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第6話 言えなかったこと

最後の授業は、いつもより長く感じられた。

葵は静かに席に座り、黒板を見ていたが、先生の説明はまったく頭に入ってこなかった。

言葉は流れていくのに、何ひとつ残らない。

チョークが黒板をこする音。

ページをめくる音。

小さなささやき声。

椅子が床を引きずる音。

すべてが遠くに感じられた。

まるで水の中から世界を聞いているみたいに。

視線は何度も同じ場所へ戻る。

空っぽの席。

神崎澪。

隣に座る雛も、ときどきそちらを見ていた。

ライン に通知はない。

新しい情報もない。

何もない。

葵はまた時計を見る。

まるで時間が止まっているかのようだった。

そしてようやく――

トリリリリリィィン

チャイムが校内に響いた。

その瞬間、教室は一気に活気を取り戻す。

椅子を引く音。

カバンのファスナーを閉める音。

ゲームの話、テストの話、部活の話、放課後に何を食べるか――そんな会話があちこちで広がる。

雛が葵を見る。

「……今だね」

葵はゆっくりとうなずいた。

「うん……行こう」

二人は佐々木大翔の机へ向かった。彼はファイルの中でプリントを整理していた。

葵は少し緊張しながら声をかける。

「せ、先生……今日のノート、神崎さんに届けに行こうと思ってます」

先生は顔を上げた。

「うーん……それなんだけどね」

少し考えるように息をつく。

「できれば明日まで待って、そのときに渡してあげたほうがいい」

葵と雛は顔を見合わせた。

雛がすぐに口を開く。

「で、でも先生……神崎さんって数学苦手で、1日休んだだけでもかなり遅れちゃって――」

「分かってるよ」

佐々木は穏やかに言った。

「神崎のこと、心配してるんだろう?」

ファイルを閉じる。

「でも今は、ちょっと個人的な事情があってね」

葵の胸がきゅっと締めつけられる。

「明日には戻ってくるよ」

教材を持ち上げる。

「じゃあ、また明日」

そう言って教室を出ていった。

数秒、沈黙が流れる。

そして葵が言った。

「……星見病院、行く」

雛はすぐに振り向く。

「行ってどうするの?」

「そこにいるかも分からないのに」

葵は手をぎゅっと握る。

「先生、明日戻るって言ってた……

だから、たぶんそこにいる。分かんないけど……もう頭が回らないの」

顔を上げる。

「待つだけでもいいから、行きたい」

雛はしばらく黙っていた。

それから、少しだけ笑う。

「ふふ」

葵を見る。

「そこにいるなら……私も行く」

腕を組む。

「友達でしょ?」

葵はやわらかく笑った。

「うん」

そのとき雛が思い出したように言う。

「あ、でも部活寄らないと」

「私も行くよ」と葵。

数分後――

葵は演劇部の部室で、顧問の先生と話していた。

「今日は練習に参加したかったんですけど……

クラスメイトの神崎澪にノートを届けるために、病院へ行くことになって」

先生はうなずいた。

「いいよ」

「ただ、明日は本格的な練習になるからね。新しい劇のリハーサルも始まるし」

葵は丁寧に頭を下げた。

「ありがとうございます」

――

校門の前で、葵は待っていた。

空はすでに柔らかな夕方の色に変わっている。

生徒たちがグループで帰っていく。笑い声や愚痴が混ざる。

葵は通りの方を見る。

(雛……遅いな)

(許可、もらえなかったのかな……)

そのとき――

「葵ちゃーん!」

雛が走って校門から出てきた。

膝に手をつき、息を切らしている。

「はぁ……はぁ……早く……来たくて……」

葵は苦笑する。

「走らなくてよかったのに」

「ゆっくり行こう。呼吸整えながら」

二人は駅へ向かって歩き出す。

学校の角を曲がったとき――

雛が急に立ち止まった。

「……葵」

その視線の先を見る。

電柱にもたれている男子。

こちらに気づき、顔を上げる。

山田陸。

「……あ、どうも」

雛が目を丸くする。

「山田くん?」

葵が小さく言う。

「こっち来る」

山田は少し緊張した様子で近づいてきた。

「神崎さんに会いに行くって……聞いた」

少し迷う。

「俺も……一緒に行っていいか?」

葵と雛は一瞬だけ目を合わせた。

葵が答える。

「星見病院に行くつもりだけど」

山田は眉をひそめる。

「病院……?」

雛が説明する。

「澪、そこにいるかもって思ってるの。でも詳しくは分からない」

山田は少し黙る。

「なんで病院なんだ……無事だといいけど」

深く息を吸う。

「それでも、行きたい」

葵は首を少しかしげた。

「そんなに会いたい理由、あるの?」

山田は汗をにじませる。

「い、いや……その……

授業中にちょっとからかったこと、あって……謝りたくて」

雛が眉をひそめる。

「え?そんなのあった?」

山田は答えられない。

葵は少し見つめてから、やわらかく言った。

「……心配なんだよね?」

山田はうつむき、拳を握る。

小さくうなずいた。

葵は微笑む。

「じゃあ、行こう」

雛が驚く。

「え、いいの?」

葵は落ち着いて言う。

「同じ気持ちなら、問題ないでしょ」

――

電車に乗り、数ブロック歩く。

雛がスマホを見る。

「あれ?ソウマキーが エターナルズ で入力中」

葵もスマホを見る。

ソウマキー、タイピング中...

少し考える。

「あとで見る」

病院の手前の通りで――

山田が急に立ち止まる。

「待って」

指をさす。

「あそこ……あれって……」

葵が目を細める。

「山本くん……?」

雛が目を見開く。

「ソウマキー!?なんでここに」

山田がため息をつく。

「またその呼び方……」

三人は近づく。

蒼真はスマホを見ていたが、気づいてしまう。

「……どうも」

葵が驚いて聞く。

「山本くん、一人で来たの?」

蒼真は頭をかく。

「部活あると思ってたから……先に来た」

少し笑う。

「でも、やっぱり一緒のほうがいいと思って」

雛がスマホを見せる。

「だからさっき入力してたの?」

蒼真はうなずく。

「どう言えばいいか分からなくて」

山田が言う。

「誰か説明してくれないか?」

蒼真が答える。

「ゲーム。エターナルズ・イージス・オンライン」

葵がさえぎる。

「それはあとで」

病院を見る。

「まず、澪に会おう」

――

病院に入る。

消毒液の匂い。

光る床に響く足音。

座っている人々――疲れている人、不安そうな人。

葵は受付へ向かう。

「こんにちは……」

受付の女性が微笑む。

「はい、どうされましたか?」

「神崎澪のお見舞いに来ました」

少し表情が変わる。

「ご家族の方ですか?」

葵は頭を下げる。

「クラスメイトです。ノートを届けに」

女性はため息をつく。

「大人数は入れません」

葵は必死に言う。

「ノートを渡すだけでいいんです……様子も見たくて」

女性はパソコンを操作する。

「神崎……澪……」

数回クリック。

顔を上げる。

「申し訳ありません。個人情報はお答えできません」

「それと、面会時間は終了しています」

葵は戸惑う。

「面会時間……?」

女性は淡々と言う。

「少なくとも、神崎澪という患者はここにはいません」

「失礼します」

葵は固まる。

ゆっくり戻る。

雛がすぐに聞く。

「どうだった?」

葵は小さく言う。

「……いないって」

「え!?」

山田が言う。

「でも聞いたんだろ?」

葵はスマホを握る。

「確かに聞いた……星見病院って」

蒼真は黙って葵を見る。

小さく見えた。

少しだけ、遠くにいるような。

彼は出口を見る。

「人、出てきてる」

葵も見る。

「面会時間、終わりなんだと思う」

そのとき――

「あ!」

山田が指さす。

「あれ!」

みんな見る。

人の流れの中――

一人の少女。

前に人がいて、よく見えない。

葵は少し横にずれる。

そして――見えた。

口がゆっくり開く。

目が止まる。

蒼真が聞く。

「どうした?」

雛が目を見開く。

「澪ちゃん!?」

山田が言う。

「どこ!?」

葵が指さす。

「あそこ……」

全員が見る。

神崎澪。

ゆっくり歩いている。

うつむき。

感情のない顔。

まるで、どこか遠くにいるように。

「澪ちゃん!」

澪が顔を上げる。

驚く。

そして――

全員を見る。

葵。

雛。

蒼真。

山田。

目を見開く。

「な、なんでここに!?」

雛が言う。

「外で話そ」

――

外に出る。

澪が息を吐く。

「どうしてここが分かったの?」

葵がすぐ聞く。

「澪ちゃん……何があったの?」

山田も言う。

「入院してないって言われたけど……どういうことだ?」

雛が聞く。

「誰かのお見舞い?」

蒼真が言う。

「心配してた」

葵は少し笑う。

澪はため息をつく。

「明日話すつもりだった」

「今日は……無理」

山田を見る。

「雛と葵は分かるけど……山田は?」

山田はまた焦る。

「心配だったから」

澪は冷たく言う。

「そんなに話したことないでしょ」

山田は言い返す。

「山本ともだろ!」

澪はすぐ答える。

「転校生だから。話してる」

山田は赤くなる。

「……もういい」

顔を背ける。

「元気そうでよかった」

そのまま駅の方へ歩いていく。

雛がため息。

「ちょっときついよ……」

澪は言う。

「で、なんで来たの?」

葵が説明する。

「先生が病院の話してたって聞いて……」

澪は目を細める。

「なるほど」

ため息。

「ごめん。今日は無理」

蒼真が一歩下がる。

「俺、山田追う」

澪が少し驚く。

「山本くんも来ると思わなかった」

蒼真は照れる。

「俺も」

雛が手を振る。

「じゃあね、ソウマキー」

葵も言う。

「またね」

澪が首をかしげる。

「ソウマキー?」

雛が笑う。

「コードネーム」

そのとき――

雛のスマホが鳴る。

「もしもし?……あ、ハルくん……うん、分かった」

通話を切る。

「帰るね。お母さん手伝わなきゃ」

「また明日!」

――

雛が帰ったあと。

葵と澪は駅へ歩く。

夕方の風は冷たい。

人が足早に通り過ぎる。

空は暗くなり始めている。

澪が言う。

「……ゲーム、やってるんだ」

葵はうなずく。

「うん。エターナルズ・イージス・オンライン」

少し笑う。

「楽しいよ。雛に借りたの」

澪は驚く。

「へえ……久しぶりだね」

葵は言う。

「昔は……お父さんとやってた」

沈黙。

「いなくなってから……一人でやるの、寂しくて」

「気づいたら、やめてた」

澪は下を見て歩く。

少しして――

言った。

「ごめんね、葵ちゃん」

葵は振り向く。

「え?」

澪は拳を握る。

口が震える。

「分かってるつもりだった」

顔を上げる。

「ずっと、葵ちゃんの気持ち、分かってるって思ってた」

声が揺れる。

「でも……昨日で、全部変わった」

葵は眉をひそめる。

「どうして……?」

澪は目を閉じる。

うつむく。

「お母さんが……昨日、車にはねられたの」

――

葵の世界が止まる。

幼い頃の記憶がよみがえる。

言葉が出ない。

手が震える。

澪は続ける。

「ブレーキかかってたから……大事故じゃなかった」

「でも骨折してて……」

涙があふれる。

顔が赤くなる。

「ベッドに寝てる姿見てたら……ずっと笑ってた顔ばっかり思い出して……」

声が崩れる。

涙が落ちる。

「葵ちゃんも……つらかったよね!」

その瞬間――

葵が抱きしめた。

強く。

澪も抱きつく。

「葵ちゃぁん!!」

泣き崩れる。

でも――

葵の顔はどこかおかしかった。

少しうつむいたまま。

空っぽのような表情。

半分閉じた目は、澪の後ろの何もない場所を見ている。

感情のない視線。

そして――

小さな声で。

「大丈夫だよ、澪ちゃん……」

抱きしめる力を強める。

「大丈夫……



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