第43話 ― 謎のゲーム
二階の廊下は、その時間、静まり返っていた。
中庭で騒ぐ生徒たちの声は、開け放たれた窓からやわらかく届き、校舎を抜ける穏やかな風に溶け込んでいる。
青井は篠原と並んで、トイレから出てきた。
先輩は両手を後ろで組み、軽く体を揺らしながら、興味深そうな笑みで青井を見ている。
「それで……中で何してたの?」
青井は一瞬、視線を逸らした。
さっきのちょっとした騒ぎが、まだ頭に残っている。
「えっと……友達が付き合い始めて……」
少し照れながら答える。
「それで、ちょっと気になって……」
篠原の笑みがさらに深くなる。
「ああ……なるほどね。すごくわかる」
くすっと小さく笑った。
青井は首を少し傾げる。
「それで……私に何か用ですか、先輩?」
篠原はすぐには答えず、廊下の先を指さした。
「武雄のところに行こっか」
二人は歩き出す。
角を曲がると、壁にもたれてスマホをいじっている武雄が見えた。
二人に気づくと、顔を上げる。
「遅かったな!」
篠原がじっと睨む。
武雄は慌てて両手を上げた。
「ちょ、ちょっと!冗談だって!」
青井は何度か瞬きをする。
「どうしたの?」
武雄と篠原は軽く目を合わせる。
そして武雄が口を開いた。
「その……セリフに、もっと感情を込めたほうがいい」
篠原が続ける。
「正直に言うとね……配役を外して、照明に回そうって声も出てるの」
その言葉に、青井の世界が一瞬止まった。
「でも……私、ちゃんと頑張ってて……」
「うん、それはわかってる」
篠原はすぐに言った。
武雄は腕を組む。
「だからこそ、こうして来たんだ」
一歩前に出て、青井をまっすぐ見つめる。
「本番まであと二週間だ。覚えてるよな?」
短い沈黙。
「今日、もっと感情を出せそうか?……ほんの少しでもいい」
青井は深く息を吸う。
胸が上下する。
「……やってみます」
少しだけ頭を下げた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
篠原は優しく微笑む。
「私と武雄が今こうして一緒にいるのは、青井のおかげだから」
武雄も頷く。
「だから今度は、俺たちが手伝う番だ」
青井の顔に、素直な笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます……本当に」
指を一本立てる。
「武雄……一つ聞いてもいい?」
「いいぞ」
少しだけ迷ってから、青井は口を開く。
「昨日……『エターナル・イージス・オンライン』をクリアしたとき……」
顔を上げる。
「エンドロールに、武雄のお父さんの名前があったの」
武雄は瞬きをした。
だが、青井は続ける。
「……それから、私のお父さんの名前も」
沈黙。
武雄は一歩、後ろに下がる。
「えっ……マジで?!」
目を見開いた。
「本当に出てたのか?」
青井は視線を落としたまま。
「……知らなかったの?」
武雄は頭をかく。
「親同士が開発者だったのは知ってるけど……お前の父さんの名前は聞いたことなかったな」
小さく笑う。
「ってことは……父親が作ったって知ってて、そのゲームやってたのに、俺たちに言わなかったのか?」
青井は少し照れて笑った。
「お父さん、サプライズ好きだったから……私も、ちょっとだけ。ごめんね」
武雄は首を傾げる。
「親父に聞いてみるか?お前の父さんのこと」
青井は息を整える。
「……もっと知りたいの。このゲームのこと」
武雄は頷いた。
「任せとけ」
親指を立てる。
「聞いてみる」
「ありがとう……」
篠原は静かに二人を見ていた。
「本当に仲いいんだね……」
腕を組む。
「でも、テスト期間でもあるんでしょ?」
青井は頷く。
「うん……三週間後から」
篠原は武雄を見る。
「私たち、最後の年だから……」
息を吸う。
「卒業前に、ちゃんとしたものを残したいの」
武雄が続ける。
「公演のあと、みんなで飯行こうぜ」
笑う。
「送別会だ」
篠原はそっと顔を背け、目元を拭いた。
「武雄……もう泣きそうなの?」
武雄は大げさに腕を広げる。
「しょうがないだろ!この学校、大好きなんだから!」
青井は二人を見つめる。
そして、静かに笑った。
「私たちは……」
二人が彼女を見る。
青井は、はっきりと言った。
「先輩たちの想い、ちゃんと引き継ぎます」
声に力が宿る。
「安心してください」
沈黙。
次の瞬間、武雄が大きく笑った。
「それだ!」
指を差す。
「今の表情!」
篠原がいきなり青井を抱きしめた。
「そう、それ!」
ぎゅっと力を込める。
「その気持ちで話して!」
小さくささやく。
「……正直に言ってくれて、ありがとう」
青井も抱き返した。
廊下の向こうでは――
美緒、陽菜、花恵が壁の陰から見ていた。
篠原はそっと離れる。
「さ、戻ろう。もうすぐ授業だよ」
その瞬間――
「やばっ!」
青井が目を見開く。
「お弁当、食べ終わってない!」
そう言って、廊下を走っていった。
放課後。
美緒は机に突っ伏し、ため息をついた。
「図書室行きたかったのに……」
青井を見る。
「でも、部活あるんでしょ?」
陽菜が指を立てる。
「全部聞いてたよ、トイレで」
くすっと笑う。
「無防備だね」
青井はため息。
「今日は練習があって……」
少し考える。
「そのあとなら?」
陽菜が笑う。
「うち来る?」
青井は首を傾げる。
「その前に、お母さんに何か作りたいかな」
美緒がくすっと笑う。
「いい娘だねぇ」
青井は彼女を見る。
「美緒のお母さんは?」
美緒は静かに答える。
「もう家にいるよ」
窓の外を見る。
「お父さんも、いろいろやってるみたい」
小さく息を吐く。
「でも……あんなに落ち着いていられる理由、まだわかんない」
陽菜が瞬きをする。
「もう仲直りしたんじゃなかったの?」
「助けてくれたのは感謝してる」
美緒は言う。
「でも……忘れない」
少しの沈黙。
「じゃ、行ってくるね」
青井は鞄を持つ。
「またあとで!」
「またね!」と二人。
演劇部。
青井はゆっくりと舞台に上がった。
手に持つ台本が、わずかに震えている。
武雄の言葉が頭の中で響く。
――それだ。その表情。
息を吸う。
一度。
二度。
そして顔を上げる。
「いつか……私たちは別れる日が来る」
静寂。
「もしかしたら……ちゃんとさよならも言えないかもしれない」
声が少し震える。
だが、途切れない。
「でも――あなたは、ずっと私の心の中にいる!」
完全な静けさ。
全員が彼女を見ていた。
顧問が一歩前に出る。
「いい……」
「それよ、坂本」
「それが意図よ」
拍手が響いた。
武雄が小さくささやく。
「な?」
顧問はしばらく青井を見つめる。
「……役、続けられそうね」
青井は頭を下げた。
「ありがとうございます」
帰り道。
「今日は良かったぞ」武雄が言う。
「先輩たちのおかげです」
スマホが震える。
「グループだ」
二人は画面を見る。
陽菜:
「今日は誰もやらないかも。でもまだ探索できるよ」
武雄(Takejiru):
「次の拡張待つ?」
「拡張?」青井が聞く。
「ゲームに新しい命が入るんだ」武雄が答える。
沈黙。
やがて、彼は小さく言った。
「お前の父さんが……ゲームにいたの、さ」
視線を逸らす。
「ちょっと……びっくりした」
青井は静かに言う。
「ただ……形にしたかったの」
武雄は考える。
「ゾンビのゲーム、覚えてるか?」
青井は顔を上げる。
「うん……」
「持ってる」
瞬き。
「え?」
武雄は少し緊張した様子で。
「短いけど……」
深く息を吸う。
「エンディング、見るべきだ」
沈黙。
「貸すよ」
「今日」
青井は目を見開く。
「今日?!」
「直接渡したい」
「九時には寝るよ」
「それまでに行く」
ため息。
「……わかった」
青井は帰っていった。
武雄はその場に立ち尽くす。
「青井……」
目を閉じる。
「ごめん」
後ろから篠原が現れる。
「武雄?」
「ちょっと話してた」
「演劇のこと?」
「いや……」
視線を落とす。
「彼女の父親、弘志って人がさ……彼女のためにゲーム作ってたんだ」
篠原は口元を押さえる。
「本当に……?」
「でも……渡す前に亡くなった」
沈黙。
「これでいいのか、わかんない」
篠原は彼を見る。
「武雄……」
少し首を傾げる。
「好きなの?」
「違うって!」
彼は笑う。
「そういうのは……お前だけだよ」
篠原の顔が赤くなる。
「そ、そういうこと言わないでよ!」
武雄は笑った。
「悪い」
空を見上げる。
「試験、合格かな」
「私には最初から試験じゃなかったけどね」
彼女は息を吐く。
「そのゲーム……何があるの?」
武雄は静かに答える。
「それは……青井が自分で見つけるものだ」
少し間を置く。
「今日の様子を見る限り……もう準備はできてる」
「準備って……?」
彼は遠くを見る。
「あの事故があったの、あの海岸だろ」
篠原の目が見開かれる。
「あの海岸……?」
武雄は目を閉じる。
「これでも重いのに……」
深く息を吸う。
「六歳の子どもが……」
小さく息を吐く。
「父親がもう帰ってこないって知らされるなんてな




