第103話 連帯責任
「整列!」(五十鈴)
苫米地杏南です。
レンジャー訓練の朝は、静かに、しかし地獄の序曲のように始まりました。残った20名は、既に憔悴しきった表情を隠せません。初期の選抜で体力の低い者は脱落、2週間のモラトリアムで、次に始まる真の過酷さを想像し、精神が限界まで削られたようです。
私も例外ではありません。目の前に立つ五十鈴教官の目つきは、以前にも増して冷たく、教官にとって、私たちは「人間」ではなく、選別されるべき「道具」にしか見えていないようでした。
「お前等20名で、この教育を修了する。いいか、我々は貴お前等に、生半可な努力や根性など求めていない。結果だけだ。」(五十鈴)
五十鈴教官は、我々の顔を一人ひとり見渡した。その視線は、体格や所属ではなく、まるで心の奥底を値踏みするかのように、各人を短く区切っていきます。
「高村! お前が訓練生全体の先任だ。何かあれば貴様が責任を取れ!」(五十鈴)
「は! 承知しました!」(高村)
高村二曹の力強い返答が、静寂を切り裂きます。高村二曹は、初期の選抜から常に安定しており、この20名の中で、上級曹長に位置し、先任に相応しい方でしょう。そして、五十鈴教官の視線が、私や他、数名の隊員の前で止まります。
「(角南、諏訪、苫米地、万代…この4人は、20人の中でも頭一つ抜けている。こいつらは、この訓練において最も大きな重りを背負わす。乗り越えなければそれまでだ。)」(五十鈴)」
それは、まるで呪いの宣告のようだ。杏南ほか3名の強さは、自らを救うためではなく、他者の失敗の尻拭いをさせられるための責任として、五十鈴によって課せられた。
最初のメニューは、武装重量約35kgを背負っての5km全力走、からの、即座に障害走です。走っている最中、私は息を整えながら、周りの様子を観察しました。
角南三曹、諏訪士長、万代一士…この面々は、まるで何も背負っていないかのように、教官のペースメーカーに喰らいついています。ですが、中には既に息が切れ、顔色を失っている隊員もいます。
「はぁ、はぁ、はぁ…(重い。これを維持するのは…無理だ。)」(斎垣)
斎垣悠満二士ですね。私と同じ自候生出身で、同期の隊員です。素養試験をクリアしたものの、ギリギリで生き残っていた影響でしょうか。急勾配の上りで、ついに堪え切れず…。
「う、ぐぁ…(脚が……)」(斎垣)
彼は完全に足がもつれ、背負っていた大量の装備とともに、泥の斜面に前のめりに倒れ込んでしまいます。土埃が舞い上がり、静かな山林に彼の呻き声だけが響く。
「レンジャー斎垣、停止!」(五十鈴)
五十鈴教官は、倒れた斎垣二士を見ても、一切表情を変えず、その代わり、彼は立ち止まることなく、バディの灰川眞霜一士へ向け、そして同じ分隊の角南三曹や万代一士の方を向きます。
「レンジャー角南! レンジャー万代! このゴミを回収しろ。 お前等の装備に加え、斎垣の装備を全て持って、やり直せ! 制限時間以内に到着しなければ、お前たち2名も失格だ!」(五十鈴)
「レンジャー灰川! テメェは腕立て10回してからやり直せ!」(五十鈴)
「なっ…」(万代)
「(何でだよ、ちくしょう……。)」(灰川)
万代は一瞬、教官の非情な命令に怒りをにじませたが、反射的に駆け出した。朱杏も無言で斎垣に駆け寄り、彼の重い装備を鷲掴みにする。斎垣は、まるで巨大な重りを背負ったまま、動けずにいる。
「レンジャー斎垣、立て! 訓練は続くぞ。自分達も失格になるのは御免だ!」(万代)
万代が斎垣の身体を無理やり引き起こし、朱杏は彼の装備を2つに分け、自分の背嚢の上部に無理やり固定した。追加された装備は、既に限界に近い背嚢に食い込み、肩の骨を軋ませた。総重量は70kg近い。歩くだけでも姿勢が崩れる重さだ。
「(これは、切り捨てるための試験なの?)」(朱杏)
朱杏は困惑しつつも、万代と共に、泥にまみれた斎垣を抱えるようにして、先頭を走る隊員たちの後を追った。
「す、すみません……。俺のせいで……。」(斎垣)
己の不甲斐なさを痛感した斎垣は、泥と汗にまみれ、バディの灰川や、同じ分隊の朱杏、万代に対し、ただただ謝ることしか出来なかった。彼の目は絶望に濡れており、肉体の疲労よりも、仲間への罪悪感で心が先に折れていた。
「謝る元気があるなら、早く態勢を立て直して。脱落は嫌でしょう? この訓練で、誰かのミスを責めている暇はない。私達全員が、制限時間内にゴールしなければならない。」(朱杏)
朱杏は、斎垣の装備を加えた計70kg近い重りが背中に食い込んでいるにもかかわらず、一切顔色を変えない。その声は冷徹なほどに冷静で、感情を切り捨て、ただ結果のみを見据えていた。万代は、朱杏の冷たさに一瞬戸惑いを覚えたが、すぐにその視線に同意する。ここで立ち止まって斎垣を慰めている余裕など、彼らには微塵もない。
「レンジャー灰川は、早く腕立てを済ませて、自分のバディの面倒を見ろ。自分達まで道連れにするな!」(万代)
「お前が倒れた時点で、お前は一人じゃない。全員を道連れにしている。頼むぞ!」(万代)
「レンジャー!」(灰川)
灰川は、腕を曲げるたびに、肩関節が外れそうな痛みが走る。それでも止まれば、自分だけでなく“もう一人”を潰す。
「(俺がいるだけで…みんなが遅れる…くそっ…)」(斎垣)
「コラァ、レンジャー赤松! レンジャー船山! テメェら、自分のバディにだけ仕事させて、何もしないつもりか!」(塗)
塗は、倒れた斎垣を囲む朱杏と万代の周囲を鋭い目つきで見回した。赤松は朱杏のバディであり、船山は万代のバディである。本来、彼らは一歩下がって様子を見ていた。その姿勢に助教は目をつけた。
「ひっ!(しまった……。自分のバディが重りを背負っているのに、見てるだけじゃダメだよね…)」(赤松)
「(俺までかよ、ちくしょう……。なんでだよ、斎垣が勝手に倒れただけなのに。)」(船山)
赤松は、朱杏が斎垣の装備を背負うのを黙認していたことを咎められたと悟り、顔を青くする。船山は内心で斎垣への不満を募らせる。
「レンジャー赤松は、斎垣の背嚢を全てもう一度解体し、レンジャー角南が走れるように再固定を。レンジャー船山は、斎垣が今から走るペースメーカーとなって。斎垣を制限時間内にゴールさせられなければ、自分達も失格になる。」(万代)
「うん、分かった。」(赤松)
「(俺の方が階級上だぞ、こいつ…。)」(船山)
「(これは、相互扶助? いや違う。これは…助け合いじゃない。誰か一人が崩れれば、全員が崩れる構造だ…)」(朱杏)
「ほう、あいつ……」(塗)
塗の視線の先で、隊列が崩れかけながらも、かろうじて繋がっている。誰一人、置いていかれていない。ただし――全員が、確実に削られていた。
「教官の意図に気付いたか?」(大綱)
新たな、そして不条理な連帯責任が、赤松と船山に課せられた。教官が求めているのは、「切り捨て」ではなく、極限状態での「相互扶助」と「責任の分散」だったのか。
登場人物紹介
斎垣 悠満
生年月日:2001年8月20日 / 出身:東京都
階級:二等陸士 / 所属:49普連5中隊
備考:灰川とバディを組むレンジャー志願者
灰川 眞霜
生年月日:2000年12月25日 / 出身:滋賀県
階級:一等陸士 / 所属:第10高射特科大隊2中隊
備考:斎垣とバディを組むレンジャー志願者
船山 慶吾
生年月日:1996年5月12日 / 出身:愛知県
階級:三等陸曹 / 49普連4中隊
備考:万代とバディを組むレンジャー志願者
苫米地 杏南……本作のヒロイン
角南 朱杏……杏南同様、GASTにスカウトされる
諏訪 明登……隼人に厳しい姿勢を見せる
万代 佑大……GASTにスカウトされた若手隊員
赤松 つらら(あかまつ)……朱杏のバディ
高村 伸作……学生長
五十鈴 寛治……教授。GAST「ピットブル班」班長で教官を務める
大綱 収……特戦群所属の助教
塗 渉……第1空挺団所属の助教




