第135話 畦地 結
――2020年10月10日 東海防衛支局――
この日、オペレーション・ギデオン(第7次首都圏奪還作戦)で殉職した隊員の葬儀が執り行われた。
「千歳ちゃん……」
恋垣千歳――将来を嘱望された優秀なパイロットだったが、そんな彼女も撃墜され、海の藻屑となってしまった。相模湾はグーリエ星人の占領下になっており、遺体の回収は不可能だった。
焼香の煙が、静かに天井へと昇っていく。名前だけが刻まれた位牌。その前に、彼女の姿はない。
「……っ」
畦地は拳を握りしめた。爪が食い込む痛みすら、今は何も感じない。
「(どうして私が助かって、優秀な千歳ちゃんが死ぬの?)」
視界が滲む。
「……畦地」
背後から声がした。振り返ると、岡田英一尉が静かに立っている。
「お前のせいじゃない」
「……っ、分かってます」
即答だった。だが、その声はわずかに震えている。
「分かってる、つもりです……でも――」
言葉が、詰まる。
「私にもっと力があればって……あの日からずっと…ずっと…そう思うんです……」
喉が焼けるように痛い。岡田は何も言わなかった。ただ、それを否定しなかった。それが逆に、畦地の胸を締め付けた。心のどこかで、もう分かっている。
「(あの状況で、助けられた可能性なんて……ほとんど、なかった。)」
それでも。それでも……!
―後日―
「畦地! 貴様、たるんでるぞ!」
あれから訓練に身が入らない。何度も何度も何度も何度も教官の雷が落ちた。
「……畦地!」
警告音がコックピットに響いた瞬間、彼女の意識は一拍遅れて現実へと引き戻された。視界の端を仮想敵機が横切り、次の瞬間には被弾判定を示す無機質な表示が点灯する。
「被弾判定だ。やり直せ」
教官の声は淡々としていた。責めているわけでも、怒鳴っているわけでもない。ただ事実だけを突きつけてくるその声音が、かえって胸に重くのしかかった。
「……了解」
返答はしたものの、自分でも驚くほど声に力がなかった。
本来なら見えていたはずの動きだ。頭では理解している。だが、操縦桿を握る手に決定的な遅れがある。判断と操作が、まるで別の人間のもののように噛み合わない。
「(まただ……)」
同じ失敗を繰り返しているという自覚だけが、はっきりとあった。
「――そこまでだ。一度降りろ、畦地」
通信が切り替わり、岡田の低い声が割り込んできた。エンジンが停止し、コックピットの中に静寂が戻る。ヘルメットを外した瞬間、外気とともに現実が一気に流れ込んできた。
「……すみません」
視線を落としたまま、そう口にする。岡田はすぐには答えなかった。その沈黙が、かえって逃げ場を奪う。やがて、短く問いが落ちてきた。
「お前、何を見て飛んでる」
「……え?」
予想していなかった言葉に、思わず顔を上げる。
「敵か、計器か。それとも――死んだ仲間か」
その一言で、胸の奥に押し込めていたものが無理やり引きずり出される。
「……っ」
言葉が出ない。
「今のお前は、空を飛んでない」
岡田は続けた。
「地面に引きずられてる」
その通りだった。否定の余地がない。
千歳ちゃんの最期が、視界に焼き付いて離れない。撃墜されたあの瞬間、何もできなかった自分。あの記憶が、今も操縦桿に重く絡みついている。
「……恋垣のことを考えるなとは言わん」
岡田の声は変わらない。
「だが、引きずったまま飛ぶ奴は、戦場で死ぬ。確実にな。」
静かな断言だった。
「お前は“助けられなかった側”だ。その事実は消えない」
鋭く、だが無駄のない言葉が突き刺さる。
「なら、どうする?」
問いはシンプルだった。
「同じことを繰り返すか?」
喉の奥が締まる。逃げたい、と思う自分が一瞬だけ顔を出す。だが、その奥にある感情はもっと単純だった。 "悔しい" それだけだった。
「……繰り返しません」
声は掠れていたが、確かに出た。岡田はわずかに頷く。
「だったらやることは一つだ。次は落とすな」
風が吹き抜ける。滑走路の先に広がる空は、何も知らないかのように青い。
「次は落とすな……」
その言葉が、頭の中で反芻される。ゆっくりと拳を握る。今度は、はっきりと痛みを感じた。
「(……違う。助けられなかったから弱いんじゃない。)」
心の中で、何かが噛み合う。呼吸を整えながら、思考が一本の線に収束していく。
「(助けられなかったままでいるから、弱いんだ)」
顔を上げると、空が見えた。逃げ場ではなく、行くべき場所として。
「……岡田一尉」
「なんだ?」
「もう一度、お願いします」
その言葉には、さっきまでの迷いはなかった。岡田は短く息を吐き、わずかに口元を緩めた。
「……いい顔になったな」
再びコックピットに乗り込む。キャノピーを閉じると、外界の音が遮断され、代わりにエンジンの低い振動が全身に伝わってくる。スロットルを押し込む。機体が滑走路を加速していく。
「畦地唯三等空尉――出る」
―現在 八王子市―
「35普連の皆、待たせてごめん!」
機体を傾け、敵装甲車群を視界に捉える。
ロックオン。
「(千歳ちゃん)」
ほんの一瞬だけ、思い出す。
「(もう、引きずらない!)」
照準を“わずかにずらす”。
「Fox2、発射!」
ミサイルは一直線に飛び、逃げようとした装甲車の進路を“読んだ位置”で炸裂した。爆炎が上がる。
「命中!」
短く告げる。
「千歳ちゃん、見てて!」
畦地 結……パイロットとしての腕は発展途上ではあるも、状況判断能力は高い。亡き友人の想いも背負い、再び戦場を駆ける。




