーは戦死した」
短い報告だった。言い訳も、補足もない。ただ事実だけが落とされる。一瞬、無線の向こうが静かになった。
『……そう。リスターちゃんもパルヴァーちゃんも死んじゃったのね…』
フロリアンの声が返る。それだけだった。
「位置は把握している。回収に入る」
『了解。こっちも動くわ』
通信が切れる。
BJは周囲を一瞥した。「……この周辺だ」
視線の先には、まだ回収されていない遺体があった。
東野 千花二等陸曹。
猪狩 翔夢炉三等陸曹。
矢作 流三等陸曹。
そして、装備の違う数名の若手隊員たち。誰も言葉を発しない。
BJが歩き出す。
「行くぞ」
それだけだった。
担架が広げられる。一体ずつ、丁寧に運ばれていく。
戦闘はまだ続いていた。遠くでは銃声が響き、別の場所では兵士たちが防御線を維持している。それでも、この一角だけは時間の流れが違っているようだった。ここにあるのは、足音と装備の擦れる音だけだった。
要は、その場に立ち尽くしていた。誰も彼に声をかけない。誰も彼を見ようとしない。そこにいるのに、いないものとして扱われていた。
それが、要にとっては何よりも重かった。
登場人物紹介
段場 隼人……本編の主人公
運天 要……隼人の同期で、BJに心を折られる
BJ……GASTピットブル班の班長、冷酷な性格だが高い戦闘能力を有す
フロリアン……GASTピットブル班の隊員、2m近い長身の筋骨隆々な体格をしているオネエ
輪床 圭慎……35普連3中隊所属で、かつて要と口論になった。
殉職したGAST隊員
リスター:本名:若尾 頭
生年月日:1994年2月19日 / 出身:茨城県
階級:三等陸曹 / 所属:GASTピットブル班
享年:27歳
パルヴァー:本名:明石 旋
生年月日:1998年4月26日 / 出身:山梨県
階級:三等陸曹 / 所属:GASTピットブル班
享年:23歳




