表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/47

第46話 ― 告白

昼食を食べ終えてから数分が経っていたが、坂本家にはまだ穏やかな空気が流れていた。


炊きたてのご飯と味噌汁の優しい香りが部屋に残り、そこに雪子が丁寧に淹れたお茶の甘い香りが混ざっている。


四人は低いテーブルを囲むように座っていた。


雪子は落ち着いた仕草で食事をしながら、楽しそうに話す少女たちを静かに眺めていた。


その若々しい空気を見ると、自然と微笑んでしまう。


「私、昔は水泳と……演劇が好きだったのよ」


雪子が何気なくそう言うと、美緒がすぐに反応した。


「演劇? あっ……だから葵って演劇部に入ったの?」


葵は箸を口元へ運びながら少し考える。


「最初は……ただ試してみたかっただけなんだけど……」


少し視線を逸らしながら続けた。


「でも、今は本当に楽しいよ」


陽菜が優しく笑う。


「いいじゃん、葵! もう舞台の役とか決まったの?」


葵は恥ずかしそうに笑った。


「うん……でも、まだ先輩たちについていってるだけかな」


雪子はそんな娘を数秒間静かに見つめる。


その口元に、小さな笑みが浮かんだ。


食事を終えると、四人はリビングのソファへ移動した。


美緒は遠慮なく足を伸ばす。


「ところで坂本さんって、どんな仕事してるんですか?」


雪子は落ち着いて足を組んだ。


「事務の仕事よ」


美緒は首を傾げる。


「えー、なんか意外です。すごいスタイルいいし」


雪子は小さく笑った。


「ストレス発散も兼ねてジムに通ってるからかしら」


「あー……なるほど」


陽菜がふと思い出したように顔を上げる。


「そういえば、海で見かけましたよね」


雪子は何度か瞬きをした。


「ああ……そうだったわね。あまり海には行かないんだけど」


その時――


ピンポーン


インターホンが家に響いた。


葵はすぐに立ち上がる。


「私、出るね」


玄関へ向かい、ドアを開けると――


「やっほー、葵!」


元気いっぱいに手を振る華恵の姿があった。


葵が反応する前に、華恵はそのまま抱きついてくる。


葵の身体が一瞬固まった。


「だ、代表……落ち着いて、へへ……」


華恵は笑いながら離れた。


「お土産持ってきたよ! あ、みなさんこんにちは!」


そして家の中を覗き込む。


「坂本さんのお母さんですよね? 私、2-Bの学級委員の華恵です!」


雪子はソファから軽く立ち上がった。


「こちらこそ、よろしくね」


華恵の後ろには、静かに立つ蒼真がいた。


彼は軽く手を上げる。


「……こんにちは、葵」


葵は両手を背中に回し、少し身体を揺らしながら答える。


「お、おう……蒼真。げ、元気?」


蒼真は小さく微笑んだ。


華恵が他のみんなと賑やかに話し始める中、雪子は静かに玄関を見つめていた。


その視線は、蒼真と葵を交互に映している。


(……ふーん、なるほどね)


葵は少し横へ避けた。


「入って、蒼真くん」


「あ……お邪魔します」


蒼真は家へ入る。


けれど、葵はすぐには離れなかった。


ほんの短い時間――


二人は向かい合ったまま動かなかった。


静寂。


それを壊したのは雪子だった。


「あら、また会ったわね、君」


華恵が驚いて振り返る。


「えっ!? お二人知り合いなんですか?」


蒼真は軽く頭を下げた。


「海で少しだけ……」


雪子は少し考え込む。


「山本くん……ああ、そうそう。名前忘れてたわ、ごめんなさい」


蒼真は苦笑した。


「大丈夫です。気にしないでください」


葵はソファを指差す。


「座って、蒼真くん」


陽菜が周囲を見回した。


「あと四人まだ来てないよね?」


雪子の目が少し見開かれる。


「えっ、あと四人!? ……もう少し用意してくるわね」


そう言って急いでキッチンへ向かった。


美緒は鞄からノートを取り出す。


「先に始める?」


みんなが顔を見合わせた瞬間――


ピンポーン


再びインターホンが鳴る。


葵がドアを開けると、


美咲。


山田。


松田。


そしていつものように眼鏡を直す拓海が立っていた。


「こんにちは、坂本さん。遅れましたか?」


「ううん、今来たところだよ」


「やっほー、葵!」


「お邪魔します」


「こんにちは、葵」


「入って。勉強始めよう」


みんながリビングに入っていく。


その時、雪子がトレーを持って現れた。


「新しいお客さんたち、こんにちは」


拓海はすぐに立ち上がり、軽くお辞儀をする。


「坂本さんのお母様ですね。僕は学級委員の拓海です」


「山田陸です、よろしくお願いします!」


美緒が即座に手を挙げた。


「この人、陽菜の彼氏なんです!」


雪子は口元に手を当てる。


「あら、本当に?」


「み、美緒!?」


拓海は眼鏡を直した。


「なるほど。だからいつも一緒だったんですね」


松田は小さく笑う。


「松田蓮です。よろしくお願いします」


「荒井美咲です……お邪魔します」


雪子は全員を静かに見渡したあと、優しく微笑んだ。


「勉強、頑張ってね。私は坂本雪子です。娘と仲良くしてくれてありがとう」


そう言って再びキッチンへ戻っていった。


すると拓海が何気なく尋ねた。


「今日はお父様はお仕事ですか、坂本さん?」


その瞬間――


部屋の空気が止まった。


葵の表情が静かに変わる。


美緒が慌てた。


「た、拓海! 葵のお父さんは――」


しかし葵は落ち着いた声で遮る。


「……もう亡くなってるの」


沈黙。


葵はゆっくり鞄から教材を取り出し始めた。


拓海はすぐに頭を下げる。


「す、すみません……知りませんでした」


「大丈夫だよ、拓海くん」


蒼真は黙ったまま葵を見つめていた。


彼の小さな笑顔がゆっくり消えていく。


視線が床へ落ちた。


(葵……俺、ちゃんと言わなきゃ)


二時間後――


リビングはノートや紙、鉛筆で散らかっていた。


美緒がソファに倒れ込む。


「うわああ! 全然わかんない! 式までは合ってるのに途中で迷子になる!」


「見せて?」


華恵が静かに近づく。


松田はノートを覗き込んだ。


「数学ほんと苦手だわ……華恵がいて助かった」


そして美咲へ振り返る。


「美咲は? わからないとこある?」


美咲は松田を見た。


「あなたも解けてなかったじゃん。たぶん無理」


松田は小さくため息をつく。


(落ち着け……まだ時間はある)


拓海が自然に言った。


「華恵は数学と化学で学年トップです。非常に優秀ですよ」


華恵の手が止まる。


鉛筆が空中で止まったまま、彼女は拓海を見つめた。


「そ、そういうこと言う人だと思わなかった……」


「人の価値を認めているだけです」


葵が興味深そうに尋ねる。


「拓海くんって友達いるの?」


「生徒会の仕事が忙しくて、娯楽の時間を作るのが難しいです」


華恵が柔らかく笑う。


「でも、今は私たちといるじゃん」


拓海はまた眼鏡を直した。


「その通りです」


松田が言う。


「試験終わったらカラオケ行かない?」


「私は部活あるかなー」


「私は舞台の発表」


葵がそう答えると、拓海が彼女を見る。


「報告が的確ですね。ぜひ観に行きたいです」


その隣では――


蒼真と葵が同時にノートを閉じた。


指先が触れる。


小さな電流のような感覚が二人を走った。


沈黙のまま見つめ合う。


美緒が陽菜を肘でつつく。


陽菜がニヤッと笑った。


先に目を逸らしたのは蒼真だった。


「葵……トイレ借りてもいい?」


「う、うん。廊下の右だよ」


蒼真はトイレへ入り、扉を閉めた。


顔に水をかける。


深呼吸。


鏡に映る自分を見つめた。


「何ヶ月も前から言おうとしてるのに……」


洗面台を強く握る。


「なんで言えないんだよ……」


もう一度深呼吸して、リビングへ戻った。


美咲がLINEを触りながら、松田の話を適当に流しているのを、宗真は静かに見ていた。


「……あいつ、美咲がずっとLINE見てるの気づいてないのか?」


松田はそんなことにも気づかず、笑いながら話を続けていた。


「やっぱ休みの間に遊んどかないとなー。これから先、試験ばっかになるし」


その様子を、陽菜はそっと眺めていた。


松田が少しでも美咲に近づこうとすると、美咲はほんの少しだけ距離を取る。


そんな空気が、ずっと続いていた。


――さらに二時間後。


卓海が腕時計に目を向ける。


「十七時か。最初は平均以下だったが……今は六十パーセントを超えている」


「うおおおーっ!!」


美緒がソファから飛び上がった。


花江は教材をまとめながら立ち上がる。


「そろそろ帰らなきゃ。卓海くんも来る?」


「無論だ」


その時だった。


雪子がココナッツタルトを持ってリビングへ入ってくる。


「はい、みんな。帰る前に食べていって」


「いただきます!」


みんなが一斉に頭を下げた。


雪子は、賑やかなリビングを見ながら、本当に嬉しそうに微笑んでいた。


その後、軽くお菓子を食べ終えると――


一人、また一人と帰っていく。


そして最後に残ったのは。


葵。


宗真。


そして美緒だけだった。


家の外では――


陽菜が指を組みながらそわそわしていた。


「ねえ……まだ二人とも中にいるよね?」


「うん」


美緒は家の方を見ながらニヤッと笑う。


「やっと素直になるのかな、葵ちゃん」


その頃、リビングでは――


宗真が落ち着かなさそうに指をいじっていた。


「葵……ちょっと話してもいい?」


美緒の目が一気に見開かれる。


「わ、私はもう帰るね! また月曜日!」


そう言って、美緒はほとんど逃げるように部屋を出ていった。


静寂。


葵は宗真を見つめる。


「何か話したいこと……あったの?」


その時――


雪子がひょこっと顔を出した。


「あら? なんで宗真くんだけ残ってるの?」


そして、口元をにやりと緩める。


「もしかして……告白?」


宗真の顔が一瞬で真っ赤になった。


「え、あっ!? ち、違います!! いや、葵はすごくいい子で……いや、そうじゃなくて――」


雪子は楽しそうに笑い出す。


「あははっ! 若いっていいわねぇ」


「し、失礼しますっ!」


宗真は耐えきれず、そのまま勢いよく玄関へ向かった。


「もー、お母さん!」


葵が慌てて声を上げる。


雪子は腕を組みながら笑った。


「図星だった?」


葵は急いで玄関のドアを開ける。


「宗真くん!」


宗真は足を止めた。


けれど、振り返らない。


「……俺のことは気にしなくていいよ、葵」


葵は小さく息を吸った。


「私、伝えたいことがあるの!」


宗真は視線を落とす。


「俺も……言いたいことはあった。でも……難しくて……」


二人の間を、静かな風が通り抜ける。


葵は胸の前でぎゅっと両手を握った。


そして――


「私は、宗真くんが好き」


世界が止まったようだった。


静かな住宅街を風だけが抜けていく。


宗真は動けなかった。


葵は顔を真っ赤にしながら、震える声で続ける。


「こ、こんな風に言うつもりじゃなかったけど……でも……」


宗真の肩がわずかに震える。


喉を鳴らし、目を閉じた。


「宗真くんといると安心するの。優しいし……」


宗真は強く拳を握った。


「……葵」


沈黙。


そしてようやく――


「……俺は、葵の気持ちに応えられない」


葵の心臓が止まったような気がした。


ゆっくりと目が見開かれていく。


唇が小さく震える。


「……え?」


宗真は最後まで、彼女の方を見ることができなかった。


風だけが、静かに二人の間を通り過ぎていく。


まるで世界そのものが、沈黙してしまったみたいに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ