第116話 外野の声
苫米地杏南です。
無事、レンジャー試験に合格した私達でしたが、高村二曹の「整列!」という掠れた号令が、かろうじて隊列を維持させました。そこから駐屯地までの4kmの道のりは、地獄の行軍とは別種の、奇妙な静けさに満ちていました。達成感と、体が限界を超えた後の麻痺した感覚。私たちはただ黙々と、駐屯地の門を目指して歩きました。
門が見えてきました。黒い鉄扉の上には、日の丸とともに「祝・第○期レンジャー課程修了」と書かれた横断幕が誇らしげに掲げられています。
「もう少しだ。最後まで、レンジャーとして歩くぞ。」(高村)
「レンジャー!」
高村二曹の声に力がこもりました。しかし、門に近づくにつれて、私たちは異様な音を耳にし始めました
最初は、風の音だと思いました。次に、人のざわめきだと気付きます。そして――それが“怒声”だと分かりました。。
「あれは……何だ?」(美村)
私たちが駐屯地門前に到着したとき、目の前の光景は、訓練で遭遇したどの敵よりも異質でした。
門の前に、数百人の市民団体が密集していました。彼らは「非人道的な訓練を中止せよ!」「軍国主義反対!」と書かれたプラカードを掲げ、怒りの声を上げていました。その中に、見覚えのあるスーツ姿の男たちがいました。野党・社会一新党の議員です。そして、何よりも目を引いたのは、無数のテレビカメラと報道陣の群れでした。私たちレンジャー訓練生10名は、極限の達成感から一転、世間の銃口に晒されたのです。
「人権侵害だ!」(的場大和:社会一新党議員)
「五十鈴教官、これは……。」(高村)
高村二曹が戸惑いながら教官に尋ねますが、五十鈴教官は気に留めることなく、「進め」と指示を出します。
「おい、来たぞ!あれがレンジャーだ!」(的場)
集団の中から、一人の男性が私たちに向かって拡声器を構えました。
「ご覧ください、メディアの皆さん!これが自衛隊の非人道的な訓練の末路です!訓練生は立っているのがやっとの状態で、まるで廃人のようだ!彼らの人権は完全に侵害されている! 我々は、このような時代遅れで危険な訓練に国民の税金が使われることを断じて許さない!」(的場)
「国を守ると言いながら、若者をここまで追い込むのが“正義”なのか!」
「毎年、死人を出してまですることか!」
「この人殺し!」
フラッシュが焚かれ、一瞬、夜明けよりも白い光が、視界を焼きました。隊員たちは、極度の疲労の中、この理不尽な非難にどう反応していいか分かりませんでした。
「俺たちが何のために……」(輪床)
輪床三曹が、怒りに震える声で呟きました。彼の顔は、訓練の汚れで真っ黒に煤けていましたが、瞳の奥には炎が宿っていました。
その時、集団の最前列にいた中年の女性が、私たちに近づいてきました。彼女は「二度と戦争はごめんだ」と書かれたプラカードを、疲れ切った飯田三曹の顔の前に突きつけました。
「あなたたちのおかげで、私たちの未来が脅かされている!若いの、武器なんか捨てて、まともな仕事をしなさい!」
「(うるせぇ…)」(飯田)
訓練の限界で、感情の制御が利かなくなっていた飯田三曹は、堪えきれませんでした。
「ふざけるなぁッ!!」(飯田)
飯田三曹は、訓練中に一度も乱れることのなかった軍装を乱し、怒りに任せて大声で叫び返しました。疲労と怒りが入り混じった、獣のような声でした。その瞬間を、カメラが何台も捉えました。
「何よ、これは立派な恫喝よ!」
「責任者は出てきなさいよ!」
「レンジャー飯田!静粛に!」(五十鈴)
五十鈴教官は、すぐさま飯田三曹を制止し、私たち全員に向かって低い声で命令しました。
「前進!いかなる挑発にも反応するな!」(五十鈴)
私は、その場に立ち尽くしました。感情的に反論したい衝動を、必死に理性で抑え込みました。私にとってこの訓練は、ロジックと、それに逆らう人間性を天秤にかける試練でした。しかし、この抗議集団は、私たちのロジックを根本から否定し、感情論をぶつけてきている。ロジックの通じない相手に、どう応じればいいのか。
隣にいた角南三曹は、五十鈴教官の命令に素早く反応し、私の肩を力強く叩きました。
「行こう。」(朱杏)
先頭を歩いていた諏訪陸士長は、無表情のまま、まっすぐ前だけを見つめていました。彼の全身から発せられる緊張感は、彼がこの場を「戦闘」として認識していることを示していました。
私たちは、怒声とフラッシュ、そして非難の嵐を正面から受け止めながら、ゆっくりと前進しました。市民団体は道を開けようとしません。そこに五十鈴教官が立ちはだかります。
「な、何だ…。我々市民に暴力を振るおうってのか…。」
五十鈴教官の威圧にたじろく市民団体員でしたが、彼らにも教官が発する殺気を感じ取っているのでしょう。私や伝川陸士長は、教官の放つ殺気に震えが止まりません。教官は、目の前に立つ市民団体員に語り掛けます。
「あんた、グーリエ星人に大切な人を殺されたか?」(五十鈴)
「な、なんだ急に…。」
「殺されたのかと聞いている。」(五十鈴)
「いや、ないが…。それがどうしたというのだ! 暴力に暴力で返して解決すると思っているのか…。」
市民団体員が言葉を発し終える間もなく、教官が発した言葉が、私は忘れられません。
「そうか、それは良かった。これからも、そうであるといいな。」(五十鈴)
「…。」
五十鈴教官の、殺気とはまた違う雰囲気に圧された市民団体と社会一新党の議員は、道を開け、私たちは一歩一歩、その間を切り裂いて進み、ついに駐屯地の門をくぐりました。
「閉門しろ!」(五十鈴)
門が閉じ、周りの騒音が収まりました。けれど――さっきまでの声は、まだ耳の奥に残っています。
私は、開閉された門を振り返りました。訓練は終わりました。しかし、私たちレンジャーを待ち受ける新たな戦場は、土の中や山の中ではなく、世間の目と、この門の外にもあったのだと、悟りました。
登場人物紹介
的場 大和
生年月日:1970年6月25日生 / 出身:愛知県
備考:社会一新党所属の国会議員。市民団体とともに、守山駐屯地前で抗議活動を行う
苫米地 杏南……本作のヒロイン
高村 伸作……学生長
美村 丹……万代の良き兄貴分
輪床 圭慎……要と仲が悪い
飯田 源紀……市民団体の煽りに思わず声を荒げる
角南 朱杏……35普連4中隊のエース




