第9話 オペレーション・ギデオン開始
湯河原町に入る直前、神奈川と静岡の県境、標高が下がり始めた場所で、僕らは34普連の情報小隊と合流した。彼らから湯河原町の最新情報――残された住民の情報、道路の封鎖具合、そして敵の活動が「完全に途絶えている」という異様な報告を受け取った。
「この街を手放したということ?」
下葛三曹が怪訝な顔で尋ねた。
「それはないだろう。奴らは地球の征服が目標だからな。この先に罠を張っている可能性を視ているが……。奴らが何故、活動を隠密にしているのかは不明だ。」
そう答えるのは、和吹雁樹三等陸尉。34普連の情報小隊の小隊長を勤める。
「和吹三尉、ご苦労だった。後は、我が35普連の情報小隊が任務を引き継ぐ。郷、頼むぞ。」(片桐)
「了解した。」(郷昴流三等陸尉)
「郷三尉、よろしく頼みます。我々も、少し休んでから任務を再開する。」(和吹)
情報小隊間で引き継ぎ終了後、35普連は、国道135号線へと向かう。アスファルトには、割れたグラスの破片が散らばり、タイヤ痕だけが残された。
国道135号線には、車の気配がなかった。信号だけが、意味もなく赤と青を繰り返している。代わりに聞こえるのは、風に揺れる看板の軋みと、遠くの波の音だけだった。人間の気配が、完全に消えていた。
「……。」
下葛三曹は、悲しそうな表情をしている。自身の故郷、熱海市がゴーストタウンと化している彼女は、湯河原の惨状にも心を痛めているようだ。
僕も、熱海を通過した時に感じた故郷への不安を再び思い出した。ここは僕の故郷ではないが、この無残で静まり返った光景を見るたびに、故郷の皆がこんな静けさの中で生きていたのはないかと思うと、胸が締め付けられる。
「(もし、横須賀もこんな風になっていたら、故郷の逃げ遅れた皆も、この張り詰めた静寂の中で、助けを待っているのだろうか……。)」
そして、この静寂を打ち破るために、僕達はここにいるのだと、改めて思い知らされる。
ふと海を見た。遠くの水平線に、灰色の艦影がいくつか並んでいる。
「駿河湾の艦隊か……。」
海自はあそこに防衛線を敷いている。相模湾はすでに敵の勢力圏だ。
今のところ、海上、そして陸上でもグーリエ星人の姿は見えない。いや、この作戦を始めて以降、どこの部隊も敵と遭遇したという報告はない。それは、情報通りであるならすごく不気味であった。
「誰もいないですね。こんなにも……。」
不安げな声で呟く僕に、江鹿一曹が静かに答える。彼の指は、トリガーガードの横で制止している。
「ああ、ここんところ、戦闘は小康状態だという報告はあったが…。ここまで何も接触がないと逆に不気味だな。嵐の前の静けさだ。」
「ねー、本当に静かすぎて怖いわ。まるで撮影所のセットみたで、どこからか 『カット!』って声が聞こえてきそう。んで、この海岸沿いのホテル、絶対幽霊出るよね?」(まひる)
「遊んでいる場合ではないぞ、魚見、目を離すな。」
地頭孝之陸曹長が、鋭い、しかし低い声で魚見陸士長を制する。元32普連の地頭曹長は、首都圏陥落時の激戦を経験した歴戦の猛者だ。その経験に裏打ちされた警戒心で、周囲のあらゆる物陰に注意を払っている。
「しかし、本当に誰もいないと考えるべきではない。俺達が見つけられていないだけだ。奴らは巧妙に隠れている可能性が高い。」
「はーい!」(まひる)
「…。」(理央)
「智川、敵の痕跡は見つかったか?」(園山勇将三等陸佐、35普連2中隊中隊長)
「こちら、智川。ビルの屋上、建物の隙間も入念に探していますが、グーリエ星人の痕跡はありません。」(智川義郎三等陸曹)
「こちら、34普連3中隊の山田士之介三曹です。気になることがあります。」
智川三曹の無線に割って入る34普連の山田三曹。「気になること」に僕も、耳を傾ける。
「建物をくまなく調べていますが、中には施錠されている民家があります。インターホンを押しても反応はありませんが、生活の形跡があります。中隊長の指示で、その民家はマーキングしています。」
「施錠? 避難する時に鍵をかけたとか?」
「お前は、避難する時に施錠するのか? そんな余裕があったのか?」
僕の問いに、前を歩いていた諏訪明登一等陸士が、振り返らずに呆れたように口を開く。
「い、いや、戦闘に巻き込まれていない場所なら、避難する時に施錠するかと思ったのですが…。」
「あーはいはい。」
諏訪一士の後ろ姿だけで、呆れているというのが分かる。この人、僕にだけ当たりが強い気がするけど、気のせいだろうか?
「施錠された民家は何件あった?」(賀井)
「現時点で9件です。いずれも国道から奥まった場所に集中していました。」(花井賢人三等陸佐:34普連3中隊中隊長)
「避難した家というより、何かから逃げた家のように感じます。」(山田)
「総員、警戒を強めろ。この状況は不自然だ。」(賀井)
「了解。」
「我々も警戒を強めよう。智川も警戒を怠るな。」(園山)
「了解。」
園山中隊長の指示を受け、僕らは国道から脇道へ入り、民家や商店の調査を開始した。その時、新崎川を渡る細い橋の手前で、僕は異変に気付く。
川面から上がってくる、奇妙な水音が、僅かに、しかし確かに聞こえた。まるで、水中で何か移動するかのような湿った音だ。更に、何か話声が聞こえた。日本語ではなかったので、グーリエ星人が潜んでいることは明白だ。
「川縁に何かいます。動きあり。」
諏訪一士が、"何か" を発見し、低い声で警告した。その声は、僕が感じた違和感を確信に変えた。
「物陰に隠れ警戒せよ。銃を構えよ。」
僕らは物陰に隠れ、河川の様子を伺う。敵兵の可能性が高まり、極度の緊張が走る。その時、水音の向こうから何かが飛んできた。
小さく、黒い塊。空中でゆっくり回転していた。それが地面で弾む。僕の心臓は、胸を突き破りそうなほど鳴っていた。
「カラン」と、乾いた音がした。
「伏せろ! 手榴弾だ!」
江鹿一曹の声。
次の瞬間、彼の体が視界に割り込んだ。江鹿一曹は、僕を突き飛ばすと同時に、地面で弾んだその手榴弾を、驚くほどの速さで拾い上げ、飛んできた方角の川縁へ投げ返した。江鹿一曹に迷いはなかった。まるで訓練の一部のように、手榴弾を拾い上げていた。
BOOM!
手榴弾が爆発した。爆風と土煙が舞い上がり、耳鳴りが響く。僕らは全員無事だった。江鹿一曹の驚異的な機転と瞬発力によって難を逃れたのだ。この攻撃は、川縁に潜んでいたのが敵兵であると、そして彼らが、こちらの接近を知っていたことを証明していた。
「苫米地、諏訪、道路からの射線確保! まひる、後方警戒!」
瑛松二曹は既に銃を構え、爆炎の向こうを睨みつけている。彼女の動きに一切の躊躇はなく、静から動への切り替えは、まるで狩人のようだった。その圧倒的なプロフェッショナリズムが、僕の身体の硬直を打ち破った。
「ぎゃっ!」
川縁からの悲鳴とともに、3体の人影が道路へ吹き飛んだ。吹き飛ばされた一体がアスファルトに叩きつけられ、もがいているのを見た僕は、訓練では聞いたことのない言葉を叫んだ。
「か、河童!?」(隼人)
登場人物紹介
段場 隼人……2001年7月13日生まれ 神奈川県横須賀市出身 35普連2中隊所属の二等陸士。本編の主人公。
片桐 初……1970年5月8日生まれ 静岡県出身 陸一佐で、35普連の連隊長
下葛 ノエル(しもつづら)……1992年2月28日生まれ 静岡県熱海市出身 陸三曹 35普連の2中隊所属。豪快な性格。
和吹 雁樹……1988年1月28日生まれ 三重県出身 三等陸尉 34普連情報小隊の小隊長
郷 昴流……1984年12月29日生まれ 愛知県出身 三等陸尉 35普連情報小隊の小隊長
江鹿 彬……1989年1月14日生まれ 埼玉県出身 陸一曹 35普連2中隊所属。咄嗟の判断で手榴弾を投げ返した。
魚見 まひる(うおみ)……1999年7月6日生まれ 神奈川県出身 陸士長 35普連2中隊所属。中隊のムードメーカー。
地頭 孝之……1981年5月14日生まれ 京都府出身 陸曹長 35普連2中隊所属。首都圏陥落時の2012年は32普連に所属していた。
園山 勇将……1978年12月5日生まれ 愛知県出身 三等陸佐 35普連2中隊の中隊長
智川 義郎……1995年5月31日生まれ 愛知県出身 三等陸曹 35普連情報小隊所属。ドローンの操縦に定評あり。
山田 士之介……1994年2月21日生まれ 東京都出身 三等陸曹 34普連3中隊所属。民家の施錠の違和感にいち早く気付く。
諏訪 明登……2000年9月10日生まれ 埼玉県出身 一等陸士 35普連2中隊所属。隼人と杏南の一年先輩にあたる。何故か隼人への当たりがきつい。
賀井 双一郎……1969年6月6日生まれ 静岡県出身 陸一佐 34普連連隊長。
花井 賢人……1981年4月17日生まれ 大分県出身 陸三佐 34普連3中隊の中隊長。
瑛松 理央……1991年12月3日生まれ 山梨県出身 陸二曹 35普連2中隊所属。




