第9話 舞台の余韻と静かな想い
放課後を告げるチャイムが、校舎の廊下に響き渡った。
金属のようなその音は、壁を震わせながら波のように広がっていく。
椅子が床を擦る音。
カバンを閉じる音。
あちこちから会話が立ち上がる。
2年B組の教室は、ゆっくりと人が減っていった。
美桜が、スマホをカバンにしまう葵の机へ近づく。
「葵ちゃん、部活行くの?」
葵は顔を上げた。
「うん……でも、その前にちょっとやることがあって」
ゆっくりと立ち上がる。
そして――教室の中で、誰かを探すように視線を動かした。
新井美咲。
美咲は静かに席に座り、短く無駄のない動きでノートをカバンに入れている。
葵は深く息を吸い、歩き出した。
一歩一歩が、少し重い。
机の前に立ち、声をかける。
「ねえ、美咲ちゃん」
美咲はわずかに視線を上げる。
「……なに?」
素っ気ない、ほとんど反射のような返事。
葵は笑顔を作る。
けれど額にはうっすら汗がにじんでいた。
「あ、あの……昨日のこと、ちゃんとお礼言いたくて」
美咲の手が一瞬止まる。
――が、すぐにまた動き出す。
「別に」
チャックを閉める。
「大したことしてないし」
二人の間に沈黙が落ちた。
短い。
けれど、重い。
葵は数秒その様子を見てから、もう一度口を開く。
「よかったら、このあと何か食べてから部活行かない?」
美咲はカバンを肩にかける。
「部活、入ってない」
少しだけ顔をそらす。
「用事もあるし」
葵は目を瞬かせた。
美咲は続ける。
「お礼とか気にしなくていいよ。ああいうの、普通でしょ」
そのままドアの方へ歩き出す。
「また明日、坂本さん」
そして――
振り返ることなく、教室を出ていった。
早く。
迷いなく。
葵は数秒、ドアを見つめたまま立っていた。
――少し、冷たすぎる。
そんな感覚が残る。
窓際では、クラス委員の匠が黒沢華恵と話していた。
葵は二人の方へ歩く。
「こ、こんにちは……」
二人が振り向く。
匠は人差し指で眼鏡を押し上げた。
「どうした、坂本」
華恵は少し首を傾げる。
「こんにちは」
葵は息を整える。
「さっきの……美咲のこと、見てたよね?」
匠は落ち着いた声で答える。
「ああ。自分からあの連中のところに行ったな」
葵は目を見開く。
「えっ……!?」
華恵は腕を組む。
「ちょっと様子見する」
一瞬、教室のドアを見る。
「最近、少し変だし」
葵は二人を見た。
匠はカバンを持つ。
「じゃあな」
そのまま教室を出ていった。
葵は小さくつぶやく。
「……どうしたらいいんだろう」
華恵は落ち着いたまま答える。
「任せて」
髪を耳にかける。
「必要なら、生徒会か先生に話すから」
葵は少し頭を下げる。
「く、黒沢さん……ありがとう」
華恵はうっすら微笑んだ。
「またね」
そして彼女も教室を出ていった。
少しして、美桜とひなが戻ってくる。
美桜が聞いた。
「葵ちゃん、距離縮まった?」
葵は首の後ろをかく。
「い、いや……お礼言っただけ。見つけるの手伝ってくれたし」
美桜は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
葵は言う。
「じゃあ……私、演劇部行くね」
美桜が笑う。
「あ、そっか。私たちは文芸部の集まりあるし」
ひなが手を上げる。
「私は美術部でマンガの続き!」
三人は軽く視線を交わし、微笑み――
それぞれ別の方向へ歩き出した。
演劇部の部室は旧校舎の二階にある。
ドアを開けると、声が響いた。
「坂本ちゃん!」
部員たちが手を振る。
葵はゆっくり中に入る。
「こんにちは……みんな元気?」
男子の一人が笑う。
「久しぶりじゃん!」
葵は少し照れたように笑う。
「ちょっと色々あって……でも、戻ってきたよ」
部室の中央では、二人が演技をしていた。
「ねえ……これからどうするの?」
少女の声が響く。
「考えるさ……でも大丈夫、きっと全部うまくいく」
芝居が終わる。
拍手。
隣の男子が誇らしげに言う。
「うちのスターだよ。篠原由梨と藤本武雄」
葵は二人を見る。
武雄は少し無造作な茶髪で、自然に目にかかっている。
自信はあるが、嫌味のない笑顔。
由梨は姿勢が美しく、動きが洗練されている。
まるで一つ一つ計算されているかのようだった。
武雄が手を上げる。
「ありがとう。でもまだ練習だから」
由梨も微笑む。
「みんなで頑張りましょう」
拳を軽く上げる。
「ファイト!」
部員たちが笑う。
顧問が声を上げた。
「台本はもうできてる。配役は篠原と藤本が決めたものを参考に」
葵は紙を手に取り、読み始める。
セリフ。
説明。
キャラクター。
物語に引き込まれていく。
そのとき、肩を軽く叩かれた。
振り返ると、武雄が笑っていた。
「やる気ありそうだね、葵ちゃん」
「まだ色々考えてるけど……戻ってきてよかった」
武雄はうなずく。
「困ったら言って」
台本の一部を指さす。
「これ、葵ちゃんに合いそう」
葵が見る。
――めぐみん。
笑った。
「冗談でしょ、先輩。私は照明やるつもりだったし」
武雄は目を瞬かせる。
「え? でもぴったりだよ」
腕を組む。
「由梨もセリフ書いてたし」
葵は由梨を見る。
由梨もこちらを見ていた。
だが、目が合った瞬間――
すぐにそらし、別の子と話し始める。
(篠原先輩……?)
武雄が首をかしげる。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「じゃ、練習戻るね」
歩き出す。
「ま、待って、武雄くん」
「ん?」
ちょうど由梨が通りかかる。
その瞬間、葵は小さな声で聞いた。
「彼女、いるの?」
由梨の足が止まる。
目が見開かれる。
一瞬、顔が青くなる。
でもそのまま歩いていく。
唇がわずかに震えていた。
武雄は頭をかく。
「なんでそんなこと聞くの?」
葵は答える。
「友達が気にしてて」
「誰?」
「先に答えて」
武雄は笑う。
「いないよ」
葵はうなずく。
「じゃあ……神崎美桜って子」
武雄は少し考える。
「ああ……あの子か」
肩をすくめる。
「可愛いけど……合うかはわからないな」
葵は言う。
「優しくしてあげてね」
武雄は笑う。
「わかってるって。今は忙しいし」
そして冗談っぽく言う。
「教えてくれてありがとな、妹――あ、葵ちゃん」
葵は腕を組む。
「まだ妹扱い?」
武雄は笑う。
「ちょっとだけ」
葵はため息をついた。
そのとき。
影が落ちる。
篠原由梨だった。
少し頬を膨らませ、無表情を装っている。
「こんにちは、坂本さん」
「こんにちは……篠原先輩」
「居心地良さそうね」
腕を組む。
「役は決めた?」
「うん……武雄くんが」
由梨が小さくつぶやく。
「た、武雄……くん……?」
葵は瞬く。
「え? 何か言いました?」
「な、なんでもない!」
顔をそらす。
「ちゃんと頑張って。いい舞台になるから」
「は、はい……!」
由梨は離れ、椅子に座る。
台本を開く。
――けれど、集中していない。
視線が武雄へ向く。
楽しそうに先生と話している。
無造作な髪。
自然な笑顔。
胸が少し熱くなる。
(あんなふうに……私にも向けてほしい……)
慌てて目をそらす。
「ト、トイレ行ってくる」
鏡
トイレで、水を出す。
顔に軽く水をかける。
顔を上げる。
鏡。
頬が赤い。
目が――いつもと違う。
深く息を吸う。
洗面台を握る。
小さくつぶやく。
「ど、どうしよう……」
水滴が頬を伝う。
目を閉じる。
そして――
「もしかして……葵が、好きなの……?」
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