第57話 ― 和解
突然の訪問を終えたあと、ミオとヒナは青井の家を後にした。
それから、数週間が過ぎた。
星見の冬は相変わらず厳しく、毎日はどこか不思議な速度で流れていく。
早すぎるわけでもなく――
遅すぎるわけでもない。
昼休み。
教室で、青井は頬杖をつきながらミオを見た。
「ねえミオ、この前言ってたお店、一緒に行かない?」
ミオはすぐに目を輝かせた。
「絶対後悔しないよ。あそこ、ほんとにどんなメイク用品でもあるから!」
青井は小さく笑う。
「ちょっと気になってたんだよね、ふふ。」
その横で、ヒナはスマホをいじりながら少し頬を膨らませていた。
「最近、全然一緒にゲームしてないよねぇ……」
青井が瞬きをする。
「ん?」
「“エターナル・イージス・オンライン”のグループ、もう何週間も誰も喋ってないもん……」
ミオの前の席に座っていた山田が、少し後ろを振り返った。
「それって、今やってるゲーム?」
ヒナはすぐに首を振る。
「違うよダーリン、えへへ。」
蓮は頬杖をついたまま言った。
「次のMMORPGやる時は、俺たちも入れるって言ってたじゃん。」
「だって三年生、もうすぐ卒業だし……」
ヒナは肩をすくめる。
「みんなで新しいゲーム始めるタイミング、難しいんだよね。」
そんな会話の中、青井はそっと蒼真の方へ視線を向けた。
蒼真は静かに弁当を食べている。
隣では拓海が何か話しかけていた。
その様子に、ミサキはすぐ気づいた。
そして、小さくため息をつく。
「……で、あんたたち何があったの?」
青井は視線を逸らした。
「何がって?」
「分かってるでしょ。」
ミサキは頬杖をついたまま続ける。
「ここ数週間、ほとんど話してないじゃん。ていうか最近の蒼真、誰ともまともに喋ってないし。」
青井は少し黙り込んだ。
「……私にも分からない。」
そのまま会話は自然に途切れた。
皆、静かに昼食へ戻る。
けれどミサキだけは、ずっと青井を見つめていた。
指先が机を細かく叩く。
トン。
トン。
トン。
そんな中、蓮が不思議そうにミサキを見る。
「なあ、新井ってどんなゲーム好きなんだ?」
ミサキはすぐに目を見開いた。
「その呼び方やめて。別に親しくないでしょ、松田。」
空気が一瞬で重くなる。
沈黙がテーブルを包んだ。
蓮は前を向いたまま、落ち着いた声で答える。
「……悪い。ミサキ。」
やがて教室はまた、いつもの騒がしさへ戻っていった。
放課後――
校門を出ようとしていた青井の背後から、声が飛んできた。
「今ならちゃんと話してくれるよね、青井。」
足が止まる。
そこにはミサキが立っていた。
青井は鞄の肩紐を強く握る。
「今は……無理。」
「無理じゃない。」
ミサキは一歩近づいた。
「ちゃんと説明して。」
青井が横を通ろうとする。
だがミサキは道を塞いだ。
「なんで最近の蒼真、泣きながらあんたの名前呼んでたの?」
青井の目が見開かれる。
「……え?」
ミサキは歯を食いしばり、青井の制服の襟を掴んだ。
「私はあんたのために諦めたのに……あんた、蒼真を振ったの?!」
青井もすぐに彼女の腕を掴む。
「振った? 先に拒絶したのは蒼真の方でしょ!」
「嘘!」
ミサキの目に涙が滲む。
「嘘つき……最近の蒼真、まるで……消えてしまいたそうだった……」
青井は黙った。
震えているミサキを見つめる。
そして、ゆっくりと彼女の腕を離した。
表情が再び冷たくなる。
「だったら本人に聞けば。」
ミサキは唇を噛む。
「……もう昔の青井じゃない。」
青井はその横を通り過ぎながら、小さく呟いた。
「蒼真のことばっか見てるから……自分に近づこうとしてる人に気づけないんだよ。」
ミサキは拳を握りしめたまま、ただ俯いていた。
何も言えないまま。
青井はそのまま歩き去っていく。
残されたミサキだけが、校門で静かに涙を拭っていた。
その夜――
青井は電源の入っていないテレビをぼんやり見つめていた。
部屋は静かだった。
頭の中で、ミサキの言葉だけが繰り返される。
『蒼真、消えてしまいたそうだった……』
青井は強く歯を噛む。
そしてスマホを手に取った。
蒼真からのメッセージ。
数週間前に送られたままのもの。
『また話せないかな?』
青井はしばらく画面を見つめたあと――
ようやく打ち込む。
『……やっほ。』
数秒後。
返信が届いた。
『青井。』
『元気?』
青井はゆっくり息を吐く。
『何を話したかったの?』
沈黙。
入力中の表示が現れては消え、また現れる。
そして――
『地元に戻ろうと思ってる。』
『ここでやりたかったことは、もう終わったから。』
『これ以上、君に迷惑かけたくない。』
青井は静かに目を見開いた。
『でも大学、星見にする予定だったんじゃないの?』
『離れることになるよ?』
蒼真の返信は早かった。
『最近、考えが変わった。』
『クラス替えの前に、みんなに会いたかっただけ。』
『ちゃんと別れを言いたくて。』
青井の脳裏に、演劇部の舞台が浮かぶ。
台詞。
結末。
その直後、新しいメッセージが届いた。
『なんか君の劇みたいだな。』
青井は目を見開く。
『見たの?』
『見た。』
『今まで見た中で、一番良かった。』
『先生たちも驚いてたよ。』
そして最後に――
『さよなら、青井。』
青井は爪を軽く噛みながら画面を見つめる。
そして、ゆっくり打ち込んだ。
『二月の試験前に、会える?』
少し間が空いて――
『うん。』
『ありがとう、青井。』
青井はスマホをベッドの横へ置いた。
そして天井を見つめる。
「地元に帰る……か。」
翌朝――
登校した青井はすぐに、手を繋ぎながら妙に距離の近いヒナと山田を見つけた。
必死に誤魔化そうとしている。
近くではミオが楽しそうに電話していた。
『うん、もちろん! じゃあそこで食べよう? 私も楽しみ。じゃあまたね!』
通話を切ったミオに、青井が視線を向ける。
「なんか嬉しそう。」
ミオは口元を緩めた。
「今日デートなんだ、えへへ。」
ヒナが目を丸くする。
「ミオが!? デート!?」
山田はすぐに視線を逸らした。
ヒナは即座に反応する。
「どうしたのダーリン?」
「な、なんでもない! ほら、早く教室行こう!」
青井が静かに指差す。
「……まだ手、繋いでる。」
二人は慌てて手を離した。
「あっ、ごめん!」
「お、俺が……!」
教室へ入ると、蒼真はすでに席についていた。
彼が顔を上げる。
そして目が合った瞬間――
小さな笑みがこぼれた。
控えめで。
どこか照れくさそうな笑み。
青井は胸が少しだけ苦しくなる。
「……おはよう。」
遠くから蒼真が返す。
「おはよう。」
二つ前の席では、ミサキが無言でその様子を見ていた。
けれど表情は変わらない。
そのまま前を向く。
そこへ――
華苗が教室へ入ってきた。
「おはようございます、みなさん。」
「おはようございまーす、委員長!」
何人かが元気よく返事をする。
拓海が怪しそうに彼女を見る。
「なんか今日、機嫌いいな……」
華苗は微笑んだ。
「だって今日、拓海くんがデートに連れてってくれるから。」
沈黙。
教室全体が固まった。
そして――
「えええええええ!?」
拓海が勢いよく立ち上がる。
「な、何言ってんだ!? そんな約束してないだろ!」
女子たちは即座に二人を囲んだ。
「きゃあああ可愛い!!」
「ハナタク尊い!!」
「お似合いすぎる!!」
拓海は完全にパニック状態になる。
「名前くっつけるなって! 華苗、なんか言え!」
華苗は小さく首を傾げた。
「で、どこで食べるの?」
「きゃああああ!!」
冷や汗を流しながら吃る拓海。
後ろでは、蒼真が小さく笑っていた。
それを見て、青井もつられて少し笑ってしまう。
その瞬間――
ミサキが声を張った。
「蒼真と青井も今度二人で出かけるんだって!」
再び静寂。
クラス中の女子が、ゆっくり青井を見た。
「マジで!?」
「いつから!?」
「大人しそうなのにやるじゃん青井!」
「隅に置けないねぇ~!」
青井は目を見開く。
そしてミサキを睨む。
ミサキは最高に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
その時、スマホが震える。
ミサキからだった。
『泣かされた仕返し。』
青井は再びミサキを見る。
だが彼女はもう前を向いていた。
周囲の女子たちは止まらない。
「竹尾先輩とも仲いいんでしょ!?」
「イケメン引き寄せ体質!?」
「ち、違うから!」
そこへミオが割って入った。
「はいはい、その辺で。質問は後でね。」
青井は信じられないものを見る顔をする。
「……後で?」
「神崎さんが言うなら決定~!」
女子たちは笑いながら散っていった。
青井は机に突っ伏す。
「なんで約束したの……」
ミオは肩をすくめた。
「じゃないと授業終わるまでずっと絡まれてたよ、たぶん。」
「はぁ……あとで絶対大変……」
その横で、ヒナが誇らしげに原稿を掲げていた。
「あと二ページで完成ー!」
「ん?」
青井とミオが同時に振り向く。
「私の漫画、もうすぐ完成するのー!」
ミオがすぐに身を乗り出した。
「読ませて!」
「もちろん! みんな読んでね!」
青井が目を瞬かせる。
「また“みんな”なんだ……」
ヒナは腕を組み、得意げに胸を張った。
「だってもうすぐ終わるもん!」
その時、佐々木先生が教室へ入ってきた。
「おはよう。二月の試験は難しいから、ちゃんと勉強しておくように。」
クラス中から一斉に悲鳴が上がる。
そして、いつも通り授業が始まった。
放課後――
青井はミオとヒナと一緒に教室を出た。
「今日は部活の仕事少ないんだ。」とミオが言う。
「でも交換する短編、まだあるよね。」
「うちの部活今日は何もないから、漫画仕上げるー。」
ヒナが答える。
青井は鞄を肩に掛け直した。
「演劇部も今日はほぼ空っぽ。三年生、試験勉強してるし。」
「そっか……もうすぐ卒業だもんね。」
ミオが小さく呟く。
ヒナが青井を見る。
「今年で最後なんだね。先輩たち見るの。」
青井は少し黙った。
「竹尾先輩の家は知ってるから、また会えるかもしれないけど……」
小さく笑う。
「篠原さんは……星見を出たら、もう会えないかも。」
その時――
廊下の向こうから女子たちの大群が走ってきた。
「青井ーー!!」
「今度こそ答えて!!」
「意外と積極的なんだね!?」
「二人とも可愛すぎる!!」
ミオが即座に青井を後ろへ押した。
「行って青井! 私が止める! ヒナも手伝って!」
「えぇ!? でもダーリン探さないと――」
ミオはヒナの肩を掴む。
「手伝って!」
「私は盾じゃないってばぁ!!」
その隙に、青井は別の廊下へ逃げ出した。
校舎の外へ出るまで、止まらない。
そして――
そこに蒼真がいた。
彼は青井を見る。
「こんにちは。」
青井はまだ少し息を切らしていた。
「はぁ……はぁ……こんにちは……」
蒼真は首を傾げる。
「大丈夫? 疲れてるみたいだけど。」
青井は力なく笑った。
「ミサキにやられた……」
蒼真はため息をつく。
「俺も男子から逃げてきた。」
「え?」
「青井がクラスで三番目に可愛いって話で盛り上がってて。」
青井は無言になる。
そしてゆっくり顔を向けた。
「……順位つけてるの?」
「俺知らなかったから!」蒼真は慌てて言う。「だから逃げてきたんだって!」
青井は腕を組む。
「怒ってる。」
蒼真は小さく笑った。
そしてまた静寂。
雪が静かに降り続ける。
蒼真は視線を落とした。
「……無理してここにいなくていいよ。」
青井が目を向ける。
「君に嫌われてるのは分かってる。ただ、最後にちゃんとみんなへ別れを言いたくて。」
青井は俯いた。
マフラーが口元を隠している。
雪が静かに髪へ積もっていく。
「……別に、嫌ってない。」
少し間を置く。
「ただ……」
蒼真もまた地面を見つめていた。
「嫌われたと思ってた……」
「色々考える時間が必要だっただけ。」
蒼真は緊張したように唾を飲み込む。
「それでも……俺は君に優しくされる資格なんてない。」
青井はすぐに歯を食いしばった。
「蒼真、そういう言い方やめて。」
深く息を吸う。
「あなたの気持ちはもう分かった。でも……これは別。」
蒼真がゆっくり顔を上げる。
「別って?」
青井は少し迷ってから、静かに聞いた。
「……私のためだけに、星見へ来たの?」
冷たい風が二人の間を通り抜ける。
蒼真は目を逸らさなかった。
「うん。」
そして静かに続ける。
「他に理由なんてなかった。」
青井は黙ったまま彼を見る。
蒼真は苦しそうに笑った。
「今でも、自分を許せない。」
涙が一筋、頬を伝う。
青井の目が見開かれる。
「蒼真……私――」
「きゃあああああん!!」
二人とも驚いて振り向いた。
少し離れた場所から、女子たちがこちらを見ている。
その後ろで、ミオが息を切らしていた。
「ご、ごめん青井! もう止められなかった!」
蒼真は目を見開く。
そして衝動的に――
青井の手を掴んだ。
「行こう!」
そのまま走り出す。
「ちょ、蒼真――!」
降り続く雪の中。
青井は彼に手を引かれながら走った。
強く握られた手の温もりを感じながら。
胸の鼓動が、どんどん速くなっていく。
「……蒼真。」




