第39話――群衆の中で
イベントの入口は、まるで別世界だった。
アオイの目の前に広がるのは、色の海。
きらめく衣装、朝の光を反射するコスプレ用の鎧、風に揺れる長いマント。笑い声や弾んだ会話、絶え間なく響くシャッター音が混ざり合い、空気そのものが生きているようだった。
その中で――
アオイは、足を止めた。
視線の先にいたのは、ただ一人。
ソウマ。
彼は人混みの中を、まるで周囲の喧騒とは無関係のように、落ち着いた足取りで歩いてくる。背後で揺れる暗いマントは静かな影のようで、背中に差したサーベルがその姿を完成させていた。
その一瞬――
アオイは、呼吸を忘れた。
「そ、ソウマくん……?」
ソウマは驚いたように瞬きをして、首の後ろに手をやる。
「あー……えっと……」
彼は照れくさそうに笑った。
「なんか、変じゃない?」
「ぜ、全然そんなことないよ!」
アオイは慌てて言葉を重ねた。
ヒナが一歩前に出て、自然に微笑む。
「すごく似合ってるよ、ソウマ。ふふ。」
アオイは一度深呼吸して、ようやく落ち着いて言えた。
「クオルに、すごく近いと思う……」
ソウマは少し視線を逸らしながら頭をかいた。
「そっか……よかった。」
ヒナは勢いよくアオイの手を引く。
「中で着替えよう!早く行こ!」
ソウマは親指を立てた。
「あとでグループで連絡するよ。」
アオイは小さく頷く。
「じゃ、じゃあ……またあとで、ソウマくん。」
彼は軽く手を振った。
そして二人は、そのまま会場の中へ入っていった。
ゲートをくぐった瞬間、世界はさらに鮮やかになった。
天井からは巨大なバナーが垂れ下がり、色とりどりのライトがゲームや漫画、フィギュアのブースを照らしている。コスプレイヤーたちがあちこちを歩き回り、まるで物語の中の人物たちが現実に現れたようだった。
巨大な鎧を着た人もいれば、華やかなドレスの人もいる。
中には、大きな翼を背負った人までいた。
「混む前に行こう!」
ヒナがアオイの腕を引いた。
更衣室は広く、活気に満ちていた。
並んだ鏡の前で、たくさんの女の子たちが準備をしている。ウィッグを整える人、メイクを直す人、小道具の剣を置く人。
ほのかに香る香水とヘアスプレーの匂いが、空気に漂っていた。
アオイとヒナは、なんとか空いているスペースを見つける。
「よし、始めよっか!」
ヒナが楽しそうに言った。
二人はスーツケースを開く。
ヒナは先に、イリラ・スクリプトリアの衣装を身に着けた。淡い青の布が体に優しく落ち、まるで霧のように軽やかに広がる。透けるマントが肩にかかり、本を抱えた姿はまさに物語の中の存在だった。
その隣で、アオイも衣装を身にまとう。
真珠のような白いドレスアーマーが体にぴったりと合い、金の装飾が光を受けて柔らかく輝く。
手袋。
剣。
ティアラ。
すべてを整え終えたとき――
二人は、同時に顔を上げた。
ヒナがぱっと笑顔になる。
「わあ……アオイ、すっごく綺麗!」
アオイは少し頬を赤くした。
「ヒナも……!一ヶ月で作ったとは思えないよ!」
「いっぱい練習したからね。」
ヒナは照れながら笑う。
そのとき、アオイのスマホが震えた。
メッセージ。
ミオ。
「ねえ、アオイちゃん。私も一緒にイベント行くね。」
「言ってなくてごめん……」
「ちょっと話があるの。」
「ヒナのこと。」
アオイは、少しだけ眉をひそめた。
顔を上げると、ヒナは鏡の前でくるりと回りながら、自分の姿を楽しそうに見つめている。
「誰から?」とヒナ。
「ミオ……近くにいるみたい。」
「よかった!」
ヒナは嬉しそうに笑った。
二人は出口へ向かう。
だが、そのとき――
「あー!いた!」
同時に振り向く。
「ハナエさん!」
「もう、来てるなら言ってよ!」
彼女は明るく笑った。
「ちょっとだけ待っててね!」
二人の衣装を見て、目を輝かせる。
「めっちゃ似合ってる!」
そう言うなり、彼女はまた更衣室の奥へ消えていった。
アオイは小さくため息をつく。
「待つしかないね……」
「ねえ、あそこ見て。」
ヒナが指をさす。
アオイが視線を向ける。
ミオ。
制服のまま、人混みの中を歩いている。
「ここで待ってて。私、呼んでくる。」
アオイは人混みを抜けていく。
近づいた瞬間――
ミオが目を見開いた。
「ア、アオイ!?」
彼女は上から下まで見て、驚いたように息をのむ。
「すご……めっちゃ似合ってるじゃん。」
「はは……ありがとう。」
短い沈黙。
そしてアオイは、まっすぐ聞いた。
「ヒナのこと、何?」
ミオは深く息を吸う。
「ソラ、覚えてるよね?」
「二年前の?」
「そう。」
腕を組む。
「アイツ、ヒナを振っただけじゃない。あの子を傷つけた。」
アオイは静かに頷く。
「それで……プリンス・ジョンの話ばかりするようになった。」
「そう。」
少しの沈黙。
「でも今は……」
ミオは言葉を続ける。
「ヤマダのことだと思う。」
アオイは目を瞬かせた。
「ヤマダ?」
「二人、なんか違うんだよ。視線とか……ヒナも最近ちょっと変わったし。」
アオイは少し考えてから、肩をすくめた。
「ヤマダ、ちょっとバカなとこあるけど……嘘はつかないよ。」
小さく笑う。
「もしそうなら……私は応援する。」
「ちょっと、アオイ!」
ミオが声を強める。
「アイツ、松田といつも変な話してるじゃん!」
アオイは真剣な目で返した。
「私たちが口出すことじゃないと思う。」
「でも――」
「ソラとは違う。」
空気が重くなる。
ミオは唇を噛んだ。
「結局、同じでしょ。」
アオイは静かに言う。
「ヒナを支えたのはヤマダだよ。あなたが振ったあと。」
沈黙。
ミオの動きが止まる。
「それって……私のせいって言いたいの?」
「未来なんて誰にも分からない。でも、きっかけはそこ。」
「私は好きじゃなかったの!」
「じゃあ……ヒナの幸せも止めるの?」
二人は見つめ合う。
張り詰めた空気。
今にも壊れそうな距離。
やがて――
ミオは大きく息を吐いた。
「……もういい。」
顔を逸らす。
「今回は、あんたの言う通りにする。」
少し間を置いて。
「でも、ヒナを傷つけたら……そのときは私が動く。」
アオイは頷いた。
「うん。」
ミオはそのまま歩き出す。
アオイは小さくつぶやいた。
「今日は……もっと楽な日になると思ってたのに。」
そして後を追う。
ヒナは満面の笑みで二人を迎えた。
「今日、最高の日かも!」
そう言って、二人を同時に抱きしめる。
アオイとミオは少し押しつぶされる形になる。
数秒の間――
互いに目が合う。
そして、少しだけ笑う。
でもすぐに視線を逸らした。
「ミオ!もうね、ソウマとハナエと――あれ?」
ヒナが動きを止める。
「ミサキ……?」
少し先。
ミサキが歩いていた。
その姿は自然と目を引く。強くて、美しくて、どこか近寄りがたい雰囲気。
通り過ぎる人たちが、次々に声をかける。
「写真いいですか?」
「すごい完成度!」
ミサキは軽く微笑む。
落ち着いていて、自信に満ちていた。
そのとき――
「遅かったな。」
ソウマが現れる。
アオイの胸が少し跳ねた。
「ソウマくん……」
そして――
「戻ったよー!」
ハナエが姿を見せた。
その場の空気が、一瞬止まる。
彼女の姿は――圧倒的だった。
気品。
静けさ。
存在感。
まるで、すべてを上から見下ろす貴族のような佇まい。
ハナエはにっこりと笑う。
「コンテスト行く人ー?」
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