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『第59話 ― 「さよなら」と「永遠」の間』



授業終了のチャイムが教室に響いた頃、窓の外では静かに雪が降り続いていた。


その週の冬は、どこか静かだった。


重たくて――


終わりが近づいているような空気をまとっていた。


2-Bの生徒たちはそれぞれ席に座りながら、教室の前では花江と拓海が期末成績の紙を整理していた。


拓海は真面目な顔を保とうとしていたが、明らかに緊張していた。


彼は深く息を吸い、口を開く。


「今日は……みんなの努力の結果を見る日だ」


教室が少し静かになる。


拓海は眼鏡を押し上げた。


「個人としても……クラスとしても。

この2-Bは……

俺が絶対に忘れない一年になると思う」


数秒の沈黙。


そして女子たちが一斉に反応した。


「きゃあああ~!」


「花江さんと付き合い始めてから絶対エモくなったよね~!」


「前より優しくなってる~!」


拓海は一瞬で顔を真っ赤にした。


「べ、別に感情的になってるわけじゃない!

お、俺はただ……!」


花江が落ち着いた声で続ける。


「……少し素直になっただけだよね、拓海くん」


女子たちはさらに盛り上がった。


「きゃあああああ~!!」


拓海は完全に固まった。


もう一度眼鏡を直しながら心の中で叫ぶ。


(なんでこいつら永遠にいじってくるんだよ!?)


教室の後ろでは、葵と陽菜と澪が必死に笑いを堪えていた。


澪なんて机を叩きそうになっている。


山田も真面目な顔をしようとしていたが――


全然できていなかった。


教室の空気は明るい。


なのに同時に――


胸が締め付けられるような感覚もあった。


まるで誰もが分かっているみたいだった。


この時間が、もうすぐ終わることを。


松田蓮は机を指で軽く叩きながら、大きくため息をつく。


山田が振り向いた。


「どうした、蓮?」


蓮は苦しそうに答える。


「……美咲に嫌われてる」


山田は眉をひそめた。


「いや……

そこまでじゃないと思うけど」


蓮は横目で美咲を見る。


「でもあいつ……

宗馬のことしか見てないじゃん。

しかも宗馬は葵と一緒だし……」


山田は困ったように頭を掻いた。


「何て言えばいいか分かんねぇけど……

三年になればまた新しい出会いもあるって。

後輩とかもさ」


蓮は拳を握り締める。


「……それでも俺は、美咲にもう一回だけ気持ちを伝える」


山田はそんな蓮を見て、小さく笑った。


その目は本気だった。


成績が配られ――


最後の会話をして――


最後の提出物を終えて――


二年生の終わりが、本当に現実になっていく。


そして最後のチャイムが鳴った瞬間――


陽菜が勢いよく立ち上がった。


鞄を抱えて、そのまま花江たちのところへ駆け寄る。


ちょうど帰ろうとしていた美咲の制服の袖を掴んだ。


「待って!」


美咲が驚いて振り返る。


「……ん?」


陽菜は緊張したように息を吸った。


「みんな……

図書室、一緒に来てくれない?」


花江が首を傾げる。


「図書室?

どうしたの、陽菜?」


陽菜は鞄の紐をぎゅっと握った。


少し頬が赤い。


「その……

漫画、完成したの」


一瞬、空気が止まる。


「み、みんなに読んでほしくて……」


陽菜は目を逸らした。


「日常のことをいっぱい描いたから……

だから……

見てほしいなって」


拓海が片眉を上げる。


「その“日常”って……

俺たちのことか?」


教室の女子が勢いよく反応した。


「“俺たち”って言った!!」


「花江さん込みの“俺たち”だ~!!」


「きゃああああ~!」


拓海は椅子を倒しかけながら立ち上がった。


「もう行くぞ!

ここにいたら永遠に終わらない!」


そのまま早歩きで教室を出ていく。


花江は呆れたようにため息をついた。


「また逃げモード入った……」


美咲は視線を逸らした。


「私は別に用事あるんだけど」


すると陽菜が両手で美咲の手を掴む。


「美咲……

お願い。

本当に……」


美咲は数秒間、陽菜を見つめた。


陽菜は、本当に不安そうだった。


自分の一番大切なものを初めて見せるみたいに。


そして美咲は静かに息を吐く。


「……分かった。

行く」


その瞬間、陽菜の顔がぱっと明るくなった。


――図書室。


いつものように静かだった。


窓に雪が当たる音だけが微かに響いている。


大きな机を囲むように、みんなが集まっていた。


松田。

武雄。

篠原。

葵。

宗馬。

山田。

澪。

花江。

拓海。

美咲。

陽菜。


さらに数分後には海斗まで寒そうに文句を言いながら入ってきた。


陽菜はゆっくり椅子に座る。


そして鞄の中から、一冊の製本された漫画を取り出した。


少しだけ手が震えている。


「これ……

いっぱい考えながら描いたの」


彼女は表紙を見つめたまま続ける。


「面白いか分からないけど……

でも……

これが私の気持ちだから」


葵は優しく笑った。


「じゃあ、読ませて」


陽菜はそっと漫画を机に置く。


みんなの視線が表紙に集まった。


『さよならと永遠の間』


葵は少しだけ眉を寄せた。


理由は分からない。


でも胸が締め付けられた。


「……すごいタイトル」


陽菜は慌てる。


「えっ!?

だ、ダメだった!?」


拓海は眼鏡を押し上げた。


「いや。

すごく印象に残る」


陽菜はぱちぱちと瞬きをする。


「……ありがと?」


山田が笑った。


「めちゃくちゃ良いと思う」


陽菜は嬉しそうに山田を見る。


「ありがとう、ダーリン」


山田は一瞬で赤くなった。


拓海は無言で二人を見ていた。


(ダーリン……?)


そして期待と緊張が混ざる中――


みんなは陽菜の漫画の最初のページを開いた。


絵柄は繊細だった。


派手ではない。


でも感情が込められていた。


最初の場面。


天宮空は、小学校の廊下を一人で歩いていた。


胸に本を抱えながら、俯いたまま。


廊下は騒がしい。


人も多い。


なのに彼女だけ、世界から切り離されているみたいだった。


その時――


数人の女子がわざと肩をぶつける。


本が床に散らばった。


「あ、ごめぇ~ん?」


全然悪びれていない笑い声。


空は慌ててしゃがみ込む。


「ご、ごめんなさい……」


だが本を拾おうとした瞬間――


炭酸飲料が頭からぶちまけられた。


液体が髪を伝う。


眼鏡を濡らす。


ノートのページを滲ませる。


女子たちは大声で笑った。


「見てよあの顔!」


「キモい四眼~!」


「陰キャのくせに学校来んなよ!」


空は震えながら濡れたページを守ろうとしていた。


涙と炭酸が一緒に落ちていく。


彼女は本を抱き締めながら、小さく呟いた。


「……全部終わればいいのに……」


図書室が静まり返る。


フィクションのはずなのに――


あまりにも現実味があった。


その時、漫画の中で足音が止まる。


別のクラスの女子が、その光景を見ていた。


彼女は迷わず空の元へ歩いていき、一緒に濡れた本を拾い始めた。


「これはやりすぎだよ」


真っ直ぐな声。


いじめていた女子たちは顔を見合わせた。


「先生に報告する」


空は驚いたように彼女を見る。


誰かが自分の味方をするなんて、信じられないみたいに。


「……無駄だよ。

あの子たち、絶対やめないから……」


その少女は空を見て、小さく微笑んだ。


優しい笑顔だった。


「やめさせるよ」


彼女は濡れた本を手渡す。


「私は如月優奈。

あなたは?」


空は少し迷ってから答えた。


「……天宮空」


優奈はまた微笑む。


大げさじゃない。


無理もしていない。


ただ、本当に自然な笑顔だった。


「よろしくね、空」


次のページでは、優奈が空の手を引いて生徒会室へ向かっていた。


扉を開けるなり、彼女は迷わず言う。


「私の友達がいじめられました」


先生たちが立ち上がる。


生徒会長まで真剣な顔になる。


でも空は、もうその後の言葉が耳に入っていなかった。


ただ目を見開いて立ち尽くしていた。


「……今、

友達って言った?」


優奈は瞬きをする。


「え?

ダメだった?」


少し首を傾げる。


「ごめん」


空は慌てて首を振った。


「ち、違うの……

ただ……

私……

今まで友達なんていたことなくて……」


その瞬間の沈黙は重かった。


でも優奈は優しく笑った。


「じゃあ今できたね」


図書室で――


葵は胸が締め付けられる。


彼女はそっと陽菜を見た。


陽菜は少し赤くなりながら、みんなと一緒に漫画を読んでいた。


葵は心の中で呟く。


(……陽菜。

これ、あの頃の私たちみたい)


その隣で澪が小さく呟いた。


「この優奈って子……

なんか好きかも」


ページは進む。


今度は優奈と空が放課後の商店街を歩いていた。


二人で小さな袋を持ちながら、他愛ない会話をしている。


するとコスメショップの前で、一人の少女がアクセサリーを見つめていた。


ショーウィンドウ越しに、小さなペンダントを目を輝かせながら見つめている。


完全に夢中だった。


優奈と空は近づく。


「こんにちは」


少女はびくっと肩を跳ねさせた。


「ひゃっ!?

だ、誰!?」


空は慌てる。


「ご、ごめんね!

そのペンダント、すごく好きそうに見えたから……」


ぎこちなく笑う。


「私は天宮空。

こっちは如月優奈。

よろしくね」


少女は数回瞬きしてから、ぱっと笑顔になった。


「わぁ……

よろしく!」


彼女は自分を指差した。


「高峰莉子です!」


そして二人の制服を見て驚く。


「えっ……

同じ学校!?」


優奈は頷いた。


「うん。

五年生」


莉子は目を輝かせる。


「私もー!!」


図書室で澪が数秒間そのキャラクターを見つめる。


そしてゆっくり陽菜を見た。


「陽菜……

この莉子って……」


途中で言葉を止める。


ため息をついた。


「……いや、何でもない」


陽菜は小さく苦笑いした。


「は、はは……」


武雄は腕を組みながら興味深そうに見ていた。


そして漫画を指差す。


「それで?

続きは?」


小さく笑う。


「早くページめくれよ」


花江がすぐ文句を言った。


「待って!

まだちゃんと読めてない!」


その反応に陽菜は思わず笑ってしまう。


花江は目を細めた。


「今笑ったでしょ、陽菜!」


拓海は小さくため息をつく。


「もうめくっていいぞ」


花江は頬を膨らませた。


「ふん……

今読み終わったもん」


そして――


ページがめくられる。


そこには、空と莉子と優奈が公園のベンチでアイスを食べている場面が描かれていた。


夕焼けが空をオレンジ色に染めている。


莉子はずっと喋っている。


優奈は穏やかに返事をする。


空はそんな二人を見ながら小さく笑っていた。


ただそれだけの場面。


でも――


ようやく見つけた居場所みたいな温かさがあった。


その時。


遠くから男子の声が響く。


「優奈ー!!

遊ぼうぜー!!」


三人が同時に振り向く。


バスケットボールを抱えた男子が走ってくる。


少し乱れた制服。


無邪気な笑顔。


そこにいるだけで空気を明るくするタイプの少年だった。


莉子と空は数秒固まって彼を見る。


そして莉子がゆっくり立ち上がった。


真顔で。


「……かっこいい」


優奈はきょとんとする。


「え?」


莉子はこっそり彼を指差した。


「その男子……

彼氏!?」


優奈はアイスでむせそうになる。


「違うから!!」


少年は三人の前に辿り着いた。


少し息を切らしながら、会話を邪魔したことに気づく。


「あ……

ごめん。

タイミング悪かった?」


優奈は呆れたように言う。


「いつも急に来るよね、Daichi……」


それから二人へ向き直る。


「この人、早坂大地。

友達」


大地は軽く頭を下げた。


「よろしく」


空は丁寧に返す。


莉子だけは無言で見つめ続けていた。


優奈はそれに気づく。


「……莉子」


「ん?」


「口閉じて」


莉子は慌てて口を押さえた。


「あっ!?

ご、ごめん!」


その反応に大地は思わず笑ってしまう。


それから再び優奈を見る。


「で?

遊ばない?」


優奈は少しだけ目を逸らした。


笑顔が弱くなる。


「……もう私は遊ばないよ、Daichi」


大地は少しだけ黙った。


その答えが、まだ少し痛いみたいに。


でも彼はまた笑った。


優しく。


無理に引っ張らずに。


「俺、まだ助けるって言ったから」


ボールを抱え直す。


「お父さんのことがあってから――」


そこで言葉を止めた。


優奈が友達といることに気づいたから。


「まぁ……

いい人たち見つけたみたいだな」


優奈は少し目を見開く。


驚いたように。


大地は後ろ向きに歩き始めた。


「またなー!」


そのまま公園を走り去っていく。


莉子は完全に見惚れていた。


そして突然優奈の肩を掴む。


「全部話して!!」


「はぁ!?」


「彼女いるの!?

好きな食べ物は!?

頭いい!?

本当にフリー!?」


優奈は少しずつ後ずさる。


「じ、自分で聞きなよ……!」


「聞く!!」


「やめて!?」


空はそんな二人を見て――


久しぶりに、本気で笑った。


小さな愛想笑いじゃない。


自然で。


軽くて。


心から楽しい笑いだった。


「ふふっ……

あははっ」


二人は同時に振り返る。


「何!?」


空は涙を拭いながら笑う。


「なんでもない……

ただ……

こういうの、楽しいなって」


図書室では――


みんな静かに読み続けていた。


その時、篠原舞が穏やかに言った。


「神崎ちゃん……

この高峰莉子って子、少しあなたに似てるわね」


澪は固まった。


冷や汗が背中を流れる。


「き、気のせいですよ先輩~……」


必死に陽菜を見る。


「ね、陽菜!?」


陽菜も即座に冷や汗を流した。


「あ、あはは……

そうかもね……」


二人同時に目を逸らす。


それが逆に怪しかった。


武雄は小さく笑う。


山田まで笑いを堪えていた。


葵は二人を見ながら静かに思う。


(……陽菜って、

あの頃から澪をこう見てたんだ)


陽菜は慌てて話題を変えようとする。


漫画をぎゅっと持ち直した。


「つ、続きを読もう!」


そして――


さらにページは進んでいく。



花音はすぐに不満そうな声を上げた。


「ちょ、ちょっと待って!

まだちゃんと読めてないんだけど!」


その反応があまりにも子供っぽくて、陽菜は思わず小さく吹き出してしまう。


「ふふっ……」


すると花音はじとっと目を細めた。


「今笑ったでしょ、陽菜!」


陽菜は慌てて首を振る。


「わ、笑ってないよ~!」


武海はそんな二人を見ながら、小さくため息をつき、眼鏡を押し上げた。


「……もう読んだだろ。

次、めくっていいぞ」


花音は腕を組みながらむすっと頬を膨らませる。


「ふん……。

今ちょうど読み終わったところだもん」


それでも最後には小さく笑っていた。


そして――


ゆっくりと、次のページがめくられる。


そこに描かれていたのは、放課後の公園だった。


オレンジ色に染まった夕焼け空。

静かな風。


ベンチには、空、莉子、結菜の三人が並んで座っている。


それぞれ手にはアイス。


莉子は相変わらず楽しそうに喋り続け、

結菜は穏やかに返事をし、

空はそんな二人を見ながら小さく笑っていた。


特別なことなんて何もない。


ただ、学校帰りに寄り道して、

どうでもいい話をして、

笑い合っているだけ。


なのに――


その光景は、不思議なくらい温かかった。


まるで、

「やっと居場所を見つけられた」

そんな空気が、ページ越しにも伝わってくるようで。


すると突然――


遠くから男子の声が響いた。


「ゆなーーー!!

結菜ー! バスケやろうぜー!!」


三人が同時に顔を上げる。


すると、一人の男子がこちらへ走ってきていた。


脇にはバスケットボール。

制服は少し着崩れていて、

笑顔はどこまでも無邪気だった。


本人は気づいていないのに、

その場の空気をぱっと明るくしてしまう。


そんなタイプの男の子。


莉子と空は数秒間、ぽかんと彼を見つめた。


そして次の瞬間、

莉子がゆっくり立ち上がる。


真顔で。


「……イケメン」


結菜がぱちぱちと瞬きをした。


「……え?」


莉子はそっと彼を指差す。


「こ、この人……」


そして勢いよく結菜へ顔を近づけた。


「彼氏!?」


結菜はアイスを吹き出しかけた。


「ち、違うから!!」


男子はようやく三人の前までやってきて、軽く息を切らしながら足を止める。


それから、自分が会話を遮ってしまったことに気づいたのか、困ったように頭を掻いた。


「あー……。

悪い。

なんかタイミング最悪だった?」


結菜は呆れたようにため息をつく。


「大地って、いつもそういう登場の仕方するよね……」


そして空と莉子へ向き直った。


「この人、早坂大地。

幼馴染みたいなもの」


大地はすぐに軽く頭を下げた。


「どうも」


空も丁寧に会釈する。


「は、初めまして……」


だが莉子だけは、まだじーっと大地を見つめたままだった。


結菜はそれに気づく。


じとっと目を細めた。


「……莉子」


「ん?」


「口閉じて」


莉子は慌てて両手で口を押さえた。


「あっ!! ご、ごめん!!」


その反応がおかしくて、大地は思わず笑ってしまう。


「ははっ」


それから再び結菜を見る。


「で?

やる?」


その言葉に、結菜の視線が少しだけ揺れた。


笑顔も、ほんの少し弱くなる。


「……私はもう、やらないよ。

バスケ」


大地は一瞬だけ黙った。


その空気には、

まだ消えきっていない痛みがあった。


だけど彼は、それ以上踏み込まなかった。


代わりに、優しく笑う。


「そっか。

でも俺、まだ諦めてないから」


ボールを抱え直しながら、彼は言った。


「お前の親父さんのことがあってからも、

ずっと言ってるだろ?」


そこで彼は言葉を止める。


結菜の隣にいる二人を見て、

少しだけ目を柔らかくした。


「……まあでも」


小さく笑う。


「ちゃんといい友達、見つけたみたいで安心した」


結菜は目を見開いた。


ほんの少しだけ、驚いたように。


大地はそのまま後ろ向きに歩き始める。


「じゃあな!」


そしてまた公園の向こうへ走っていった。


莉子はしばらく呆然と彼の背中を見つめていた。


完全に見惚れていた。


そして次の瞬間――


結菜の肩をがしっと掴む。


「全部教えて」


「えぇ!?」


「彼女いるの!?

何が好きなの!?

好きな食べ物は!?

頭いい!?

ほんとにフリー!?」


質問攻め。


結菜はじりじり後ろへ下がっていく。


「り、莉子怖い!!」


「教えて!!」


「本人に聞きなよ!!」


「聞く!!」


「聞かなくていいから!!」


そんな二人を見ながら、空はぽかんとしていた。


そして――


気づけば、笑っていた。


小さくじゃない。


遠慮するような笑いでもない。


自然に。

心から。


「ふふっ……あははっ」


結菜と莉子が同時に振り返る。


「えっ、何!?」


空は笑いながら目元を擦った。


「ううん……」


胸の奥が、じんわり温かい。


「なんか……

こういうの、楽しいなって」


その言葉は、とても小さかった。


でも――


その笑顔は、前よりずっと自然だった。


図書室では、全員が静かに漫画を読み続けていた。


すると、真衣がぽつりと呟く。


「……神崎さん。

この高峰莉子って子、少しあなたに似てるわね」


澪は固まった。


ぞわっと冷や汗が背中を流れる。


「き、気のせいですよ先輩~……」


必死に陽菜へ視線を送る。


「ね、陽菜!?」


陽菜も即座に冷や汗を流した。


「あ、あはは……。

そうかもね……」


二人同時に目を逸らす。


それが逆に怪しすぎた。


武雄は小さく吹き出した。


山田まで笑いを堪えている。


葵はそんな二人を見ながら、静かに思う。


(……陽菜って、

あの頃から澪をこう見てたんだ)


陽菜は慌てて話題を変えようとした。


漫画をぎゅっと持ち直す。


「つ、続きを読もう!」


そして――


さらにページは進んでいく。


物語の中の時間も、少しずつ流れていった。


小学六年生。


同じ教室。

同じグループ。


だけど、その日の結菜はどこか元気がなかった。


莉子が声をかける。


「今日さ、帰りコンビニ行かない?」


空も笑顔で続けた。


「カラオケでもいいよ!」


けれど結菜は目を逸らした。


「……今日はやめとく」


その瞬間、二人ともすぐに気づく。


何かある。


空がそっと聞いた。


「……何かあった?」


結菜は少し黙ってから、小さく答える。


「今日……お父さんの誕生日なの」


莉子はぱっと笑顔になる。


「え、じゃあいっぱいお祝いしな――」


結菜は静かに続けた。


「……命日」


空気が止まった。


図書室の中まで静まり返る。


結菜は俯いたまま。


莉子と空は顔を見合わせる。


それから、莉子が小さな声で言った。


「……じゃあ、お花買いに行こう」


空も優しく笑う。


「一緒にお寺、行こ?」


結菜は目を見開いた。


「でも……

そんなの悪いよ」


莉子は即答した。


「悪くない」


空も頷く。


「友達でしょ?」


その言葉を聞いた瞬間――


結菜は俯いた。


そして初めて、

ぽたり、と涙を零した。


図書室では、誰も何も言わなかった。


花音は制服の袖をそっと握る。


「……じゃあ、

あの子のお父さんって、ずっと前から……」


武雄は窓の方を見たまま答えた。


「……次、めくれ」


その声は、少し低かった。


真剣すぎるくらいに。


花音はそれを感じ取って、

静かに口を閉じた。


篠原は静かに、葵、澪、そして陽菜の様子を見つめていた。


何も言わない。


けれど、その視線はどこか鋭かった。


まるで――


少しずつ、何かに気づき始めているみたいに。


そしてページがめくられていくたびに――


漫画の中の時間も、ゆっくり流れていった。


登場人物たちは少しずつ成長していく。


絵柄も、どこか大人びていった。


制服も変わっていく。


そしてページの上に、新しく文字が現れる。


『高校一年生』


拓海は漫画を読みながら、静かに眼鏡を押し上げた。


「……ちゃんと時間が進んでるんだな、この物語。

俺、こういうの好きだ」


いつもならすぐ茶化す花音も、今回は何も言わなかった。


ただ静かにページを見つめている。


いつもより、ずっと大人しかった。


「……うん。

私も、好きかも」


漫画の中では、空、莉子、結菜の三人が、新しいクラス分けの掲示板の前に立っていた。


周囲には同じようにざわつく生徒たち。


三人は不安そうに、自分たちの名前を探していく。


そして――


ほとんど同時に。


「――あっ!!」


「同じクラスーーー!!!」


三人は一気に笑顔になった。


次のページでは、そのまま教室の後ろ側まで駆けていく姿が描かれている。


椅子へ投げるように置かれた鞄。


春の匂い。


新学年独特の空気。


何でもないことなのに、胸が少し高鳴るような、あの感覚。


十代の頃だけの、永遠みたいに感じる幸せ。


莉子は窓の外をぼんやり見ながら言った。


「そういえばさ、あの大地って人……

演劇部入ったらしいよ」


空が少し興味深そうに首を傾げる。


「へぇ、本当に?」


結菜は小さく笑った。


懐かしそうな。


優しい笑顔だった。


「昔から、よく変なモノマネして私を笑わせてたから……

なんか、向いてる気がするんだよね」


空は頬杖をつきながら感心したように言う。


「じゃあ本人は気づいてなかっただけで、

昔からずっと練習してたみたいなものなんだ」


結菜はくすっと笑う。


それから二人を見た。


「二人は?

部活どうするの?」


空はほとんど即答だった。


「美術部。

ちゃんと絵、上手くなりたいから」


少しだけ頬が赤くなる。


「まだ変な絵しか描けないし……」


すると莉子が勢いよく指を立てた。


「私はファッション部!」


空と結菜は数秒黙った。


「……そんな部活なくない?」


莉子は胸を張る。


「私の心の中にはあるの!」


二人は思わず吹き出した。


莉子はむすっと腕を組む。


「じゃあいいもん……。

文学部とかでいいし……」


その瞬間、空と結菜が同時に顔を見合わせた。


「えっ、本当に?」


「なによ!?

文学だってオシャレでしょ!?」


図書室では、みんなが小さく笑っていた。


普段あまり表情を変えない美咲ですら、少しだけ口元が緩んでいる。


そんな中、莉子が結菜へ聞いた。


「結菜は?」


結菜は顎に手を添えたまま考え込む。


「んー……。

特に入りたい部活ないかも」


窓の外へ視線を向ける。


「大地には演劇部誘われてるけど……」


そして少し笑った。


「“舞台の上だと怪物みたいな先輩がいる”って、ずっと言ってる」


その瞬間――


武雄と篠原が、ほとんど同時に呟いた。


「……由美先輩」


二人は顔を見合わせる。


そして自然に笑ってしまった。


その名前だけで、色んな記憶が蘇ったみたいに。


ページはさらに進んでいく。


季節が変わる。


少しずつ環境も変わっていく。


それでも、三人はずっと一緒だった。


そして二年生。


またクラス分け。


また同じ緊張感。


そして――


「また同じクラスだー!!」


三人は子供みたいにはしゃいでいた。


新しい教室でも、座る場所はやっぱり後ろ。


いつもの場所。


まるで、そこだけは変えたくないみたいに。


すると、その前の席に二人の男子が座った。


そのうちの一人が、やたらキラキラした笑顔を浮かべる。


「やぁ、お嬢さん方。

俺は相沢冬馬」


そして隣の男子を大げさに指差した。


「そしてこちらが俺の下僕――中村ユウリだ」


すると隣の男子が即座にキレた。


「誰が下僕だ!!

勝手なこと言うな!!」


冬馬は腹を抱えて笑い出す。


空はそんな二人を静かに見つめていた。


(……この中村ユウリって人、かっこいいな)


そう思いながら視線を逸らす。


(でも……ずっと莉子のこと見てる)


図書室では――


山田がゆっくり唾を飲み込んだ。


そして静かに陽菜を見る。


陽菜は真剣な顔で、自分の漫画を読み続けていた。


周囲の反応なんて気づいていないふりをするみたいに。


でも山田は、その瞬間理解してしまった。


(……陽菜)


胸が少し苦しくなる。


(お前……

あの頃から全部見てたのか)


ページはさらに進む。


物語の中では数か月が流れていた。


今度は舞台。


結菜が橘愛梨と大地と一緒に演劇の練習をしている。


舞台照明が三人を照らしていた。


そんな中、教室へ新しい男子が入ってくる。


ポケットに手を入れたまま。


どこか近寄りがたい雰囲気。


「黒川ケンです」


蒼真はそのページを数秒見つめていた。


それからぽつりと呟く。


「……このケンってやつの自己紹介、

なんか俺っぽいな」


葵は思わず彼を見た。


けれど蒼真は視線を上げない。


ただ静かに漫画を見つめていた。


そして――


病院のシーン。


その瞬間、図書室の空気が変わった。


病室のベッドの横で、莉子が泣いている。


入院した母親のそばで。


空と結菜は、何も言えないまま彼女の肩を支えていた。


慰め方なんてわからない。


それでも、離れなかった。


澪は目の奥が熱くなるのを感じた。


すぐに俯く。


(……あの日だ)


制服のスカートをそっと握る。


(お母さんが入院した日……)


そして陽菜を見る。


陽菜はみんなと同じようにページを読んでいた。


真剣に。


静かに。


澪は胸が締めつけられる。


(陽菜……

ずっと見てたんだね……)


その後のページでは、みんなで深夜までオンラインゲームをしていた。


通話しながら笑って。


くだらないことで喧嘩して。


そして海。


結菜は母親と砂浜を歩いている。


大地は砂に埋められていた。


莉子は写真を撮っていて、

空は笑っている。


そのページたちはあまりにも生き生きしていて――


まるで、本当に誰かの思い出を覗いているみたいだった。



そして、場面はカラオケへ移った。


小さな個室。


ソファに並んで座る空と中村ケン。


マイク越しに流れる音楽。


二人とも驚くほど音痴だった。


それなのに――


なぜか楽しそうだった。


空が歌詞を間違えて吹き出し、

ケンがそれにつられて笑う。


ケンは普段ほとんど表情を変えないのに、

その時だけは年相応の少年みたいに笑っていた。


空も、そんな彼を見るたびに自然と笑ってしまう。


部屋の中には、二人の笑い声が途切れず響いていた。


そして――


曲を入れ替えようとした瞬間。


テーブルの上で、二人の手が偶然触れ合った。


ほんの一瞬。


けれど、そのページだけは不思議なくらい静かだった。


漫画を読んでいた全員の動きまで止まる。


山田はわずかに目を見開く。


澪はそっと葵を見た。


葵はそっと蒼真を見る。


蒼真は気づいていないふりをした。


けれど耳だけ少し赤かった。


ページはさらに進む。


今度はコスプレイベント。


その瞬間、美咲が目を見開いた。


「……このイベント」


思わず漫画へ顔を近づける。


「すご……」


衣装。


照明。


人混み。


撮影スペース。


全部が妙にリアルだった。


まるで本当にその場へ行ったことがあるみたいに。


そして――


イベントの真ん中。


人混みの中で。


空とユウリがキスをしていた。


そのページをめくった瞬間、

図書室は完全に静まり返る。


誰も何も言わない。


あまりにも綺麗で。


あまりにも大切そうで。


言葉を挟むこと自体が野暮に思えてしまうような静けさだった。


そして――


次のページを見た瞬間。


葵の指先がわずかに止まった。


結菜が墓石の前に立っていた。


両手には花。


静かな表情。


墓石に刻まれていた名前。


『白川 春樹』


墓地の外では、空と莉子が黙って待っている。


雪のない静かな空。


風だけが吹いていた。


葵は一瞬、目を見開く。


(……これ)


指先に少し力が入る。


(……こんなこと、起きてない)


でも、すぐに理解した。


陽菜は事実を描いていたわけじゃない。


感情を描いていた。


失うかもしれない恐怖。


もしもの未来。


存在していたかもしれない別れ。


そういうもの全部を、

あの漫画に閉じ込めていた。


そして――


物語は最後の一年へ進んでいく。


卒業。


最後の登校。


最後の教室。


廊下を歩く制服姿。


撮られていく写真。


交わされる別れの言葉。


抱きしめ合う友達。


先輩たちは笑いながら言う。


「これは“さよなら”じゃないよ」


「世界なんて狭いんだからさ、永遠の別れとかないって」


そして最後に――


三年生になった空、莉子、結菜が並んでいた。


三人とも泣いている。


でも、ちゃんと笑っていた。


結菜は二人の手を握る。


その瞳は涙で揺れていた。


「大学は別々になるけど……

それでも、ずっと一緒だからね」


そして小さく笑う。


「……大好きだよ、二人とも」


最初に泣き出したのは莉子だった。


次に空。


「私たちも……」


「ありがとう、結菜……」


莉子は涙を拭いながら尋ねる。


「……ケンは?」


「大丈夫なの?」


結菜は涙を浮かべたまま微笑んだ。


「うん。

私が行く大学、ケンの地元の近くだから」


そして結菜は歩き出す。


少しずつ遠ざかっていく背中。


莉子は泣きながら叫んだ。


「絶対寂しくなるからねーー!!」


空も涙を流しながら莉子の肩を抱く。


そして莉子は泣き笑いのまま言った。


「……でも、先輩たちが言ってたもんね」


涙を拭う。


「これは“さよなら”じゃないって」


最後のページ。


描かれていたのは、ただ空だけだった。


青く。


どこまでも広く。


終わりがないみたいに。


そして再び、タイトル。


『「さよなら」と「永遠」の間』


――ページが閉じられる。


陽菜が漫画をそっと閉じた瞬間。


図書室には誰の声もなかった。


いつもよりずっと静かだった。


武雄はゆっくり窓の方を見る。


外ではまだ雪が降っている。


篠原は誰にも見られないように、そっとハンカチを取り出した。


目元を静かに拭う。


山田は震える指で漫画を持ったままだった。


まだ感情を整理しきれていないみたいに。


「……その」


彼の声は少し掠れていた。


陽菜は膝の上で指をぎゅっと握る。


不安そうに。


怖そうに。


「ど……

どうだった……?」


最初に微笑んだのは葵だった。


小さな笑顔。


でも、心からの笑顔。


「私は好きだよ、陽菜」


澪もすぐ頷いた。


まだ少し目が潤んでいる。


「うん……。

すごく良かった」


拓海は静かに眼鏡を直す。


でも今度は格好つけている感じじゃなかった。


ただ素直に。


「本当にすごかった。

……心からそう思う」


花音は優しい目で陽菜を見る。


「陽菜ってさ……

ずっと私たちのこと見てたんだね」


陽菜は何度か瞬きをした。


理解できないみたいに。


「……ほ、本当に?」


そして次の瞬間。


彼女の瞳に涙が溜まり始めた。


「誰かに……

何かを褒めてもらえたの……」


唇が震える。


「初めて、かも……」


その瞬間、葵がすぐ陽菜を抱きしめた。


澪もそのまま腕を回す。


「ありがとう、陽菜」


「こんなに綺麗な形にしてくれて……ありがとう」


陽菜はとうとう泣き出した。


でも、その顔は笑っていた。


何年も胸の奥に閉じ込めていたものが、

やっと溢れ出したみたいな涙だった。


拓海は小さく頭を下げる。


「俺……

今までちゃんと陽菜さんを知ろうとしてなかった」


そして静かに続けた。


「だから……

ありがとう」


山田は何も言わなかった。


ただ優しく微笑んでいた。


言葉にできない感情を抱えたまま。


窓際では――


武雄がまだ雪を見つめている。


「“さよならじゃない”、か……」


篠原は後ろから彼を見る。


そして気づいた。


床へ落ちる、小さな雫に。


彼女は少しだけ寂しそうに笑う。


それから静かに歩み寄り、

そっと武雄の肩へ頭を預けた。


武雄は一瞬だけ目を閉じる。


「俺たち……

もう行っちゃうんだな」


篠原は彼の制服の袖を軽く掴んだ。


「思ってたより……

早かったね」


二人はそのまま黙っていた。


外の風の音だけが聞こえる。


机の上には、まだ開かれたままの漫画。


そのページが、静かに揺れていた。


すると突然、花音がぱんっと手を叩いた。


目は少し赤い。


でも、笑っている。


「よしっ!」


「このまましんみりして終わるの禁止!!」


全員が彼女を見る。


花音は勢いよくドアを指差した。


「カラオケ行くよ!」


「今から!」


「全員参加!!」


最初に立ち上がったのは海斗だった。


「やっとまともな提案きたな」


澪も勢いよく手を挙げる。


「最初の曲は私が決めるから!!」


陽菜は涙を拭きながら笑っていた。


葵はそんなみんなを静かに見つめる。


胸が苦しかった。


温かかった。


寂しかった。


でも、幸せだった。


そして、その瞬間――


葵は初めて理解した。


きっと人が成長するのが苦しいのは、


こういう時間が、

永遠には続かないくらい、

大切だからなんだと。

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